教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育のカリキュラムを創る④

人権教育のカリキュラムを創る

第1章 人権教育のカリキュラムづくりにあたって
1.人権教育の概念
 (1)人権教育とは
 (2)同和教育を人権教育として再構築する           以上①で紹介
2.人権教育の構想
 (1)同和教育が拓いた地平と残した課題
 (2)人権教育の「本体」と「土台」
 (3)普遍的アプローチと個別的アプローチ
 (4)人権教育のカリキュラム構想               以上②で紹介


第2章 「人権の基礎」について考える

                       ~「セルフエスティーム」に着目して~


1.「人権の基礎」を構成する4つの力
 (1)「人権の基礎」を構成する4つの力
 (2)「人権の基礎」を構成する4つの力の関係         以上③で紹介

 

2.「セルフエスティーム」について考える

 

 (1)「風船型」と「いがぐり型」のセルフエスティーム

 

 「セルフエスティーム」には2つのタイプがある。森実さんは、「風船型」と「いがぐり型」と名付けて両者を区別している(『人権教育をひらく同和教育への招待』〈解放出版社、2000年〉p.105)。


「風船型」セルフエスティームは、「幼い頃から丸ごと自分の存在をまわりのおとなによって受け入れてもらうことによって育っていく。その子どもが何かを発信すればそれに応えて何か求めていたものを返してもらえる。いわゆる応答的環境である。こうして自己評価と対人関係の基礎が形成されるのである。」

これに対して、「いがぐり型」のセルフエスティームは、「困難な状況を乗り越えていったときに形成される。たとえ幼い頃に応答的環境のもとで育たなかったとしても、遭遇した困難を自分の力や人の助けを借りて乗り越えていくことによって自信が生まれてくるというのは、人がしばしば経験するところである。」(森実さん、前掲書)

 

 (2)「風船型」と「いがぐり型」の関係

 

 「風船型」と「いがぐり型」のセルフエスティームについて、森実さんは先の分類の後に次のように続けている。


「従来同和教育が追求してきたのは、ここでいういがぐり型のセルフエスティームである。しかもその人が自分の経験した困難状況をとらえ返せていると、その人の魅力はいっそう増すことになる。『差別されたくやしさや痛みを知っているからこそ、被差別者は温かい』などといわれるとき、イメージしているのはそのような姿である。……


 同和教育が直面しているのは、従来のようないがぐり型のセルフエスティームに加えて、風船型のセルフエスティームをいかに育てるかということである。風船型のセルフエスティームを育てるには、幼い頃からの応答的環境が不可欠である。いわゆる学力や対人能力を身につければ、セルフエスティームも維持しやすい。学力や対人能力がなければ、セルフエスティームの土台があっても、その後失敗を重ねることが多くなり、風船がしぼんでしまいかねない。これまでにもまして、保育所・学校と家庭との連携が重要になるゆえんである。」(前掲書、p.105~106)


 長尾彰夫さんは「風船型」・「いがぐり型」という言葉は使わないが、同じ問題を次のように論じている。

 

  「人権教育において、自尊感情の大切さを言う場合、それは単に『自信をもって』『あなたならできる』と元気づけていくことではない。むしろ、なんらかの点で、自尊感情が不十分であったり傷つけられたりしている状態をまず直視することから始まる。そして、経済的な格差、被差別部落に対する偏見と差別、民族や人種、あるいは性やジェンダーにかかわって、というように、経済的、文化的、社会的な差別や不平等のなかで、自尊感情が傷つけられやすい状態に置かれている子どもたち、そうした子どもたちが自尊感情をどのように獲得していくことができるのか。それが人権教育でいうところの自尊感情の大切さなのである。


 人権教育での自尊感情の大切さは、したがって、子どもたちが現にある社会的な差別や不平等のなかで、それらに対抗しながら自らの自信や誇りをどのように獲得していくのかという課題とつながっている。それは同和教育(解放教育)において、これまでしばしば強調されてきた『社会的立場の自覚』といったことと深くかかわっているのである。最近の人権教育のなかで注目されている、自己概念、セルフ・イメージといったことは、いずれもこうした自尊感情の大切さをふまえたこととなっているのである。」(『心を育てる学級経営』№200〈2001年9月〉「セルフ・イメージをどう育てるか」p.77~78)


 森さんの「風船型」に重心をおいた主張と長尾さんの「いがぐり型」に重心をおいた主張は、一見対立しているように見えるが、実はそうではない。


 森さんと池田寛さんは、「学力の土台には何があるのか-とくに『自尊感情』を中心にすえて」というシンポジウムの中で次のように語っている。

森「小学校高学年くらいになると、階層的なことが気になるわけでしょ。そのとき差別に反発を感じるというのは、たしかに自尊感情が高いのかもしれない。でも本人の意識としては、自尊感情、最低でしょ。『なんでうちは、こんなんや』とか。」

池田「あるときに、ぐっと落ちこんでも、何くそと思ってふんばれば、自尊感情は高いということになるのじゃないかな。」

森「そのときの『何くそ』という自尊感情と、はじめの安心していられる、落ち着いた自尊感情とは、質がちがうでしょ。」

池田「自尊感情理論の弱点は、すくすくとのびていく竹のようなイメージで考えているところでね。その竹は、5、6年生のころに、岩にぶつかるんですよね。その岩にぶつかったときに、しおれてしまうのか、ちがう方向にのびていくのか、ずいぶんちがってくると思うんです。そこが、自尊感情のこれまでの理論で弱いところなんです。」(『解放教育』№279〈1991年10月〉p.19)


 つまり、こういうことである。乳幼児期から小学校の中学年くらいまでは「風船型」のセルフエスティームが重要になる。包み込まれの感覚の中で育つ「安定根」、安心していられる、落ち着いた自尊感情を十分に育てることだ。家庭の果たす役割がきわめて大きく、連携は不可欠である。森さんは、従来の同和教育はこの部分が弱かったと指摘する。


 そして、小学校高学年くらいになると、「いがぐり型」のセルフエスティームが必要になるというのだ。長尾さんは、「風船型」のアクティビティーのみを追い求める昨今の状況に警鐘を鳴らしているのである。


 「風船型」と「いがぐり型」のセルフエスティームを整理する際に、池田寛さんの「抵抗感の理論」と「自尊感情の理論」の統合試案図(「図2」、前掲書p.31)が示唆に富んでいる。「抵抗感」は、「社会的立場の自覚」に近い概念で、「いがぐり型」に置き換えて考えるとよい。「自尊感情」は、「風船型」のセルフエスティームを指している。

f:id:yosh-k:20200601110206j:plain


 従来の同和教育は、〈反発型→変革型〉を志向してきたと言える。その際、「立場の自覚」が鍵であった。しかし、現状は「反発型」が少なくなり、「無力型」の子どもが増えている。したがって、自覚されないでいる抵抗感に気づかせ、それをバネに社会認識へと向かわせる、〈無力型→反発型→変革型〉という道筋が必要だということになる。


 それに対して、〈無力型→優等生型→変革型〉という道筋も考えられるというのである。「優等生型」というのは「確かな学力を身に付けたタイプ」という意味である。これを「セルフエスティーム」論に置き換えると、まず「風船型」を十分に育て、その上で「いがぐり型」に気づかせていくという道筋である。


 いずれにしても重要なのは、私たちのめざす「セルフエスティーム」は「風船型」と「いがぐり型」の両方をその内容としたものでなければならないということである。