教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑪

北海道キャンプ旅行 出発から12日目

1991年8月5日(月)

 
 明け方から小雨模様。帯広の平野の中を走るが、眺めはよくない。然別(しかりべつ)湖に着いた頃に、やっと雨が上がった。然別湖は日本一さざ波のきれいな湖だそうだが、確かにそう言われるだけのことはあった。

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然別湖

※(補足)然別湖は、標高810mにある北海道でもっとも高所に位置する自然湖です。冬には全面結氷し、そこに「しかりべつ湖コタン」が誕生します。然別湖に降り積もった雪を湖の水で固めたアイスブロックを使って、たくさんの建物を作り上げられます。1996年2月、さっぽろ雪まつりのときに当地を訪れました。氷でできた「アイス・バー」でカクテルを楽しみ、「氷上露天風呂」にも入りました。そして翌朝は熱気球に乗って、「しかりべつ湖コタン」を見下ろしました。

冬の北海道には、夏とは違う魅力に満ちた世界があります。

 

 曲がりくねった道をさらに進むと、糠平(ぬかびら)湖に達する。雲がきれて久し振りに青空が見える。

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糠平


 ここから大雪ダムまでの間に長いダートの区間があり、改修工事の最中だった。
数年後には立派な観光道路になるのだろうが、ガタガタと砂塵に泣かされた。ダムの畔で一息入れて、層雲峡へ向かう。

※(補足)1991年当時の糠平国道(国道273号線)改良・舗装工事は、1994年に完成しました。

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三国峠手前の松見大橋(トラベルjpのページより)

糠平国道の最高点が三国峠上士幌町三股)で、標高は1139mあります。北海道にある峠の中で一番の高さです。ちなみに「三国」は、北見国(北見市)と十勝国上士幌町)と石狩国(上川町)を指します。

峠手前に「松見大橋」という高さ30m、長さ約330mの赤い橋があります。樹海の谷を渡ります。さらに、松見大橋のもう一本上にある橋「緑深橋」、峠のすぐ下にある「三国峠橋」を過ぎると三国峠です。1991年に建設工事中だった光景が、今も印象的に思い起こされます。圧巻の景色の中を、もう一度走りたい道です。
峠を過ぎると三国トンネルに入り、大雪ダムを経て層雲峡に至ります。

 大函、小函、銀河の滝、流星の滝と見学して、層雲峡温泉へ。層雲峡博物館へ立ち寄って登山に備えての知識を詰め込む。博物館に入れたいほど古い感じの博物館だ。温泉街の外れにある共同湯に入って、いざキャンプ場へ。

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層雲峡・大函

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層雲峡・小函

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層雲峡・銀河の滝


 層雲峡青少年旅行村キャンプ場でログハウスを借りた。夕食はカレーを作ったのだが、どうしたわけかシチューのようなカレーになってしまった。1番得意なメニューなのにね。まあ、そういうこともあるってことだ。

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層雲峡青少年旅行村のバンガロー

※(補足)層雲峡温泉にある共同浴場「黒岳の湯」は源泉かけ流しで、2021年現在600円です。

層雲峡青少年旅行村キャンプ場は変わらずにありますが、バンガローは新しい物に建て替えられたようです。

 

 

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑩

北海道キャンプ旅行 出発から11日目

1991年8月4日(日)

 
 明け方から雨になった。ぐっと冷え込み、気温は12度まで下がった。仕方なく雨の中でテントを撤収することになったが、カラマツの葉がテントについてしまって難儀した。

※(補足)移動型キャンプ旅行の一番の問題は、濡れたテントの収納です。雨の中での撤収は言うに及ばず、夜露に濡れたテントを干す間もなく片付けることになります。これを車に積み込むのがやっかいで、結果として常設テントやバンガローに頼ることになります。

それにしても1991年夏の北海道は冷たい雨の日が多かったようです。

この年、北海道・東北地方は「冷夏」「日照不足」に見舞われました。

実際に気象庁の気象データによると、開陽台のある「中標津」の8月上旬の数値は、

1991年 平均気温14.7℃ 降水量86.0mm 日照時間  4.0h 

2020年 平均気温19.4℃ 降水量11.5mm 日照時間15.1h。

1991年8月3日の最高気温14.0℃、4日の最低気温11.1℃

2021年8月3日の最高気温26.4℃、4日の最低気温15.9℃  となっています。


 開陽台へ行ってみたが、雨で展望がきかない。弟子屈へ出て、阿寒横断道路を阿寒湖へと向かう。途中双湖台からパンケトウ・ペンケトウの双湖を眺める。ペンケトウは北海道の形に似ている。阿寒湖畔に着いて、ビジターセンターでマリモを見て、そこから自然探勝路を散策してボッケへ出た。温泉街に戻って昼を食べ、アイヌコタンを訪れた。屈斜路湖畔のコタンで出会ったおばあさんの子どもがやっているという店で木掘りの額を買って、アイヌの衣装で写真を撮らせてもらった。

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パンケトウ

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アイヌの衣装に身を包んで

※(補足)阿寒湖畔のアイヌコタンは、土産物屋さんといった印象です。それもまた生活のための手段ではありますが。コタンとしては屈斜路湖畔の方が素朴な感じです。今はどうなっているでしょう。

と言うのは、2019年4月26日に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(通称アイヌ施策推進法)が公布され、白老にウポポイ(民族共生象徴空間 ウアイヌコㇿコタン)がオープンしています。状況の変化が考えられます。私が白老のアイヌコタンを訪れたのは1977年ですから、当然ここは変わったでしょうが、他のコタンはどうなんでしょう。

アイヌ施策推進法の前に、1997年5月24日に施行された「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(通称アイヌ文化振興法、アイヌ文化法、アイヌ新法)というのがあります。これは1994年にアイヌ初の国会議員となった萱野茂さんの尽力によるところが大です。

萱野茂さんは、アイヌ文化の伝承・保存に努めた方です。1972年には、平取町(びらとりちょう)二風谷(にぶだに)に「萱野茂二風谷アイヌ資料館」を開設されました。私が二風谷を訪れた1997年当時、萱野さんは衆院議員として東京におられました。(話題がそれますが、萱野さんは1997年のアイヌ文化振興法制定の後、1998年に1期限りで議員を辞めています。その際、「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」という言葉を残しました。退き際の美学を感じます。)

私はウポポイのことは知りませんが、アイヌのことを学ぶなら二風谷が一番だと思います。沙流郡平取町字二風谷という地は、通常の観光ルートからは外れていますが…。

 

 足寄への道中、オンネトーへ立ち寄る。阿寒湖畔の雑踏とはうってかわって静かだ。ここは北海道の中でも特に気に入りの場所の一つ。湖面に映るはずの雌阿寒岳の綺麗な姿は霧の中であったが、淡いブルーの湖はいつ見ても神秘的で、いつまで見ていても飽きることがない。

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オンネトー

※(補足)オンネトーは、アイヌ語で「おンネ+とー」、(老いた・大きな+沼・湖)の意です。

1983年に初めて訪れた時は手つかずの自然が残っていて、感動的でした。1991年当時は散策路が整備され、観光バスがやってくるようになっていました。

ところで、オンネトーがある足寄(あしょろ)町は松山千春さんのふるさとです。私の好きな千春さんの楽曲の多くに、ふるさと足寄が出てきます。ひところは観光バスが千春さんの生家を紹介するコースを組んでいたそうです。

 

 足寄から池田へ。途中の車窓に広大なトウモロコシの畑が広がる。池田ではワイン城を見学して、いきがいの丘キャンプ場へ向かう。肉とワインを買って、焼き肉バーベキューとしゃれてみた。夜は公衆温泉浴場へ行って、コインランドリーを探して洗濯をした。

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ワイン城

※(補足)「ワイン城」というのは通称で、正式名称を「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」といいます。建物の外観がヨーロッパ中世の古城に似ていることから「ワイン城」と呼ばれているようです。

ここで造られている十勝ワインに、「町民還元用ワイン」というロゼワインがありました。ワインを製造している町なのだから、池田町民にこそ気軽に十勝ワインを楽しんでもらいたいと、安価で提供されていたわけです。値段は忘れましたが、キャンプ場で飲んだワインというのがそれです。ちなみに「町民還元用ワイン」はいま、「十勝ワイン 町民用ロゼワイン」「十勝ワイン 町民用白ワイン」という名になって、町民でなくてもネットで簡単に手に入ります。

※(補足)「いきがいの丘キャンプ場」は、現在「まきばの家キャンプ場」という名称になっています。夜に入った「公衆温泉浴場」というのは「池田清見温泉」だと思いますが、入浴料金は450円と今も低料金です。

 

 

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑨

北海道キャンプ旅行 出発から10日目

1991年8月3日(土)

 
 夜半まで響いていた霧笛の音が途絶えた頃、うっすらと夜が明けてきた。木の窓を押し開けてみると、なだらから草原の果てるところに波が押し寄せていた。霧が晴れている。さっそく起き出して、灯台から岬の先端へと散歩をした。一時的に雨も上がった。時計の針は5時30分を指している。

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霧多布岬


 町役場から少し入っていったところに小松牧場がある。午前6時、訪れた時は搾乳中であった。ビン入りの小松牛乳(もちろんここにしか売っていない)を4本買って、車の中で朝食を摂った。牛乳配達の少年の自転車がやってきた。

※(補足)釧路総合振興局のHPに、「浜中町には大正時代に創業され、町内へ宅配も行われている牛乳販売があります。家族で酪農をしながら、1本1本を自分たちの手で丁寧にビン牛乳に加工し、地域の味を作っています。牧場は海の近くにあり、浜中町霧多布の太平洋から吹き付ける潮風や、海霧が運んでくる豊富なミネラルをたっぷり含んだ牧草を牛が食べることで、おいしい牛乳になっています。浜中町でしか飲めない牛乳を味わいに来てください。」と出ています。

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小松牧場で搾乳を見せていただいた

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小松牧場の牛乳


 琵琶瀬展望台に着いた頃からまた雨になった。展望台に立てば、霧多布湿原を蛇行して流れる川が見える。自然の大きさを感じる。浜中町の職員だろうか、年配の男性が手洗いの掃除をしておられた。子どもがつけていたエトピリカのペンダントを見て、どこで買ったのかと聞かれた。納沙布岬の土産店で買ったと言うと、エトピリカはうちの町の鳥だという。「うちも売り出さなきゃなあ」とぽつり。そのうちここの売店に並ぶかもね。

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琵琶瀬展望台から見る霧多布湿原


 あやめが原へも行ってみたが、雨降りの早朝とあって人影もなく、早々に引き上げた。摩周湖への道を急ぐ。


 弟子屈(てしかが)の手前に多和平(たわだいら)展望台がある。最近売り出したばかりで、360度の展望が御自慢のところだ。「赤いポスト」で休んだ時、ライダーの本で見つけたところだ。あいにくの霧で遠くは見えないが、天気がよければ素晴らしい眺望だろう。とにかくすごい風で、じっと立っていられない。

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多和平展望台からの眺望


 摩周湖も歌のとおりに霧だった。ただ風によって一瞬霧が晴れる時があって、湖面とカムイシュ島が見えた。揚げいもを食べる。観光客の多さには閉口する。

 

 川湯温泉を経て硫黄山へ。すごい臭気と蒸気。その蒸気で温泉卵をつくる商売の熱心なこと。買い求めて食べてみると、これがまたおいしい。


 屈斜路湖畔の砂湯で温泉を掘ってしばらく遊ぶ。近くのアイヌコタンで昼を食べ、チセを見学した。土産を売っていたおばあちゃんがムックリを教えてくれた。土産に一つ買った。

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屈斜路湖畔にあるアイヌコタンのチセ


 弟子屈まで戻って、スーパーで夕食のおかずを買った。このスーパーのおねえさんがまた楽しい人だった。「北海道なんか何処がいいの」と聞くから、「広いところかな」と言うと、「広いだけで何もない」と言う。しばらく話し込んで、キャンプ地開陽台へ向かう。


 養老牛の近くを通る地方道を走った。道の両側に果てしなくジャガイモ畑が広がっている。品種によって白や薄紫の花をつけた列が規則正しく続く。芸術的でさえある。


 キャンプ場の近くまで来て、道に迷ってしまった。何せ畑以外に何もなく、同じ様な道が十文字に走っている。目印さえない。やっとの思いで辿り着いたキャンプ場で、これまたおっかないオーナーに出会った。第一声が「静かに過ごせ。うるさくしたら出ていってもらう。それを承知でなら、泊めてやろう」と言うのだ。マナーの悪い野郎どもが増えているからだと思うが、気分が悪い。カラマツの木立のあいだにテントを張った。とびきり静かな夜だった。

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開陽台オートキャンプ場

※(補足)現在、「開陽台オートキャンプ場」で検索すると、「オートキャンプ開陽台」として2カ所がヒットします。

1つは、別名「ウシ空のキャンプ場」で、開陽台展望台のすぐそばにあります。ここは間違いなく営業しているようですが、私たちがテントを張ったところとは立地条件が違います。

もう1つは、2003年8月にキャンプをした人の投稿から私たちがテントを張った場所だと分かります。ところが、現在営業しているという痕跡を見つけることができません。

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑧

北海道キャンプ旅行 出発から9日目

1991年8月2日(金)

 
 キャンプ場で雨の朝を迎えた。一路、納沙布岬へと向かう。ここは夏は海霧に隠れることが多く、過去2回いずれも霧笛を聞いて帰った。ところが雨が幸いして、半島の先端がはっきりと見えた。見えない時には恐怖感があったが、意外と歩いて下りられそうなところだった。海上はかすんでいて、貝殻島は望めなかった。食堂で昼食をとり、冷えた体を温める。

※(補足)納沙布(のさっぷ)は、アイヌ語の「のツ+さム」(岬+そば)に由来します。岬の傍らにあったアイヌコタンの集落名が岬の名前になりました。

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納沙布岬


 日本最東端の地を後に、半島の北の道を通って根室へ戻った。途中の北方原生花園はいつ来ても寂しい。根室では北方資料館へ寄ってみた。条約や外交文書、古地図が展示されていて、それなりに意味がある。もっとも北方領土返還運動一色のこの町は、どこか異様で、ヒステリックにさえ感じる。外は土砂降りの雨。

※(補足)「ねむろ北方資料館」は、北海道立北方四島交流センターの2階にある「北方資料館展示室」に移っているようです。

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江戸時代の古地図・樺太

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江戸時代の古地図・北方4島

資料館に展示されている江戸時代の古地図はなかなか興味深いものです。

未知なる樺太が太く圧縮された形で描かれています。一方、千島列島(北方4島)はとても精緻に描かれています。


 根室から霧多布を目指して走る。途中、ログハウスのメッカだという「厚浜木材加工協同組合」を訪れたが、大きな工場という感じで、何も得るものはなかった。浜中の町に戻って「赤いポスト」という喫茶店へ行った。かの組合が手始めに作ったログハウスらしい。なぜか大阪の女性が働いていた。


 しばらく休憩のあと、浜中観光ホテルを訪れた。名物の牛乳風呂に入るためである。450円(子ども150円)で入れてくれる。案外さらっとしていて気持ちがいい。浴場の牧場風景を描いた壁画タイルものどかな気分を盛り上げてくれた。

※(補足)牛乳風呂が有名だった浜中観光ホテルは、既に廃業しています。


 ここからわずかのところにムツゴロウの動物王国がある。残念ながら見学させてくれない。

※(補足)浜中町ムツゴロウ動物王国は1972年に「建国」されました。当時も今も一般公開はされていません。ショップで買い求めた動物王国の掛け時計は、今も正確に時を刻んでいます。


 霧多布大橋を渡って岬へ向かう。灯台のすぐ近くにキャンプ場がある。ここの魅力は何と言っても410円で借りられるバンガロー。小雨と霧にけぶるキャンプ場はとにかく寒かった。受付のおじさんが、ストーブを炊いていた。強風と絶え間なく鳴りひびく霧笛が、何となく恐怖感を募らせる。雨風の中でのバンガローはありがたかった。ただし、電灯がないので、ランタンの明かりに頼るしかない。夕飯は霧多布の町へ出てラーメンを食べた。こんな日は早く寝るに限る。

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霧多布岬キャンプ場

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パンがロー

※(補足)霧多布岬キャンプ場のバンガローは、今も健在です。さすがに410円では借りられません。1760円です。バンガローには、電源、照明設備、寝具等一切ありません。無料のサイトにテントを張ってもいいのですが、この場所にはこのバンガローがとてもお似合いな気がします。
 

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑦

北海道キャンプ旅行 出発から8日目

1991年8月1日(木)

 
 朝7時30分ころに民宿を出て、知床五湖へ向かう。五湖めぐりは早朝に限る。観光バスが乗り込んでくれば、景観が半減する。それに何よりも朝は空気が澄んでいて知床の山並みがくっきりと湖面に影を映す。加えて空気がおいしい。俗化されない自然がここにはある。羅臼岳まではっきりと見えているとは幸運なことだ。写真を撮りながらゆっくりと1周していると、早くも羅臼岳にガスがかかり始めた。

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知床五湖と知床連山①

半島の先に近い(五胡から見ると左側)の山々

黄山(いおうざん)標高1562m

知円別岳(ちえんべつだけ)標高1544m

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知床五湖と知床連山②

①の写真の右に見える山々

サシルイ岳 1564m

三ツ峰 1509m

羅臼岳(らうすだけ)標高1661m

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知床五湖と知床連山③

②の写真のさらに右に見える山々

天頂山(てんちょうざん)標高1,046m

西別岳(ちにしべつだけ)標高1,317m

※(補足)知床五湖をめぐる環境は大きく変わりました。ヒグマです。

1991年当時も、五胡の入り口にヒグマ注意の看板はありました。しかし、注意喚起程度で自由に散策できるレベルだったのだと思います。

2011年からは高架木道を利用して一湖まで行くのが一般的で、夏季に散策路を単独で歩くことは制限されています。

※(補足)羅臼は、アイヌ語の「ら+うシ+イ」(魚の肝臓+群在する+所)で、「獣の骨のある所」の意が転化したものです。つまり、羅臼港周辺の地理を言っています。

羅臼岳は、知床半島の最高峰です。この山名は、アイヌ地名の分からない和人が、羅臼川や羅臼集落の名称から「ラウスダケ」と名付けたものです。元々の山名は、「チャチャヌプリ」(「ちゃチャ(じじい)+ヌぷリ(山)」)で、大昔から崇拝して親しんできた山を指します。国後島のチャチャヌプリと同じです。この山の持つ歴史に思いを馳せ、元の山名に戻してもらいたいものです。

 知床自然センターへ立ち寄って、知床横断道路を知床峠へと向かう。残念ながら深い霧に包まれていて視界がまったくきかない。風も強く寒い。峠から羅臼へ下る途中、山並みの彼方に海が見え、そこにかすかに国後の島影が浮かんでいた。熊の湯露天風呂は山の中にポツンと風呂があるといった風情だ。息子が足をつけてみただけでおしまいにした。露天風呂と道を隔てた山中にキャンプ場があり、そこにテントを張る計画でいたが、すでに一杯になっていたし、今一つ気乗りもしなかったのでやめにした。

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知床峠から羅臼へ下る道中にて

山並みの向こうに薄く国後島が見える


 羅臼の町は寂しいというイメージがあった。以前訪れた時が冷たい雨の降る日だったせいかもしれない。町のスーパーで大きなホッケを買った。港の近くのしおかぜ公園でオホーツク老人の像(森繁さん)を見て、マッカウスの洞窟へ行った。ここには天然記念物のヒカリゴケがある。岩の隙間から水しずくの落ちる洞窟の奥をのぞくと、黄色っぽく光るコケが見える。ところでこの海岸沿いの家並みはどれもみな立派だ。「ニシン御殿」と言われた町の姿を見た思いがする。


 羅臼から知床半島の先端に向かって20kmあまり、道路が行き止まりになるあたりに2つの温泉がある。その1つ、セセキ温泉を訪れてみた。道路の左は山、右は海、駐車スペースさえほとんどない海中に温泉が湧いている。わずかなスペースに車を停め、昼食の準備にかかる。炭火をおこしてさっき買ってきたホッケを焼いた。これが実においしい。海没していた温泉が、干潮時が近づくにつれて姿を見せてくる。沖合をコンブ漁の船が通っていく。そのずっと向こうに国後島がはっきりと見えている。食事のあとで海岸へ下り、露天風呂まで行ってみた。囲いの石に腰を下ろしているのは、どうやら地元の漁師さんらしい。あのホッケいくらで買ったのと聞かれたので、580円と答えると、「高いね」と一言。安いと思って買ったんだけどね。さて、娘と息子が膝まで浸かってみたが、ずいぶん熱い。波が入ってきてうめてくれるとちょうどいい湯加減になる。この上なくダイナミックだ。

※(補足)セセキ(瀬石)温泉の「セセキ」はアイヌ語の「せセキ」で、「熱い、温泉」の意を表します。まさに熱い熱い温泉です。

基本的に無料ですが、今も脱衣場があまりせん。「北の国から2002遺言」で、純とトドが入った露天風呂として使われました。

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セセキ温泉

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沖合をコンブ漁の船が行く


 羅臼から標津へ向かう。途中から雨降りになる。野付半島のドライブも諦めるしかない。尾岱沼青少年旅行村で常設テントを借りてキャンプすることにした。

 

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑥

北海道キャンプ旅行 出発から7日目

1991年7月31日(水)

 
 夜半にちょっとまとまった雨が降った。朝には上がっていたがテントはしっかりと濡れており、どうやら選択は正しかったようだ。朝食のあとテントの片付けをして、8時前キャンプ場を後にした。


 サロマ湖畔のキムアネップ岬で馬の放牧を見て、竜宮街道を走ってみたが途中行き止まりで結局砂州までは行けなかった。能取湖へ向かう途中の常呂町森林公園の脇の道を入っていくと、原野に一本の木が立つ見晴らしのいいポイントがあるらしい。しばらく走ると道はダートに変わり、それが10数kmも続く。1車線幅のダートが続くとあればこれも諦めるしかなかった。しかし、少しばかり山間に分け入っただけでも十分に成果はあった。広大な原野と斜面に広がる畑、しっかりと実をつけた麦穂の彼方にはオホーツク海があって、そのずっと向こうに知床半島が小さく見えている。

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麦の秋

※(補足)デジタルカメラなどなかった時代です。子どもたちはそれぞれにレンズ付きフィルムカメラを持ち、撮影していました。「麦の秋」は、娘が撮った1枚です。

 網走刑務所に立ち寄ってみたが、以前にも増して観光地化していた。考えてみれば、刑務所を観光名物にするなどという発想はどこかズレている。ただ、囚人を開拓の道具にすべくここに刑務所が作られた歴史だけは、決して忘れてはならぬ。


 天都山に登ると知床を見渡せる展望台がある。その脇にオホーツク流氷館があって、流氷の世界が体感できる。入口で防寒服を借りて部屋に入ると、そこはマイナス15度の世界。本物の流氷に触ってみた。

※(補足)オホーツク流氷館は今も同様の施設です。クリオネは当時展示されていたのかどうだか…。クリオネが話題になるのはもう少し先のことで、まったく記憶にありません。


 知床半島へ向かう途中、小清水原生花園へ立ち寄った。ここも訪れるたびに観光地化がすすんでいる。とは言っても、海辺に咲くハマナスの花と、その後ろに見える知床の山並みは格別だ。

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ハマナスの花


 知床の入口でオシンコシンの滝を見学して、ウトロへ。港のあたりを散策したあと、土産もの店をのぞいてみる。夜は、民宿しれとこペレケでのんびりと過ごさせてもらった。

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オシンコシンの滝

落差約30m。「日本の滝100選」にも選ばれています。


 ※(補足)知床に適当なキャンプ地がなく、民宿泊まりです。「しれとこペレケ」は、今も同じ名前、同じ建物で営業されているようです。

 

 ※(補足)北海道旅行のなかでアイヌ文化やアイヌ語にふれることを、テーマの1つにしています。

知床は、アイヌ語の「しル」(大地、土地)+「エとク」(先)で、「しレトク」(みさき)を意味します。(アイヌ語の発音は、私の持っている知里真志保著『地名アイヌ語小辞典』に記載のものを採用しています。なお、ひらがな部分はアクセントの山を表しています。)

ウトロ(宇登呂)は、「ウとル+チ+くシ+イ」(間+我ら+通る+所)で、「その間を我らが通行する所」という地理的なことがもとになっています。

 

森と湖と実りの大地から ~北海道キャンプ旅行の記録~ ⑤

北海道キャンプ旅行 出発から6日目

1991年7月30日(火)

 
 7時朝食、7時30分出発。稚内港へ立ち寄り、一路宗谷岬へと向かう。稚内港の利尻・礼文フェリーターミナル横の岸壁に、ドーム式の防波堤がある。長さが427mもあって、ギリシャ時代の遺構を見る雰囲気だ。

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ドーム式防波堤

※(補足)1983年に訪れた時は、この港から利尻島に渡りました。その後、礼文島のハイキングも幾度か計画はしたのですが、いまだ実現には至っていません。

※(補足)宗谷岬の手前に「間宮林蔵 渡樺出港の地」碑が建っています。1808年4月13日(新暦では5月だと思いますが)、間宮林蔵はこの場所から樺太へ渡る船を出したということです。訪れた日は鉛色の海が広がり、とても船を出そうという気にはなれそうもない雰囲気でした。

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間宮林蔵 渡樺出港の地


 北緯45度31分14秒、日本最北端の地宗谷岬。そこに「日本最北端の地」碑が建つ。碑の高さが4m53㎝、なかなか芸が細かい。午前8時、気温を知らせる掲示板の数字は、15度余を表示していた。雨が降り出しそうな空、そして強風、鉛色にさえ見える海。最果ての地の厳しさを思う。傍らに日本一北の店と看板を掲げた柏屋みやげ店がある。日本最北端到達証明書が100円で売られている。何でも商品になってしまう、結構な国だ。娘と息子は我が家へはがきを書き送った。ここには日本最北端大岬郵便局があって、日本一北にあるポストが立っている。投函した。

※(補足)宗谷岬というと、ダ・カーポの楽曲『宗谷岬』が自然と口をついて出てきます。

流氷とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメもないて
はるか沖ゆく 外国船の
煙もうれし 宗谷の岬
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬

この曲がヒットしたのが1976年で、1983年に訪れた時は向かいのみやげ物屋の拡声器から大音量で流れつづけていました。平易なメロディーなので、私はここで覚えてしまいました。曲はいいのですが、私と同年にここを訪ねた本多勝一氏はこう書いています。

「みやげ物屋の拡声器が浜辺の人々にがなりたてる。歌詞がまた決まり文句と手アカだらけの単語をこねて団子にしたような“作品”であり、歌詞を刻んだ石碑も建てられ、自然破壊の役割を果たしている。騒音に対するこの鈍感さ、自然に対するこのひどい冒瀆、心ある人は二度とこんな岬に来ないだろう」( 『北海道探検記』集英社文庫、1985年)

1991年の旅行記には曲のことが出てきませんので、おそらく鳴り止んでいたのでしょう。

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宗谷岬


 稚内から網走へと続く国道238号線のうち、宗谷から網走までの300kmほどをオホーツクラインという。もっとも北海道的な車窓風景が続く所である。


 村営猿払牧場には、直径8mの風車を付けた風雪の塔が建っている。生憎の天候で、600haの牧場は実感できない。隣接して日ソ友好記念館が建っている。北方領土返せの建物は幾つもあるが、友好館はぼくの知るかぎり唯一ここにしかない。1939年、ソ連船インディギルカ号が遭難し多数の乗組員が亡くなった。村の人たちは、戦争中も官憲の目を盗んで慰霊祭をしてきたという。そうした資料や写真が展示されている。道を隔てた海岸にはイ号遭難者慰霊碑が建っている。その台石のカコウ岩はソ連政府から贈られたものである。こうした友好の歴史をこそもっと大事にしていかなくてはならない。潮風にハマナスの花が揺れていた。

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イ号遭難者慰霊碑


 オホーツクラインを走っていると、自治体が建てた「自衛隊さん御苦労さん」といった内容の看板に何度か出会った。自衛隊の基地や演習場が至るところにある。自治体による自衛隊誘致も相当数にのぼっている。思想ではなく、北の地の生活の現実がそうさせている。


 浜頓別の海岸にベニヤ原生花園が広がる。330haの花園には100種類以上の高山植物や湿性植物が群生するが、寒さのせいだろうか殆ど花をつけていなかった。海岸に出ると小雨を含んだ猛烈な風である。この海岸で8年前はたくさんの綺麗な貝殻を拾った。どうしたものか今回は皆無だった。ロシア語のラベルが貼られたソースと思われるビンが打ち上げられていた。遠くソ連から漂着したのだろう。確かに隣国なのだ。


 悪天のため北見神威岬は素通りし、ウスタイベ千畳岩へ立ち寄った。ここも強風、息子が寝ていたこともあって写真を1枚撮って引き上げた。枝幸駅前、もっとも国鉄廃線になってからはバスターミナルしかないのだが、そのかつての枝幸駅前食堂で昼食を食べた。おそらく近くから来たと思われる親子連れと、トラックの運転手などで、古き時代の食堂は賑わっていた。線路はなくなっても、やっぱり駅前食堂なのである。


 ここから100kmばかり走ると紋別市である。ラジオから流れてくる天気予報は夜半から雨だと言う。雨の中でのテント撤収は、できることなら御免被りたい。紋別市役所へ行って貸し出しテントの利用許可を貰うことにした。市役所近くのスーパーで夕飯のおかずを買った。遠来の珍客にスーパーの従業員一同が、車を見に出てきた。大きなイカが220円とは、いかにも安い。「新鮮ですね?」と聞いたら、笑われてしまった。イカの産地へ来て新鮮なのは当たり前のこと。気前よく4匹買った。ついでに近くのスポーツ店でウインドブレーカーを買ってもらった。この寒さは堪らない。


 紋別市街を抜け、コムケ湖の畔に、それはまたオホーツク紋別空港のすぐ近くでもあるのだが、コムケ国際キャンプ場がある。全面芝生の快適なキャンプ場である。早速テントの貸し出しを受け、係のおじさんに手伝ってもらって設営した。折から薄日が漏れてくる。息子は、バットとボールを持ち出して一人遊びに興じている。大問題が持ち上がった。キャンプ場にビールがない。町には遠いしと思案の末、飛行場の存在に気付いた。急いで空港へと車を走らせたが、既に空港のビルは施錠されており、ガラス越しに見えるビールを買い求めることは叶わなかった。かくして2夜連続でビールとは無縁の生活を送ることになった。炭火の上に鉄板を乗せ、イカはそのままで焼いた。程よく焼けた辺りで包丁を入れると、中のワタが出てくる。このワタをタレがわりにからめて食べるのである。新鮮故になせるわざであるが、これがなかなかいける。ああ、ビールがない。残り2匹は普通のイカ焼きにしたが、4人で4匹はついに食べ切れなかった。団体キャンパーの喧騒を尻目に、早々に床についた。

※(補足)夜中にしっかり雨が降りました。