「頑張る」を科学する ③評価的「頑張る」
評価的「頑張る」とは、ある出来事(物事)の結果に対する教育評価としての「頑張る」のことです。
教師がよく使っているスタンプの中に、「がんばりました」「がんばりましょう」といったものがあります。提出した宿題ノートの末尾にポンと押されているアレです。
点検したノートのおしまいに、「よくがんばったね」と赤ペンで書かれていることもあります。
通知表に、「がんばりました」「がんばろう」という評価があることもあります。
こうした教育評価としての「頑張る」の意味を考えてみたいと思います。
シリーズの初回において、
こんにち、教育や子育ての場で使われる「頑張る」には、
従来からの、「困難に耐えて努力する」と、
もっと積極的な、いわば「挑戦」とも言うべき「持てる力をフルに出して、努力する」
という2つの意味合いがある。
と述べました。
現実的には、「持てる力をフルに出して、努力する」と定義するのがしっくりくるかと思います。
いずれにしても、「頑張る ≒ 努力する」なのです。
提出物に対して「がんばりました」と評価するのは、有りだと思います。ただし、「頑張る ≒ 努力する」からすると、ここでの「がんばりました」は「よく努力しました」と同義です。
一方、「がんばりましょう」は「努力が足りません」という意味になります。もしも出来栄えに対して評価しているのであれば、その不出来は努力不足によるものなのか吟味が必要です。もっと温かみのある言葉があってしかるべきだと思います。
さて、問題は、通知表に使われた場合の「がんばりました」「がんばろう」という評価です。
言葉の意味からすると、
「がんばりました」・「がんばろう」 ≒ 「努力しました」・「努力しましょう」
ということになります。
話を単純化するために、評価のガイドラインをテストの平均点が80点以上で「がんばりました」、40点以下で「がんばろう」とします。
努力して80点とった子もあれば、努力しなくても80点とれた子もあるでしょう。努力しなかったので40点以下の子もあれば、努力したのに40点以下の子もあるでしょう。テストの点数と努力を紐付けて評価するというのは、無理があります。
そもそも、通知表は子どもの「努力」を評価するものでしょうか。
そうでないことは、学校関係者なら百も承知でしょう。では、なぜこうした通知表が存在するのでしょう。
ここでの「がんばりました」は、「よくできました」と同義です。実際、「よくできました」という言葉を使っている通知表も見たことがあります。
同様に「がんばろう」は「できませんでした」と同義になるのですが、「できませんでした」と書いてある通知表を私は知りません。「よくできました」・「がんばろう」は見たことがあります。しかしこれでは評価のベクトルが矛盾します。
ここからは推測になりますが、「できませんでした」と露骨に評価するのは教育的ではないと考えて、「次はがんばりましょう」とやんわり表現したのが始まりでしょうか。だとしても、教育的「頑張る」において指摘した問題の数々は解消されず、決して子どもへの励ましにはならないでしょう。
いずれにしても、通知表の評価に「頑張る」という言葉を使うのは、ことの本質も課題も曖昧にしてしまい、決して適切な用法ではないと思います。