教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その9) 故事成語「漁夫の利」

小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第3回は「漁夫の利」です。

 

 

漁夫の利

 

 

「漁夫の利」の読み方

 ぎょふのり

 

「漁夫の利」の意味

双方が争っているすきにつけこんで第三者が利益を横取りすること。(広辞苑

 

「漁夫の利」の使い方

漁夫の利を占める 

 

「漁夫の利」の語源・由来

 『戦国策』燕策故事に由来します。

『戦国策』とは、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に編集し、まとめた書物。前漢の劉向の選。

 

「中国語スクリプト」に紹介されている燕策(えんさく)が用いた例え話というのは、次のようなものです。

中国の戦国時代の話です。趙(ちょう BC403~BC228 戦国時代に存在した国。戦国七雄の一)が燕(えん BC1100~BC222 周・春秋・戦国の時代に存在した国。現在の北京周辺の土地を支配した。戦国七雄の一)を討とうとしていました。蘇代という遊説家が燕のために、趙の恵文王のところに言ってこう説きました。「今回こちらに来る途中易水(河北省を流れる川。現在の中易水)を渡りました。そこに蚌(はまぐり)が出てきて、鷸(シギ)がその身をついばみました。すると蚌は鷸の嘴(くちばし)を挟みこんでそのままぴたりと口を閉じてしまいました。鷸は

『今日も明日も雨が降らなければお前は死んでしまうだろう』

と言いました。蚌も負けずに

『そっちこそこのままなら死んじまうだろう』

と言い返しました。両者はお互いに譲ろうとしません。そこに漁師がやってきて鷸と蚌の両方を捕まえてしまいました。

今、趙は燕を討とうとしていますが、燕と趙が争って民衆が疲弊すれば、強大な秦(しん BC778~BC206 周・春秋・戦国の時代に存在した国。BC221に中国を統一したが、BC206に滅亡。首都は咸陽)が乗り出し漁夫の利をかっさらっていきはしないでしょうか?どうか大王様、ここはぜひともよくお考えください」

これを聞いた趙の恵文王は「なるほど」と言って燕攻めをやめました。

 

この話が元になって「漁夫の利」という故事成語ができました。

 

 

「漁夫の利」の蘊蓄

「中国語スクリプト」に、「漁夫の利」の関連語として紹介されているものです。

「漁夫の利」は『戦国策』の中にある、遊説家が例え話を用いて戦争を思いとどまらせる話ですが、同じ『戦国策』の中にある「蛇足」も同じような流れでできた故事成語です。

『戦国策』が元となってできた故事成語には他にも、「隗より始めよ」「虎の威を借る狐」「一挙両得」などがあります。

「傍若無人」で荊軻けいかが易水で別れを告げる場面がありますが、この易水は「漁夫の利」で鷸シギと蚌はまぐりが争っていたのと同じ川です。

 

「漁夫の利」の類義語には次のようなものがあります。

鷸蚌の争い(いつぼうのあらそい)
犬兎の争い(けんとのあらそい)
田父の功(でんぷのこう)
濡れ手で粟
両虎相闘いて駑犬其の弊を受く(りょうこあいたたかいてどけんそのへいをうく)
両虎食を争う時は狐其の虚に乗る()

 

「漁夫の利」の対義語は、

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

です。