教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 2月23日

富士山の日 

 

「富士山の日」の由来は、「ふ(2)じ(2)さん(3)」(富士山)と読む語呂合わせと、この時期、富士山がよく望めることによります。パソコン通信Nifty-Serve内の同好会「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が1996(平成4)年1月に制定しました。記念日は「山の展望と地図のフォーラム」が制定した日として、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。

 

これとは別に、山梨県河口湖町が2001(平成13)年12月に、静岡県が2009(平成21)年12月に、山梨県が2011(平成23)年12月に、2月23日を「富士山の日」として制定しています。

富士河口湖町のHPより引用します。

富士山の日条例
 
目 的    
 この条例は、富士山についての理解と関心を深め、愛する心を育み、富士山とともに生きる町民として、その恩恵に感謝の意を表すとともに、富士山及び麓の環境保護と適正な利用を推進し、町民の誇りとして後世に引き継ぐことを目的とする。
期 日     富士山の日は、2月23日とする。
行事等     町は、富士山の日についての啓発と富士山の日にふさわしい行事を行うものとする。
附 則     この条例は、平成15年11月15日から施行する。

 

山梨県のHPより引用します。

山梨県富士山の日条例

平成23年12月22日山梨県条例第55号

(目的)

第1条県民が、世界に誇るべき国民の財産であり、豊かな恵みをもたらしている富士山について理解と関心を深め、富士山を愛する多くの人々とともに、富士山憲章(平成10年11月18日に静岡県山梨県とが共同して制定したものをいう。)の理念に基づき、富士山を後世に引き継ぐことを期する日として、富士山の日を設ける。

(富士山の日)

第2条富士山の日は、2月23日とする。

平成23年12月22日山梨県条例第55号

(目的)
日本の象徴である富士山について、県民が、理解と関心を深め、その恵みに感謝し、愛する心を育むとともに、その保護及び適正な利用を図ることにより、富士山の豊かな自然及び美しい景観並びに富士山に関する歴史及び文化を後世に引き継ぐことを期する日として、富士山の日を設ける。(第1条)

(富士山の日)
富士山の日は、2月23日とする。(第2条)

以下略 

 

静岡県のHPより引用します。

静岡県富士山の日条例

平成21年12月25日静岡県条例第72号

(目的)

第1条 県民が、世界に誇るべき国民の財産であり、豊かな恵みをもたらしている富士山について理解と関心を深め、富士山を愛する多くの人々とともに、富士山憲章(平成10年11月18日に静岡県山梨県とが共同して制定したものをいう。)の理念に基づき、富士山を後世に引き継ぐことを期する日として、富士山の日を設ける。

(富士山の日)

第2条 富士山の日は、2月23日とする。

以下略

 

それでも同僚には「先生」、生徒は「呼び捨て」ですか?

とある職員室での会話。

 

「○○先生、最近のA(生徒の名前、呼び捨て)どう思います?」

 

「ああ、◇◇先生も気になってるんか。B(生徒の名前、呼び捨て)も含めて、あいつらのグループを何とかしないとあかんな。」

 

なんとも尻の据わりが悪い。2月17日の「天声人語」である。

 

 最初に呼ばれたのは「記者さん」だった。初任地で警察署を担当したころの話である。新人だから名無しでも仕方ないか。めげずに毎日通っていると「朝日さん」になった。どの社の記者なのかが認識されたわけだ。ようやく名前を覚えられると、名字に「ちゃん」がついた▼35年前を思い出したのは、法務省が一昨日、受刑者らの新たな処遇を公表したからだ。刑務所や拘置所などに収容されているすべての人が、4月から「名字+さん」で呼ばれるという。一昨年に発覚した、名古屋刑務所の刑務官による暴行事件を受けた改革の一環だ▼事件後に設置された第三者委員会の調査によると、かつて番号で呼ばれた受刑者は戦後、呼び捨てが多くなった名古屋刑務所では、職員同士の雑談で「懲役」や「やつら」などと呼んでいたという▼相手をどう呼ぶかとは、その人とどう向き合うかだ。人権を無視した名古屋の職員の態度は「ストレス発散のための動機もあった」という。人間の更正を担う組織の深い闇を見た思いがする▼今回の改革では受刑者が刑務官を「先生」と呼ぶのも改め、「職員さん」や「担当さん」などになる。先生と呼んでいたこと自体が驚きだが、呼び方で上下関係が決まったり、強まったりすることはある▼江戸時代に「様」から転じた「さん」は、「君・ちゃん」と違って性別や年齢に左右されない敬称だ。「先生」と呼び合い、発言者を「君」で指名する国会の方々も、「さん」に統一してはいかがか。

 

刑務所と学校を同列に扱うつもりはありません。でも、「相手をどう呼ぶかとは、その人とどう向き合うかだ」という指摘は全くその通りだと思います。

 

私は、教員同士の呼び方について2度、子どもの呼び方について1度、記事を書いたことがあります。

yosh-k.hatenablog.com

yosh-k.hatenablog.com

yosh-k.hatenablog.com

 

この機会に自分自身と、自分の職場を見つめ直してみませんか。

再度、お聞きします。

それでも同僚には「先生」、生徒は「呼び捨て」ですか?

きょうは何の日 2月20日

普通選挙の日 

 

1925(大正14)年5月5日、成年男子による普通選挙を規定する法律「普通選挙法」が制定されました。これにより、財産(納税額)に関係なく、25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました。
この普通選挙法に基づく最初の「普通選挙」が、1928(昭和3)年2月20日田中義一内閣の下で、第16回衆議院議員総選挙として実施されました。

 

衆議院議員総選挙・御署名原本・昭和三年・詔書一月二一日 (国立公文書館

 

普通選挙法」の「普通」には、女性は含まれていません。当時の政府にも、普選運動をリードした人たちにも、女性の人権という視点はまだありませんでした。

 

女性も参加した完全な普通選挙が実施されるようになったのは、1946(昭和21)年4月10日、戦後初の衆議院議員総選挙からです。この選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。

 

きょうは何の日 2月17日

天使の囁きの日 

 

1978(昭和53)年2月17日、北海道幌加内町母子里(ほろかないちょうもしり)で、国内最低気温のマイナス41.2℃を記録しました(気象庁の公式記録の対象から外れていたため非公式)。

 

「天使のささやきの日」は、 1994(平成6)年、北海道の地元住民によって作られた「天使の囁き実行委員会」が制定 しました。

記念日は「天使のささやきの日」の名称で、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されました。漢字表記の「天使の囁きの日」ともされます。

「天使のささやき」とは、マイナス20℃以下になると空気中の水蒸気が凍ってできる氷の結晶「ダイヤモンドダスト」のことです。

 

高橋真澄さんが撮影した「ダイヤモンドダスト

霧ヶ峰の霧氷とダイヤモンドダストとサンピラー

霧ヶ峰の霧氷とダイヤモンドダストとサンピラー 作成者 T.Hasebe

 

きょうは何の日 2月14日

聖バレンタインデー 

 

セントバレンタインデーは、270年ごろローマで殉教したテルニーの主教聖バレンティヌス(バレンタインはその英語読み)の記念日。ローマの異教の祭りと結びついて女性が男性に愛を告白する日とされるようになり、日本ではチョコレートを贈る風習があります。(平凡社「世界大百科事典」)

 

Wikipedia」より引用します。

バレンタインデー(英: Valentine's Day)、または聖バレンタインデー(バレンタインデー)・セイントバレンタインデー(英: St. Valentine's Day)は、キリスト教圏の祝いで主に欧米で、毎年2月14日に行われるカップルが愛を祝う日とされている。家族や親友などと祝う人もいる。

元々269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した「聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日」だと、主に西方教会の広がる地域においてかつて伝えられていた。

この日は、キリスト教圏では一般に恋人や家族など大切な人に贈り物をすることが、習わしとなっている。

 

「スイーツ学園」のHPより引用します。

セント・バレンタインデーの由来
日本国中で、盛り上がるイベントのひとつ、セント・バレンタインデー。
今でこそ、知らない人はいない程、国民的行事のひとつですが、セント・バレンタインという人はどういう人だったのか・・・?

では、ご説明いたします。

3世紀、ローマ帝国のテルニという町にバレンチーノ(英語読みでバレンタイン) というキリスト教の司祭がいました。彼は、信仰厚く、信徒たちの信望を集めていました。
しかし当時のローマ帝国キリスト教を認めておらず、時の皇帝クラウディウス・ゴティックスはキリスト教をつぶすためバレンチーノを捕らえて改宗するよう迫りました。しかしバレンチーノはこれを拒否したため、270年2月14日、会堂で殺されてしまいました。

バレンチーノはやがて聖人に列せられ、殉教した2月14日が「聖バレンチーノの日」とされたのです。
この聖人についてこれ以上のことはよくわかっていません。
相当昔の人であり、特に重要視されているわけでもなく、日本のカトリック教会の教会暦でもバレンチーノの名は出てきません。

ところが、そのバレンチーノがいつの間にか「愛の守護神」となり、2月14日が「愛の日」となったのです。これに関して次のような説があります。

皇帝クラウディウスは「士気が落ちる」として兵士たちの結婚を禁止していました。
しかしバレンチーノは兵士たちに恋人ができると、こっそり結婚させたためバレンチーノに祈ると破れた恋ももとにもどるという伝説が生まれたといいます。

 

2月14日が「愛の日」となった理由は他にもあります。
キリスト教以前のローマではファウヌスという森の神が信じられていました。
ファウヌスは家畜の神、多産の神であり、豊穣と多産を祈る祭が2月15日に行われ、この祭はルペルカリアと呼ばれました。ルペルカリアでは男たちはクジで女性を選ぶことができ、ローマの若者たちにとってこの日はパートナーとなる女性を見つけるチャンスの日でした。

しかし、ローマがキリスト教を認め、キリスト教化してくるとそうした古い信仰は否定されました。

それでも男女がパートナーを見つけるという伝統は残り、聖バレンチーノの日がそれにとって代わった形で、前日の14日が「愛の日」と いうことになったといいます。

現在欧米で祝われているバレンタインデーはカードの交換であったり、クッキーを焼いたりと、必ずしも特定の物に集約されていません。贈物がチョコレートに なっているのは日本だけです。

 

バレンタインデーがいつから日本で始まったかについては複数の説があります。
昭和11年に神戸のモロゾフが英字新聞に広告を出したのを最初とする説や昭和33年にメリー・チョコレートの現社長(当時営業主任)がヨーロッパの友人からの手紙に書かれていた聖バレンタインデーの内容を、女性が男性にチョコレートだけを贈る日捉えてキャンペーンを始めたとする説などです。

しかしモロゾフやメリー・チョコレートの企ては当初まったくの失敗で売上が伸びたわけではありませんでした。そもそもこれらの説はバレンタイン=チョコレートを前提にした話であり、チョコレート以外の物も贈物として想定すれば他にも事例はあります。

新聞広告をみると昭和31年に西武デパート松屋、34年には松坂屋、35年にはボンジー化粧品と高島屋がバレンタインをうたっています。
デパートのバレンタイン広告は実に多様な品物を薦めており、チョコレートには一言も言及していません。
圧倒的に広告が多いのはデパートで、他にもボンジー化粧品、キンカ堂三菱自動車東芝などチョコレート業界とは無関係な企業が見られます。
デパートがなぜ昭和30年代になってバレンタインデーのセールを始めたのかに ついて次のようなことが考えられます。

関東大震災後、大都市に新興中産階級が生成発展したため、デパートは顧客を上層階級から一般大衆へと移し、デパートの大衆路線化・近代化が進められます。
戦後、日本経済は急速な復興を果たし、消費物資が徐々に解除され、昭和25年には商品の生産・流通は完全に自由化され、昭和30年代には大量生産、大量販売が進展し、大衆消費社会が形成されました。

2月は「節分セール」以外にセールス・ポイントのないデパートは、ビジネスチャンスを求めて新しいイベントを次々に設けていき、バレンタインセールへとつながるのです。
また、当時、宣伝の主体は購買層を広くとっていましたが、時が経つにつれ、いつの間にか対象が若い世代、そして特に女性へと絞られていくようになります。

 

宣伝により順調にいくかに見えたバレンタインですが、昭和43年をピークに客足が遠のき、売上も減少してしまいます。その後、数年を経てバレンタインデーはチョコレートを贈る日として売上が急増し、広告は現象に追随するように現れます。

バレンタインデーにチョコレートを渡し始めたのは小学校高学年から高校生の女の子で、昭和50年代になって次第に女子大生やOLへと広がり始め、デパートは売上を伸ばしました。昭和50年代後半には「義理チョコ」が登場し、昭和60年代になると主婦層へも広がりを見せるようになりました。

以上のことから、バレンタインデーは企業の商略によって定着したというよりは消費者が様々な贈物の中からチョコレートを選び、女性が男性へと贈る機会を作り上げていったのだといえるのではないでしょうか。

日本のバレンタインデーの背景にはこんな難しい話があったんですね。

 

 

きょうは何の日 2月11日

建国記念の日 

 

建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966(昭和41)年に定められました。

 

日本の「建国」がいつかははっきりしません。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」となっているのはそのためです。

では、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」がなぜ2月11日なのかというと…。

 

以下、「Wikipedia」より引用します。

建国記念の日

建国記念の日(けんこくきねんのひ)は、日本の国民の祝日の一つ。

国民の祝日に関する法律祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、建国記念の日の趣旨について、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、翌1967年(昭和42年)2月11日(政令により規定)から適用された。

制定
世界で「建国記念日」を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。日本では、建国の日が明確ではないが、建国をしのぶ日として法律に基づき「建国記念の日」が定められた。日付は政令に基づき、建国神話(日本神話)を基に日本建国日とされていた紀元節(1948年(昭和23年)7月、祝日法制定に際し廃止)と同じ2月11日にされた。

2月11日は、神武天皇(日本神話の登場人物であり、古事記日本書紀で初代天皇とされる)の日本書紀における即位日(辛酉年春正月、庚辰朔、すなわち、旧暦1月1日(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」))の月日を、明治時代にグレゴリオ暦での具体的な日付として推定したものである。

法令上の位置づけ
他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、本日のみが「政令で定める日」と定められている。この規定に基づき、佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)を定め、「建国記念の日は、二月十一日」とした。

沿革
上述のとおり「建国記念の日」と定められた2月11日は紀元節と同日である。この祝祭日は、1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

国会での審議
紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出された。しかし、当時野党第1党の日本社会党保守政党の反動的行為であるとして反対した為、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。

その後、「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返すも、成立には至らなかった。1963年(昭和38年)6月20日には、衆議院内閣委員会において、委員長永山忠則が法案の強行採決を行ったが、これに抵抗した社会党議員らに体当たりされ、入院するという一幕もあった。

具体的に何月何日を記念日とするかについても、議論があった。日本社会党日本国憲法が施行された5月3日(憲法記念日)、公明党(旧・公明政治連盟)設立者、創価学会会長の池田大作サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日をそれぞれ提案した。民社党聖徳太子が十七条憲法を制定したとされる4月3日を主張し、朝日新聞も社説で同じ日付を提案した。

結局、名称に「の」を挿入した「建国記念『の』日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければならない。」と定めた。当の「建国記念日審議会」は、学識経験者等からなり、総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が1966年(昭和41年)12月9日に提出された。同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、二月十一日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を定めて公布し、即日施行した。

建国記念日制定運動
建国記念の日制定に至る活動で神社本庁が1955年に紀元節奉祝国民大会運営委員会を設立するなど、主要な役割を果たした。さらに日本郷友連盟日本遺族会生長の家など保守系団体が加わり、建国記念の日制定を求める世論形成に寄与した。

サンフランシスコ講和条約が成った1951年前後から神道界、保守系・右翼系の人物や団体が「紀元節復活運動」を始めた。神社界をはじめとする諸団体が「紀元節奉祝会」を結成(事務局は神社本庁)し、全国的に活動した。1954年に神社本庁紀元節祭を行い、傘下の神社に2月11日を紀元節という名前で祝うよう通達した。生長の家谷口雅春が1955年(昭和30年)に「日本建国の理想の復活」を謳って以後、生長の家信者は紀元節の復活を求める運動をした(谷口にとって、建国記念の日制定は明治憲法復活と日本国憲法廃止のための第一歩であった)。これに対し、野党、民主団体、労働組合キリスト教者、歴史学者などが紀元節復活反対を表明した。

 

 

きょうは何の日 2月8日

郵便マークの日 

 

1887(明治20)年2月8日、当時の逓信省は「今より (T) 字形を以って本省全般の徽章とす」とした告示しました。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

1887年(明治20年)のこの日、「郵便マーク(〒)」が決定した。

逓信省(現:総務省日本郵政)が逓信の「てい」にちなんで甲乙丙丁の「丁」と決定し、2月8日に告知した。しかし、世界共通の料金不足マークである「T」と紛らわしいことが分かり、「丁」ではなくカタカナの「テ」を図案化した「〒」とすることが2月19日付けの官報で発表された。

「郵便マーク」と呼んでいるが、正確には日本工業規格(JIS)において「〒」は「郵便記号」と呼称されており、「郵便マーク」は「〠」(顔郵便マーク)を指す。また、郵便記号(〒)は日本国独自のものであり、日本国外では郵便記号として利用することはできない。