教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

生活を綴る⑦

「生活を綴る」の最終回です。 

 

綴り方に取り組み始めて間もないころ、教師になって3年目(1980年)に出会った子の作品を紹介します。

 

母の仕事とくらし

                    5年 KR (1980.11)

 

「ピポパプポ。プルルルル、プルルルル。」
「もしもし、松五郎です。」
音楽といっしょにおみせから父の声。いつもの家の声より元気のいい声だ。
 わたしは、
 「おかあさんにかわって。」
と、言った。父は、
「ちょっと、まつごろう。」
と、言った。
 それから、母がでんわに出るまでまっていると、いろいろな声が聞こえてくる。音楽がながれている。
「いらっしゃい。ありがとうございました。」
これは父や母の声。
「どうや、こうや、アハハ。」
これは、お客さんの声。音楽にまざってたくさん聞こえてくる。その横で母もわらっているみたいだ。お店にいなくても声や音だけで、様子がうかんでくる。お店の中は、てってもさわいでいるみたいだ。母もわらったりしているれど、手をはやくあっちこっち動かして、お客さんにたのまれたものをつくっているだろう。お客さんとしゃべりながら、しゃべられながら。
 だが、お客さんがしゃべりかけてきているのに、むしするわけにはいかない。いろんなはなしをされるだろう。うれしかったはなし、いやだったはなし。うれしかったはなしをすれば、お客さんも母もたのしいだろう。いやだったはなしをすれば母はききづらいかもしれないけど、お客さんはすっとするだろう。母は、お客さんにたのまれたものをつくるだけじゃなくてお客さんの心をすっとさしてあげているんだな。

 

 父と母がやっているお店というのは、のみやみたいな店だ。店がはじまるのは、夕方の5時で、おわるのは、夜中の1時ごろだ。ふつうの家では、おとうさんたちが帰るころに出て行く。
 だから、オフロをわかすのにもこまる。私たちでできないことがあるときにもこまる。
 でも、そこで私ががんばらなければならない。家のかたづけ、お茶わんあらいなどたくさん仕事がある。

 どうしてこんな苦しい仕事にかわらなければならなかったのだろう。今の仕事は、私が1年生のと中ぐらいからはじめた。A市にきたのも1年生のと中だった。それまでは、B市にいて、父はふつうのサラリーマンで母もつとめていた。
 私ははっきりとおぼえていないけど、母は、
「今よりようち園の時の方がようお手伝いやってくれたで。」
とか、
「弟のめんどうもみてくれたしよかったわ。」
と、あてつけるように、お茶わんをあらいながらいう。わたしは、
「うん、そうかな。」
と思って、ちょっとはずかしくなる。
 でも、あそびたいし、ならいものもある。
 でも、日曜日はかかさずげんかんのはきそうじをしている。

 B市に住む前は、C県に住んでいて、父と母は、メナードけしょう品の仕事をしていた。その時は、生活が苦しかったそうだ。わたしが赤ちゃんの時だから、1階で仕事をしていると、私が2階で大きな声でないて、いつも1階、2階、1階とのぼったりおりたりしていたそうだ。その生活の苦しい時に、父は交通事故で入院をしたそうだ。それで母1人でまだ赤ちゃんの私と弟を育てていけないので、わたしだけC県からA市のおじいちゃんの所へひきとられたのだそうだ。その時は、わたしも母もすごくないたそうだ。わたしは、まったくおぼえていない。C県でやっていたメナードけしょう品の仕事から、B市にきたのは、生活が苦しかったからだろう。B市からA市にきたのは、家をひっこししなければならないようになったからだろう。

 

 今の仕事になって、父も母も帰ってくるのがおそくなった。
 私は、ある日の夜中の1時半ごろ目がさめてトイレに行った。すると、「トン、トン、トン。」と、かいだんをあがってくるような音。
「ガチャ、ガチャ。」
かぎをあけている。母だ。私は、大きな声で、
「おかえり。」
と、言った。父は、
「まだおきてたんか。」
と、びっくりしたような声で言った。
と、思ったら父と母は、
「おなかすいた。」
と言って、どてんとすわってしまった。もう目はとろんとしていて、すわりかたは、もうあかんというようななさけないすわりかただ。私は、台所に行ってお茶わんとおはし、それにれいぞうこにあるものを持ってきた。
 すると、父と母は、
「ありがとう。」
と言うと同時に、おはしをもって目をぎょろぎょろさせながら、よういをしている。私は、さっとお茶わんをとってごはんを入れた。父と母は、
「いただきます。」
と言ってから、いっせいにおはしでごはんを食べ始めた。
「おいしい。」
と、聞こうと思ったけど、手にはおはしをもって、おさらやお茶わんのうえで「カチャカチャ」なっている。目は、机の上で「ぎょろぎょろ」している。おそろしいぐらいすごいはやさで食べている。ごはん1ぱいなんて「あっ」というまだ。よっぽどつかれているんだなと思って見ていた。
 すると、
「ごちそうさま。」
といってからふとんでごろんとねてしまった。みていても目がまわりそうだ。

 

 もう、今の仕事になってから4年たつ。夜もなれてきた。
 学校から早く帰ってきて母がけしょうをしているのを見ていたら、かばんに薬が入っていた。わたしは、「あっ。」と思った。
 そして、私は、母に、
「なにその薬?」
と聞いた。母は、
「うん、ちょっとしんどいねん。」
と、ささやいた。私は、今までこんなことぜんぜんしらなかった。ときどき横になっている時があったけど、元気だとばかり思っていた。母がびょう院など行くようになったのは、仕事があんまりきついせいだろう。朝は、6時半におきて、ごはんの用意をする。そして8時ごろから10時までねる。それからそうじ、せんたく、ばんごはんの用意をすませる。そして、オフロにはいる。おけしょうをして、すぐお店に行く。5時から夜中の1時まで仕事。ねる時間は7時間だ。すごく少ないこともないけど、5時から1時まで立ちっぱなしだ。これじゃびょうきになるのもあたりまえかもしれないけど、びょうきになってほしくない。私だって、母の手伝いを少しでも多くしてあげれば、びょうきだってならないかもしれない。
 わたしは、どんなことがあるかとさっそく考えた。まあお手伝いはするけど、もっと母がたすかることってないかなと考えた。

 

 今日は、日曜日だ。お店も休みだし、学校も休みだし、「今がチャンスだ。」と思った。ばんになった。外は、もう暗い。「いそがなくっちゃ。」と思って、オフロにはいりながらも考えた。とうとうオフロからあがった。母をさがすと、もうふとんの中に入っている。
「あたりまえやろな、いつも帰ってきてねるのは夜中の2時ごろになるから。」
わたしもふとんにはいって天じょうをにらみつけながら考えた。しばらくすると、母はうつぶせになって、
「あしだるいわあ~。」
と、しんどそうな声で言った。そこでわたしはひらめいた。
「マッサージしたろ。」
と、わたしは言った。母は、
「しんどなんで。」
と、言った。わたしは、まあええやんという気持ちで、さっそく始めた。はじめに足のふくらはぎを右手、左手、右手、左手とこうたいごうたいに早くかるくたたいてあげた。それからせなかのまん中の2本のすじを母のこしの所ぐらいにまたがって、主に親指を使っておしたり、うでをもんであげたり、首をもんであげたり、それをまたくりかえしやっていると、あせが流れてきた。「きにしない、きにしない。」と思いながらつづけた。すると、母は、目を半分つぶって、
「気持ちええわ、よられ出そう。しゅ~う。」
と、わかりにくい声で言った。

 

 

 

私にとって忘れられない綴り方であると同時に、忘れられない子どもでもあります。

 

1980年の11月17日、集団推敲の公開授業をしました。その授業の時に使ったのが、彼女の綴り方でした。

家庭の中のことが出てくるということもあって、授業の数日前、母親に会いに行きました。自分の一生懸命の生き方に誇りを持っている、そんな感じがしました。

授業は、滅多にないほどの出来で、その後そのレベルを超えていないように思えます。授業の日の夕方、彼女の両親の店である「松五郎」へ飲みに行きました。


彼女は、鋭い感性の持ち主でした。中学進学に関わって親との関係に亀裂が生じ、加えて、中学校に彼女の受け皿がありませんでした。彼女は荒れました。喫煙、シンナー、異性との交遊……。鑑別所で会った時の彼女の目は寂しそうでした。


表現と認識、そして行動の統一を言い続けていた時期でしたが、それは実に難しいことです。彼女の綴り方で言うなら、最後の場面はマッサージではなくて、生活の一部を担い切るところまで迫るべきだったと思います。それができていないが故に中学校での荒れがあったのかもしれません。私の弱さです。

 

いま彼女は、A市に戻ってきて飲食店をやっているとのこと。一度、顔を出さなきゃいけないと思っています。

生活を綴る⑥

■計画的な綴り方(作文)指導■③

 

「計画的な指導」における記述指導を意識しつつ、「常日ごろの指導」の日記指導を行った5年生1学期の記録(学級通信の一部)より、「『くわしく書く』ということ」の続きです。

 

 

「くわしく書く」ということ(その4) 2003.5.12

 

 「yosh-kマジック」の最終回。「マジック」のタネあかし、いやネタあかしをしまょう。


 今回の「yosh-kマジック」の正体は、「思い出し直し」といいます。

 最初の作文を書くときに、「しっかりと思い出して、順序よく書こう」と言いました。ところが、人間の記憶というのはあやふやなところが多く、大事なことでも忘れてしまっていることもあります。SYさんの作文を借りて勉強したのは、大事なことを書き忘れてないだろうか、時間の順序はあっているだろうかと思い出し直すことだったのです。先生とSUさんの話を聞きながら、みなさんは自分のしたことを思い出し直していたわけです。


 こうした作業を「推敲(すいこう)」といいます。推敲には、余分な表現をけずるという作業もあるのですが、これはまた今度やりましょう。


 OHさんの作文を紹介します。

 

   田植え OH
 いっかい手でさわってみた。田んぼの中は、にゅるにゅるで気持ち悪かった。
 そして足を入れたとき、私の思っていたとおりのかんしょくだった。だんだん足をふみ入れていくと、足のうらがこしょばかった。
 田んぼの中には、こん虫がいろいろうかんでたから、ふくらはぎにあたって少しとりはだがたった。と中でこけそうになったからびっくりして、心ぞうがばくばくしていた。
(植え終えてからの十二行省略)

 

書き出し部分に、「『めっちゃ入んのいややな。かまれたらめっちゃいややん。いたそぉ。』私は親友のSとしゃべっていた。はっきり言って入るのはいやだった。」という4行があります。あってもいいのですが、田んぼに入ってからの会話の方がもっと大事だと思います。みんなの作文には話し言葉が少なかったです。

 

  初めて体験した田植え OH
 いっかい田んぼの中を右手でさわってみた。すると、にゅるにゅるだった。
 Kさんになえをもらって左手で持ったまま、はだしになって、とうとう田んぼの中に入るときがきた。私は右足からずぼっと入った。下まで入ったら、次は左をゆっくりと入れた。田んぼの中はすねぐらいだと思ってたのに、ひざぐらいまできていた。私はなえをおとさないようにぎゅっとにぎりしめて、自分の列までふみ入れた。ようやくついて、私は左手に持っているなえを右手のひとさし指と親指で二、三本とった。そして、こしをまげ、足をひらいたしせいで、かるくなえを植えていった。
 田んぼの中はこん虫がいっぱいうかんでいたから、だんだん植えていったらふくらはぎにこん虫があたって、とりはだがたった。
 と中でこけそうになったからびっくりして、心ぞうがばくばくした。
 ちがう列にうつるとき、後ろにいる人が植えたなえをふんだり、人にかけたりしないように、ゆっくりと右足から後ろにさがった。
 自分の列が終わったときは、もうみんなは地面に上がっていた。私も上がろうとしたけど、Kさんがしんどそうになえを植えていたから、私も少し手つだった。私はたりないなえをわたしたり、あいているところになえを植えたりするのを手つだった。
 やっと手つだいが終わって、地面に上がった。上がったら、Kさんがきて、
「植えてる時と目つきがちがうな。」
と言われた。私は、「よかったぁ。」と思った。

 

 今回のシリーズでは、最初にKTくんが出たっきりで、男子が登場しませんでした。女子の方が作文が上手だということではありません。先生の言っていることに精一杯こたえようとしてくれた結果だと思います。男子の「一生懸命」に期待します。

 

 

「くわしく書く」ということ(その5) 2003.5.13


 会話文を入れる練習をしました。
 話し言葉を入れることによって、場面が生き生きとしてきました。今回は、よみがえった男子の作文を5つ紹介します。
 KYくんとOSくん、TKくんの作文は、田んぼに入って植えるまでの部分です。「ぼくはなえを右手に持って、田んぼに左足からゆっくり入りながら言った」などという表現は、とてもいいです。

 

KY

「T、先に田んぼ に入れ。」
と、ぼくが言った。
「Yが先に入れよ。」
と、Tも言った。
「ほんじゃあ、おれが 先に入る。」
と、ぼくが言った。それから、Kさんに苗をもらって、そおっと田んぼに足をつけた。土はにゅるっとしてやわらかかった。
「どんな感じ。」
と、Tが言った。
「きもちいいぜ。」
と、ぼくが言った。

  

OS
「ここから入れば。」
と、T君がなえを植えながらぼくに言った。
「うん、わかった。」
と、ぼくはなえを右手に持って、田んぼに左足からゆっくり入りながら言った。
「どんな感じ。」
と、K君が言った。
「へんな感じ。」
と、ぼくは答えた。
 一番右の方から、四角になるように左手でていねいに植えた。

 

TK
「なんかいやだなぁ。」
と、ぼくは言った。
「はやくはいろ。」
と、友だちのSがいった。
 ドローンとした田んぼに入った。にゅるとして、ぼくは、
「きもちわるい。」
といった。

 

KM
 早速植えた。苗はうまく立った。どんどん植えていくと、ぼくの前に植えた人の所に来た。
「後ろに行きすぎるなよ。」
と、苗を植えながら言った。
「うん。」
T君が言った。
「どこ植えようかな。」
と、ぼくが言った。
「そこに植えたら。」
と、Fさんが言った。

 

 

OT

「おっ、ここずいぶんあいてるな。」
と、Fさんが言った。ぼくは手をとめて、Fしさんを見て、
「そお。」
と言った。いねのあいだをちぢめて、
「これでいい。」
と言った。
「おう、それでいい。」
と、Fさんが言った。
「わかった。」
と、ぼくは言った。
 Hきくんが後ろにいるので、ぼくは、
「よう。」
と言った。
「おう。」
と、H君が言った。のこったいねをどうしようと思っていたので、
「いねののこりあげる。」
と、ぼくは言った。
「ありがとう。」
Hが言った。

 

 KMくんとOTくんの作文は、植えているときの部分です。「ぼくは手をとめて、Fさんを見て、『そお。』と言った。」という表現、いいですね。

 

思い出しなおしの結果、不必要なくわしい記述というのも出てきます。今回紹介している作文にもいくつもあります。指導の初期段階ではそれでも良しとします。書き慣れるうちに淘汰されていきます。

生活を綴る⑤

■計画的な綴り方(作文)指導■②

 

「計画的な指導」における記述指導を意識しつつ、「常日ごろの指導」の日記指導を行った5年生1学期の記録(学級通信の一部)の続編です。

 

「くわしく書く」ということ 2003.5.8

 7日の国語の時間に、「田植えをしたときのことを、その時の様子が目の前に浮かぶように書く」という勉強をしました。その際に、
①10時30分から12時までのすべてを書く必要はない。自分が田植えをしている場面だけを切り取って書こう。
②「その時の様子が目の前に浮かぶように書く」ためには、したことをしたとおりに、しっかりと思い出して、時間の順序に従って過去形で書こう。しっかりと思い出すには、その時の手足や体の動き、周りの様子、会話などを手がかりにしよう。
という、2つのことに注意して書くように話しました。

 

授業で記述指導を行うには、共通体験を題材にするのが有効です。このときは「田植え」という活動体験を取り上げていますが、特別な出来事が必要ということではありません。ある年は、教室にたまたまハチが入ってきて、それを追い出すまでの数分間を題材にしたこともあります。またある年は、私が教室に入った瞬間からちょっとした「一芸」を終えるまでの数分間を題材にしたこともあります。

こうした共通体験を題材にすると、その後の「くわしく書く」学習で「共同推敲」が可能になります。推敲(思い出しなおし)についてはこのあと具体例を紹介しています。

 

 はじめて田植えをした YH

 田んぼの中に、右足をつけた。にゆるっとしていて、下の方が冷たくて、上の方は少し温かかった。
 ついに、両足を入れた。足の指の間にどろがぐにゅっと入って、少し気持ちわるかった。

 

 YHさんの作文の書き出し部分を紹介しました。初めてはだしで田んぼに入った感触を、しっかりと思い出して書いています。いいです。

 

 次に紹介するのは、KTくんの作文の書き出し部分です。植えるところが具体的です。ここが今回の作文で大事な所です。

 

田植え KT

 足をどろの中に入れた。どろは思った以上にぬくかった。きもちわるいようなきもちいいような、びみょうなかんじだった。
 なえを右手に持って、左手でなえをどろの中に植えた。

 

 最後に紹介するのは、SUさんの作文の全文です。場面の切り取りがうまくできました。初めて田植えをした場面だけを切り取り、他はすべて捨てています。さらに、書きぶりも今回の作文では一番よくできていました。

 

初めての田植え SU
 足にぬるっとしたどろがついた。私は、「キヤー。」と言った。Kさんになえをもらって植え始めた。四角になるようにうめた。
 なえを持って手をどろの中へおもいきっていれると、手がぬるぬるっとした。
 次の列へ行こうとすると足が動きにくかった。バランスをくずさないように動くのは、とてもむずかしかった。なえを二、三本ずつ植えた。はばを開けて一つ一つていねいに植えた。どろが体操服にびちゃっと付いたり、足にもたくさんついた。それでも、まだ自分の場所は終わらなかった。すこしつかれた。でも、自分の場所はあと二、三列あった。小さな声で、「つかれたあ。」と言った。そう言っている間に、最後の一つ。心の中で、「やったあ。」とさけんだ。

 

 さて、SUさんの作文を使わせてもらって、「したことをしたとおりに順序よく書く」ということを勉強しましょう。 とてもきびしい1時間になりますが、SUさんは精一杯努力してください。ほかの人たちは、先生が何を質問し、SUさんがどう答えるかをよく見て、よく聞いてください。授業の終わりには、SUさんの作文はさらにさらにすてきになります。
 それでは、名物「yosh-kマジック」のはじまり、はじまりい!!

 

授業の実際は、私がSUさんを質問攻めにします。「田んぼに入る時の体の動きは?」「そのときに何か言った?」「入った時の感触は?」……。次々と質問し、引き出した答えから元の文章を膨らませていきます。

周りの子には、SUさんが何をどう尋ねられているかに注目させます。そうすることで、「くわしく思い出す」視点を学ぶのです。直接質問されているのはSUさんですが、共通体験ですから質問内容を自分の文章に生かすことが容易にできます。

 

 

「くわしく書く」ということ(その2) 2003.5.9

 

 「yosh-kマジック」の洗礼(せんれい)を受けたSUさんの作文は、はたしてどのように変わったのでしょうか。

 

   初めての田植え SU
 足にぬるっとしたどろがついた。両足を入れるのは、努力がいった。私は、足にどろが付くのがきもちわるくて、「キャー。」と言った。
 Kさんがなえをわたしてくれた。なえを右手で持って、二、三本ずつ植えた。はばを開けて一つ一つていねいに植えた。
 次の列へ行こうとすると、足が動きにくかった。足がどろからぬけなかったからだ。左足からうしろの列へ行って、あとから右足もうしろの列へ動かした。バランスをくずさないように動くのは、むずかしかった。足を一歩うしろにさげると、どろが体操服や足についた。
 自分の場所は、二、三列あった。となりのYちゃんの列を見て、あと二、三列あるとわかった。Yちゃんは、もう終わっていたからだ。
 小さい声で、「つかれた。」と言った。ひざをまげて、こしを丸くしていたので、ひざはいたくて、こしもいたかった。
 そう言って植えている間に、最後の一つを植えるところまできた。これが最後と思うと、「やったあ。」とさけんだ。じぶんでもがんばったなあと思った。

 

 どうでしたか。
 時間の順序が整理できた(その結果、段落の区切りがとてもよくなった)こと、書き足りなかった部分のいくつかを書き足してわかりやすくしたことなど、努力のあとがはっきりと見えます。Very Good !!

 

YHさんもバージョン・アップ
 「yosh-kマジック」のすごいところは、その威力(いりょく)が他の人にもうつるという点にあります。№9で紹介したYHさんの作文の続き(下を見て)と、「マジック」後の作文を紹介しましょう。

 なえを手に持って、ついに植えた。ピッとさしたら、すぐにささった。でも、あながふかくて、なえがかくれてしまった。とちゅうでこけそうになった。でもこけなかった。少しあぶなかった。だって、後ろにさとみちゃんの植えたなえがあった。でもたおれなかった。

 

   初めて田植えをした YH
 田んぼの中に、右足をつけた。にゅるっとしていて、下の方が冷たくて、上の方は少し温かかった。
 ついに、両足を入れた。足の指の間にどろがぐにゅっと入ってきて、少し気持ちわるかった。
 Kさんがりょうを考えながら用意してくれたなえを、受け取った。左手になえを持ち、もう一度田んぼに入った。こしをぐっとまげて、ひざも少しまげて、植えた。
 Kさんが、一列目だけ見本で植えてくれた。その列にあわせて、横へ横へ植えた。
 後ろへ動くとき、少し足がどろにへばりついたようになっていて、ぬけなかった。かた方はくっついていなかったけど、かた方の足がぬけたいきおいで、もうかた方もくっついた。でもとれた。
 次の列、次の列へゆっくりあわてずに植えた。とちゅうで、深くあいている穴があった。そこは周りのどろをあつめてうめて、植えた。
 なえは、ピッとさすとすぐにささった。
 だんだんとつかれてきて、思わず、「はあ。」と言ってしまった。

 

 

「くわしく書く」ということ(その3) 2003.5.12

 

 「yosh-kマジック」はまだ続く。FNさんの作文を紹介します。どちらもおしまいの9行分をカットして、場面を切り取っています。

 

   初めての田植え FN
 ドロドロした所へ入るのは、少しこわかったけど、勇気を出して足を入れた。足がだんだんとしずんでいった。下のほうは冷たかった。足を動かすときに、なかなか足がぬけなかった。歩いていくと、ニュルニュルして気持ち悪かった。石もあって、いたかった。

 

   初めての田植え FN
 右足から、田んぼに足を入れた。ゆっくり、田んぼの中にしずんでいった。下の方は、ひんやりとしていた。両方の足を入れたら、両方の足がゆっくりしずんでいった。
 なえを左手にもって、右手でなえをうえた。手を田んぼに入れると、そこに土がなかって深かったから、土をもってきてうえた。一列が終わって、次の列へ行こうとおもって足をあげてみると、あがらなかった。五回ぐらい足を引っぱって、やっとぬけた。ぬけたけど、バランスが悪くてこけそうになった。でも、「こけなくてよかった。」と思った。
 三列目、四列目になってくると、足やこしがいたくなってきた。でもがんばって、なえを全部植えた。心の中で、「やった。」と思った。

 

  とてもていねいな記述(書きぶり)になりましたね。
 手足の左右を意識して書いた人が増えました。先生が、SYさんにそういう質問をしたからだと思います。「まなぶ」というのは、「まねぶ(まねる)」というのが語源だそうだから、いいと思ったことはどんどんまねてください。自分の書きたいことを表現するのに、本当にその記述が必要かどうかは、今は気にしなくていいです。


 さて、今度はSYさんの作文を紹介します。最初の作文は、青豆を植えたところから4行分をカットしました。2回目の作文は、最後の2行をカットしています。

 

   初めての田植え SY
 田んぼに入るときがきた。私は、なえをもらって、田んぼに入った。入ったときは、すごいかんしょくだった。
 そして、田植えが始まった。順番になえを植えていった。動くとき、少し動きにくかった。でも、だんだん楽しくなってきた。そして、植え終わった。

 

   初めての田植え SY
 いよいよ、田んぼに入るときがきた。田植えは初めてなので、少しドキドキした。
 Kさんになえをもらって、田んぼに入った。田んぼに入ったときは、むにゅっとして気持ち悪かった。そして、なえを四角に植えていった。後ろに動くとき、足がなかなかぬけなくて、ひっしだった。
 植えていっているうちに、だんだん楽しくなってきたし、なえを植えるのが早くなってきた。だから、何回もなえを取りにいって、植えた。
 そして、最後の一本。「やったあ。終わった。」と心の中で思った。

 

 とてもわかりやすい文章になりました。最初は「すごいかんしょくだった」と書いていたのを、「むにゅっとして気持ち悪かった」と書きかえました。「すごいかんしょく」では様子がうかんでこないけど、「むにゅっとして」と書くことで感触(かんしょく)が具体的になりました。


 ところで、2回目の作文のカットした2行には、「田植えは初めてだったけど、とても楽しかった。5年生の思い出になった。」と書いてありました。みんなも日記や作文の最後によく書いていますよね。先生は、これはない方がいいと思います。「楽しかった」と書かないで、文章を読んだ人が「ああ、楽しかったんだなあ」と感じてくれるように書くことが大事だと思います。

 

 

生活を綴る④

■計画的な綴り方(作文)指導■

 

 「計画的な指導」とは、本来的には、国語科の年間指導計画に位置づけて行う作文指導のことである。

 

 私は、『現代つづりかたの伝統と創造』(国分一太郎 1982年)と『日記指導と生活綴方』(橋本誠一 1979年)から多くのことを学んだ。

 国分さんは1911年生まれで、先の著書が出版された3年後に亡くなられている。私にとっての国分さんは、理論的支柱だ。一方の橋本さんは青森の人で1930年生まれ。私は、19800年に岡山県で氏の実践を聞いた。50歳とは思えないエネルギッシュな人で、確か学級開きの日のくだりだったと思うが、「『大』という字は、なぜこう書くか知ってるか。」と言うなり、机の上に両手・両足を広げて立ち上がられたのを今も鮮明に覚えている。それは、子どもたちを学びの世界の引き込む、鮮やかな技だった。後の政治的発言では幻滅したが…。それはともかく、私にとっての2冊のバイブルは今や絶版となってしまっている。

 

 以前の教科書は、不十分ながらも系統的な作文指導をめざしていた。だから、年間指導計画を修正すれば、作文指導に充てる時間を確保できた。しかし、今般の教科書ではそれは難しい。(この文章は2014年3月ごろに書いたものですので、現状は一層厳しいと言えます。)

 したがって、年間計画の中に指導の時間をつくるか、「常日ごろの指導」に「計画的な指導」の要素を持たせるか、何らかの工夫をしなければならない。--というのが客観的な状況である。

 当面の目標としては、すべての教室で「しっかりと思い出して展開的過去形で綴る」力を育てることをめざしたい。

 


 次に、「計画的な指導」における記述指導を意識しつつ、「常日ごろの指導」の日記指導を行った5年生1学期の記録(学級通信の一部)を紹介します。

 

「日記を書こう」シリーズ① 2003.4.21


アンテナを張って生活しよう


 1週間日記の宿題が続いた。ある人が、書くことがなくて困っているという日記を書いていた。習い事や買い物などに行ったことと、遊んだことが、「題材」の多くをしめている。そうしたことのなかった日は、「書くことがない」となってしまう。ところが、日記のネタというのはどこにでもあって、しっかりとアンテナを張って生活していると、実にたくさんの「書くこと」に出合っているのだ。紹介しよう。

 

「家のくらし」編

 

四月十七日 わらび UM
 今日、おばあちゃんとわらびをつみに行きました。森みたいな所に入ったりしました。半ズボンだったので少しかゆいし、いたいでした。
 わらびは、大きいものも小さいものも中くらいのものもありました。三十センチぐらいのから十センチぐらいまでありました。
 とてもたくさんとりました。たくさんとったらとてもおもたかったです。でも、たのしかったです。

 

四月十六日 料理 KY
 今日、お母さんのお手伝いをしました。そのお手伝いとは、料理を手伝いました。私が何をしたかというと、最初はハンバーグを焼きました。ひっくり返すのがむずかしかったです。ハンバーグをフライパンに入れるのは、こわかったです。
 次に、サラダの味つけをしました。まず最初に、さとうを入れます。そして次に、すを入れます。最後に、マヨネーズをたっぷり入れます。最後に、なっとうにたれを入れたり、なっとうを皿に入れたりしました。最初はなっとうを入れただけでまぜました。まぜにくいでした。たれを入れてもう一度まぜました。そしたらかん単にまぜられました。また、料理を作ったりしたいです。

 

後略

 

家族と一緒に働いたこと、お手伝いしたこと、そしてテレビの番組や読書した本のことなども、みんな日記のネタになるんだ。いつもいつものことだけど、いつもよりちょっと心を動かされたことを、しっかりと書きとめよう。

 

 

「日記を書こう」シリーズ② 2003.4.21


アンテナを張って生活しよう②


 きみたちは、1日のかなりの時間を学校で過ごしている。登下校の時間を合わせると、3分の1以上になる。友だちと過ごす時間や授業の中で、実にたくさんの「書くこと」に出会っている。登下校の途中でだって、やっぱり出会っている。ある人は、「やっと、桜が咲いてきた」と季節の移り変わりを書きとめていた。これも大事な日記のネタだ。今回は「学校生活」にしぼって紹介しよう。


「学校生活」編

 

四月十七日 集会の練習 OH
 今日、体育館で集会の練習がありました。きんちょうしました。私は、「はじめにグループごとにあつまって、グループの名前を決めてもらいます。」という言葉でした。
 三年生の時も集会に入ったけど、もう二年たっていたので、少しはずかしかったです。本番になって私はドキドキしていました。その時は順番に言うことになっていて、私は四番目でした。
 そして、私の番になりました。「はじめにグループごとにあつまって、グループの名前を決めてもらいます。」と言いました。練習の時はすこしくらかったけど、本番の時はましになりました。その時はほっとしました。これからもがんばっていきたいです。  

 

四月十七日 理科の勉強 KH
 今日、五・六時間目理科がありました。米のことについて勉強しました。初めて知ったことは、ビーカーに塩を入れて米を入れると、うくやつはすてて、しずんだやつはつかうという方法でした。もっとすごかったのは、おふろに米を入れて芽を出させる方法でした。はやく芽をだしてほしいです。

 

後略

 

 5年生になってわずかの間に、何とたくさんの学びとの出会いがあったのだろう。その出会いをきちっと書きとめている人がいる。すてきだ。振り返り書きとめることで、確かな自分の知識になる。

 

 

以後、「日記を書こう」シリーズは1学期中に⑦まで発行しています。「題材」指導と友だち理解がねらいです。

 

生活を綴る③

■常日ごろの綴り方(日記)指導■

 

 「綴る」という学習は、「常日ごろの指導」と「計画的な指導」に分かれる。このうち、「常日ごろの指導」は、日記指導と学級通信(一枚文集)をセットにして取り組むのが一般的である。

 

日記指導をこのように  (1988.4)

 

■なぜ日記を書かせるのか


 私たちが日記というとき、それは生活を綴るということを意味する。私たちは、生活者としての子どもが自らの生活台に立って、自分の生活を切り拓いていくことを願っている。生活綴り方はその重要な手段である。子どもたちにひとまとまりの文章を書く力をつけていくための日常的な耕しの場として日記がある。

 日常的な耕しとは、文章表現力をつけるということと、それ以上に重要な要素として、ものの見方・感じ方・考え方を育てるということである。

 つまり、一言で言うならば、子どものものの見方・感じ方・考え方を耕し、生きる力を育てていくために日記を書かせる(一般的にそういう表現をするのでそれにならっているが、個人的には書かせるという言い方には抵抗がある。)ということになる。

 

■何を書かせるのか


 生活を綴るということは、単に生活を記録するということではない。よりねうちあるものへと生き方を高めていくねらいをもっているのだから、それに目を向けさせていかなくてはならない。具体的には…


①自分自身……自分を抜きにしたところでの日記など存在しない。何に取材しようとも、それと自分との関わりあいにおいて書かなくてはならない。その大前提の上に立って、自分がしたこと・見たこと・聞いたこと等の中からいつもと違うことを書く。


②ともだち(学級)……友だちのことで感心させられたことやみんなで考えたいと思うようなことがらを大事にする。


③家族……消費生活ではなく、労働やそれにつながる家庭での会話をこそ大事にする。自分が体を動かして働いたことも大事にしていきたい。


④自然……四季の移り変わりや、それと人間の生活との関わりを書く。


⑤社会……身近な問題や、高学年になってくれば世の中の動きについて、それと自分との関わりあいを大事にしながら目を向けさせていく。

 

■具体的な指導プラン


 ここでは、低学年を意識しながら具体的な展開を提案してみたいと思います。


(1) 一つのことに絞って書くことの指導


 最初ですから、取材はもっぱら自分自身ということになると思います。そこで、次のような投げかけをします。

 

日記には、一日の中で 一番おもしろかったこと 一番おどろいたこと 一番悲しかったこと 一番頑張ったこと 一番楽しかったこと 一番くやしかったこと 一番忘れられないこと 一番困っていること を書きましょう

 

 できれば参考になりそうな作品(その学級のものであればいうことなし。なければ以前自分の学級で書かれたものでもよい。それもなければ他人さまのものを拝借する。)をいくつか紹介してやると子どもにもわかりやすいと思います。そして、それからしばらくの間、赤ペンによる個人指導を続けながら子どもを励ましていきます。取材の広がりについてもちょっと赤ペンを。

 

(2) 順序よく書くことの指導


 一つのことに絞って書く(国分一太郎さんは“えらばせる”という言葉でそのことを言っている。)ことが一定できるようになってきたら、展開的過去形で書くことを指導したいと思います。


 日記でも作文でもいいですから、そのクラスの共通体験(○年生になった日のこと、視力検査の時のこと、みんなで花を摘みに行ったこと、休み時間にあったこと、など)に取材したものを題材にして授業を組みます。


 一人の子どもの作品をプリントして配ります(模造紙に書くのもよい)。まず、書き出しをどうするか決めます(場面の切り取り)。そして、その時のことを作者を中心にしながら順序よく思い出して書き足していきます。もちろん作者が思い出せないときは周りの子が援助すればいいのです。順序よく思い出して書くということが具体的にりかいできたところで、個々の作品の書き足しをします。


 1時間の授業の後は、日常における個別の指導の繰り返しと、併せて時々共通課題の文章(日記でもよい)を書かせてみて紹介してやればいいと思います。


(補足)展開的過去形で書く指導……「したことをしたとおりに、見たことを見たとおりに、聞いたことを聞いたとおりに、時間の順序に従ってよく思い出して、過ぎ去りの形(過去形、でした・ました)で書く。」

 

 


入門期の文章表現指導講座 (1988.5)


 「入門期」というのは1年生と同義語ではありません。確かに、主として1年生の文章を書き始める時期の指導が中心になりますが、「やり直し入門期」の指導も含めて、ここでは「入門期」という言葉を使います。


 「やり直し入門期」という言葉について少し触れておきます。いわゆる入門期の指導をしても、それがすべての子どもに定着していないことがあります。あるいはまた、時には入門期の指導がきちんとなされていないことだってあります。そうした子どもたちに対して、たとえ何年生になっていようとも、再度入門期の指導をしなくてはなりません。その中身についてはこれから徐々に触れていくとして、ともかくもそれを「やり直し入門期」というわけです。


 入門期の目標は、すべての子どもに展開的過去形の文章が書ける力をつけることです。したがってまた、やり直し入門期のめざすところもここにあります。


 えらばせるということを大事にしなければなりません。よりねうちのあるものをえらばせるという中身については、ここではおいておきます。


 ことばには内言語と外言語とがあります。内言語というのは、頭の中での思考の際に使われていることばをいいます。それに対して外言語というのは、表現として外に出てくることばや書きことば(文字)をいいます。そして、内言語が翻訳されて外言語になるのですが、この翻訳が子どもにとっては大人が思っている以上に困難な作業なのです。なぜなら翻訳に使える辞書もないわけで、それはたくさん読んだりたくさん書いたりという経験によって自分のものになっていくものだからです。ですから、子どもに思ったとおりに書けというのはたいへんな暴言なのです。ところが実際にはこれがとても多いですよね。まず、子どもには事実をよく思い出して書くことを求めることから始めるのがいいのだということになるわけです。

 

 

■先達の実践に学ぶ


(1) 絵日記から始める
 ある先生は、1年生の4月8日に日記帳を渡されるということである。これはマス目も罫線もない白いノートだそうで、ここに子どもたちは絵で日記を書いてくるのだそうだ。ぼくは、絵日記というのは上に絵を描いて下に文を書くものと思い込んでいたのだが、なるほど絵だけでも立派な日記になるわけだ。そして、1日に何人かの子どもの絵から聞き取ったことを文字にして入れてやるのだそうだ。何日か続ける中で絵の変化を大事に聞いてやって、それを文字にしてやるということもするらしい。


(2) 展開的過去形で書く

 展開的過去形で書く力をすべての子どもに…(省略)


(3) 会話文を入れる
 展開的過去形の文章を書かせる中で、会話文を入れる指導をしていく。まず、2人でごっこ遊びをして(例えば、一人がお店屋さんになって、もう一人がお客さんになる)、双方のやりとりを「   」に入れて書き取っていく。それができるようになると、次には3人で同様のことをする。つまり、2人の会話を第三者的に聞き取って、“○○が「……」と言いました。”という形の会話文に書く練習をするのだそうだ。


(4) 題名を付けさせる
 1年生の3学期ごろになると、日記にも題名を付けさせる指導をするそうだ。これは、場面を切り取るということで、文章の書き出しとかかわって大事なことらしい。


(5) その他
 この先生は年に4回ほど版画に取り組まれている。日記から場面を選び、版画文集を作られている。5月には最初の文集ができるというからすごい。


※以降省略


 以上のように、「常日ごろの指導」においては、文章表現力とともに価値観(ものの見方、考え方)を育てることを大事にする。

 

生活を綴る②

■生活綴り方の伝統に学ぶ■②

 

生活綴り方の伝統

 

前回の続編になります。

次に紹介する文章は、国分一太郎さんの著作と思われるのですが、出典の記載を漏らしていて確認できていません。

 

生活綴り方教育の実践者が伝統的に大事にしてきたこと


 生活綴り方の実践者たちはひとりひとりの子どもたちを固有名詞で生き生きとしてとらえてきた。学校・学級や家庭・地域の子どもについて語る時、生活綴り方の実践者たちは、子ども一般としてではなく、だれそれはいつこうだった、だれさんはこういうふうにしてものを語りかけてきたと、いつも、ひとりひとりの固有名詞を出して、子どもについて語ってきた。それは、ある日ある時のひとりひとりの子どもたちの動きやすがたを、その心のなかのことまでふくめて、しっかりととらえ、教師の心のなかに深く刻みつけているためである。子どもをとらえるというとき、ある日ある時、あるところで、ある状況のなかで、どの子どもがどうしたかということを具体的なかたちでつかみとることなしには、本当に子どもをとらえることはできないという、教育におけるリアリズムの精神をしっかりと身につけているからである。

 

② 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもたちを国や地域の現実・環境のなかの存在としてとらえてきた。子どもたちもまた社会的、歴史的な存在としての人間であるからには、ひとりひとりのすがたや動きのは何らかのかたちで周囲の影響をうけて生きている。だから、子どもたちのすがたや動きのなかにはそのときどきの国や地域の政治・経済・社会・文化などの影響がさまざまな形で反映されてきている。子どもたちの書く綴り方をとおして、それをたしかにつかみとるこみとを生活綴り方のよき伝統のなかから正しくうけついできたのである。国と地域や子どもたちの人間関係について語る時にも、それを子どもたちの具体的な動きやすがたをとおしてつかみとることもできるのである。子どもを総体としてつかむことはまさしく生活綴り方の実践者たちが実践のなかで自分たちのものにしてきたことであるといってよい。

 

③ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもたちを、子ども集団のなかの個人としてとらえてきた。子どもたちを生き生きととらえるということは、子どもをとりまく環境のなかでとらえることであるとすれば、直接子どもたちが仲間入りしている子ども集団のなかのひとりとしてしっかりとらえることはいっそう大切なことである。学級集団、学校集団、地域での子ども集団のなかでどういう存在なのか、どんな影響を、どういうかたちでうけているのかをつかむことが、より子どもを理解するのにつながることだということを、実践のなかで知っているからである。また、そのことは、子ども集団がどういう質の集団であるかをもしっかりとらえることをぬきにできないことも知っている。

 

④ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもを生活者、学習者として日に日に自己を発達させていくものとしてとらえてきた。子どもたちは自然や社会や文化のなかで生活者としても、学習者としても、生きている。そのなかでさまざまな働きかけをしたり、働きかけをうけながら発達していくものである。程度の差はあれ、みずからの主体をはたらかせ自己発達をとげていくものである。そのため、わたしたちは、「あそび」のなかで、「労働」のなかで、「文化的欲求」をみたそうとするなかで、「学習」のなかで、自己を発達させようとしているものとして、子ども・青年をとらえてきた。今日のような子どもをめぐる自然や社会や文化の状況のゆがみがきわだっているときにも、われわれ生活綴り方の実践者たちは、子どもの発達可能性に期待をかけて子どもたちをとらえていこうとする。状況への悲観的思いをつのらせながらも、子どもたちは日に日に自己を発達させていく主体として子どもをとらえていくことにいささかのためらいも抱きはしない。

 

⑤ 生活綴り方の実践者たちは、ひとりひとりの子どもの感性、感情の内面にまでくいこんでとらえてきた。文章表現という行為は、子どもたちの意識や感情の働きと無関係なところでおこなわれるものではない。そのため、生活綴り方をとおしてひとりひとりの子どもたちの感性、感情の内面の動きについてたえず敏感に感じとりながら、その内面の深くにしみこむような働きかけをしてきた。そのことが、子どもたちの豊かな表現を導きだすきめ手だとも考えられてきた。したがって、生活綴り方の実践者たちは、たえず、ひとりひとりの子どもたちの感性、感情の内面まで深くくいこむような働きかけに心をくだいてきた。そこから「心の琴線にふれる」とか、「心のひだにくいこむ」などという生活綴り方特有の指導語までを生むにいたった。子どもを生き生きとつかむということは、子どもたちのうわべのすがたや動きだけでなく、その内面にまでくいこむようなこまやかなとらえ方をもふくめてのことであることを、われわれ生活綴り方の実践者たちはよく知っていたのである。

 

 

生活綴り方の伝統は、「日本作文の会」という民間教育団体に受け継がれ、発展していきました。当然、その中心に国文一太郎さんがいたことは言うまでもありません。

 

 

生活を綴る①

生活綴り方などと言うと、国語教育の範疇と思われるかもしれません。私にとっての生活綴り方は、学級通信とともに児童理解や学級集団づくりの重要なアイテムでした。「学級通信」や「生活綴り方」を「学級経営・集団づくり」のカテゴリーで取り上げているのはそのためです。

 

生活綴り方とPISA型学力


PISA型学力を強く意識した学習指導要領によって、国語科における「書く」活動も従来の作文とは様変わりしました。従来から系統的な作文指導と言うにはあまりにも不十分なものでしたが、今や見る影もありません。時代は、「論理的表現力」一色です。


PISA型学力というのは、論理的な「読む」「書く」力です。雑な表現ですが、情緒的な読み書きから、筋道だった読み書きへの転換と言ってもいいでしよう。

とりわけ「書く」活動では、自分なりの意見を持ち、それを分かりやすく発信することが求められています。「分かりやすく発信」するためには、論理的な(筋道だった)表現のスキルが要ります。「まず結論を書く。その後に理由を書く」といった類いのスキルです。

 

さて、分かりやすく発信ということに焦点が当てられがちですが、大事なことが抜けています。

それは、何を発信するかという「中身」の問題です。

“自分なりの”という言葉は、実に都合のいい言葉です。何だっていいのだという解釈さえ成り立ちます。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。


自分なりの意見を持ち」に注目してみましょう。

「意見を持ち」の前段には、テキストやグラフなどを正しく読み取るという作業があります。そのためのスキルも必要です。その上で、「自分なりの意見を持つ」ということになるのです。

 

どんな意見を持つかは、個々人の内面の活動です。そこにはスキルなどありません。では、教育は無為でいいのでしょうか。

 

生活綴り方は、内省つまり、自分の考えや行動を深く顧みることを大事にします。

それは、事実をていねいに綴る指導と赤ペンによる励ましの積み重ねの上に育つ力です。

自分をしっかりと見つめられる子どもは、周りもよく見えるようになっていくのです。自分の考えを持てるようにもなっていきます。

私の浅い実践の中にでも、そうした子どもが幾人もいました。--この力こそ、「自分なりの意見を持ち」云々の基盤になるのではないでしょうか。私は、そう考えています。

 

したがって、少なくとも低学年においては、論理的という前に事実を丁寧に綴る指導を、高学年においても並行しての指導を行う必要があると考えています。

 

論理的表現力のご時世に生活綴り方を取り上げる所以です。

 

 

 

1988年、何人かの教師仲間向けに出していた通信で「生活綴り方夏期講座」なる連載をしたことがあります。「生活を綴る」では、その一部を紹介していきます。

 

■生活綴り方の伝統に学ぶ■①

 

生活綴り方とは

 

 ここでは、「生活綴り方」とは何かということを紹介する。一言で言えば、それは、東北の土の匂いの中で育まれた教育の営みである。

 

 国分一太郎著の『生活綴方事典』(明治図書)には、次のように生活綴り方が定義されている。

 

 生活綴方とは、生活者である子どもたち(または、おとなたち)が、外界の自然や社会、人間の事物、または自他の精神の内部にふれたときに考えたことや、感じたこと、つかみとったものを、それが出てきたものである事物の形や動きとともに、ありのままに具体的にいきいきと文章に表現したものをいう。この際生活綴方に「生活」という限定詞を加えるのは、生活者が書くからであり、「綴方」といわれるのは、大正のはじめ以後わが国の民間教育運動のなかで育ったリアリズムの綴方の伝統・遺産をうけついだ性格の表現をとらせるからである。また、この生活綴方の作品では、自分のものとなったコトバ、体験に裏づけられたコトバで書かれることをことのほか大事にする。
 つまり、生活文即生活綴り方ではない。生活綴り方とは、生活者が自分のものになった言葉で書く、リアリズムに徹した作文だと言える。また、書くという仕事を単に表現の指導だと短絡的にはおさえない。そして、ひとまとまりの日本語の文章をかかせる手順については、厳しい条件を要求する。書くものの本質や、相互関係的意味とねうちを見出すこと、事実にもとづいた思想・感情はもちろん、書き手である子どもたちの観察力・想像力・思考力をのばすとともに、ある種の固定観念や偏見などから解放して、自由で個性的な自我を確立させ、人間的な社会的連帯感を養うことまでめざすのである。 

 


生活綴り方の起点


その背景として北方性教育に触れておく必要がある。


 北日本国語教育連盟「北方性とその指導理論」(『綴方生活』1935年 7月号)には、次のようにある。

暗い空の下で、やせた土地をかかへて、しかも愚鈍に生きて来た幾世紀の地方の歴史は、時代といふ現実にはげしい苦難を与へられた。しかもこの第一の苦難は、肉体的なもので、極端な経済窮乏の形をとってあらはれた。次に来るべき当然の受難は、思想の問題でなければならない。」そこで、教師たちは、「うそでない事実、眼前の考え方、生き方を止揚することによって、より健康な、より明朗な生活へ前進する新興生活教育運動の一翼として態度」しようとする。

そして、いう。

……北方の子供たちは、北方の文化を開拓する一歩前進への散兵だ。私達はこの散兵を指揮しなければならない。私達の標準は、正しい社会発展への明確な角度として散兵の協働性を要請する。北方の生活台に立って、北方の子供らしい生き方がこの地帯の生活性としての協働の役割となって来るのである。先づ私達は、北方の子供たちにはっきりとこの生活台を分らせる。暗さに押し込める為めではなく、暗さを克服させるために、暗いじめじめした恵まれない生活台をはっきり分らせる。分ったために出て来る元気はほんたうのものであると私達は考へてゐる。……


・国分一太郎「綴る前の指導略図」(『工程』1935年 9月)

 生活から学び、生活を大事にし、生活の眼をひらき、生活の姿勢を正し、生活を深め、生活を進める、常住不断の教育営為を「綴る前」の指導というゆえんは、イ、何にこそ感動したらいいか--生活感情の豊かさと深さを、ひろめ、ふかめる仕事である。ロ、何をこそ求めたらいいか--生活態度の前進・昂揚の迫力をます指導である。ハ、イとロとは、「何を」観察し、反省し、行動するかを教えて、表現に際しての、細心な観察と、厳しい反省と強い断定をもたらす。