前回の「校種間連携」につづいて、今回は「地域連携」を取り上げます。
もう一度、辞書によって言葉の意味を確認しておきましょう。
協力…力を合わせて事にあたること。(デジタル大辞泉)
連携…互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。(デジタル大辞泉)
連絡を密に取り合って、一つの目的のために一緒に物事をすること。
(大辞林 第三版)
協働…同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと。(デジタル大辞泉)
同じ目的のために、協力して働くこと。(大辞林 第三版)
いずれも力を合わせることに相違ないのですが、繋がりの密度から言うと「協力<連携<協働」ということになるでしょう。
保護者や地域の人が学校教育活動に参加する場面は種々あります。それらは通常「連携」という言葉でくくられます。ときには「協働」という言葉が登場することもあります。
私は学校の中にいた時も、外の人になった今も、「連携」という言葉にずっと引っかかっています。
あるとき、小学校低学年の芋ほりに地域の人の「協力」要請がありました。そして、何人かの古老が「お手伝い」に行きました。
参加した結果として、「子どもたちから元気をもらった」という声を聞くこともあります。子どもたちから届いたお礼の手紙に感動したという人もいました。
こうした事例は山ほどあります。しかし、「元気をもらった」というのは目的を共有した“果実”でも何でもありません。そのくせ協力してもらった側は、地域との「連携」がすすんだなどと自賛しています。
学校現場で近年多用される「連携」という言葉は、実に耳障りがよく、それでいて麻薬のように怪しいのです。私はこの言葉に強い違和感を抱き続けています。そして、学校が「連携」だと言っている大半は、一方的な「協力」(良く言えば「お手伝い」、悪く言えば「利用」)でしかないと感じています。
それが「連携」であるためには、「連絡を密に取り合って、一つの目的のために」協力し合う営みでなくてはなりません。
先の芋掘りでいえば、子どもにどんな力を育てる取り組みなのかという「目的」が共有されていることが前提になります。そのうえで、教師の役割、地域の役割が明確に共通理解されていたかどうかによって、「連携」にもなれば単なる「お手伝い」にもなるのです。
2008年に始まった学校支援コーディネーターの制度は、上の目的をもって学校と地域をつなぐものです。
私も退職後にその任にあったことがあります。
それは学校の省力化には寄与しますが、私はちょっと違うという気がしています。
学校支援コーディネーターは、ネットワークづくりのきっかけ・ヒントをくれる人くらいに位置付けてもらえれば、私にはしっくりくるのですが。
教育活動を組織していけば、必然的に「地域」と出会うことになります。
自分が数年間過ごす職場を取り巻くコミュニティーとどんな関係を作っていくか、それは「居心地」という尺度からも決して小さな問題ではないと思います。経験則で言えば、労を惜しまずアプローチすることで、予想外の「教育効果」と「居心地の良さ」を得ることができたと感じています。
積極的な「フットワーク」が地域との「ネットワーク」を形成します。「連携」から「協働」へという目標を頭の隅に持ちながら、まずは「協力」を依頼できる「ネットワーク」作りのために「フットワーク」を生かしてほしいと思うのです。
「ネットワーク」と「フットワーク」は、教室の外との繋がりを考える際のキーワードです。