教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その39) ことわざ「転ばぬ先の杖」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第11回は「転ばぬ先の杖」です。教科書の表記は、「転ばぬ先のつえ」となっています。

 

 

転ばぬ先の杖

 

「転ばぬ先の杖」の読み方

ころばぬさきのつえ

 

「転ばぬ先の杖」の意味

失敗しないように、前以て用意をしておくこと。(広辞苑

 

「転ばぬ先の杖」の使い方

忘れ物をしないように、転ばぬ先の杖として、メモ書きを準備しておこう。 

 

「転ばぬ先の杖」の語源・由来

「転ばぬ先の杖」の由来は判然としませんが、浄瑠璃「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」 (1783年)にあるとされています。

 

「伊賀越道中双六・岡崎」床本
岡崎の段

 急ぎ行く。世の中の、苦は色かゆる松風の、音も淋しき冬空や、霰交りに降り積る、軒もまばらの離れ家は、岡崎の宿はづれ、百姓ながら一理屈、主は山田幸兵衛と人も心を奥口の、障子隔てゝ女房が紡ぐ車の夜職歌。いとし殿御を三河の沢よ、恋の掛け橋杜若、更けて忍ばば夜は八つ橋の、水も洩らさぬお手枕、鄙も都も小娘の、誰が教へねど恋草を、見初め惚れ初め打ちつけに、雪の夜道の気散じは互ひに手先持ち添ゆる。傘の志津馬に縺れ合ふ、ぢやらくら話いつの間に、戻るお袖がわが家の戸口。
「オヽ辛気。いつもは遠ふ覚へたに、意地悪ふ今夜の早さ。まだ話が残つてある、後へ戻つて下さんせぬか」
「さりとては訳もない、日は暮れる草臥れ足、後へも先へも雪の段、鉢の木の焚火より、暖かなそもじの肌で、暖めて貰ふが御馳走」
とぢやれた詞にどふ言ふて、よいか悪いか白歯の娘、声聞きつけて、
「誰ぢや、誰ぢや」
「アイアイ母様、わたしぢやわいな」
「オヽお袖としたことが、この寒いのに何してゐやる。戻りが遅さに待ち兼ねた、サ早ふ這入りや」
と母親の、詞を機会に内へ入り、
「とふ帰らふと思ふたけれど道連れのお方があつて、それで思はず夜に入りました」
「ムヽ、道連れのお方とは」
「アイ、行き暮らした旅のお方、それはそれはきつい御難儀。今宵一夜はこちらの内に泊めて上げて下さんせ。申し苦しうございませぬ、こちへお這入り遊ばせ」
と、呼ばれて志津馬はおづおづと、小腰屈めて、
「御赦されませ。独り旅の浪人者、日は暮れる足は患ふ。詮方尽きてこのお頼み、近頃わりないことながら、一夜のお宿を御無心」
と、言ふも心に荷物の葛籠、お袖は見るより
「申し母様、父様の旅葛籠、あそこに戻つてあるからは」
「オヽ、親父殿も今日暮前帰らしやつた、ガ旅草臥れで寝てぢやわいの」
「エヽ、遅ふても大事ないに、早いことや」
とその後は、言はぬ色目を見て取る母、
「日頃から二親がちよつと出ても戻りを案じる孝行なそなた。どうやら不興な顔持ちは、堅い父御の気質ゆゑ折角お宿を貸しませふと、お供しやつた道連様へ約束が違ふかと、案じ過ぎてのことであらふ。たとへ父御は得心でも、この母が不得心、サなぜと言や。今こそ茶店の娘。去年までは鎌倉のお屋敷方へ腰元奉公、御主人様のお差図で、さる武家方へ末々は縁につけふと堅い約束。その許嫁の夫を嫌ひ、無理暇貰ふて親の内へ戻つて、間もなふみだらがあつては、以前のお主ばかりぢやない、顔は知らねど約束した婿殿へ、どの面さげて言訳せふ。サア、かう言ふは言ふものゝそなたに限り、そふしたことはあるまいけれど、時分の来た若い娘のある内へ若い男。一夜は愚か半時でも、一つ所に寝臥せば、戸は立てられぬ人の口。その上連合幸兵衛殿。国守よりのお目がねにて、新関の下投を勤めさつしやる今の身分。常の百姓とは達ふて、物事を正しうするも役柄ゆゑ、必ず悪ふ聞けやんなや」
と、言はれてなんと返事さへ、お袖が異見の相伴に、志津馬も手持ち投げ首を、見る気の毒さ母様も、
『さのみはいかゞ』
と何気なふ、
「この様に異見するも転ばぬ先の杖とやら。イヤ申し御浪人様、御心にさへられて下さりますな、泊めますことはならずともせめて、お茶なと入れ端を、一つ上げふ」
と尻軽に、勝手へ

 (以下略)

 

 「転ばぬ先の杖」の蘊蓄

「転ばぬ先の杖」の類義語

石橋を叩いて渡る
遠慮なければ近憂あり
後悔先に立たず
事を事とすればすなわちそれ備えあり
備えあれば憂いなし
遠き慮りなければ必ず近き憂えあり
跳ぶ前に見よ
濡れぬ先の傘
念には念を入れよ
降らぬ先の傘
良いうちから養生
用心に怪我なし
用心には網を張れ
用心は前にあり
予防は治療に勝る

 

余談になりますが、

教育(子育て)に必要なのは「転ばぬ先の杖」ですか?

 

「転ばぬ先の杖」の類語が数多くあるように、それは古くからの人生訓、処世訓と言えます。

教育や子育てにおいても、「転ばぬ先の杖」=セーフティネットは必要です。

しかし、その一方で思うのです。

教育(子育て)において、いくつもの「杖」を用意してやることが、教師(親)の務めなのでしょうか。

小さく転んで、そこから起き上がる術(すべ)を身につけさせてやることが、育てるということではないかと私は思うのですが。