前回2025年11月10日に、垂井宿から大垣宿まで歩いてから随分間があいた。
街道までのアクセス時間を考えると、日の短い冬場は避けたい。ーーそんなわけで、冬の間に京街道を歩いた。
春の訪れとともに再開である。
大垣宿~墨俣宿~須賀
今回は、大垣宿から墨俣宿を経て、名鉄須賀駅まで歩いた3月2日のたびである。
前回、垂井駅までは車で行ったが、この先のアクセスはすべて鉄道を使う。朝7時半頃に家を出て、JR大垣駅に着いたのは11時ごろ。大垣駅に、前回のたびの終わりに食べたおいしい卵かけご飯の店がある。まずはそこで、歩く前に腹ごしらえ。
大垣駅から1時間ほど歩いたところにクスノキの大樹がある。「宮脇家」のものと、手元にある案内書に出ている。

そのすぐ先が揖斐川で、かつて「佐渡(さわたり)の渡し」があったところである。

佐渡常夜灯の脇にある説明板にはこう書かれている。
佐渡常夜燈
この常夜燈は、嘉永七年(一八五四)に佐渡の渡しの航路標識、航行安全祈願および伊勢両宮への献灯のために建立されました。佐渡の渡しは、佐渡川(現揖斐川)で隔てられた美濃路を佐渡村(現大垣市東町)の渡船場と対岸の西結(にしむすぶ)村( 現 安八町西結)の渡船場で結ぶ航路であり、当時の川幅は堤から堤まで約百四十三間(約二五九メートル)、常水時は約五十間(約九十メートル)余りでした。通常は渡し船が二艘、予備として鵜飼船が二艘用意されており、その新造や修理は大垣藩の費用で賄われていました。また、将軍や朝鮮通信使が通行する際には、渡船場のやや下流に船をつなぎとめ、その上に板を敷いて橋とする船橋(ふなはし)が架設されました。
新揖斐川橋から見る揖斐川。渡しがあったのは川幅が狭まったあたりか。

橋からは岐阜城や伊吹山が見える。


橋を渡った先には、サンシュユの花が咲いていた。街路樹にサンシュユが植えられているのを初めて見た。

通りすがりの庭に紅梅が咲いていた。

新揖斐川橋を渡ると安八郡安八町。輪中地帯である。おしゃれな水防倉庫が建っている。

墨俣城の近くを通過。
秀吉の墨俣一夜城は「砦」で、天守はない。今あるのは、大垣市墨俣歴史資料館。
奇しくも、前夜(3月1日)のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」はこの場面だった。

一夜城の南に墨俣宿がある。



本陣跡の先に墨俣の渡しである。長良川の河川改修で渡し場跡は分からない。長良大橋を渡る。


橋の中程で上流側を映す。右手奥の錘型の山に岐阜城がある。

長良川を渡ったすぐあとに、境川を渡る。当時は小熊川で、川幅36m。境川橋のあたりに「小熊の渡し」があった。1艘の船に7人の船頭と馬船4艘が備えられていた。朝鮮通信使や紀州徳川氏の通行時には船橋が架けられた。ちなみに長良川の川幅は218mあって、こちらは渡船が2艘。やはり特別な通行には船橋を架けた。
今回は、揖斐川、長良川、境川と3つの川を渡った。このあともう1つ、木曽川が控えている。美濃路の難所はこれらの川である。『ホントに歩く 東海道 別冊 美濃路』(風人社)におもしろいコラムが載っている。転載して紹介したい。
【コラム】 美濃路の四川を象が渡った
美濃路は、美濃国と尾張国を通過する。東海道の海路の渡しや大河河口の渡河はなく、中山道の険しい山道もなく、平坦で通行しやすい街道とされる。しかし、尾張はたしかに平坦で難所はないが、じつは美濃では、大垣から起までのたった4里余の間に、揖斐 (佐渡さわたり) 川、長良(墨俣すのまた) 川、境(小熊おぐま)川、木曽 (起おこし)川の四川を渡らねばならなかった。それが美濃路最大の難所であった。
ベトナムから来た象が、享保14(1729)年に、長崎から江戸までの陸路354里(約1380㎞)を、7日間、一日平均3~5里((12~20㎞)で歩いた史実について、『別冊姫街道』のコラムに記した。象は、姫街道だけ3日後の5月5日には名古屋と宮で休憩して、池鯉鮒(ちりゅう)まで行って、泊まった。美濃路では、宿泊は起宿と清須宿でのたったの2泊だけだった。
象の旅の径路に姫街道や美濃路が選ばれたのは、象は船が苦手だったので、今切の渡しや七里の渡しを避けたのだった。では、美濃路の四川を、渡船が苦手な象が、はたしてどのように渡河したのだろうか。石坂昌三著 『長崎から江戸へ象の旅』から、象の渡河を紹介したい。
最初の渡河は、揖斐川である。船が用意されていたが、象は浅瀬を見て歩いて渡り始めた。気持ちよく水を切って進んだが、役人達がやれやれと胸をなで下ろした、その渡り終わる直前、突如、川の深みに頭まで沈み、姿を消して大騒享保の象の通行ぎとなった。すると、象は長い鼻をシュノーケルのように水面に出して、水中を潜りながらも渡りきった。見守った役人たちからも拍手が起こったそうだ。
二番目の墨俣川は水量が多く、歩いて渡れなかったので船が準備されたが、この日、象はとても機嫌が悪く、どう叩いても引っ張っても船に乗ろうとしなかった。20人で象と綱引きをしても負けそうだったが、加勢があり、ようやく船に乗せて無事に渡った。ところが上陸後、象は突然暴走して、見物客をなぎ倒して傷つける事件が起こった。その後、象はやっと収まって渡河を終えた。
次の境川は、歩いて無事に渡った。最後の起 (木曽)川は、大河である。墨俣の経験を活かして、饅頭を与えるなどして象の機嫌をとった。川の水が見えないよう船上では筵で囲い、食べものを与えて、食べることに集中させて渡船した。こんな事件を起こしながらも、四川の渡河は、なんと1日の出来事だった。

1kmほど進むと、西小熊一里塚跡がある。

さらに4kmほど歩いて、この日のゴール名鉄須賀駅に到着。
1日の歩数は26753歩。街道を15km、その他もろもろで18km以上歩いたようだ。