教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

世界遺産学習 法隆寺(その14)裳階

裳階(もこし)

 

裳階(もこし)とは何でしょう。

仏堂・仏塔などの軒下壁面に取り付けた庇(ひさし)状の構造物。法隆寺金堂や五重塔の初層、薬師寺三重塔の各層などにみられる。雨打(ゆた)。裳階(しょうかい)。
                                (大辞泉

建物の軒下壁面のひさし風にさし出した部分。
                           (歴史民俗用語辞典)

写真の初層屋根の下にあるのが「裳階」です。

 

Wikipedia」には、「構造は本屋より簡素であり、建物を実際より多層に見せることで外観の優美さを際立たせる効果があるため、特に寺院建築で好んで利用された。」とあります。

美しさの尺度は人によって違います。

下の写真の左は裳階のない法隆寺五重塔、右は裳階のある法隆寺五重塔です。

ちなみに、もっとも美しい五重塔と言われている室生寺五重塔は、裳階のない法隆寺五重塔に似た立ち姿です。

私は、裳階のない法隆寺五重塔のほうが断然美しいと思います。

 

鳥人(あすかびと)が裳階を美しいと感じていたかどうかは分かりません。というのも、法隆寺五重塔の裳階は外観の優美さを際立たせるために作ったものではないからです。もっと差し迫った、そうせざるをえない必要があったのです。

 

その必要は、屋根裏の構造、つまり垂木(たるき)にあります。

屋根瓦の下に並んで見える角材が垂木です。

 

仏教寺院の建築は中国から伝わりました。

仏教寺院の屋根は寄棟(よせむね)や入母屋(いりもや)になっています。

仏教建築が入ってくる以前の日本では、切妻(きりづま)が上等の屋根の形でした。切妻を「真屋(まや)」と呼び、寄棟は田舎の農家の屋根の形だったので「東屋(あずまや)」と呼んでいました。

神社本殿は切妻です。一方、仏教寺院では寄棟や入母屋を重要な建物に使います。

 

垂木の話です。

垂木の取り付け方には2通りあって、イラストの上を「扇垂木(おうぎだるき)」、下を「平行垂木(へいこうだるき)」と言います。

扇垂木は寄棟や入母屋の屋根に用い、平行垂木は切妻の屋根に用います。

 

仏教寺院の屋根は寄棟や入母屋ですから、扇垂木のカタチで伝わりました。

法隆寺金堂も当然、寄棟や入母屋の屋根です。(法隆寺では五重塔に先立って金堂が建てられました。建物の構造としては、金堂も五重塔も同じです。)

切妻屋根を最高の屋根形式としていた日本では、垂木は平行であるのが当たり前でした。飛鳥人(あすかびと)の美意識としても、当然そうあるべきと考えたのでしょう。法隆寺金堂の屋根には平行垂木を採用しました。

 

法隆寺』所収の穂積和夫さんのイラストをお借りして解説します。

垂木は「桁(けた)」に打ち付けます。イラストでいえば「入側桁」「側桁」「出桁」が屋根の重みを支えることになります。

本来扇垂木であるべき屋根に平行垂木を採用したため、隅に近い部分の垂木が屋根の重みを支えられない構造になってしまったのです。

私の構造模型では、垂木に2㍉角の楊枝を使っています。実際には12×15㌢の角材で、一般住宅の柱よりも太い部材です。それが隅木とのみ結合していて、上に乗る瓦の重みを支えることになります。

 

あまりにも当然のことながら、金堂の軒(のき)は完成からほどなくして下がり始めました。隅木(すみき)の下にある尾垂木(おだるき)を支えるつっかい棒が必要になったのです。そこで作られたのが裳階です。

 

五重塔では、金堂の教訓を生かして、当初から裳階を作りました。

構造模型の一番手前が裳階の一部で、裳階と尾垂木の間の丸棒部分には「邪鬼」が置かれています。

「つっかい棒」に「邪鬼」を置くなど、飛鳥人(あすかびと)の美意識には感服します。しかし、つっかい棒が必要になってしまったのもまた、飛鳥人(あすかびと)の美意識に因るとも言えます。扇垂木にしていれば、もっと美しい五重塔になっていたでしょうに。

 

なお、その後に建てられた五重塔は屋根の構造が複雑になり、裳階は必要なくなったようです。(写真は興福寺五重塔



 

大丈夫か?学校!授業!①

「針の穴から天井覗く」ということわざがあります。

私が見聞きする学校や授業は、地図帳の日本列島にチョンと突いた針穴のような世界。まさに「針の穴から日本教育を覗く」です。

しかし、「針穴」の風景が日本全体の風景の縮図であることもしばしばあるものです。

 

「針穴」の風景を眺めつつ、口を突いて出た言葉が「大丈夫か?学校!」「大丈夫か?授業!」でした。もちろんこれは反語ですから、全く大丈夫じゃないと感じているわけですが……。

 

今回の稿は、ICT教育と深く関わります。

まずは、この2年の間に発信した関連記事を振り返ります。

 

■2020.4.13 タブレットはコロナ禍休校を救えるか?!

yosh-k.hatenablog.com

この稿では、タブレット学習(オンライン学習)の課題として、

(最底辺の子、学習意欲が乏しい子の場合)この子たちには背中を押し、前に回って引っ張りといった個別支援が欠かせません。対面学習がセットでない限り、タブレット学習はこの子たちには届かないのです。

と指摘しました。

さらに、

再開された学校ではタブレット学習が加速度的に増えていくでしょう。時代の流れと言えばそれまでですが、そこには「個の学力」と「集団の学力」という古典的な課題が横たわっています。いずれ稿を起こしたいと思います。

と結んでいます。

 

■2020.7.6 オンライン授業への期待と危惧と

yosh-k.hatenablog.com

オンライン授業について、

小学校においては、それもとりわけ低学年においては、極力慎重であるべきだと思います。
もし導入するにしても、かつてのNHK教育番組のような完成された(=子どもに伝わる)ものを配信すべきです。お金で解決できる部分は、教育行政がその責を果たすべきです。先生の仕事は、完成された配信でも届かない子のフォローにこそあると思います。


気がかりなのは、授業の「質」です。それも、先生たちが一定程度のリモート授業スキルを身につけたあとの授業の「質」です。
知識を「伝達」することが主の授業は比較的ウマくいくのではないかと思います。
私が危惧するのは、心に揺さぶりをかけながら主題に迫る文学の読みの授業(一部の道徳の授業も含まれるかもしれません)、試行錯誤の摺り合わせの中から定理や公式を「発見」する算数の授業などです。
こうした授業は、適度に張り詰めた空気と緊張関係の中で成立するものです。私は、教師と子どもの「真剣勝負」の時間と位置づけてきました。授業は「生もの」です。私は教室という囲まれた空間の中で空気を感じ、表情を読み、勝負を仕掛けてきました。
モニター越しの子どもと、同じ緊張感を持ちながら授業を成立させることはできるでしょうか。大いに疑問です。

 

2年前の「危惧」は、いまなお「危惧」のままのような気がします。

 

■2020.7.7 個の学力と集団の学力 ~タブレット時代の学力考~

yosh-k.hatenablog.com

授業改革は教える側の問題であり、「集団の学力」をターゲットにしています。
学習の個別化は学ぶ側(学ぶ意欲)の問題であり、「個の学力」をターゲットにしています。

教える側からの学力アプローチ、つまり授業改革でめざしたのは、個々の子の学ぶ意欲につながる授業です。集団としての学びの質が高ければ高いほど、個々の子はそこから学び刺激を受けます。その結果として個の学力が高まり、それが集団の学びをさらに高めます。そういう学力の好循環を育てようとしたのです。

タブレット時代の入り口に立って感じるのは、機器に使われている教師と子どもの多さです。しばらくは機器に振り回され、過度に依存する時期が続くのでしょう。やがて機器をツールとして使いこなせるようになった時、立ち止まって考えていただきたいのです。

タブレットは育てようとする学力のどの部分を担い、それはあなたの授業にどう位置づけられるのでしょう。検証の軸は「個の学力」と「集団の学力」という古くて新しい永遠のテーマです。

 

■2020.11.6  GIGAスクール構想は学校を変える?

yosh-k.hatenablog.com

先生たちのスキルアップも必要です。

効果的な活用の研究も必要です。

これらは少し長い目で見守るしかありません。

 

それよりも気になるのは、「中途半端」な整備のありようです。

 

現段階の整備の完成形は、「1人1台の端末」と「高速通信網」までです。

その結果、教室はおよそ次のようになります。

まず、教室の前面には黒板があります。その脇に大型モニターが鎮座します。

教師は、黒板とチョークを使った指導をしつつ、必要に応じて小型端末を操作し大型モニターに映し出します。

子どもの机には、教科書とノートと筆箱と、さらにはドリルや資料集が乗っています。それに加えて、取扱注意、落下注意の端末が乗ります。

 

授業場面において、子どもは黒板に注目し、ときに大型モニターに注目することになります。視線の移動が大きいです。

この状況下で集中力を切らせる子どもがいます。

 

ノート、プリント、端末といった対象物の多さに対応しきれない子、整理できない子がいます。

 

「誰一人取り残すことのない、個別最適化された学びの実現」を標榜しながら、憂いを増大させる結果になりかねません。

 

GIGAスクール構想」を本気ですすめるつもりがあるのなら、検討して欲しいことがあります。

 

紙の教科書の廃止です。「デジタル教科書も認める」ではなく、「デジタル教科書しか認めない」のです。物の煩雑さが解消されます。

 

教科書のデジタル化にあわせて、教室の黒板を撤去します。

前面の真ん中に大型モニターを据え、その左右は電子黒板になっています。少なくとも、モニターとシームレスな平面のホワイトボードであるべきです。教師にとっては、小型端末をのぞき込んだりすることなく授業が進行できる環境が提供されるべきです。こうした環境が整うことで、子どもの視線が落ち着きます。

 

子どもの机の上からアナログツールを原則として取り除きます。

デジタル端末がノートであり、プリントです。手書きペンの文字をファイリングしておけば、従来のノートと同様の使い方ができます。もちろん例外的にアナログツールを使うこともあるでしょうが。

 

現実の「GIGAスクール構想」はどこをめざすのでしょう、どこまで行くのでしょう。

いま、その幕が開きました。

 

上の記事を書いてから1年半になります。

デジタル教科書は一歩前進しましたが、「中途半端」な整備という評価を大きく変えるような現状ではありません。

 

■2021.2.15~19 デジタル教科書時代・2035年の物語

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シリーズ④の記事を再掲します。

デジタル教科書時代の学力

 

2035年の教室。

 

デジタル教科書は、教室風景と授業風景を一変させていました。

 

教室に一歩足を踏み入れると…

黒板がありません。白墨の筆記音もありません。

かつて黒板が設置されていた教室前面は、巨大な「モニター」に変わっていました。(私の時代の言葉としては「モニター」ですが、今はこの巨大な画面を何と呼んでいるのでしょう。)

そこに教科書が大きく映し出され、先生が専用の「ペン」で書き込みをしています。

 

2020年の秋、GIGAスクール構想ですべての子どもたちにデジタル端末が配布されたときのことを思い出します。当時、私は次のように書いていました。

それよりも気になるのは、「中途半端」な整備のありようです。

 

現段階の整備の完成形は、「1人1台の端末」と「高速通信網」までです。

その結果、教室はおよそ次のようになります。

まず、教室の前面には黒板があります。その脇に大型モニターが鎮座します。

教師は、黒板とチョークを使った指導をしつつ、必要に応じて小型端末を操作し大型モニターに映し出します。

子どもの机には、教科書とノートと筆箱と、さらにはドリルや資料集が乗っています。それに加えて、取扱注意、落下注意の端末が乗ります。

 

授業場面において、子どもは黒板に注目し、ときに大型モニターに注目することになります。視線の移動が大きいです。

この状況下で集中力を切らせる子どもがいます。

 

ノート、プリント、端末といった対象物の多さに対応しきれない子、整理できない子がいます。

 

「誰一人取り残すことのない、個別最適化された学びの実現」を標榜しながら、憂いを増大させる結果になりかねません。

 

GIGAスクール構想」を本気ですすめるつもりがあるのなら、検討して欲しいことがあります。

 

紙の教科書の廃止です。「デジタル教科書も認める」ではなく、「デジタル教科書しか認めない」のです。物の煩雑さが解消されます。

 

教科書のデジタル化にあわせて、教室の黒板を撤去します。

前面の真ん中に大型モニターを据え、その左右は電子黒板になっています。少なくとも、モニターとシームレスな平面のホワイトボードであるべきです。教師にとっては、小型端末をのぞき込んだりすることなく授業が進行できる環境が提供されるべきです。こうした環境が整うことで、子どもの視線が落ち着きます。

 

子どもの机の上からアナログツールを原則として取り除きます。

デジタル端末がノートであり、プリントです。手書きペンの文字をファイリングしておけば、従来のノートと同様の使い方ができます。もちろん例外的にアナログツールを使うこともあるでしょうが。

 

現実の「GIGAスクール構想」はどこをめざすのでしょう、どこまで行くのでしょう。

いま、その幕が開きました。

 15年前の「夢想」空間が、いま目の前に広がっているのです。

 

「黒板」が変われば、「ノート」も変わりました。

デジタル端末がノートになっています。

 

 

デジタル教科書が変えたのは、「風景」だけではありません。

学びの「質」をも一変させていたのです。

 

私は、訪れた教室でデジタル教科書時代の「学力」を垣間見ることができました。

 

以前の教育は覚えることを重視してきました。そして、テストで「知識の量」を問い、それを「学力」として評価していました。もちろんそれだけではありませんが、知識偏重の教育と言われながら脱却しきれなかったのです。

 

デジタル端末を常時手にしているこの時代、覚えていることの価値などほとんどありません。知識など検索機能を使えば瞬時に取り出せます。すべての子どもが巨大な図書館を持ち歩いているのです。

 

授業で教えていたのは「知識」ではなく、「知識の取り出し方」、「知識の信頼性の確保」、「知識を活用する際のルール」といったことに関するものでした。

 

6年生の教室では、社会科で江戸時代の学習をしていました。

「江戸時代が265年も続いたのは素晴らしい時代だったからである。この主張に対するあなたの意見を、考えのもとになった根拠を示してまとめましょう」

いくつかのテーマから各自が選択して、調べたことをまとめます。

意見を持ち寄って、グループで討論するのがその日の内容でした。

賛成派の子は、文化の発展、米の生産高の増加などを取り上げていました。

それに対して反対派の子は、身分制度や、百姓一揆などを取り上げていました。

結論などありません。

各自のテーマに沿って資料を見つけ、信頼性を担保した上で必要な情報を取り出して、論理的に自分の意見をまとめます。そしてそれを発信します。

その一連の過程が学びであり、デジタル教科書時代の学力なのです。

 

 

訪問した学校を出ると、そこは2021年2月の街でした。

さあ、これから15年。デジタル教科書時代の幕が開け、どんな歩みを残しつつ2035年を迎えるのでしょうか。

 

2021年2月の街の風景は、そのまま2022年5月の風景です。

 

■2021.2.22~25 「個別最適化された学び」を考える

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誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び」の実現には、「ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」に大きな可能性があると、「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」といいます。

そして、「ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」の中心をなすのが「個別に最適で効果的な学びや支援」です。

果たして、「個別最適化された学び」構想は功を奏するのでしょうか。

30年前に私が手作りで似たようにシステムを模索したときは、子どものメンタル面へのアプローチがセットでした。AIのシステムには、それはありません。

AIを使いこなす教師がよほど教育者としての力を身につけていないと、無味乾燥なシステムの一人歩きになりそうな気がします

杞憂に終わればいいですが…。

 

■2021.6.14 どうなるデジタル教科書時代

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■2021.6.15 あらためてICT教育を問う

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文部科学省が進める「GIGAスクール構想」は、学びを個別最適化し、創造性を育むと言う。

しかし「ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」(佐藤学氏)。

というのです。

 

佐藤氏は、その論拠としてPISA2015報告書の「学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていた」という事実を引きます。

その理由として、

深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性PISA

従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界PISA

今のICT教育の現場で使われるソフトの質(佐藤氏)

の3点を挙げています。

その上で、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要」と結論づけています。

 

この短い文章において語られていることは、実に深いです。

 

PISAの分析や佐藤氏の指摘から言えることは、紙の教科書をデジタル化するだけではダメだ。もっと言えば、教え込み型の一斉授業が根底にある教育観ではダメだということです。佐藤氏が提唱してきた「協同的学び」(文科省の「協働学習」は似ているようで、異質)の教育観を、ICT教育の土台に据える必要があると思います。

 

 

次回は、こんにちの「危惧」の中身について書きます。

 

きょうは何の日 5月19日

5月19日 ボクシング世界チャンピオン誕生記念日

 

1952年の5月9日、白井義男が日本人初の世界チャンピオンになりました。それを記念してプロボクシング協会が2010年に制定しました。

 

1952(昭和27)年のこの日に開かれたボクシング世界フライ級タイトルマッチで、挑戦者・白井義男がチャンピオンのダド・マリノに判定勝ちしました。日本初のボクシングチャンピオンの誕生です。当時、白井義男は30歳、遅咲きの栄光でした。

 

 

世界遺産学習 法隆寺(その13)五重塔の構造

五重塔の構造

 

法隆寺五重塔の構造については、「濃尾・各務原地名文化研究会」HPの記事を引用して紹介します。(同研究会のコンテンツは「複製、編集、加工、翻訳等、自由に利用」可です。なお、同記事中に使用されているイラストは、『法隆寺』に掲載されているものです。)

 

何故、五重塔は倒壊しなかったのか

Ⅰ.仏塔の歴史 (略)

Ⅱ.法隆寺五重塔の組立てと構造
1) 心柱を立てる。 (略)

2) 四天柱と側柱
 心柱の立上げが終わると、足場を組んで、いよいよ一重目に取り掛かります。 内側四隅の四天柱と、その外側に12本の側柱を立てて、頭貫で先端を繋ぎます。更に側柱の上には台輪が取り付けられます。 縦長の断面の頭貫と横長の台輪の組み合わせで、より堅固な構成になっています。
 実際には、上に繋げるべきもう一本の心柱が、四天柱の内側に仮置きされます。

 

3) 力肘木(ちからひじき)と 通肘木(とおしひじき)
 頭貫や台輪の上に雲形組物を介して力肘木と、それに直交するように一段目の通肘木が取り付けられます。 力肘木は小屋組を支える水平材(横架材)で、反対側の側柱まで繋げていることから「繋肘木」とも呼ばれます。

 

 部材の結合部は、組物を介して、できるだけ荷重を分散させるように組まれていきます。 それは、単純な斗(ます)だけでしたり、水平材が交差するときなどでは斗と肘木を様々に組み合わせた「組物」を介します。
4) 小屋組み

 



 下部斜め材の尾垂木を載せるために3列の横材を力肘木の上に組みます。 外側の側柱上方に斗を挟んで2本の通肘木を、次に束を立てて通肘木を、最後に四天柱上方に四天枠を取り付けて尾垂木を載せます。 最も内側の四天枠は井桁に組みます。尾垂木は四天枠の手前までですが、四隅は四天枠の奥まで延ばされています。 



5) 一重目の骨組み完成
 上部斜め材の垂木を打ち付けるために、再度、三列の横材が尾垂木の上に組まれます。 最も外側は、力肘木の先端と尾垂木の先端の間に、斗と雲肘木の組物を介して出桁を載せます。 次は側柱上方で、通肘木、斗の上に側桁を載せます。最後は、最奥の通肘木上方に斗を挟んで入側桁を載せます。 垂木はこの3本までですが、四隅の隅木は、四天枠の上に束を介して、再び井桁に組んだ2段目の四天枠まで延びています。 垂木とその先端を整える茅負は釘で打ち付けます。最後に屋根板を打ち付けて一重目が完成です。 

(私作の構造模型です。最上部の井桁組を取り除くと、上のイラストと同じになります。この井桁は2層目の最下部です。2層目は1層目の「隅の尾垂木」の上に乗りますが、乗る位置は「出桁」と「入出桁」の間になります。そうすることで、「隅の尾垂木」にかかる屋根の重さ〈下端では下方向のG、上端では上方向のGとして作用〉と2層目の重さ〈下方向のGとして作用〉のバランスを保っています。)



6) 相輪と屋根瓦

 


 一重目が完成すると、ほぼ同じように二重目、三重目へと組み上げていきます。 五重目が完成すると、五重目の小屋組の中央に露盤という、心柱と屋根とを結合させる相輪の土台を仮置きします。 そして、相輪を取り付けるための足場を組むのです。 足場が組まれると心柱の上側のもう一本を露盤の穴に通しながら引き上げ、2本を継手結合させます。 その結合部には40センチ程の大釘を打ち込み、その四方を添え板で完全に固定します。 次に露盤を固定してから、相輪のパーツを下から順に先端から通していきます。 相輪が完成したら、足場を外し、各重の側面と屋根瓦を仕上げていきます。 瓦は、置きだめの時も葺く時も、四方とのバランスに注意しながら進められます。 こうして、今度は上の重から順に下へ作業していきます。

 



 

 

 

きょうは何の日 5月16日

5月16日 平和に共存する国際デー

 

5月16日は、「平和に共存する国際デー」です。

 

2017年(平成29年)12月の国連総会で制定。国際デーの一つ。英語表記は「International Day of Living Together in Peace」。「平和裏に共存する国際デー」ともされる。

この国際デーは、平和・連帯・調和の持続可能な世界を築くために、違いと多様性の中で団結して生き、共に行動したいという願望を支持することを目的としている。

「平和裏」とは、「平和な状態のままで」「平和のうちに」という意味である。

平和に共存するためには、他の人との違いを受け入れ、耳を傾け、理解し、尊敬し、感謝することが重要である。この日は、平和・寛容・理解・連帯を促進するための日であり、和解のための措置や奉仕活動を通じて、また地域社会の人々と協力して、平和と持続可能な開発のための和解をさらに促進するよう各国に呼びかける。

                       (「雑学ネタ帳」HPより)

 

 

 

           平和共存のための世界宣言
前文

2017年12月8日に、国際連合総会において193カ国のメンバーの満場一致をもって、毎年5月16日を「国際平和共生デー」と宣言するという国際連合総会決議A/R/72/130号が採択されたこと
「国際平和共生デー」がアフリカ連合(2019年、平和と安全審議会の891会議)とまた非同盟国の組織(カラカス、2019)によって支持されたこと
同様にこの日はまた、デュッセルドルフ宣言(市長らによる共生に向けた国際監視機関、2019年8月)を通じて、世界各地の多くの都市と首都によって、この日を毎年祝うことが支持されたとこと
そして今日なお、他者に対する恐怖心が不寛容さを生み出し、<<自己中心的>>な文化が政治的、経済的、社会的さらには環境をめぐる対立をもたらし、平和の障害となっていること
多数の女性と男性がすでに赦しと思いやりの価値を尊重して良識的に共に生活をしていること
われわれは、自らの生まれや信仰や文化、また社会的地位や居住地や生活様式がいかなるものであるかに関わらず、相互に依存していること
人類家族が和解し結束する環境をつくり上げるためにともに行動することは、われわれ人類の責務であること
若い世代、すなわち将来大人となる者たちに、他者と対抗するのではなく、他者と共に未来を構築していくために平和の文化を教育することは喫緊の課題であること
これらのことを踏まえて、以下の声明文を発する。

声明文

われわれ、政治的経済的社会的意思の決定者である世界中の男女の市民は、以下のことを宣言する。われわれは、「寛容さと包摂性、思いやりと連帯のために、そして平和と団結と調和に基づく活力ある世界を構築するために、共に生活し協働することへの強い希求を表明し」、ここに平和共存のための世界宣言に署名することとする。.
(国際平和共生デーの採択に関する国際連合総会決議A/RES/72/130号の抜粋)

 

「平和共存のための世界宣言」に賛同し、私はここに誓約する:

女性市民、男性市民として:

・全ての男女市民の平等と、われわれを結びつけている関係の相互依存性を認めること
・われわれのあいだに、互いを隔てる壁ではなく、架け橋をつくること
・文化と地域的特性を尊重して、自らその教育を主導し、世論を喚起する活動を行うことを含め、国際平和共生デーを祝うこと
われわれが平和共存できる環境をつくるように、国家機関に対して働きかけること

自治体・地方・国会の議員として:

・あらゆるかたちの多様性を評価・尊重し、平和共存を推進し、都市における調和のある共存を促すために、差別に対して闘うこと
・相互の信頼を築くために共同体の活発な勢力の近くで活動して社会的結束と統合を促していき、全ての男女の市民のあいだに社会への帰属意識を育んでいくこと
・全ての男女の市民による近場での交流活動によって、共生と協働することのへの戦略的対策を講じること

企業の経営者として:

・関係者がともに協働することに価値をおき、生活と人間の尊厳を尊重するような経済の推 進に励むこと
・われわれの日々の行為に意味を与える共同作業を奨励し、利益が目的ではなく手段となる、公益のための企業を発展させていくこと
・経済的活動の地球温暖化への影響を押さえるよう活動を修正すること、また男女間の賃金平等のために対策を講じていくこと

宗教指導者として:

・宗教的と信仰の多様性を尊重し、人類家族の和解のために貢献すること

国家または政府の長として:

・平和や持続可能な開発に貢献するために、和解を調停するよう行動すること。特に共同体 や宗教的リーダー、その他の当事者たちと協力して、和解や結束を促すような対策を採り、また赦しと思いやりを人々に促すこと
・社会的経済的な不平等を是正するような条件をつくりだし、特に児童労働の搾取を禁止すること
・学校教育プログラムの全課程に平和の文化の教育を導入していくこと.

組織または国家、国際機関として:

・「国際平和共生デー」に関する国際連合総会決議A/RES/72/130号が基づくところの勧告や原則を、具体的行動へと変換させる道筋を確かなものとすること
・平和共存のための国際会議の開催を奨励し、そうした行動が地球レベルへとつながるように尽力すること

 

高い理念と現実社会との落差。難しい問題です。

きょうは何の日 5月13日

5月13日 愛犬の日

 

1952(昭和27)年1月に「愛犬の友」という雑誌が誠文堂新光社から創刊されます。
当時の社長であった小川菊松氏は、1956(昭和31)年5月13日、犬への関心を高めるために下表のようなイベントを開催しました。これが「愛犬の日」の起源となっているようです。

 

狂犬病予防の相談 「咬まれたときの処置」「予防注射の仕方」などの相談
愛犬の病気の相談 「愛犬の健康法」「疾病の予防法、手当法」などの指導。
犬界功労者の表彰 全日本畜犬連盟と愛犬の友読者の推薦による現役の犬界人で功労のあった人を選考して表彰する。
レコード・ワンテスト(審査員、有名女優、著名作家) 「おすわり」などの芸競べ、出場資格は純粋、雑種を不問。
ワン・ワン・レコード大賞 犬の吠声を組み合わせて「ジングル・ベル」などの名曲を吹き込んだ、レコードの発表と即売会。
愛犬の歌の発表 一流の作曲家に作曲を依頼し、警視庁音楽隊吹奏で児童の踊りと合唱を発表。
各種類の名犬展示と解説 日本にいる様々な種類の犬種の名犬をステージに立たせて紹介。
モードと犬のファッション・ショー どの犬がどんな服装を引き立てるかというファッション・ショー。
モデルと犬の撮影会 ファッションモデルと犬の撮影会。
各種名犬の街頭行進 警視庁音楽隊が先頭にオープンカーに著名人と愛玩犬を乗せ、そのあとに使役犬種と大型犬が続き、日比谷公園から東京駅八重洲口前を通り、日本橋通りで解散。犬への関心を高める。

 

ちなみに、「猫の日」は2月22日です。こららは「ニャー、ニャー、ニャー」という語呂合わせ。

 

愛犬といえば、思い浮かべるのは「犬公方」こと徳川綱吉さん。「生類憐れみの令」で有名なあの人です。

以前、「『生類憐れみの令』を授業する」という連載記事を書いたことがあります。読み物としてご覧ください。

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世界遺産学習 法隆寺(その12)飛鳥人の美意識(装飾)

鳥人の美意識(装飾)

 

法隆寺五重塔の一層目を組み立てると、このようになります。5㍉の角棒を使っていますので、縮尺を戻して60倍すると30㌢角になります。なお、一番上の井桁組は2層目のベースになります。

やや下から見上げると、こんな感じになります。実物を見上げる角度に近くなります。

注目してほしいのは、支えの部材です。

実物を見ます。写真は1つ上の層ですが、構造は同じです。

支えの部材に、装飾が施されていることが分かります。

支えるという実用面からすれば、私作のようなものでこと足ります。道具が限られていた時代です。ノミを使って細工をしたのでしょう。その手間の全ては美しさのためです。飛鳥人(あすかびと)の美意識、おしゃれ感覚の高さを感じます。

 

さらに、法隆寺五重塔は構造上の問題から(これについては後の稿で触れます)、「つっかい棒」が必要になりました。つっかい棒とはあまりに無粋、なんとそこには仏像を置いたのです。

初層のつっかい棒として、四隅に2種類の邪鬼が置かれています。

4僧の屋根の上には、5層のつっかい棒として四隅に仏像が置かれています。