学級経営・集団づくり
■生活綴り方の伝統に学ぶ■② 生活綴り方の伝統 前回の続編になります。 次に紹介する文章は、国分一太郎さんの著作と思われるのですが、出典の記載を漏らしていて確認できていません。 生活綴り方教育の実践者が伝統的に大事にしてきたこと 生活綴り方の実践…
生活綴り方などと言うと、国語教育の範疇と思われるかもしれません。私にとっての生活綴り方は、学級通信とともに児童理解や学級集団づくりの重要なアイテムでした。「学級通信」や「生活綴り方」を「学級経営・集団づくり」のカテゴリーで取り上げているの…
1986年、教師になって9年目に同じ学年を担当する若い同僚に向けて出した通信に連載した「学級通信、このよきもの」の一部を紹介しています。その第3回。 教師もまた労働者です。ですから、“教育のため”、“子どものため”という美名のもとに、無制限に働くな…
1986年、教師になって9年目に同じ学年を担当する若い同僚に向けて出した通信に連載した「学級通信、このよきもの」の一部を紹介しています。その第2回。 学級通信が学級経営の生命線であるというのはどういうことかという問題について考えてみたいと思いま…
「学級通信は誰に向けて、何のために」(2020.3.5)の続編になります。 学級通信、このよきもの 1986年、教師になって9年目に同じ学年を担当する若い同僚に向けて通信を出していました。その中に、「学級通信、このよきもの」という連載があります。ここに…
《尾木ママに学んだ学級崩壊③》の続編です。2009年8月にまとめた「『学級崩壊』をスタートラインとして ~何がこのクラスの課題なのか~」がベースになっています。本稿では、学級崩壊を超えるために行った「自立支援」の取り組みから、「家庭の教育力」に…
《尾木ママに学んだ学級崩壊②》の続編です。2009年8月にまとめた「『学級崩壊』をスタートラインとして ~何がこのクラスの課題なのか~」がベースになっています。本稿では、学級崩壊を超えるために行った「規律回復」と「自立支援」の取り組みから、「自…
《尾木ママに学んだ学級崩壊・小1プロブレム①》の続編です。 2009年8月にまとめた「『学級崩壊』をスタートラインとして ~何がこのクラスの課題なのか~」がベースになっています。 本稿では、学級崩壊を超えるために行った「規律回復」と「自立支援」の…
尾木直樹さんが「尾木ママ」になったのは、10年ほど前のこと。2009年の暮れに明石家さんまさんのテレビ番組に出演されたのがきっかけでした。 「尾木ママ」誕生のさらに10年ほど前、「尾木先生」の講演を聴く機会がありました。テーマは当時問題が顕在化し始…
■教育における「縦糸」と「横糸」■ 「クラスのめあて」を教室に掲示したからといって、何かが変わるわけではありません。大事なのは、めあてに向かっていかに歩を進めるかということです。 織物に縦糸と横糸があるように、教育にも「縦糸」と「横糸」があり…
1.学級文化とは何か (1) はじめに 学級文化と私が呼んでいるものの正体は、その教室に流れている空気のことです。あるいはまた、空気の結晶としての文化活動や芸術のことです。 教室に流れている空気というのは、共有化された価値観と言い換えることもでき…
「なかまづくり」「学級集団づくり」を“学級経営”の目標に掲げない学級は、まずあり得ないでしょう。 ところが、思い描いている「ゴール」は千差万別、いや、「同床異夢」という言葉の方が当を得ているかと思うほど違うようです。 これも30年あまり前のこ…
学力を測る物差しは、例えば標準化されたテストなどの形で存在します。 集団を測る物差しはと言うと、私はその存在を知りません。そもそも「目標」も「到達度」も担任次第です。 「ウマくいっている学級」「ウマくいっていない学級」という言い方をしますが…
30年以上も前のことです。 教室の後ろから子どもを見ていると、前に立っている授業者には見えない世界が見えてくることがあります。 その日、3年生のクラスでは、算数の授業が行われていました。一通りの説明が終わって、練習問題になりました。しばしば…
集団主義教育という場合、通常、マカレンコに代表されるようなソ連(現ロシア)のそれを指します。かつて多くの教室に、「みんななかま」「一人はみんなのために、みんなは一人のために」といった標語が飾られていたものです。そしてその思想は、個人の能力主…
学級通信は、学級経営の重要アイテムです。 学級通信には、担任教師と保護者をつなぐ役割と、担任教師と子ども、あるいは子ども同士をつなぐ役割があります。 前者の学級通信は、保護者への連絡・通知が中心の「おたより」的なものになります。後者の通信は、…
学級目標は、教室の装飾品ではありません。重要なのは、目標に向けての歩みを担任と子どもたちが共有することです。歩み=過程の共有化には評価が欠かせません。評価はポイントを押さえて的確に褒めることですが、これが難しい。 《始業式の日の学級通信》 …
大概の教室では、前面黒板の上の壁に学級目標が掲げられています。 学級に目標があること自体は必要ですし、それがよく見えるところに掲げられているというのも大事なことです。問題は、その学級目標が具体的に機能しているかどうかです。単なる壁飾りに堕し…
子どもにとって教室は「ジム」でしょうか? 「ホーム」でしょうか? 「ジム」というのは“鍛える所”、「ホーム」というのは“ホッとできる所”という意味です。 教育の場では、学校を「ジム」に、そして家庭を「ホーム」に例えて、両者の役割や連携を語られるこ…
ーー君ひとの子の師であれば とっくに それは ごぞんじだ あなたが 前に行くときに 子どもも 前を向いて行く。 ひとあし ひとあし 前へ行く。 あまりにも有名な、故・国分一太郎さんの1951年の著書『君ひとの子の師であれば』の巻頭のことばです。若い頃にこ…