今年度は、コロナ休校の影響で特別なスタートになりました。
6月に入ってから入学式を行なった学校もあったようですが、多く4月初めに入学式だけ済ませたようです。
休校中、学習プリントが配られました。それは1年生も例外ではなく、その中にはひらがな練習のプリントも含まれていたようです。
入門期の指導というものがあります。
鉛筆を持つまでに行う指導もありますし、鉛筆を持つときに行う指導もあります。そして、いよいよひらがなの練習に入ります。
ひらがな指導には、記号としての書字練習の要素と言語活動の手段としての文字習得の要素があると思います。通常は渾然一体に扱われるため、特に意識されることはないかもしれません。
1年生の1学期、ひらがな指導を軸に展開される指導の総体が「入門期」指導です。
ひらがなの書字練習のいくらかを家庭学習で済ませた子たちの「入門期」はどうなっていくのでしょう。
入門期指導の核は「書きことば」世界との出会い
そして、保幼小連携のキモは
「話しことば」世界から「書きことば」世界への橋渡し
幼児教育と学校教育の最も大きな違いは、言語活動の違いにあります。
小学校入学以前の言語活動は、「話しことば」(音声言語や動作言語)の世界です。
たとえば、「きのうのことを話してごらん」と言うと、
「きのうね、おかあさんとね、こうえんにいったの。」と帰ってきます。
小学校入学以後の言語活動は、「書きことば」(文字言語)が中心の世界です。
先の例で言えば、「話しことば」としては「きのう、お母さんと公園に行きました。」と「書きことば」的表現になり、「きのう、おかあさんとこうえんにいきました。」と文字化することになります。
私たち大人は、いつの間にか文字を覚えたと曖昧に記憶しています。
しかし、『ことばと発達』(岩波新書 1985年)の中で岡本夏木さん(京都教育大・当時)は、「その(「二次的ことば」、書き言葉のこと)習得上の努力と、ことばの背景にある異文化との出会いという点からすると、それに近い体験を私たちおとなの中に求めるなら、新たな外国語習得を必要とする時のそれに近いといえるかもしれない」と述べています。
「新たな外国語習得」に匹敵すると言われると、「入門期」指導のもつ意味の大きさがわかると思います。
岡本さんは、同書において「入門期」の言語活動の枠組みを次のように整理しています。
従来(と言っても、1985年時点における「従来」です)の枠組は、話しことばをいかに書きことばに移していくかということに指導の重点がありました。
それに対して「新しい枠組」を提示し、こう述べています。
二次的ことば期では、ことばは三つの重層性をなすと考えられる。一つは、一次的話しこしばの延長における発達があり、その上に、二次的な話しことばと書きことばの層が成り立ってくる。そしてこれらの層の間の相互交渉過程の展開として、ことば指導を考えてゆく必要があると思われる。
岡本さんが提示する「新しい枠組」こそが保幼小連携のキモであり、「二次的ことば」の重層部分の指導が「入門期」指導の核になります。
具体的には…(私自身には低学年指導の経験がないのですが)
幼児期の子どもが絵を描いて、お話をします。
幼稚園・保育園の先生が、子どもに問いかけながらお話を膨らませてくれます。
子どもが話した言葉を拾って、絵に添えて書きとめる先生もいます。
幼児期の取り組みは、「入門期」指導に引き継がれます。
岡本さん提示の3重層最下部の「話しことば」は、幼児期の延長です。入学当初はこの部分が中心です。
中間の「話しことば」は、書きことば的話しことばになります。「公園に行ったの」と話す子どもの言葉を、「公園に行きました」と置き換えてやることで、書きことばの扉が開かれていきます。授業における先生の話しことばも、書きことばへ誘う重要な役割を果たします。
最上段の「書きことば」は、文字言語です。
(岡本さんの書かれている中身はもっと深いのですが、即物的につまみ食いしています。時間のあるときにじっくりとご一読を。『子どもとことば』という1冊もおすすめです。)
鉛筆で字を書くレディネスとして、指先を巧く使えることや手首を自在に動かせることなどがあります。
指先を使って紙を任意の形に破る、画材を使って波形や渦巻きを描くなど、幼児教育の遊びの中で取り組めることがあります。
これもまた、共通の理解と目標があれば連携の具体です。
幼児教育の担当者と入門期指導の担当者が、同じ目線で子どもの育ちを見つめたとき、2つの言語世界をめぐる連携の果実は質的にも量的にも豊かになると思います。