教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その25) ことわざ「馬の耳に念仏」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第7回は「馬の耳に念仏」です。

 

 

馬の耳に念仏

 

「馬の耳に念仏」の読み方

 うまのみみにねんぶつ

 

「馬の耳に念仏」の意味

馬に念仏を聞かせてもその有難みがわからないように、いくら説き聞かせても、何の効もないたとえ。(広辞苑

 

「馬の耳に念仏」の使い方

 きちんと理解できる人じゃないと、その話は馬の耳に念仏になるだけだ

 

※目上の人に対して「馬の耳に念仏」という言葉を使うと、その人を愚かな馬にたとえていることになるため失礼な表現となってしまいます。

 

「馬の耳に念仏」の語源・由来

「TRANS.Biz」より引きます。 

「馬耳東風」が「馬の耳に念仏」の由来
「馬の耳に念仏」と同じような意味のことわざに「馬耳東風」がありますが、実は「馬耳東風」こそが「馬の耳に念仏」のことわざの由来です。

「馬耳東風」とは、人の意見に耳を貸さないことという意味を表し、中国の詩人である李白の詩が出典です。「王十二の『寒夜に独酌して懐にあり』に答う」という詩の中に「東風は馬耳を射るがごとき」というくだりがあり、良い詩を俗物は認めようとしないことを憤る様子が詠まれています。

「馬耳東風」の「馬耳」は「馬の耳」のことで、「東風」とは「東から吹く春風」のことです。「東風は馬耳を射るがごとき」とは、馬の耳に風といったあんばいだ、というように、聞き流されてしまう様子を表しています。

「馬耳東風」の故事成語が日本に伝わると、「何を言っても馬の耳に風」と歌舞伎のセリフなどで言われるようになり、「馬の耳に風」ということわざができました。やがて「風」が「念仏」に変わり、「馬の耳に念仏」ができたと言われています。

 

 「馬の耳に念仏」の蘊蓄

「馬の耳に念仏」の類語

猫に小判(ねこにこばん)
豚に真珠(ぶたにしんじゅ)
犬に論語(いぬにろんご)
兎に祭文(うさぎにさいもん)

牛に説法馬に銭
犬に念仏猫に経
豚に念仏猫に経

 ※人間の価値観でバカにするなと動物たちから「異議申し立て」が出そうです。

 

「馬耳東風」

「馬耳東風(ばじとうふう)」は、「人の意見や批評などを、心に留めずに聞き流すこと。」(広辞苑)です。

 

「馬耳東風」は「馬の耳に念仏」のもとになった故事成語ですが、両者の意味は違います。

 

「馬耳東風」の出典は、李白の詩『答王十二寒夜独有懐』です。『答王十二寒夜独有懐』は「王十二(おうじゅうに)の寒夜(かんや)独酌(どくしゃく)懐(おも)い有(あ)るに答(こた)う」と読みます。(友人の王十二が詩を寄せたので、その人に答えた詩であるが、李白の人生観を述べ、王十二についてもその不遇を思い戒めたものである)という意味です。

 

「世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳」

「世人此(これ)を聞きて皆頭(こうべ)を掉(ふ)る、東風の馬耳を射るがごとき有り」とよみ、(世の人はこれを聞くと皆頭をふって聞き入れない。まさに春風が馬の耳に吹きつけるようなものだ)という意味になります。

 

 

答王十二寒夜独有懐』はとても長い詩です。「世人聞此皆掉頭、有如東風射馬耳」までの部分を紹介します。

 

昨夜吳中雪,子猷佳興發。

昨夜 吳中 雪,子猷 佳興發す。

昨夜、呉地に於ては、大雪が降ったとかで、子猷に比すべき王君は、佳興勃発し、舟に乗り出しかねないほどの勢いである。

萬里浮雲卷碧山,青天中道流孤月。

萬里 浮雲 碧山を卷き,青天 中道 孤月を流す。

その時、萬里の遠きに亙れる雪げの雲は、碧山を捲き去り、青天の中間に、ずっと道を開いて、そこから、弧月が流れ出した。

孤月滄浪河漢清,北斗錯落長庚明。

孤月 滄浪 河漢清く,北斗 錯落 長庚明かなり。

月の色は、滄涼寒冷、天の河は、いとも清く、澄みわたり、北斗は錯落、宵の明星は爛然として照り輝き、無論、その時は、雪が晴れて、乾坤一色、白銀の世界を現出した。

懷余對酒夜霜白,玉牀金井冰崢嶸。

余が酒に對し夜の霜の白さを懷い,玉牀 金井 冰は崢嶸。

君は、余を思い出でられ、今頃は酒に対して、夜の霜白く極めて寒いのをこらえているだろうといいつつ、井欄の氷が崢嶸として高く積み上げた様なのを見て、ひとり淋しく、打澄ましていた。

人生飄忽百年內,且須酣暢萬古情。

人生 飄忽 百年の內,且つ須らく酣暢すべし萬古の情。

それがやがて豁然として大悟し、人生の飄忽としで、果敢なきは、百年の命の内に限られて居るから、生きて居る間に、酒でも飲んで、のびのびと心気を養い、萬古の愁情を消遣するのが第一だというので、獨酌して吟輿を縦まにされた。

不能狸膏金距學鬬雞,坐令鼻息吹虹霓。

君は狸膏 金距 鬬雞を學び,坐ろに令鼻息をして 虹霓を吹しむる能わず。

彼の闘鶏の兒輩は、鶏の頭に狸膏を塗ったり、鶏の蹴爪に金を嵌めたり、さまざまの事をして、勝を争い、その技に長けて居るところから、天子の眷顧を得、鼻息で虹を吹くという様な素張らしい勢であるが、君は、到底、そんな眞似をすることはできない。

不能學哥舒,橫行青海夜帶刀,西屠石堡取紫袍。

君は 哥舒を學び,青海を橫行し 夜 帶刀し,西 石堡を屠って 紫袍を取る能わず。

次に哥舒翰は、専ら吐蕃征伐の任にあたり、青海地方に横行し、刀を帯びて、西の方、石堡城を攻めおとし、その入寇を根絶したというので、やがて紫砲を賜わり、非常な恩賞に興って、大した羽振りであるが、君は又それを尊ぶことはできない。

吟詩作賦北牕裏,萬言不直一杯水。

詩を吟じ 賦を作る 北牕の裏,萬言 直せず 一杯の水。

かくの如く、闘鶏の兒も、破虜の將も、共に君の學を欲しないところであって、北窓の裏に兀坐し、詩を吟じたり、賦を作ったりする、これが即ち君の今日の境涯である。しかし、折角の名作をだしたにしても、萬言は一杯の水にも値せず、

世人聞此皆掉頭,有如東風射馬耳。

世人 此を聞いて 皆 頭を掉る,東風 馬耳を射るが如き有り。

世人は、その詩賦を聞いても、皆頭を振り、碌々わかりもせず、たとへば、馬の耳に風といつたような按排である。