ブログ開設から4カ月余り。昨日、投稿数が100に達しました。今回は「101番目の投稿」になります。
コロナ禍休校から3カ月。6月1日にやっと学校が再開しました。
気がかりなことがあります。
1つは、3カ月間も一斉に学校を休むという未曾有の体験が子どもたちにどんな影響を与えたのかということです。
もう1つは、子どもたちの学力は大丈夫なのかということです。
■未曾有の休校体験の後遺症
健康面に問題がなく登校意思があるにもかかわらず3カ月も続けて学校を休むという状況は、たぶん今回が初めてだと思います。学校制度が始まってから未曾有の休校体験をしたわけです。
未曾有の休校体験のあとには、未曾有の「休校明け症状」が起こるはずです。それがどんなものであるか誰にも分かりません。したがって、それに対する処方箋はなく、有効な手立てが準備されているとも考えられません。
推察の具としては、42日間の夏休み明けの子どもたちの様子が最もそれに近いものだと思われます。
夏休み明けに見られる特徴的な子どもの姿としては、
○ 休み前よりも一回り成長している。
○ 時間をかけてじっくりと課題に取り組んだ。
△ 課題をやり終えていない。
△ 基本的な生活のリズムが崩れている。
△ 1学期に習ったことを忘れてしまっている。
などが挙げられます。
一方、両者の違いとしては、
◎ 今回の休みの期間は夏休みの2倍超である。
◎ 学年がスタートしておらず、担任や級友との繋がりがほとんどない。
◎ 1年生に至っては、実質的には入学もしていない。
このたびの休校時期、経過からして、夏休み明けに見られるようなプラスの姿はまず期待できません。
マイナス要素については、再開から4日間に聞き及ぶところによると、
△ 休校中に配られたプリントをほとんどしていない。
△ 基本的な生活のリズムが崩れていて、すぐに疲れる。
△ 全学年に習ったことを忘れてしまっている。
などと、心配していたことがそのまま現実になっているようです。2日目以降、「体調不良」で休む子が絶えないとも聞きます。
問題はこれからの「回復」です。
夏休み明けの生活リズムの「回復」にも当然個人差がありました。1週間で戻る子もあれば、1カ月かかる子もあります。
今回の休校は夏休みの2倍超です。「回復」の予測がつきません。夏休み並みの子もあれば、夏休みの時の2倍を要する子もいるでしょう。もしかすると、それよりもっと長くかかる子がいるかもしれません。
担任や級友との関係の希薄さが、「回復」をさらに遅らせる要因になることも考えられます。
いずれにせよ、子どもたちは、大人のだれもが経験したことのない新学年を歩み出したのです。まったく予期しなかったことが起こったとしても、何の不思議もありません。
子ども一人ひとりのようすをつぶさに観ることから始めてください。
そして、子どもたちのありのままを、まずは受容してほしいです。
遠い先の目標も大事ですが、子ども目線のスモールステップを積み重ねることがそれに近づく近道だと信じています。
■学力格差拡大の危機
3カ月も休んだのですから、学習の遅れは当然です。
3月に配布された学習プリントは、その学年の振り返りプリントだったと思います。
4月以降に配布された学習プリントは、前学年の復習に加えて新学年の未習内容を含めたものが主になったと思われます。
未習内容のプリントを教科書などを使って自力で解いた子はどれほどいるでしょう。
子どものヘルプに対応できた家庭はどれほどあるでしょう。
分からないことが諦めにつながってしまった子はどれほどいるでしょう。
オンライン教材などでより高次の学びをした子はどれほどいるでしょう。
3カ月の休校期間中に「学力格差」(オックスフォード大学の苅谷剛彦さんは、「格差」容認論者がいることを踏まえて「学力不平等」と表現されます)は一層大きくなったと考えられます。
6月1日の学校再開直後、驚いたことが2つありました。
休校中にプリント学習をした単元を「既習」単元として扱う事例に出会ったことが1つ。
6月から年度末までの授業時数が年間計画の100%超確保できる見通しだという連絡を受けたことが1つ。
私は、今こそ授業の目線を「(プリント学習が)分からないことが諦めにつながってしまった子」に合わせるべきだ強く訴えたいと思います。
子どもを見てください。学習プリントができていない子は、前学年の学習の多くを忘れてしまっている子と重なっていませんか。さらに、家庭の支援が困難な子と重なっていることはありませんか。
かりにそれらすべてが重なった子がいたとして、それは子どもの責任でしょうか。
もっとも課題を多く持つ子に光を当てるのが公教育の努めです。
子どもの学習の「基礎体力」は前年度末よりも後退している。休校中のプリントの内容は一部の子にしか届いていない。学習理解には、従前以上の時間を要する。ーーと、私は見立てています。授業再開の前提として、「見立て」ではなく「検証」をお願いしたいです。
そして、もしも「見立て」のような現実があるならば、授業の組み立てもそれに応じたものにしなければなりません。休校中に広がったと懸念される学力格差が、授業によって増大されることなどあってはなりません。
「授業時数100%」の積算根拠は分かりませんが、時数100%と学習理解度は別ものです。理解度を前年度並みにするには、時数は100を大きく超える必要があるかもしれません。また、100%確保のために夏期・冬期休業を短くするとともに学校行事のあれこれを取りやめている可能性があります。削られた行事が子どもの学習意欲の低下に拍車をかけることにならなければいいのですが。
それにしても文科省の対応が遅いです。
きょう(6月5日)、小5は2年間で、4年以下は3年間で教育課程を再編しなおす通知を出すようです。再編したものが5月段階に出されていれば、学校現場の再開準備も違っていたでしょうし、不幸な再開を迎えることも避けられたのにと残念でなりません。
ただし、3カ月分を複数年度に割り振ったとしても、窮屈なやりくりが続くことに違いはありません。そこで登場するのが「学習活動の重点化」というものです。
「学習活動の重点化」は、校内でしかできない協働学習などに優先的に授業時間を使うというものです。文科省の「子供の学び応援サイト」には、国語では授業で課題設定をし授業以外で意見文を作成といった例を掲載するようです。
しかし、時数の不足分を家庭学習に振り替えることは、困難な子どもの困難度を増すリスクを伴います。一層の目配りが必要です。
学校は学びの場です。学びの主役は子どもです。教師は子どもの学びを支える黒子です。
学力格差(学力不平等)拡大の危機から子どもを救うのは、教師であるあなたの目線の位置です。