教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 5月31日

5月31日 世界禁煙デー

 

世界保健機関(WHO)は、昭和45年にたばこ対策に関する初めての世界保健総会決議を行い、平成元年には5月31日を「世界禁煙デー」と定め、喫煙しないことが一般的な社会習慣となることを目指した「たばこか健康かに関する活動計画」を開始した。厚生労働省においても、平成4年から世界禁煙デーに始まる1週間を「禁煙週間」として定め、各種の施策を講じてきたところである。

                     (「厚生労働省」HPより)

 

たばこをめぐる問題は、SDGsの課題と重なります。

2022年の世界禁煙デー『たばこ : 環境への脅威』
2021年12月15日
WHOは、「世界禁煙デー」の2022年のグローバルキャンペーン “Tobacco : Threat to our environment (たばこ : 環境への脅威) ” を発表しました。 このキャンペーンは、タバコの栽培から生産、流通、過剰な消費に至るまで、タバコが環境に与える影響について、一般の人々の意識を高めることを目的としています。また、このキャンペーンは、喫煙者にタバコをやめるための新たな理由を与えるものです。

年間 84 メガトンの二酸化炭素換算の温室効果ガスを排出するタバコ産業は、気候変動の原因となり、気候変動への耐性を低下させ、資源を浪費し、生態系にダメージを与えています。

毎年、約 350 万ヘクタールの土地がタバコ栽培のために破壊されています。 タバコの栽培は、特に発展途上国において森林破壊の原因となっています。 タバコ農園のための森林破壊は、土壌の劣化を促進し、「歩留まりの低下」、すなわち土地が他の作物や植物の成長を支える能力の低下を招きます。

環境の劣化は対処能力の低い国に降りかかり、利益は高所得国に拠点を置く多国籍タバコ企業が得ています。

              (「公益社団法人 日本WHO協会」HPより)

子どもの受動喫煙の問題とともに、重要な切り口です。

 

きょうは何の日 5月28日

5月28日 花火の日

 

花火の日(5月28日 記念日)
1733年(亨保18年)のこの日、隅田川の両国橋付近で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた花火が打ち上げられた。これが「両国川開きの花火」の始まりであった。

この年は第8代将軍・徳川吉宗(1684~1751年)の治世で、全国的に凶作に見舞われ、大飢饉になったうえ、コロリ(コレラ)が大流行して多くの死者が出た。この犠牲者の慰霊を兼ねて打ち上げられた花火は、やがて庶民の楽しみとして定着した。

その後、江戸を代表する花火師の屋号である「玉屋」と「鍵屋」が技を競うようになった。両国橋を挟んで上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持ち、交互に花火を上げる二大花火師の競演であった。この時、花火師を応援する声として「たまや~」「かぎや~」の掛け声が生まれた。

両国川開きの花火は、明治維新第二次世界大戦、その後、昭和に入ってから交通渋滞など交通事情の悪化、隅田川の水質汚濁による臭害などにより中断された時期もあるが、1978年(昭和53年)に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年7月に開催されている。

                      (「雑学ネタ帳」HPより)

 

 

旧暦の亨保18年5月28日は、グレゴリオ暦では1733年7月9日にになります。

1732年に発生した全国的な凶作による享保の大飢饉と疫病(コレラ)の流行をきっかけに、鎮魂および悪疫退散を目的に花火が打ち上げられました。

 

もう1つの「花火の日」。

花火の日(8月1日 記念日)

1967年(昭和42年)に制定。1948年(昭和23年)のこの日、戦中に禁止されていた花火が解禁されたことに因む。

また、1955年(昭和30年)のこの日、東京墨田区の花火問屋の厩橋(うまやばし)での大規模な爆発事故があった日であり、世界最大の花火大会ともいわれる「教祖祭PL花火芸術」の行われる日でもある。教祖祭PL花火芸術大阪府富田林市の光丘カントリー倶楽部で行われるパーフェクト リバティー教団(PL)の祭礼である。隅田川の両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も「花火の日」となっている。

                     (「雑学ネタ帳」HPより)

 

 

 

 

大丈夫か?学校!授業!③

中途半端な改革から本質的な改革へ

 

前々回の記事の最終部分を再掲します。

しかし「ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」(佐藤学氏)。

というのです。

 

佐藤氏は、その論拠としてPISA2015報告書の「学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていた」という事実を引きます。

その理由として、

深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性PISA

従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界PISA

今のICT教育の現場で使われるソフトの質(佐藤氏)

の3点を挙げています。

その上で、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要」と結論づけています。

 

この短い文章において語られていることは、実に深いです。

 

PISAの分析や佐藤氏の指摘から言えることは、紙の教科書をデジタル化するだけではダメだ。もっと言えば、教え込み型の一斉授業が根底にある教育観ではダメだということです。佐藤氏が提唱してきた「協同的学び」(文科省の「協働学習」は似ているようで、異質)の教育観を、ICT教育の土台に据える必要があると思います。

 

私は、佐藤学さんの指摘を肯定的に受け止めています。

その立ち位置から見れば、現場の先生たちが力を注いでいるICT技術習得の努力は空しいものに思えます。習得したころには、そのほとんどをコンピューター自身がやってくれるようになっているでしょう。AI技術、ICT技術は日進月歩、いや「時進日歩」です。

限られた時間を教師本来の力を磨くことに使われることを切に願います。

 

それもこれも、元凶は文科省にあります。

 

まず、「1人1台の端末と高速通信環境を整備すること」によって、子どもたちの「資質・能力を一層確実に育成」する「令和の学びの『スタンダード』」という「GIGAスクール構想」そのものを問い直す必要があります。

ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンス(科学的根拠)はほとんどない」と佐藤氏は指摘しています。

 

仮にGIGAスクール構想」を是とするとしても、「GIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育」と言うのです。佐藤氏の「協同的学び」に対する賛否は置いても、この部分は冷静に吟味する必要があります。

従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界」を指摘するPISAの見解と合わせ考えると、課題の根は深いです。

 

今のICT教育の現場で使われるソフトの質」という指摘に至っては、文科省の怠慢以外の何ものでもありません。

文科省が最新の機能を持つソフトやツールを配信する、もしくは教科書会社等を支援するなどすれば、学校現場の悪戦苦闘の相当が解消されるはずです。

文科省の「GIGAスクール運営支援センター」事業も動き出してはいますが、センター事業ではなく学校配置が必要です。中途半端な対応では焼け石に水。各学校にICT技能員のような職員を配置すれば、教員の負担が軽減され本来の課題に向き合う時間が増えます。

 

ICT教育が時代の流れだというならば、文科省にはその環境を整える責務があります。

1人1台のパソコンを配布したのは、最初の第1歩に過ぎません。

1人1台のパソコンを使った授業をするための教室がいります。学級規模は20人程度でしょうか。チョーク用の黒板がデンと中央を占めているのも感心しません。教室のデザインをICT教育にふさわしいものに変更し、必要に設備を整えるべきです。

1人1台のパソコンを使った授業をするためのテキストがいります。当然、デジタル教科書、デジタル教材ということになります。

1人1台のパソコンを使った授業をするための授業スタイルがいります。佐藤氏の「協同的学び」のようなスタイルです。

 

文科省GIGAスクール構想にはそうした覚悟やエネルギーがあるのでしょうか。問われているのは、文科省の本気度です。

中途半端な改革は、現場の教師を疲弊させるだけです。それは、何よりも子どもたちにとって不幸なことです。

 

世界遺産学習 法隆寺(その15)五重塔と東京スカイツリー

五重塔東京スカイツリー

 

法隆寺五重塔が創建された時代に、「耐震構造」という言葉はありませんでした。そういう考え方自体なかっただろうと思います。

しかし、1300年後の現代から振り返ってみると、法隆寺五重塔地震による倒壊がなかった。つまり、すぐれた耐震構造を備えていたということになります。

 

そうした法隆寺五重塔の構造は、東京スカイツリーの構造に生かされているというのです。

710年ごろに建造された世界最古の木造建築である法隆寺五重塔の技法が、1300年のときを経て、世界一高いタワーの建築技法に生きているのです。それだけで歴史のロマンを感じます。

 

肝心の「耐震構造」については、工学的知識のない私にはよく分かりません。

「濃尾・各務原地名文化研究」HPに、「何故、五重塔は倒壊しなかったのか」と題する文章が掲載されています。その1節「Ⅴ.五重塔はなぜ倒れないか」をお借りして紹介します。

Ⅴ.五重塔はなぜ倒れないか

1)上田篤*1)編『五重塔はなぜ倒れないか』


写真-5 上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』

 この本は、上田氏が20年ほど前に雑誌に発表した一文をきっかけに出版された本*2)です。 表紙のカバーには、次のように書かれています。
 五重塔は、昔から地震で倒れない、といわれつづけてきた。しかし、これまで、その理由について明快に説明されることはなかった。 今回、建築家、建築史家、建築構造家たちが論じあい、ひとつの結論が浮かびあがった。 それは「五つの帽子を積みあげたような五重塔は、地震のときスネーク・ダンスをするが、真中を通っている心柱がその乱れを抑えて、 しだいに振動を弱めていく」というものだ。
帽子というのは、上重の柱とそれを支える土台*3)が小屋組の上にすっぽり被さる様を氏がイメージしたものです。
 明治以降、西洋から伝えられた建築構造力学は、鉄骨やコンクリートなどの工業材料が中心でした。 木材などの自然材料は均質性が低いため力学的解析も難しく、可燃性であることからも建築材料としては軽視される傾向にありました。 そのため、当時もまだ木造の伝統的な建築物に対する研究は進んでいませんでした。 そうした状況で上田氏は同書の中で、次のように述べています。
…建築構造の専門家に五重塔の不倒理由を聞いても、納得のいく答えがなかなか得られないのである。 せいぜい、木造の組物の接合部がゆるやかなために、地震のエネルギーをよく吸収して、建物が破壊にいたるまでの変形を おこさしめないのではないか、というぐらいである。 それでは、地震がおきたときに、しばしば低い建物の本堂が潰れて、高い建物の塔が倒れないのは何故か、という疑問に答えられない。
 こうした氏の挑戦は、研究者のみならず広く世間に、五重塔への関心を高めていったといえます。 そして、「キャップ」、「スネークダンス」、「ヤジロベー」というようなユニークなキーワードは、いろいろな場面で目にするようになりました。

図-19 2支点ヤジロベー

そのヤジロベーからは、重い屋根がゆらゆら揺れる(ロッキング運動)様がイメージできます。 重心が高いことへの違和感も支点を二カ所と考えれば、ある範囲までの揺れは安定するのです。 四天柱をその二カ所の支点(支点柱)と考え、その外側の側柱をストッパーとすれば、 見事に、安定したやじろべー的揺れが説明できます。
 また、一つの振動モデルとして、柱の長い一重目は横方向に歪み(並進運動)、二重目以降は、柱が短いため横への力より 回転しようとする力(回転運動)の方が勝って、傾きの反対側が浮き上がりやすいと考えられるといいます。 このことは、自重が軽くなっていく上重において顕著となります。
これを防いでいるのが心柱ではないかといわれています。いわゆる石田修三氏の「閂」説です。(これについては後述)
 しかし、ここまでの話は法隆寺などの初期の積重ね構法においてはイメージしやすいですが、 「長柱」や強力な「張り出し梁」で上下の柱が組まれる櫓構法では様子が違ってきます。 しかも、屋根も重い本瓦とは限りません。
*1)上田篤(1930- )
建築家、都市計画家。工学博士。大阪府生まれ。京都大学教授、大阪大学教授を経て、京都精華大学教授。2001年、同大学名誉教授。
建築設計、地域計画に携わるが、建築批評に始まり、都市計画論、都市論、文化論を広く展開する総合的な批評家として知られる。
[日本大百科全書]
*2)その「あとがき」の中で、次のように述べられています。
…この一文を、関係する建築史家、建築構造学者の皆さんに見てもらい、批評、反論、あるいは専門の見地からの詳論を乞うた。 こうしてできあがったのが本書である。したがって、本書は、統一した目標も、共通した結論ももたない。 いわば紙上シンポジウムのようなものである。…
その一文は、そのまま同書「序 謎の建築・五重塔」に収められています。
*3)柱の土台
四天柱を支えるのは「四天枠」、側柱を支えるのは「柱盤」と呼びます。
*3)石田修三
建築家、工学博士(構造工学)。京都工芸繊維大学名誉教授

2)だから倒れない


 明治以降に再建された木造五重塔も、よく知られたものだけでも20基ほどあります。 それらも含めて共通していえることは、礎石式の柱*1)を含め、継手や仕口などの木組による伝統工法で建てられているということです。 そして、これこそが五重塔が倒れない理由なのです。 それは既に云われているように、木組の隙間(ガタ)*2)や木材のくい込みなどである程度の歪みを許容する「しなやかな構造」にあるためです。 どのように揺れるかは、その構造によって異なります。 今、こうした既存の塔に測定器などを取り付けモニタリングが続けられ、振動に対する研究がなされています。*3) そして、その目的の多くは、設計時に必要な最大振れ幅等の実証にあります。

写真-6 関東大震災で倒壊した円覚寺舎利殿(出典:文化庁

 では、何故、低層の伽藍などが倒壊し、五重塔だけが免れ得たのでしょうか。 それは、五重塔という細くて高い建造物の特徴である次の二点が考えられるのです。
1) 固有周期が長いことです。
塔のように高い建造物は固有周期が 1.0*4) 秒以上であるのに対して、 低層では0.3 秒前後と短く、地震波に同調(共振)して強い力を受けやすいのです。
2) 内部が狭いことです。
金堂のように広い居室はなく、塔の容積の凡そ半分近く*5)が構造材で占められ、狭い空間しかないことです。 まるで塔全体が木組みでできた、しなやかな棒のようだからです。
*1)柱に掛かる荷重
法華経寺五重塔(総高30.8m)の場合、全重量は1424kN(塔の重さで考えると凡そ150t)と算定されています(参考文献-5)。
柱は固定として解析されていて、礎石上を動いたという痕跡を調査報告で目にしたことはありません。
*2)ガタ
この隙間の量には、かなりバラツキがあったようです。棟梁が複数いると尚更のようです。 最近では、一定の隙間に「ダンパー」と呼ばれる緩衝材を入れて、一定の許容度を保証する方法が取り入れられています。
*3)モニタリング
【摂津願昭寺】(参考文献-3)
平成に建立(1997-2011)。設計時の理論値と建立後の実測値との検証が行われています。 ほぼ醍醐寺五重塔に近い構造。ただ、基壇下にパイルを打って地盤を強化し、柱の根元側にも貫が通されています。
法華経寺】(参考文献-5)
*4)固有周
建物の固有周期とは、受けた振動が上部まで伝わって戻ってくるまでの時間をいいます。 異なる周期の振動を与えたとき、建物の揺れが最も大きくなった(共振)時の周期と同じです。 こうした振動特性を最も早く観測したのは、地震学者の大森房吉(1868-1923)で、
  法隆寺(32.45m)1.25秒、 東寺(54.84)1.81秒
と報告されています。その後
  厳島神社(28.38m)1.15秒、 法華経寺(30.8m)1.23秒、 妙成寺(34.18m)1.32秒
などを始め(参考文献-7)、多くの既存五重塔で観測されています。( )内は五重塔の総高で、固有周期との比例関係を表す近似式が種々の研究機関から発表されています。
*5)五重塔の容積
法華経寺を構成している構造材の全体積は凡そ253m3です。(参考文献-5) 図面上から算出した塔の全容積は凡そ550m3でした。木材が塔全体に占める割合は46%ほどになります。 塔以外では、内部に空間をつくることを目的としている建造物なのです。

3)心柱の謎


図-20 質量付加機構の概要図

図-21 東京スカイツリー心柱解説図
(出典:2図共に参考ウエブ-5/レイアウト改変)

 前述の上田氏は、古代から続く日本人の「柱信仰」から、次のようなユニークな発想を述べています。
五重塔は、その日本人の信仰対象ともいうべき心柱の覆い、 つまり奥州平泉の中尊寺金色堂を覆っているような一種の「鞘堂(さやどう)」ではなかったか。…
 さて、先にも述べたように、塔が大きく揺れないように心柱が関わるというのが閂説でした。 塔と心柱は異なった揺れ方をします。 塔が大きく揺れようとしたとき、内部の横架材(四天枠)や隅木の根元などに心柱が衝突して、閂のように揺れを抑制してくれるというものです。 石田氏は、自ら考案した模型での実験で、地上式の心柱に最も閂効果がみられたと述べられています。 こうして、心柱が幾多の地震から塔を救ってきたのでしょうか。 現存する塔の心柱に、そうした衝突の痕跡が見られたという報告は、まだ目にしていませんが、 見つかれば、実験より説得力があるように思います。
 現代の高層ビルには「質量付加機構」という装置が取り付けられています。 この装置は、傾きと反対方向に動く「重り」が中に入っていて、ビルの振動と異なる動きをすることで制振するというものです。 東京スカイツリーでは、この装置が付けられないので*)、そこで考えだされたのが中央の円筒部(非常階段塔)なのです。
この円筒部は直径8m、地下から高さ375mまであり、厚さは、高さ100mまでが40cm、高さ100~375mまでが60cmの鉄筋コンクリート造の「柱」で、 周囲の鉄骨造部分とは構造的に切り離されています。 周囲の架構との間は、ぐるりと約1m程度の隙間になっていて、高さ125m以下は固定域として鋼材により塔体とつないでおり、 高さ125~375m までは可動域として隙間にオイルダンパーを設けています。 オイルダンパーは、要はクッションのような役割で、揺れたときにこの「おもり」が塔体にぶつからないように制御するものです。 副次的には、このダンパーによって地震エネルギーを吸収することができます。[参考ウエブ-4]
そして五重塔に因んで「心柱制振」と名付けたそうです。
 この考え方こそが五重塔を倒壊から守っていた理由なのです。 塔の振動と異なる周期で互いに振動を弱めていたのです。 そして、上層の激しい揺れに対しては「閂」のように働いたのかもしれません。 そうした意味から、地上式の心柱の方が地震波を早く受けやすいので直下型地震には有利なのかもしれません。 逆に自由度の高い懸垂型は、大きな揺れに有利といえるかもしれません。
*) 実際には、最上部のゲイン塔(長さ120m)のために、小型の制振装置が取り付けられています。

 

 

私の構造模型はいまだ製作中です。後日、一応の形が整った時点でここに写真掲載し、この連載を終えることとします。

                         「世界遺産学習 法隆寺」・完

きょうは何の日 5月25日

5月25日 食堂車出発の日

 

1899年(明治32年)の5月25日、山陽鉄道の神戸・広島間で、日本で初めての食堂車が走行しました。

 

1899年(明治32年)のこの日、私鉄の山陽鉄道(現:山陽本線)において、官設鉄道・京都駅~三田尻駅(現:防府駅)間の急行列車に日本で初めて食堂車が連結されて走った。

当時の食堂車は一等・二等車(現:グリーン車)の乗客専用で、メニューは洋食のみであった。当時の列車は揺れが激しく、ゆったりと食事をするというものではなかったようだが、それでも「汽車で景色を見ながら洋食を食べるなんて、モダンだ」と好評であった。食堂営業は山陽鉄道の直営の後、神戸の「自由亭ホテル」(後の「みかど」)の請負いとなった。

官営鉄道(国鉄)に食堂車が登場したのは、それから2年後の1901年(明治34年)12月15日のことで、新橋駅~神戸駅間の急行列車に食堂車が連結された。食堂は東京・築地や上野で西洋料理店を営む「精養軒」により運営された。

その後、1906年明治39年)4月1日に新橋駅~神戸駅間の三等急行列車に和食堂車が初登場し、誰でも食堂車を利用できるようになった。日常の生活習慣などを考慮してメニューは和食が主体であったが、一般に普及している洋食も提供された。

                        (「雑学ネタ帳」HPより)

 

現在、予約なしで利用できる「食堂車」は存在しません。

調理設備を備えた食堂車は時代とともに数を減らし、2000年に東海道・山陽新幹線「グランドひかり」での営業終了により乗客が予約なしで気軽に出向き注文をする形態が消滅した。以降、事前にみどりの窓口や旅行会社などでディナー券・食事予約券を予約購入する完全予約制の夕食時間帯を除いた本州対北海道間の寝台特急で残存していたが、こちらも2016年までに全廃された。

                         (「Wikipedia」より)

 

「食堂車」という言葉そのものが死語となりつつあります。

歴史の記録として、次の記事を紹介します。

tetsudo-shimbun.com

 

大丈夫か?学校!授業!②

教育の本質と教師の本分

 

4月の異動で、ひとりの後輩が教室を離れました。

それは「唐突」な報せでした。

 

私は教師の「職人」性に惹かれてヒラであることを通しました。自分の生き方を人に押しつけるつもりは毛頭ありません。ただ、その後輩は私と同じような生き方をする雰囲気を醸していました。コロナ禍で疎遠になる前までは…。

 

「唐突」のわけを問うてみました。

彼の口からは、意外な答えが返ってきました。

括っていえば無力感、失望感が教室を離れる選択を後押ししたようです。

 

彼は40代後半です。

その後、50代の人たちにも聞いてみました。

教室を離れるかどうかは別にして、無力感、失望感ということでは同様の思いを抱いているようです。

 

「ベテラン」と呼ばれる人たち(多数なのか一部なのかは分かりませんが)を覆っている無力感、失望感の正体はなんでしょう。

 

共通して言われたのは、「子どもをだいじにしていない」ということと「ICT研修ばかり」ということでした。問題が2つあるというよりも、どうやらコインのオモテとウラの関係です。

 

ことの起こりは、「GIGAスクール構想」にあります。

子どもたちにタブレット端末が配られ、コロナ禍によるオンライン授業もあって、教室のICT化が加速度的に進みました。

この2年あまり、教師たちはその対応に追われ続けてきました。

対応の第1段階は機器の操作を習得することで、第2段階は授業に組み入れることです。とりあえず使える状態になるには、第2段階までをクリアしなくてはなりません。

 

多くの年配教師が、第1段階で躊躇し、停滞しました。

「現職研修」と呼ばれる職場研修の多くを、ICT対応に充てることになります。研修をリードしたのは、30代から40代前半の教師でした。

 

私の経験からも、30代後半からの10年あまりは、職業人生でもっともエネルギッシュで充実した時期だと思います。

ですから、30代から40代前半の教師が研修をリードしたことは、問題ではありません。

 

問題は、それまでの教育との連続性の断絶にあります。

「ベテラン」教師が「子どもをだいじにしていない」と感じているのは、そこにあります。

事例研修を含めた子どもの見方であったり、課題のある子どもを焦点化した授業観察であったり、人権意識を高める研修であったり……子どもを真ん中に置いた研修は姿を消しました。限られた研修時間ですから、ICT研修に注力すれば当然の結果です。

 

ICT対応に長けた教師が評価され、その一方で「ベテラン」教師がだいじにしてきたものが消えていくように思える。自分のアイデンティティーが揺らぎ、存在する場所がないと感じる。……無力感、失望感です。

 

 

新採用から間もない、それはまさにICT研修の落とし子のような経験年数の浅い教師の話になります。

 

低学年担任のその教師は、デジタル化した教材を用い、デジタル化した「板書」を使って授業を進めていました。

1時間の授業のまとめをする段になって、「デジタル板書」を提示して言いました。

「はい、きょうのまとめです。写しましょう。」

 

えっ⁉ それだけ⁉

少しでも低学年の教室を知っている方なら、「それは高学年のやり方だろ」と驚かれたでしょう。

低学年の授業では、それも学年初めならなおさらに、子どもたちを黒板に注目させてから、子どもの筆記速度に合わせて発語しながら板書する。あるいは、文節区切りで子どもの視写を確認しながら板書する。……などの手立てを講じるのが普通です。(そうしないと書き写せない子が何人もいるものです。実際この教室では何も書かずに終わる子が出てくるのですが…。)

 

多くは書きませんが、一事が万事です。

 

先輩から後輩に当たり前のこととして伝えられてきた教育技術や子どもへの接し方が途絶えています。

 

個々の教師の「教師力」の低下や総体としての学校の「教育力」の低下は、私が退職する少し前頃から気になっていました。

それは、団塊世代と呼ばれる人たちの大量退職が始まって、職場にモデルとなる先輩層が薄くなったことが主因でした。

加えていま起こっているのは、「視点」の移動です。

「視点」…つまり、だいじにするものがデジタル(ICT)に移り、授業交流をしても先輩教師のあり方にでなくICTに意識がいってしまっているのでしょう。

 

 

冒頭に書いた後輩教師が言いました。

「先生がいてくださったら、職場は違ったものになっていただろうと思います。」と。

現実にはあり得ないことですし、もともと私にはそれほどの力はありません。流れに抗して説得力ある発言をするには、それなりの理論と実践力と覚悟が要ります。

アバターの声です。

「デジタル機器は教育のためのツールの1つに過ぎません。ツールは子どもにわかりやすい授業をするためのものであり、ツールを使うこと自体が目的ではありません。

教員の使命は子どもに分かる授業を届けることです。そこには教師の話し方、子どもへの声のかけ方、教材研究等々、いくつもの要素が含まれています。

ICT教育はこれまで『人力』でやっていたことの多くを短時間で処理し、科学的に分析し、可視化してくれる可能性があります。強力なツールではありますが、ツール以上のものではありません。

教育力の根っこには『教師力』がなくてはなりません。『教師力』を磨いた教師が使うことで、ツールはツール本来の力を生かせるのです。」

きょうは何の日 5月22日

5月22日 国際生物多様性の日

 

5月22日は、国連が定める「国際生物多様性の日」です。1992年のこの日に「生物多様性条約」が採択されたことに由来します。

 

生物多様性」とは

そもそも「生物多様性」とは何でしょうか。

環境省のHPでは、次のように説明されています。

生物多様性とは、生きものたちの豊かな個性とつながりのこと。地球上の生きものは40億年という長い歴史の中で、さまざまな環境に適応して進化し、3,000万種ともいわれる多様な生きものが生まれました。これらの生命は一つひとつに個性があり、全て直接に、間接的に支えあって生きています。生物多様性条約では、生態系の多様性・種の多様性・遺伝子の多様性という3つのレベルで多様性があるとしています。

3つのレベルの多様性
生態系の多様性
森林、里地里山、河川、湿原、干潟、サンゴ礁などいろいろなタイプの自然があります。

種の多様性
動植物から細菌などの微生物にいたるまで、いろいろな生きものがいます。


遺伝子の多様性
同じ種でも異なる遺伝子を持つことにより、形や模様、生態などに多様な個性があります。

 

生物多様性条約

生物の多様性に関する条約
平成五・一二・二一
条   約   九
    前文
 締約国は、
 生物の多様性が有する内在的な価値並びに生物の多様性及びその構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、
 生物の多様性が進化及び生物圏における生命保持の機構の維持のため重要であることを意識し、
 生物の多様性の保全が人類の共通の関心事であることを確認し、
 諸国が自国の生物資源について主権的権利を有することを再確認し、
 諸国が、自国の生物の多様性の保全及び自国の生物資源の持続可能な利用について責任を有することを再確認し、
 生物の多様性がある種の人間活動によって著しく減少していることを懸念し、
 生物の多様性に関する情報及び知見が一般的に不足していること並びに適当な措置を計画し及び実施するための基本的な知識を与える科学的、技術的及び制度的能力を緊急に開発する必要があることを認識し、
 生物の多様性の著しい減少又は喪失の根本原因を予想し、防止し及び取り除くことが不可欠であることに留意し、
 生物の多様性の著しい減少又は喪失のおそれがある場合には、科学的な確実性が十分にないことをもって、そのようなおそれを回避し又は最小にするための措置をとることを延期する理由とすべきではないことに留意し、
 更に、生物の多様性の保全のための基本的な要件は、生態系及び自然の生息地の生息域内保全並びに存続可能な種の個体群の自然の生息環境における維持及び回復であることに留意し、
 更に、生息域外における措置も重要な役割を果たすこと及びこの措置は原産国においてとることが望ましいことに留意し、
 伝統的な生活様式を有する多くの原住民の社会及び地域社会が生物資源に緊密にかつ伝統的に依存していること並びに生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用に関して伝統的な知識、工夫及び慣行の利用がもたらす利益を衡平に配分することが望ましいことを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用において女子が不可欠の役割を果たすことを認識し、また、生物の多様性の保全のための政策の決定及び実施のすべての段階における女子の完全な参加が必要であることを確認し、
 生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用のため、国家、政府間機関及び民間部門の間の国際的、地域的及び世界的な協力が重要であること並びにそのような協力の促進が必要であることを強調し、
 新規のかつ追加的な資金の供与及び関連のある技術の取得の適当な機会の提供が生物の多様性の喪失に取り組むための世界の能力を実質的に高めることが期待できることを確認し、
 更に、開発途上国のニーズに対応するため、新規のかつ追加的な資金の供与及び関連のある技術の取得の適当な機会の提供を含む特別な措置が必要であることを確認し、
 この点に関して後発開発途上国及び島嶼(しょ)国の特別な事情に留意し、
 生物の多様性を保全するため多額の投資が必要であること並びに当該投資から広範な環境上、経済上及び社会上の利益が期待されることを確認し、
 経済及び社会の開発並びに貧困の撲滅が開発途上国にとって最優先の事項であることを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用が食糧、保健その他増加する世界の人口の必要を満たすために決定的に重要であること、並びにこの目的のために遺伝資源及び技術の取得の機会の提供及びそれらの配分が不可欠であることを認識し、
 生物の多様性の保全及び持続可能な利用が、究極的に、諸国間の友好関係を強化し、人類の平和に貢献することに留意し、
 生物の多様性の保全及びその構成要素の持続可能な利用のための既存の国際的な制度を強化し及び補完することを希望し、
 現在及び将来の世代のため生物の多様性を保全し及び持続可能であるように利用することを決意して、
 次のとおり協定した。
    第一条 目的
 この条約は、生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及び遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分をこの条約の関係規定に従って実現することを目的とする。この目的は、特に、遺伝資源の取得の適当な機会の提供及び関連のある技術の適当な移転(これらの提供及び移転は、当該遺伝資源及び当該関連のある技術についてのすべての権利を考慮して行う。)並びに適当な資金供与の方法により達成する。

条約の全文は、生物多様性センターHPをご覧ください。

 

「国連生物多様性の10年日本委員会」のHPに、「MY行動宣言」の取り組みが紹介されています。それは、SDGsの取り組みそのものと言えます。

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