教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その55) 特別企画「右と左の物語」⑤再び「右上位」の世界

再び「右上位」の世界 

 

日本社会において、漢字が伝えられたころから飛鳥時代以前は、「右上位」でした。

それは、漢字とともにもたらされた中国の「右尊左卑」思想の影響でした。

いまもよく使われる「左遷」「座右の銘」「右に出る者はいない」などは、そのころの「遺物」です。

 

 

飛鳥・奈良時代以降の日本社会は、「左上位」が伝統になります。

これは、律令制度を学んだ遣唐使によってもたらされた中国の「天帝は北辰に座して南面す」という思想、その結果としての「左上右下」の影響でした。

「左上右下」は、右大臣・左大臣といった官位(明治期にあっては貴族院衆議院の議場配置)をはじめ、着物の着方、障子のはめ方、配膳の仕方にまで及んでいました。その多くは伝統としていまも日本社会に残っています。

 

 

明治になると、日本社会は進んで欧米の文化を取り入れていきます。

前回の終わりに述べたように、ヨーロッパは伝統的に「右上位」の社会です。 

 

たとえばオリンピックの表彰台は、真ん中が1位、向かって左が2位、向かって右が3位です。つまり、優勝者の右側(向かって左側)に2位の選手、優勝者の左側(向かって右側)に3位の選手が立ちます。「右上位」です。これも欧米風の左右観から生まれた国際儀礼プロトコール)から来ています。

 

国旗も同様、欧米に合わせています。どこかの国の来賓が来ると、その国の国旗と日の丸が二つ並びますが、旗からすれば右が相手国、左が日の丸です(眺める側からすると相手国の旗が左、日の丸が右)。こうして相手の国に敬意を表しているのです。

 

日本の皇室も外交関係を考慮して左優位から右優位に変わりました。

皇后は天皇から見て左に立ちます。つまり私たちが見ると、天皇は左、皇后は右となります。

 

左右の話題になると、ひな人形の飾りかたがよく話題になります。

これは皇室をモデルに作ったものですから、皇室内での並び方に準じて配置されます。京びなは古来の風習を守ってお内裏様(男びな)は人形からすると左、おひな様(女びな)は右です。つまり眺める側からするとその逆、お内裏様が右、おひな様が左です。

京びなは、伝統の「左上位」です。

関東びなはその逆、つまり眺める側からするとお内裏様が左、おひな様が右です。

関東びなは、いま風(国際儀礼)の「右上位」です。

 

 

こうして見てくると、「(旧)右上位」→「左上位」→「(新)右上位」と、時代によって変遷していることが分かります。

この変遷が、1つの時代が終わり、次の時代に移っているなら、それは単なる「歴史」物語で済みます。

「右」と「左」の世界を複雑にしているのは、「(旧)右上位」「左上位」「(新)右上位」のいずれもが「現役」であることです。

 

「(旧)右上位」「左上位」「(新)右上位」を整理すると、こうなります。

 

現代社会の基本は、「(新)右上位」つまり国際儀礼プロトコール)にもとづく「右上位」です。

 

現代社会においても、例外的に「(旧)右上位」や「左上位」が並存しています。

 

「(旧)右上位」は、「左遷」「座右の銘」「右に出る者はいない」といった言葉の世界において、国際儀礼プロトコール)とは別の「右上位」として存します。

 

「左上位」は、和式のもの(着物、障子、お膳など)の中に伝統として存しています。

ただ、それは絶対のものでもなく、洋風化した暮らしにあってもできればだいじにしたいものという位置づけでいいのではないでしょうか。