教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

アクティブ・ラーニングに至る道⑤ アクティブ・ラーニングへ

2007年に学校教育法が一部改正され、学力が定義づけられます。 前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力…

アクティブ・ラーニングに至る道④ 暗転・確かな学力

2002年に産声を上げた「総合的な学習の時間」は、学校の現場では歓迎されませんでした。「大嫌い」という人が、私の周りには何人もいました。 歓迎されなかった理由は明白です。 教科書のない授業で何をしていいか分からない、活動の準備に時間がかかる…。 …

総合的な学習の時間とアクティブ・ラーニング

「総合的な学習の時間」(以下「総合」と略記)がスタートした2002年4月、私は10年ぶりに教室に戻りました。 1998年改訂 学習指導要領 第3 総合的な学習の時間の取扱い 1 総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的…

アクティブ・ラーニングに至る道③ 生きる力・総合学習

1990年代に入るとバブルが崩壊します。 資本は生産拠点を中国や東南アジアなど海外に移していきます。生産ラインを担うのは低賃金で働くアジアの労働者です。日本の労働者に求められるのは、アジアの低賃金労働者との競争か、専門的能力を持つエリートになる…

アクティブ・ラーニングに至る道② 新学力観・生活科

臨教審答申が求めた「個人の尊厳」という意味での「個性重視」は、まずは保育所・幼稚園で見える化します。 一斉保育から自由保育やコーナー保育に軸足を移す園・所が多くなり、自分のやりたい遊びを思いっきり遊び込むようになります。 と同時に、小学校低…

アクティブ・ラーニングに至る道① 1987年「臨教審答申」

2020年のアクティブ・ラーニング本格実施までの道を振り返りたどりつつ、アクティブ・ラーニングへの期待と課題・懸念を浮き彫りにしたいと思います。 まずはじめに、確認しておきたいことがあります。 日本の教育のあり方を決めているのは、崇高な教育理念…

アクティブ・ラーニングはじまる

■アクティブ・ラーニングの誕生■ 「アクティブ・ラーニング」という言葉は、2012年8月に取りまとめられた中央教育審議会答申( 「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」)の中に初…

教育の「縦糸」と「横糸」

■教育における「縦糸」と「横糸」■ 「クラスのめあて」を教室に掲示したからといって、何かが変わるわけではありません。大事なのは、めあてに向かっていかに歩を進めるかということです。 織物に縦糸と横糸があるように、教育にも「縦糸」と「横糸」があり…

学級文化と集団づくり

1.学級文化とは何か (1) はじめに 学級文化と私が呼んでいるものの正体は、その教室に流れている空気のことです。あるいはまた、空気の結晶としての文化活動や芸術のことです。 教室に流れている空気というのは、共有化された価値観と言い換えることもでき…

「集団は1日にして成らず」「すべての道は集団に通ず」

「なかまづくり」「学級集団づくり」を“学級経営”の目標に掲げない学級は、まずあり得ないでしょう。 ところが、思い描いている「ゴール」は千差万別、いや、「同床異夢」という言葉の方が当を得ているかと思うほど違うようです。 これも30年あまり前のこ…

学級集団の特性をとらえよう ~Q-Uのすすめ~

学力を測る物差しは、例えば標準化されたテストなどの形で存在します。 集団を測る物差しはと言うと、私はその存在を知りません。そもそも「目標」も「到達度」も担任次第です。 「ウマくいっている学級」「ウマくいっていない学級」という言い方をしますが…

なぜ集団づくりなの

30年以上も前のことです。 教室の後ろから子どもを見ていると、前に立っている授業者には見えない世界が見えてくることがあります。 その日、3年生のクラスでは、算数の授業が行われていました。一通りの説明が終わって、練習問題になりました。しばしば…

学級集団づくりってなあに

集団主義教育という場合、通常、マカレンコに代表されるようなソ連(現ロシア)のそれを指します。かつて多くの教室に、「みんななかま」「一人はみんなのために、みんなは一人のために」といった標語が飾られていたものです。そしてその思想は、個人の能力主…

算数科「わり算の筆算」で授業のUD化を考える

4年生の「わり算の筆算」の学習を通して、授業のユニバーサルデザイン化を考えます。なお、授業実践は2012年度1学期のものです。 算数科「わり算の筆算」 (1) 指導の工夫として 東京書籍「新しい算数」(2012年度版)では、わり算の筆算の仕方を次のように…

国語科「ありの行列」で授業のUD化を考える

「ありの行列」という教材を通して、授業のユニバーサルデザイン化の進め方を考えます。 「ありの行列」は、光村図書教科書3年の古典的長寿教材です。 2012年、この教材を使って、4年生の学級で連続自主公開授業を行いました。授業の流れは、およそ次のと…

ユニバーサルデザイン化で授業力を磨く

■授業の基本■ 「『教科書を教える』のではなく、『教科書で教える』のだ」とよく言われます。よく言われる割には、その意味するところが共通認識されているとは言い難いように思います。 たとえば、3年生の教室で「ありの行列」という教科書教材を使って初…

授業のキホン

同じ教科書を使って授業をしても、教師それぞれの個性というかクセのようなものがあるものです。それは案外教師になって最初の1、2年の間に基礎が形成されていくように感じます。だからこそ「キホン」をしっかり身につけてほしいと願うのです。 高度なテク…

学級通信は誰に向けて、何のために

学級通信は、学級経営の重要アイテムです。 学級通信には、担任教師と保護者をつなぐ役割と、担任教師と子ども、あるいは子ども同士をつなぐ役割があります。 前者の学級通信は、保護者への連絡・通知が中心の「おたより」的なものになります。後者の通信は、…

読まない教師・書かない教師に明日はない

いささか挑発的なタイトルですが、読まない教師・書かない教師には今日を超える明日はないという意味です。「経験は○、経験主義は× 」と一対のものとして読んでいただきたいと思います。 1 教育書は「はじめ」と「おわり」が大事 教師って、意外なほど本を…

経験は○、経験主義は×

教師は授業で勝負する、と言います。では、その専門性をどのようにして身につけ、自らを磨き高めていくのでしょうか。それが今回のテーマです。 ■経験は○、経験主義は×■ 1990年代はじめのことです。 そのとき勤務していた学校は学力向上の地域指定を受け、低…