世界最古の木造建築②
「日本最古の本格的仏教寺院」飛鳥寺は、平城京遷都ののち移転されて元興寺となりました。このとき、飛鳥寺に使われていた建築材も運ばれ再利用されました。瓦もそのまま使われ、一部は現在に至っています。しかし、建築物として当時の姿を見ることはできません。
飛鳥寺の大仏は本元興寺と名を変えた飛鳥寺に残りましたた。安居院が1828年に建てられ今日に至っていますが、これもかつての飛鳥寺ではありません。
飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院なのですが、現存しません。
「日本仏教最初の官寺」を謳う四天王寺は、1番か2番かは置くとしても、法隆寺よりも古い本格的仏教寺院です。
創建時の建造物は、平安時代の承和3年(836年)には落雷で初代五重塔が破損し、天徳4年(960年)には火災によって全山焼失しています。
その後も何度かの消失があり、現存の中心伽藍は1957年(昭和32年)から再建にかかり1963年(昭和38年)に完成したものです。五重塔は8代目のもので、飛鳥建築の様式を再現したものです。
つまり、四天王寺は寺院としては長い歴史を有していますが、建造物としては築後60年ほどの歴史しかありません。
法隆寺は、1番と2番がその資格を失うことによって「世界最古の木造建築」となりました。正確に言うと、「現存する世界最古の木造建築」です。
再建された法隆寺
法隆寺 造営開始600年ごろ? 創建607年
厩戸王は、622年に亡くなります。
その後、670年に法隆寺は焼失しています。
『日本書紀』に記述があります。
九年…。
夏四月癸卯朔壬申夜半之後、災法隆寺、一屋無餘。大雨雷震。
落雷によるものかどうかは判然としませんが、雷が鳴る大雨の日に消失したようです。
消失からほどなくして、再建が始まります。
法隆寺再建については、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』が手がかりになります。
金泥洞釋迦像壹具
右奉爲上宮聖徳法王,癸未年三月、王后敬造而
請坐者
「癸未年」が693年です。
持統7年(693年)に法隆寺で仁王会が行われていることから、少なくとも伽藍の中心である金堂はこの頃までに完成していたとみられます。
合塔本肆面具攝〔一具涅槃像土 一具彌勒佛像土一具維摩詰像土 一具分舍利佛土〕
右和銅四年歳次辛亥、寺造者、
合金剛力士形貳躯〔在中門〕
右和鋼四年歳次辛亥、寺造者、
合舍利伍粒〔講坐金堂〕
「和銅四年歳次辛亥」が711年です。
和銅4年(711年)には五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成しているので、この頃までには五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していたとみられます。
これらの記録から、693年ごろまでにまず金堂が再建され、711年ごろには五重塔や中門を含む伽藍が完成していたと考えられます。再建された西院伽藍は、創建時の伽藍(若草伽藍)の北西に位置します。
法隆寺のその後の歴史を概観します。
925年(延長3年)には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失しました。
現在の大講堂は、火災から数十年経った990年(正暦元年)のことでした。
1435年(永享7年)には南大門が焼失しました。
17世紀初頭(慶長年間)に豊臣秀頼が、17世紀末~18世紀初頭(元禄 - 宝永年間)には江戸幕府5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が修復を行っています。
近年では、「昭和の大修理」と呼ばれる修復作業が1934年(昭和9年)から始められ、金堂、五重塔などが修理されました。「昭和の大修理」は第二次世界大戦を挿んで半世紀あまり続き、1985年(昭和60年)に至ってようやく完成記念法要が行われました。
1949年(昭和24年)には修理解体中の金堂において火災が発生し、金堂初層内部の柱と壁画を焼損しました。
「昭和の大修理」は解体して修復するという大がかりなものでしたが、部材はすべてもとのものが使われています。金堂・五重塔・中門・回廊は再建時のままです。
つまり、
711年ごろまでに再建されたと考えられる法隆寺西院伽藍(金堂・五重塔・中門・回廊)は、現存する世界最古の木造建築です。
1300年も昔の木造建築が現存する。ーーそれはほとんど奇跡と言えます。