教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その34) 慣用句「雷が落ちる」

小学校3・4年生の教科書に登場する慣用句の第13回は「雷が落ちる」です。教科書の表記は、「かみなりが落ちる」となっています。

 

雷が落ちる

 

「雷が落ちる」の読み方

 かみなりがおちる

 

「雷が落ちる」の意味

大声でどなり叱られる。(広辞苑

 

「雷が落ちる」の使い方

いつまでもいたずらをしていると、お父さんの雷が落ちるよ。

 

「雷が落ちる」の語源・由来

「雷が落ちる」の由来は、雷は落ちる時の物凄い大きな音と被害の凄まじい様子を怒りの強さにたとえたものです。 

 

「雷が落ちる」の蘊蓄

「雷」とは

「雷」は雨かんむりに「田」という字を書きます。この「田」は稲光りを表し、「雷」の様子を意味しています。
「雷」という字の古い字体では、雨かんむりの下に「田」の字が3つ書かれています(畾)。これは、稲光りの形を表しているといわれています。

稲が開花し結実する旧暦(太陰暦)の夏から秋のはじめにかけて雨に伴い雷がよく発生し、稲穂は雷に感光することで実る、という信仰が生まれ、雷を稲と関連付けて "稲の「つま(=配偶者)」" と解し、「稲妻」(いなづま)、あるいは「稲光」(いなびかり)などと呼ぶようになったといわれています。

「雷(かみなり)」の語源は、雷は神が鳴らすもの、「神鳴り」です。

 

ところで、

世の中で恐ろしいものと言えば「地震、雷、火事、おやじ」ということになっています。

地震、雷、火事」は災害ですが、「おやじ(親父)」だけ異種です。この「おやじ」は、もとは「台風」のことだったという説もあります。

これに関しては、「ねほり.com」の「地震、雷、火事、親父の語源は?オヤジ=台風は嘘?(1/2)」「地震、雷、火事、親父の語源は?オヤジ=台風は嘘?(2/2)」で詳しく述べられています。

日本語探訪(その33) ことわざ「弘法にも筆の誤り」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第10回は「弘法にも筆の誤り」です。

 

 

弘法にも筆の誤り

 

「弘法にも筆の誤り」の読み方

 こうぼうにもふでのあやまり

 

「弘法にも筆の誤り」の意味

その道に長じた者にも、時には誤りや失敗があるというたとえ。「弘法も筆の誤り」とも。(広辞苑

 

「弘法にも筆の誤り」の使い方

 併し勿論これは千慮の一失である。弘法にも筆の誤りがあるのだから神ならぬ中西氏に解釋の誤りがあるのは怪しむに足らぬ。しかもそれは僕に「プロレタリヤ運動の現實に接して貰いたい」という親切あまつての誤解であるから僕は衷心から感謝する。(平林初之輔『中西氏に答う』)

 

「弘法にも筆の誤り」の語源・由来

「弘法にも筆の誤り」の由来は、『今昔物語集』 巻十一 「弘法大師渡宋伝真言教帰来語第九」に収められている逸話にあります。

 

京都の大内裏に応天門という門がありました。

弘法大師は勅命により門に掲げる額を書くことになりました。


「亦、応天門ノ額打付テ後、是ヲ見ルニ、初ノ字ノ点既ニ落失タリ」

(ところが応天門の額をうちつけてから見ると、「応」の字の最初の点がいつのまにかなくなっている)

「驚テ筆ヲ抛テ点ヲ付ツ。諸ノ人、是ヲ見テ、手ヲ打テ是ヲ感ズ。」

(驚いて筆を投げ点を打った)

 

 「弘法にも筆の誤り」の蘊蓄

弘法大師の名誉回復のために

弘法にも筆の誤り」がことわざとして成立するための必要条件は、弘法大師は書の名人であるという共通認識です。

 

空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭(へきとう)に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられてい

る。

                              (Wikipedia

 

弘法大師の面目躍如ということわざがあります。

弘法筆を選ばず

「文字を書くのが上手な人は筆のよしあしを問わない。本当の名人は道具のよしあしにかかわらず立派な仕事をする。」(広辞苑)という意味です。

これもちょっと深いようです。

「永井孝尚の写真ブログ」に「弘法大師は、実は筆を選んだ」(2007年11月18日)という文章があります。

弘法大師は、実は筆を選んだ -道具への拘りの大切さと、道具への偏重の罠ビジネス・スキル
                              2007/11/18
プロフェッショナルは皆道具に徹底的に拘っています。最高の作品を残すからには、そのための道具に拘るのは当然のことでしょう。

一方で、「弘法は筆を選ばず」という言葉があります。

そこで、こんな意見が出てくるかもしれません。

弘法大師は道具を選ばなかった。従って、プロフェッショナルが道具に拘るのは当然、というのは必ずしも正しくないのではないか?」

実は、この言葉の真の意味は、弘法大師のような達人であれば、筆の良し悪しは関係なく、どんな筆でも傑作が書ける、ということのようです。

つまり、「一流の人間は道具に拘らない」という意味ではなく、「一流の人間は、一流の道具でなくても、一流の仕事が出来る能力を持っている」ということです。

例えば写真の世界でも、天才アラーキーのようにコニカビッグミニで軽快に作品を撮り続ける人もいますし、加納典明のように、レンズ付きフィルムでノーファインダーでバシャバシャ3枚撮影して全て傑作という人もいます。
 

一方で、実際には、弘法大師は書体によって筆を使い分けたと言われます。

事実、一流と言われる人は、道具に徹底して拘っている方が多いようです。

例えば、ピアノの巨匠・リヒテルは、当時世界的には無名だった日本のヤマハを好みました。プロジェクトXでも紹介されたので、ご存知の方も多いかもしれません。

実際には、多くのクラシック・ピアニストは、よい音が出る「スタインウェイ」という会社が作ったピアノを好みます。

しかしリヒテルは、ヤマハの弱音の美しさ、音楽的感度の高さが、彼の音楽に合っていることを評価したと言われます。

また、素晴らしい調律師(技術者)達がいるため、リヒテルは、ヤマハの調律師達に、調律だけでなく、照明、椅子の高さ、ピアノの位置まで任せたそうです。

気難しいことでも有名だったリヒテルは、自分が最高の演奏をするための手段としてヤマハを選びました。

 

道具に拘るもう一つのメリットは、最高の道具を使うことで、「本当はもっといい道具を使っていればもっといい結果が出せた」という自分への言い訳を封じることだと思います。

例えば、私は写真撮影には、プロ用機材を使用しています。「プロ用機材は確実に作動する」という現実的なメリットに加えて、最高の機材を使用することで「上手く撮影できないのは機材のせいではなく、自分のせいだ」という覚悟を持ちたいためです。

 

いい仕事をするために、どのような道具を使用すべきなのか、我々は真剣に考えたいですね。

一方で、道具はあくまで手段です。道具に偏重してしまう落とし穴は、「いい仕事をするため」という視点がないままに道具に拘ってしまう点にあります。道具偏重の罠には陥らないようにしたいものです。

                               (永井孝尚)

 

 

 

日本語探訪(その32) ことわざ「河童の川流れ」

小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第9回は「河童の川流れ」です。教科書の表記は、「かっぱの川流れ」となっています。

 

 

河童の川流れ

 

「河童の川流れ」の読み方

 かっぱのかわながれ

 

「河童の川流れ」の意味

水中に自由自在に活躍する河童も、時としては水におし流される。転じて、達人も時には失敗を招くことがある。(広辞苑

 

「河童の川流れ」の使い方

 守護神とまで言われているピッチャーが相手打線の餌食とは、河童の川流れというやつだな。 

 

「河童の川流れ」の語源・由来

 「河童は泳ぎが上手い」という前提に基づくものですが、明確な由来は不明です。

 

「河童の川流れ」の蘊蓄

「河童の川流れの類義語 

弘法にも筆の誤り
猿も木から落ちる

 

「河童の川流れ」の対義語

愚者の一得(ぐしゃのいっとく)
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚者にも千慮に一得あり

 

「河童」のつくことば

河童の屁(かっぱのへ)
容易で何でもないこと、取るに足りないことのたとえ。水中の屁は勢いがないところからという。(デジタル大辞泉
屁の河童
なんとも思わないこと。するのがたやすいこと。(デジタル大辞泉

陸へ上がった河童(おかへあがったかっぱ)

陸に上がった河童
《河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなるとされるところから》力のある者が、環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。(goo辞書)

 

 

河童は日本の妖怪・伝説上の動物ですが、生活の身近な位置に存在してきました。

河童にまつわることばはまだほかにもあります。

河童の木登り
苦手なことをするたとえ
河童が皿の水をこぼしたよう
頼みにしているものを失い、呆然としている様子
河童に塩をあつらえる
河童は海には住まないので、見当違いの注文をするたとえ
河童に尻を抜かれたよう
気が抜けてぼんやりしている様子
河童に水練を教える
知り尽くしている人に、偉そうに説教をしようとする愚かさのたとえ
河童の寒稽古
一見苦痛のように見えながら、実はなんでもないことのたとえ

ちなみに河童の好物はキュウリということになっていて、巻き寿司のキュウリ巻きを「カッパ巻き」というのはそのためです。

 

日本語探訪(その31) 故事成語「蛇足」

小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第10回は「蛇足」です。

 

 

蛇足

 

「蛇足」の読み方

 だそく

 

「蛇足」の意味

あっても益のない余計な物事。あっても無駄になるもの。蛇をえがいて足を添える。じゃそく。(広辞苑

 

「蛇足」の使い方

 「蛇足ながら申し上げます」

 

「蛇足」の語源・由来

「蛇足」の出典は、 『戦国策』です。

『戦国策』は、中国前漢の劉向(りゅうきょう)(紀元前77〜前6)の編集書物。戦国時代の思想家たちが、諸国を遊説して説いた言葉を集めています。故事成語の「蛇足」のほか、「虎の威をかる狐」「漁夫の利」などは、この書物からでたものです。

 

戦国時代、楚の国の将軍昭陽は、魏の国を攻めて勝利し、さらに斉の国を攻めようとした。そのとき、斉の国の王の意を受けた遊説家の陳軫が、斉の国への攻撃をやめさせるために、次のようなたとえ話を用いて将軍昭陽を説得した。

 

楚有祠者。
賜其舎人卮酒。
舎人相謂曰、
「数人飲之不足、一人飲之有余。

請画地為蛇、先成者飲酒。」
一人蛇先成。
引酒且飲之。
乃左手持卮、右手画蛇曰、
「吾能為之足。」
未成、一人之蛇成。
奪其卮曰、「蛇固無足。
子安能為之足。」
遂飲其酒。
蛇足者、終亡其酒

 

(書き下し文)
楚に祠る者有り。
其の舎人に卮酒を賜ふ。
舎人相謂ひて曰はく、
「数人にて之を飲まば足らず、一人にて之を飲まば余り有り。
請ふ地に画きて蛇を為り、先づ成る者酒を飲まん。」と。
一人の蛇先づ成る。
酒を引きて且に之を飲まんとす。
乃ち左手にて卮を持ち、右手にて蛇を画きて曰はく、
「吾能く之が足を為る。」と。
未だ成ざるに、一人の蛇成る。
其の卮を奪ひて曰はく、「蛇固より足無し。
子安くんぞ能く之が足を為らんや。」と。
遂に其の酒を飲む。
蛇の足を為る者、終に其の酒を亡へり

 

(現代語訳)
楚の国に祭礼をつかさどる人がいた。
〔あるとき〕その(=自分の)使用人たちに大杯についだ酒を与えた。
使用人たちが互いに言うことには、
「数人でこれ(=酒)を飲めば足りず、一人でこれ(=酒)を飲めば余ってしまう。
地面に蛇を描いて、最初にできあがった者が酒を飲むことにしよう。」と。
一人が蛇〔の絵〕を最初に描きあげた。
〔その者は〕酒を引き寄せて今にもこれ(=酒)を飲もうとした。
そこで左手で大杯を持ち、右手で蛇を描きながら言うことには、
「私はこれ(=蛇)の足を描くことができる。」と。
〔その者の蛇の足が〕まだ完成しないうちに、〔別の〕一人の蛇〔の絵〕が出来あがった。
〔その男が〕その(=先に蛇を完成させた者の)大杯を奪って言うことには、「蛇にはもともと足がない。
あなたはどうしてこれ(=蛇)の足を描くことができようか、いや、描けるはずがない。」と。
〔その人は〕そのままその酒を飲んだ。
蛇の足を描いた者は、とうとうその酒を飲みそこねた

 

「蛇足」の蘊蓄

蛇足ですが、「蛇足」の類義語です。

 

老婆心ながら

「老婆心」とは、「年とった女の親切心がすぎて不必要なまでに世話を焼くこと。必要以上な親切心。主として自分の忠告などをへりくだっていう語。」(広辞苑)です。

これもまた蛇足ながら、「老爺心」という語はありません。世話焼きは女と、昔から相場が決まっているのですかね。

 

僭越ながら

「僭越」とは、「自分の身分・地位をこえて出過ぎたことをすること。そういう態度。でしゃばり。謙遜の気持でも使う。」(広辞苑)です。

 

余計なお世話で、差し出がましく、お節介ですが、念のため。

目上の人に対しては、「老婆心ながら」は使いません。「僭越ながら」を使います。

「老爺心」ながら。

 

 

日本語探訪(その30) 故事成語「他山の石」

小学校3・4年生の教科書に登場する故事成語の第9回は「他山の石」です。

 

 

他山の石

 

「他山の石」の読み方

 たざんのいし

 

「他山の石」の意味

自分の人格を磨くのに役立つ他人のよくない言行や出来事。(広辞苑

 

「他山の石」の使い方

 文学者の文学論、文学観はいくらでもあるが、科学者の文学観は比較的少数なので、いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが、自分の自分への申し訳である。(寺田寅彦 『科学と文学』)

 

※本来、目上の人の言行について、また、手本となる言行の意では使わない。

文化庁が発表した平成25年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味とされる「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」で使う人が30.8パーセント、本来の意味ではない「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」で使う人が22.6パーセントという結果が出ている。

 

「他山の石」の語源・由来

 「他山の石」の出典は、『詩経』巻十一「小雅」所収の一篇「鶴鳴(かくめい)」です。

 

鶴鳴于九皐 聲聞于野
魚潜在淵  或在于渚
楽彼之園  爰有樹檀
其下維○[JIS補5802(艸擇)落ち葉]
佗山之石  可以為錯

鶴鳴于九皐 聲聞于天
魚在于渚  或潜在淵
楽彼之園
爰有樹檀  其下維穀
佗山之石  可以攻玉

 

(読み下し文)

鶴(かく) 九皐(きゅうこう)に鳴き  声 野に聞こゆ
魚(うお) 潜(ひそ)みて淵(ふち)にあり、あるいは渚にあり
楽しきかな彼(か)の園(その)は  爰(ここ)に樹檀(じゅだん)有り
其(そ)の下には維(こ)れ(タク)
它山(たざん)の石  以(もっ)て錯(さく)と為(な)すべし

鶴 九皐に鳴き  声 天に聞こゆ
魚 渚に在り  或いは潜みて淵に在り
楽しきかな彼の園は  爰に樹檀有り
其の下には維れ穀(こく)
它山の石  以て玉 (ぎょく)を攻(おさ) むべし

 

(現代語訳)

鶴は人の立ち入らない深い谷間の沢にいても、その鳴き声は人のいる野原にまで響いてくる。
魚が水に深く潜っていても、やがて波打ち際に姿を見せる。
私が庭で木々を育てている楽しみは、檀の木がて見事に伸びることだ。
その木の下に集めた落ち葉を肥やしにしたからだ。
そこらの山の粗悪な石も、砥石とすることができるということだ

鶴は人の立ち入らない深い谷間の沢にいても、その声は遠く天まで届く。
魚は水際に現れるが、ときにはまた深く水に潜ってしまう。
庭で木々を育てるのは楽しみだ、檀の木の下に、穀などの雑木を植えて支えにする。雑木も使い方では役にたつ。
よその山で取れた変哲もない石でも、玉を磨くために使うことが出来るということだ。

 

 

「他山の石」の蘊蓄

「他山の石」の類語

反面教師
殷鑑不遠(いんかんふえん)
人の振り見て我が振り直せ
人こそ人の鏡
人を以て鑑と為す

 

対岸の火事」に注意

対岸の火事」は、「自分には全く関係のない出来事で、少しも痛痒(つうよう)を感じない物事のたとえ。」(広辞苑)です。

「他山の石」の類語ではありません。

難解、文科語。たとえば「生きる力」⑦

「生きる力」の今を読み解く

 

1998「生きる力」2008「生きる力」は、ほとんど真逆の方向性を持っていました。

それでは、2017「生きる力」はどちらの方向を目指しているのでしょうか。

 

「生きる力」の定義や構成要素からすると、1998「生きる力」2008「生きる力」2017「生きる力」と考えてよいと思います。

 

2008「生きる力」から2017「生きる力」への「変節」は、「生きる力」の中身ではなく、前提にその学び方(体的・対話的で深い学び)が加えられたことにあります。

 

体的・対話的で深い学び」とは何でしょう。

2016中教審答申から該当箇所を引用します。

体的な学び」の視点

学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる「主体的な学び」が実現できているか。
子供自身が興味を持って積極的に取り組むとともに、学習活動を自ら振り返り意味付けたり、身に付いた資質・能力を自覚したり、共有したりすることが重要である。

対話的な学び」の視点

子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているか。
身に付けた知識や技能を定着させるとともに、物事の多面的で深い理解に至るためには、多様な表現を通じて、教職員と子供や、子供同士が対話し、それによって思考を広げ深めていくことが求められる。

深い学び」の視点

習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているか。
子供たちが、各教科等の学びの過程の中で、身に付けた資質・能力の三つの柱を活用・発揮しながら物事を捉え思考することを通じて、資質・能力がさらに伸ばされたり、新たな資質・能力が育まれたりしていくことが重要である。教員はこの中で、教える場面と、子供たちに思考・判断・表現させる場面を効果的に設計し関連させながら指導していくことが求められる。

こうした「『主体的・対話的で深い学び』の視点に立った授業改善を行うことで、学校教育における質の高い学びを実現し、学習内容を深く理解し、資質・能力を身に付け、生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び続けるようにする」のだと、文科省資料は述べています。

※「主体的・対話的で深い学び」については、2020年3月に「アクティブ・ラーニングはじまる 」「アクティブ・ラーニングに至る道① 1987年「臨教審答申」」「アクティブ・ラーニングに至る道② 新学力観・生活科」「アクティブ・ラーニングに至る道③ 生きる力・総合学習」「アクティブ・ラーニングに至る道④ 暗転・確かな学力」「アクティブ・ラーニングに至る道⑤ アクティブ・ラーニングへ」としてまとめています。ご参照ください。

 

体的・対話的で深い学び」という言葉自体が抽象的であり、2020年度からの授業実践でどう展開されているのかいまだ見えてきません。

しかし、その指向しているところは、1998「生きる力」の「自ら学び自ら考える力の育成」が目指したものとかなりの部分で重なる気がします。

 

ここで、日経連が1996年3月26日に発表した「創造的な人材の育成に向けて」と題する教育改革提言を再掲します。

これは、「新時代の『日本的経営』」実現のための教育提言です。

「新時代の『日本的経営』」の主旨は、終身雇用慣行、年功賃金制度という日本的経営の終焉です。具体的には、製造拠点は人件費の安い海外へ移し、国内に残った仕事は3つの階層に分けると書かれています。

(1) 長期能力蓄積型 → エリート社員 

(2 )高度専門能力活用型  →  専門能力のあるスペシャリスト

(3) 雇用柔軟型  →  非正規雇用

 つまり、均質で優秀な労働者を育てる教育から、「長期能力蓄積型」「高度専門能力活用型」といったエリートやスペシャリストを育てる教育への転換を求めているのです。

創造的な人材の育成に向けて
~求められる教育改革と企業の行動~

創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』

 

2.創造的な人材の要件と望ましい人材育成システムの基本的方向

  1. 創造的な人材の要件

今後のわが国社会において求められる、創造的な人材とは、自己の責任の下に、主体的に行動する人材であり、こうした人々の能力を最大限伸ばすことができるような環境を整えていくことが求められる。さらに、独創性を持つ人材をいかに見いだし育成していくかも重要である。

  • 主体性

創造性の根本は、個人の主体性にある。これは、他者の定めた基準に頼らず、自分自身の目標・意思に基づいて、進むべき道を自ら選択して行動することである。

いろいろな問題への対応に際しても、知識として与えられた解決策を機械的に適用するのでなく、既存の知識にとらわれない自由な発想により自力で解決する能力が求められる。

  • 自己責任の観念

その一方、個人の自由で主体的な選択が、野放図とならずに、社会的意義、価値を持つものとするためには、個人一人ひとりが選択に伴う責任を引き受けることが必要である。選択とは、もう一つのものを捨て去ることであり、自己責任とはいくつかの選択肢の中から自分の判断で選びとることである。
個人が主体性と自己責任を確立することは、他者の主体性を尊重する社会性の涵養や、社会規範・倫理に関する意識を高めることにもつながる。

  • 独創性

それぞれの人材が持っている創造性を引き出すことに併せて、科学・技術や、芸術・文化などさまざまな分野で世界をリードできる高い独創性をもった人材を発掘、育成していくことも重要である。
各界で真に独創的で卓越した人材たりうるか否かは、潜在的な素質や才能に左右される面も大きいものと考えられる。そこで、このようなとくに優れた素質や才能を持った人材を早期に見出し、これを集中的に育成していくことも、今後の課題として求められる。

 

3.教育界などへの期待~教育改革の推進


創造的な人材育成のため、教育界・行政・家庭においては、

  • 教育機関の多様化、オープン化による多様な選択機会の確立、
  • 大学入試の改革、
  • 大学教育の充実、
  • 思考力と体験を重視した学校教育の推進、
  • ゆとりある教育環境の実現、
  • 優れた素質・才能を伸ばすための教育の試み、
  • 家庭の教育力の回復、
  • 子供に社会体験をさせる地域教育

 など、一層の改革に取り組むことを期待したい。



1.多様な進路選択の機会の確立


学生が自己に相応しい進路を自由に選択できるようにするために、教育機関の多様化・個性化を進めるとともに、開かれた大学の実現を図る。


 1.教育機関の多様化、個性化の推進


•従来のピラミッド型の学校序列など、教育機関の間の縦型の序列を改めて、多くの峰を持つような教育体系が構築され、学生が自らの意欲や目的、能力に合致した教育機関を選択できるようにする。
このため、とくに大学においては、カリキュラムの改革などを通じて、多様化、個性化を一層進展させる。
さらに、各大学が自己改革を柔軟に行えるよう、組織、予算、人事制度の弾力化を進める。


2.特色ある大学相互間の連携を強化するとともに、学生が途中で進路変更を容易に行えるようにするため、学生の編入枠、単位互換制度を一層拡充する。


3.高等学校における総合学科(生徒の学習の選択の幅を拡大するために設けられた従来の普通科専門学科の教育内容を併せ持つ第3の学科)や単位制(学年による教育課程の枠を設けず、決められた単位を修得すれば卒業を認める制度)は、授業内容や進路を柔軟に選択できる点で有効であり、こうした試みを一層拡大する。

 

 1.教育機関のオープン化~とくに開かれた大学の実現


•閉鎖的になりがちな教育機関にあっては、今後ますます外の社会との接点を拡大していくことが求められる。なかでも大学(大学院)は、生涯教育機能の幅広い提供、産業界などとの連携強化による研究・教育水準の向上、教員の意識改革などのため、内外の教育・研究機関や社会の他の分野との接点の拡大に努める。
これらを促進するために、教員採用方法を開かれたものとし、さまざまな経歴・経験を持つ人を広く受け入れていくとともに、大学間あるいは研究機関との間で、教員人事の流動性を一層高める。また、経済界との人材交流を一層活発に行う。


2.開かれた大学を実現していくためには、さまざまな人材を学生として受け入れることも必要であり、帰国子女や海外留学などのキャリアを持つ人材、ならびに、海外からの留学生の受入れを一層拡大する。さらに、社会人の受入れも拡大する。なお、これに関連して、専修学校や、各種学校とされる外国の教育機関を卒業した学生が、大学に入・転学しやすくなるよう、大学入学資格を弾力化する。

 

1.教育機関における評価の多様化、とくに大学入試の改革


特色を持った教育機関が自らに相応しい学生を適切に評価して受入れられるよう、学生のさまざまな能力や個性を多面的に評価することが求められる。
とりわけ、最終教育機関である大学における入試改革は急務である。これまでの大学入試のあり方は、1点を争うような競争を無制限に拡大させ、これがひいては、初等・中等段階において詰め込み教育を余儀なくさせているばかりでなく、たった1日の結果により学生の人生を大きく左右するなど、結果として、単線型でゆとりのない社会システムを形作る大きな要因となっている。
 近年、いくつかの先進的な大学においては、新しい選抜方法に取り組む動きが見られるが、今後、大学入試センター試験も含め、大学入試制度全体を大きく改革していくことが必要である。
 基本的な方向としては、知識の量を評価する試験だけに頼ることなく、大学の特性や学部・学科の教育内容に基づいて、学生の能力や個性を複眼的に評価するため、学力・知識の評価と、思考力や意欲などの評価を適切に組み合わせ、時間と手間をかけた選抜を行う。
 具体的には、例えば、現在のセンター試験は、高校までの学習成果・基礎学力などの有無を判断するための資格試験的なものとする。
また、各大学毎の選抜方法は、それぞれの大学・学部の特性に応じた試験(論文、面接、教育内容に相応しい学科試験など)や、多面的な評価に基づく推薦制度などによって、学生の思考力や表現力、関心、個性など、大学教育に必要とされる能力を幅広く評価できるものとする。
さらに、選抜機会・時期についても、期間の延長や機会の複数化、あるいは、選抜の通年化など、一層の多様化を進める。


1.大学教育の充実~入学後の教育の改善


大学入試に多大な精力が注がれる反面、大学入学後の学習が不十分という指摘は多い。

•そこで、卒業試験・論文の実施などにより、学生が入学後に充実した勉強に取り組むためのインセティブを与える。


2.また、学生の勉強内容の充実に資するため、米国の大学などでは一般的となっているシラバスの作成(各回の講義内容、使用図書などの授業計画を予め学生に示す)などにより授業方法を改善する。


3.授業内容・方法の改善のために、学生による授業評価制度を取り入れることも有効である。


4.さらに、一方通行的になりやすい講義を補い学生と教員のコミュニケーションを良くするために、決められた時間に教員が研究室などに居て、学生の質問を受け付けるオフィス・アワー制度の導入も検討に値する。

 

1.思考力と体験を重視した学校教育の推進

 

 1.考える力の涵養


自分で目標・課題を設定し、主体的に行動することのできる人間を育てていくために、初等・中等教育では、思考力と体験を重視した授業を行う必要がある。

•子供が自らの人格を形成し、主体的に人生を生きていくために必要となる知識や知恵、すなわち基礎・基本の教育を徹底するとともに、自ら考え、かつ、それを発表できる力を養う。


2.そのために、子供に一方向的に知識を与えるだけではなく、討論や、自由研究、フィールドワークなど、思考力と体験を重視した授業を取り入れる。
とくに、与えられた問題に対する解答を絶対のものと決めつけず、物事には多様な解答方法があることを教える。


3.身近な生活体験や活動を通して、社会や経済の仕組みを教え、子供に職業観を育てる。生きた経済社会の実情や仕組みを正しく理解させ、適正な職業観を育てるには、初等・中等教育など、人生の早い段階から取り組むことが望ましい。

 

 1.新しいリテラシー(外国語、コンピュータ)教育の拡充


従来の基本的学力(読み・書き・ソロバン)に加えて、新時代のリテラシーである、英語をはじめとする外国語やコンピュータ関連の教育を拡充する。こうした教育を、初等・中等教育の早い段階から積極的に取り入れていくことが不可欠である。


 1.必要となる制度改善


•カリキュラム編成の弾力化
 大学設置基準の「大綱化」により、高等教育段階においては、カリキュラムの改革が漸次進められているが、初等・中等教育段階においても、各学校・教員の自主的な判断により、授業内容の見直しや重点化を含めて、多様な教育を行えるように、カリキュラム編成の一層の弾力化を進める。


2.教材選択の弾力化・自由化
また、カリキュラム編成の弾力化と併せて、教材を選択する際にも、学校・教員や保護者の選択の幅が広がるよう、弾力化・自由化を進める。


3.教員資格の一層の弾力化
 子供に生きた社会を教えたり、科学技術に関心を持たせる、あるいは、先端的な情報機器の使い方を教える上で、企業人が役立つ機会は多い。また、外国人が教育界に積極的に入り込んで、語学だけでなく、外国の文化や社会を理解させることも望まれる。そこで、教員資格の一層の弾力化などにより、さまざまな人材を教育界に受け入れる。


4.学校選択の弾力化
 学校を活性化、個性化するとともに、子供・保護者の学校選択の幅を拡大するため、公立の小中学校においても、一定の範囲内で、子供・保護者が入学する学校を選択できるようにする。学校選択の幅が広がることは、いじめの問題の軽減にもつながるものと期待される。

 

1.ゆとりある教育環境の実現


最近の子供の生活を見ると、塾通いなどによって自由時間が失われ、生活リズムの乱れや慢性的な疲労、睡眠不足が見受けられる。また、遊びや野外活動など各種体験の不足も指摘されている。
 創造性や個性を伸ばすためには、物事に対して興味を持ち、自ら考えることが必要となるが、そのためにも、子供の生活にゆとりを取り戻すことが不可欠である。また、ゆとりある教育環境は、子供たちの豊かな人間性を涵養する場としても有効である。

•学校週5日制の推進
 学校や家庭、地域それぞれが役割分担と相互の連携に基づき、適切な教育を行うことが必要であり、こうした観点から学校週5日制を進める。


2.教員の安定採用
 思考力と体験を重視した授業を余裕をもって行えるようにするとともに、優秀な学生を教職に引きつけるためにも、教員を毎年安定して採用するよう努める。これにより、将来的には、1クラス20~30人程度の充実した授業が可能となるように工夫する。なお、これとも関連して、生徒数によりクラス人数に極端な変動がおこらないようにするために、教員定数の算定方法を柔軟化する。


3.中高一貫教育の拡大
 教育にゆとりをもたらす上で、いわゆる一貫教育によってカリキュラムを効率的に編成することは有効である。従来から、私立校ではさまざまな形の一貫教育が実践されてきたが、公立校においても、受験戦争を起こさぬ配慮を前提に、中高一貫教育の学校の整備を進める。なお、受験戦争の低年齢化を是正するために、一部の小中学校における特殊な入試訓練を受けなければならないような入学試験をなくしていく。

 

1.優れた素質・才能を伸ばすための教育の試み


世界をリードする真に独創的な人材を育てるには、従来の一律、平均的な教育に固執することなく、優れた素質・才能を早期に見出して、これを集中的に伸ばしていくための教育を試みる必要がある。

飛び級の実施拡大
 現在、高等教育段階で一部認められている飛び級を、高校などでも行えるようにすることや、大学入学にかかわる年齢制限を引下げて、優れた者には早期に大学入学を認めることなどが考えられる。


2.情報時代の到来に伴う教育の革新の可能性
これまで、学校教育においては、一人ひとりに合わせて、異なる教育プログラムを作ることは、膨大なコストがかかり、困難であると考えられてきたが、情報化時代の到来に伴い、教育方法にも大幅な変革が起こる可能性が出てきている。こうした環境を踏まえ、双方向メディアを活用して、一人ひとりに向けた適切なプログラムを作成し、子供・学生の素質を伸ばす。併せて、優れたソフトウェアの開発なども不可欠である。

 

1.家庭の教育力の回復


家庭教育については、父親と母親の適切な役割分担が重要であり、従来とかく関心が薄かった父親が家庭教育に積極的に参加することが必要である。少子化によって兄弟が少なくなっていることを考えても、家庭の団欒などを通じ、父親も含め家族のかかわり合いを増やしていくことは重要である。

•家庭においては、子供の教育を学校まかせにすることなく、家庭が主体的、積極的に関与していく。子供が資質、能力に応じた適切な進路選択を行えるための相談相手になったり、子供が自然現象や、社会現象に関心を持つきっかけを与えるよう努める。


2.また、例えば、子供を家事に参加させることなどにより、家族への帰属意識を高めるとともに、基本的生活習慣や社会性、倫理観などを養う。

 

1.子供に社会体験をさせる地域教育


•地域においては、子供に、学校以外のさまざまな社会体験をさせることを通じて、自由で主体的な行動に伴う自己責任の観念を植えつける。
そのためには、子供が親と離れて、ボランティアやボーイスカウトなど、地域の集団活動に積極的に参加できるようにする。


2.また、自然の中にひたり、畏敬の念を味わうことや、体全体を使って活動する体験の機会を増やす。

 

「英語」「プログラミング」は、2017学習指導要領に取り入れられました。

中高一貫教育」「高等学校における総合学科」も進行中です。

「創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』」に掲げられた多くが、いま現実のものとなってきています。

 

そう考えると、1998「生きる力」の「自ら学び自ら考える力の育成」も「体的・対話的で深い学び」も、「創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』」の同じ文脈で読めてきます。

 

学習指導要領改訂のサイクルよりも少し長いスパンで俯瞰した時、日本の教育は「創造的な人材育成のための『5つの提言、7つのアクション』」を重要な海図にして進んでいるように見えます。

その方向が子どもの幸福につながるのかどうかは、別途検証が必要でしょう。

 

どの国においても、いずれの時代においても、その時々の教育政策はその時々の経済のありようと切り離して考えることはできません。

均質で優秀な労働者を育てる教育から、「長期能力蓄積型」「高度専門能力活用型」といったエリートやスペシャリストを育てる教育への転換という時代の要請の中で、1998「生きる力」自ら学び自ら考える力の育成)は誕生しました。 

多少の揺れやブレはあっても、経済を取り巻く状況が変わらない限り、幹の部分の流れは維持されるでしょう。

 

 

今回の私のテーマは、難解な文科省用語をどのように読むかということでした。それは職業人としての芯と、仕事に対する誇りのために欠かせないことだと思うからです。

取り上げた「生きる力」は、その一例に過ぎません。

 

難解な文科省用語を読み解くというのは、社会の大きな流れの中における今を俯瞰するマクロの視点と、直接の背景となる審議会や政治の精査というミクロの視点をあわせて意味づけていくことだと、私は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難解、文科語。たとえば「生きる力」⑥

「生きる力」のさらなる変節

 

2017年3月31日、小学校学習指導要領が告示されます。

 

小学校学習指導要領(平成 29 年告示)
平成 29 年 3 月 告示

 

第1章 総則
第1 小学校教育の基本と教育課程の役割

2 学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,第3の1に示す
体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して,創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で,次の⑴から⑶までに掲げる事項の実現を図り,児童に生きる力を育むことを目指すものとする。
⑴ 基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力等を育むとともに,主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かし多様な人々との協働を促す教育の充実に努めること。
⑵ 道徳教育や体験活動,多様な表現や鑑賞の活動等を通して,豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること。
 学校における道徳教育は,特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,……。
⑶ 学校における体育・健康に関する指導を,児童の発達の段階を考慮して,学校の教育活動全体を通じて適切に行うことにより,健康で安全な生活と豊かなスポーツライフの実現を目指した教育の充実に努めること。

 

2017学習指導要領においても、「生きる力」は健在です。

健在というより、該当箇所の文章が以前のものよりボリュームアップしています。

 

ここで、歴代「生きる力」を比較します。

 

1998「生きる力」

自ら学び自ら考える力の育成

基礎的・基本的な内容の確実な定着

個性を生かす教育の充実

 

2008「生きる力」

基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得

思考力,判断力,表現力その他の能力

主体的に学習に取り組む態度

個性を生かす教育の充実

 

2017「生きる力」

体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して

基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得

思考力,判断力,表現力等

主体的に学習に取り組む態度

個性を生かし多様な人々との協働を促す教育

道徳教育(道徳科)

体育・健康

 

2017「生きる力」の最大の特徴は、「生きる力」をはぐくむ教育活動の大前提として「体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善を通して」という文言が加わったことです。

1996中教審[生きる力]は、次の3つの柱で構成されていました。

・自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力

・豊かな人間性

・たくましく生きるための健康や体力

1998・2008学習指導要領は、「豊かな人間性」「たくましく生きるための健康や体力」については「生きる力」ではなく別の段落で取り上げていました。

2017学習指導要領は、「豊かな人間性」=「道徳教育(道徳科)」、「たくましく生きるための健康や体力」=「体育・健康」として、「生きる力」の文脈の中で取り上げています。

 

2017「生きる力」は、2016年12月21日に出された中教審の「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」(2016中教審答申)を反映しています。

2016中教審答申では、アクティブ・ラーニング(体的・対話的で深い学び)がクローズアップされました。この「どのような学ぶか」という命題が、「生きる力」にも被せられたわけです。