教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「個別最適化された学び」を考える④

最後はそもそも論です。

 

「個別最適化された学び」を提案する「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」は、「これから到来する Society 5.0 時代を見据え」という文言で始まります。

文部科学省は、「これから到来する Society 5.0 時代を見据え」て、「 ICT を基盤とした先端技術と教育ビッグデータを効果的に活用していくための様々な取組」を示しました。

同時に、中央教育審議会は、「Society 5.0 時代を見据え、義務教育 9 年間を見通した児童生徒の発達の段階に応じた学級担任制と教科担任制の在り方や習熟度別指導の在り方などの今後の指導体制の在り方、教育課程の在り方、児童生徒一人一人の能力、適性等に応じた指導の在り方……をはじめとした様々な方策に関する諮問(「新しい時代の初等中等教育の在り方について」)」について検討しています。

 

そもそも、「Society 5.0 時代」って何でしょう。

 

「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」を見てみます。

 

1.新時代における先端技術・教育ビッグデータを効果的に活用した学びの在り方


(1)来るべき Society 5.0 時代
1990 年代以降、インターネットやスマートフォン等の急速な普及が進み、大量に生み出された情報が世界中を駆け巡り、インターネットを経由して大量の情報やデータにアクセスし、分析することで、新たな価値を次々と生み出すことが可能な時代となってきた。
今、社会は更に大きな変革に直面しようとしている。それは、新たな時代として提唱されている「Society 5.0」(平成 28 年 1 月策定の科学技術基本計画において提唱)にも描かれているように、
○ あらゆるモノがインターネットでつながる「モノのインターネット」(IoT:Internet of Things)により、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値が生み出される
人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、膨大なデータから最適解を導き出すことが可能となる
○ ロボットや自動走行車などのロボティクスの進展により、人間の可能性が大きく広がる

といったような変革である。このような「Society 5.0」時代の到来で、次のように社会構造や雇用環境が大きく変化することが考えられている。 

 

Society 5.0」(ソサエティ5.0)とは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」と、内閣府の『第5期科学技術基本計画』で定義されています。

「5.0」は「5番目の」といった意味合いです。

ちなみに、

Society 1.0」は人類が自然と共生しながら狩猟や採集をしてきた狩猟採集社会 、

Society 2.0」は農耕を基盤に集団を形成し、組織を増大させて国家を築くようになった農耕社会

Society 3.0」は産業革命によって工業化を推し進め、大量生産を可能にした工業社会

Society 4.0」はさらに情報化により無形資産をネットワークで結び、多様な付加価値を生み出すようになった情報社会

を指します。

これは、携帯電話の4Gとか5Gというのと同様のナンバリングです。

脱線しますが、「5G」のGはgeneration(世代)の頭文字で、「第5世代移動通信システム」という意味です。

 

つまり、「個別最適化された学び」は、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」である「Society 5.0 時代」を念頭に提唱されている教育のありようだということです。

 

 

古い時代の教師である私には、にわかには合点・納得というわけにはいきません。いくつものわだかまりが残ります。しかし、別稿で訪問した2035年の教育は、この流れのただ中にあるのでしょうね。

「個別最適化された学び」を考える③

個別に最適で効果的な学びや支援」には、

○個々の子供の状況を客観的・継続的に把握(センシング技術)

○知識・技能の定着を助ける個別最適化(AI)ドリル

○意見・回答の即時共有を通じた効果的な協働学習

という3つの柱があります。

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3つのうち、

○個々の子供の状況を客観的・継続的に把握(センシング技術)

○知識・技能の定着を助ける個別最適化(AI)ドリル

について、前回紹介しました。

 

今回は、

○意見・回答の即時共有を通じた効果的な協働学習

について考えます。

 

上の図に添えられた説明に、「意見・回答の即時共有を通じた効果的な協働学習」と書かれています。

もう少し詳しくみてみましょう。

「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」の中に、「協働学習支援ツール」というくだりがあります。

協働学習支援ツール
(機能)
協働学習支援ツールとは、子供の端末と教師の端末・電子黒板等を連携し、文書・画像ファイル等の教材・課題の一斉配付のほか、画面共有・制御等を行うことにより、個々の子供の考えをリアルタイムで教師と子供間、子供同士、学級全体で共有することを可能とするものである。
(効果)
教師は手元の端末で、課題等に対する子供の進捗や思考の状況をリアルタイムで確認できることから、個々の状況に応じた机間指導や声かけが可能となるほか、発問をより効果的に行うことができる。また、子供の回答等を電子黒板等に一覧表示することで子供同士による考えの比較や議論の活性化ができる。
(留意点)
学級内の子供に対する課題の一斉配布や回収、回答の一斉表示は比較することが適当な場面を適切に選択する必要がある。また、端末からのアクセスが集中することから、ツールが使用できなくなった場合の代替策を用意しておく必要がある。

 

「協働学習」ではなく、「協働学習(を)支援(するのに役立つ可能性のある)ツール」なんですね。

電子機器によって「個々の子供の考えをリアルタイムで教師と子供間、子供同士、学級全体で共有」できたとしても、そのことが「協働学習」ではありません。(厳密に言うと、電子黒板にみんなの意見が映し出されることと、意見を「共有」することとは同義ではありません。)

「支援ツール」によって映し出されたものを「共有」し、そこから「協働学習」が始まるのです。

 

「協働学習」って何でしょう。

文部科学省の「学びのイノベーション事業」というページに、「協働学習」の具体的イメージが示されています。

 

学びのイノベーション事業


ICTによる「新しい学び」 学びのイノベーション事業では、全国20校の実証校において、実証研究を行いました。

 

急速な情報通信技術(ICT)の進展やグローバル化など、変化の激しい社会を生きる子供たちに、確かな学力、豊かな心、健やかな体の調和のとれた「生きる力」を育成することがますます重要になってきています。

 

ICTは、時間的・空間的制約を超えること、双方向性を有すること、カスタマイズが容易であることなどがその特長です。


このような特長を効果的に活用することにより

○子供たちが分かりやすい授業を実現
○一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)
子供たち同士が教え合い学び合う協働的な学び(協働学習)
など、新たな学びを推進することが可能となります。

 

(中略)


3 ICTを活用した指導方法の開発

  ~様々な指導方法、指導の展開例~ (報告書第4章)
ICTを活用することにより「一斉指導による学び(一斉学習)」に加え、「子供たち一人一人の能力や特性に応じた学び(個別学習)」、「子供たち同士が教えあい学び合う協働的な学び(協働学習)」を推進していくことが重要です。ICTを活用した学習場面を、実証校の実践報告等をもとに類型化し、類型に対応した実証校の実際の学習場面例を整理しました。

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ちょっと具体的に見えてきましたね。

 

ところで、「協働学習」と関連して思い浮かぶのは、「主体的・対話的で深い学び」という言葉です。

「主体的・対話的で深い学び」は現行学習指導要領の核心部分です。「協働学習」は、それを実現するための中心的な学習過程です。

 

 

前回、 「『個の学力』と『集団の学力』は、『協働学習』について検討する際に言及します。」と書きました。

 

「個の学力」は、学習の個別化において追求していく課題です。前回の稿に関わるテーマです。

 

「集団の学力」には、いくつかの側面があります。

 

「個の学力」(個々の学力)が高まれば、当然のことながら学級全体の学力レベルも上がります。それをもって「集団の学力」が高まったと言うこともできます。

 

各個人のレベルで学力を考えるとき、周りの子に触発されてその子の学力が伸びるという側面があります。たとえば、周りの子の頑張りに触発されて学習意欲が高まることもあるし、周りの子の意見に触発されて思考が深まることもあります。

これも、「集団の学力」の一つの面です。

 

また、触発の相互作用が学習集団のレベルを高次なものに押し上げることもあります。私が使っている「集団の学力」の語は、この部分を念頭に置いています。

「主体的・対話的で深い学び」は、本来、ここに重なる概念だと思います。

 

 

「個別最適化された学び」は、個々の学びを切り離すことではありません。(「個食」ならぬ「個勉」であってはだめなのです)

個の内に向かう学びと外に向かう学びの往還のなかで、「個の学力」が高まるのです。

そして、「協働学習」が「集団の学力」を高め、「個の学力」をさらに高めるのです。

「個別最適化された学び」を考える②

誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び」の実現には、「ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」に大きな可能性があると、「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」といいます。

 

そして、「ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」の中心をなすのが「個別に最適で効果的な学びや支援」です。

 

個別に最適で効果的な学びや支援」には、

○個々の子供の状況を客観的・継続的に把握(センシング技術)

○知識・技能の定着を助ける個別最適化(AI)ドリル

○意見・回答の即時共有を通じた効果的な協働学習

という3つの柱があります。

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と、前回紹介しました。

 

今回は、「個別に最適で効果的な学びや支援」を深掘りし、その中身を「見える化」します。

ここでは、次の2項を対象とします。「協働学習」については別途検討します。

○個々の子供の状況を客観的・継続的に把握(センシング技術)

○知識・技能の定着を助ける個別最適化(AI)ドリル

 

ここに紹介するのは、DNPという会社のホームページに掲載された「一人ひとりの特性に応じた学びを実現する、『個別最適化学習』とは」(2019/6/14)という記事です。

 

教育現場の実情と課題
現在の教育現場では、学習計画をたてて、それを実行・評価・改善につなげるというPDCAサイクルが一般的に行われています。このプロセスにおける大きな課題としてよく聞かれるのは、C(児童生徒の学習状況のチェック)の部分が、どうしても先生の経験に頼ることが多くなってしまう(情報が十分に集められ、分析される状況にない)という点です。

さらに、昨今では多くの学校において経験豊富な教員の大量退職も進み、若手教員への指導技術の継承が困難になるという問題も顕在化しつつあります。この問題を解決する意味でも、教員の経験則を補うものとして、スタディ・ログ(引用者注:子どもたちの学習記録データ)に基づく個別最適化された指導が注目を集めています。

児童生徒の学習状況を判断する材料が可視化されることで、教員はより自信を持って指導を行うことができます。児童生徒への指導内容について、保護者に説明する際の説得力も増します。

DNPの個別最適化学習支援サービス
DNPでは、上述のような背景も踏まえ、個別に最適化した学習の取り組みを支援するサービスを提供しています。
アテンダント は、小・中・高校で日々実施しているテスト・ドリル(タブレットや紙を使って行ったもの)から、スタディ・ログを効率的に収集でき、先生方の時間創出の実現を目指すものです。
また、スタディ・ログの分析結果を分かりやすい形で「見える化」することが可能。問題ごとの正答率だけでなく、誤答類型(間違え方のパターン)を分析することで、先生方はクラスや個人ごとの迅速な状況把握ができるようになります。

 

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単元・期末テストの紙の答案用紙を、スキャン・デジタル化し、現代テスト理論に基づきAI的に分析し、個々の児童に適した復習教材をご提供します。

アテンダント では、テストの結果に対して一人ひとりの「個人カルテ」が発行されます。個人カルテではすべての問題の正誤状況や前後のテストの比較、どの観点の設問で誤答が多いかなど、先生方が必要とする情報を把握することができます。
さらに、分析結果をもとに児童生徒の能力や特性に応じた復習、発展学習教材を、紙・デジタル・動画・アプリなど学びやすい形で提供することができます。
DNPから個別の復習教材を学校ごとに配送することもできるので、先生にプリントする手間をかけず一人ひとりの指導につなげることができます。

 実際に取り組まれている事例の模式図です。

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私は、2019年度の終わりに、このシステムを活用した授業体験をさせていただきました。

その折の感想が、「個の学力と集団の学力 ~タブレット時代の学力考~」(2020.07.07)です。再掲します。

昨年度、タブレット端末に向かって黙々と回答する「最先端」の数学の授業場面を見て、30年近く前のことを思い起こしていました。

 

たしかにタブレット端末を使ったオンライン学習は「最先端」です。しかしそれは学ぶ手段が「最先端」ということであって、取り組んでいる課題は古くて新しいものです。

 

30年ほど前、私は学力向上の取り組みの渦中にあって、推進の舵取りを担っていました。取り組みの大きな柱は2つあって、1つは授業改革でもう1つは学習の個別化でした。

授業改革は教える側の問題であり、「集団の学力」をターゲットにしています。

学習の個別化は学ぶ側(学ぶ意欲)の問題であり、「個の学力」をターゲットにしています。

 

学習の個別化をすすめるにあたって、まず「個人カルテ」を作りました。教員が個々の子どもの学習達成度を共有するためです。

つづいて、大がかりな学習プリント群の作成にとりかかりました。1年生から6年生までの「数と計算」領域の全単元を系統化し、確認→練習→再確認の流れをシステム化して1000種類ほどの作ってプリントを整理棚に並べました。

一斉朝学習の時間になると各自の進度表にしたがってプリントに取り組み、備え付けの正答集でマル付けをします。全教師がいずれかの教室に入り込み、「ヘルプ」を求めた子を支援します。

 

30年前に手作業で構築したシステムはオンラインの先にある企業が担い、学びも管理もすべてタブレット端末で完結します。ずいぶん便利になったものです。

 

今日の「最先端」は、数年後には「当たり前」になることでしょう。それはそれでいいことなのですが…。

 

私が手作りプリントで学ぶ側からの学力アプローチを進めていた時、それは教える側からの学力アプローチと一体不離のモノでした。

教える側からの学力アプローチ、つまり授業改革でめざしたのは、個々の子の学ぶ意欲につながる授業です。集団としての学びの質が高ければ高いほど、個々の子はそこから学び刺激を受けます。その結果として個の学力が高まり、それが集団の学びをさらに高めます。そういう学力の好循環を育てようとしたのです。

学力にゴールなどありませんから、取り組みは「道なかば」で終わっていますが。

 

タブレット時代の入り口に立って感じるのは、機器に使われている教師と子どもの多さです。しばらくは機器に振り回され、過度に依存する時期が続くのでしょう。やがて機器をツールとして使いこなせるようになった時、立ち止まって考えていただきたいのです。

タブレットは育てようとする学力のどの部分を担い、それはあなたの授業にどう位置づけられるのでしょう。検証の軸は「個の学力」と「集団の学力」という古くて新しい永遠のテーマです。

 「個の学力」と「集団の学力」は、「協働学習」について検討する際に言及します。

 

 

ここで立ち止まって、深呼吸。

果たして、「個別最適化された学び」構想は功を奏するのでしょうか。

30年前に私が手作りで似たようにシステムを模索したときは、子どものメンタル面へのアプローチがセットでした。AIのシステムには、それはありません。

AIを使いこなす教師がよほど教育者としての力を身につけていないと、無味乾燥なシステムの一人歩きになりそうな気がします。

杞憂に終わればいいですが…。

 

「個別最適化された学び」を考える①

GIGAスクール構想について語られる文脈で、「個別最適化された学び」という言葉をよく耳にします。

今回は、「個別最適化された学び」について考えます。

 

 

「個別最適化された学び」という表現が公になったのは、2019年6月25日のことです。

この日、文部科学省から「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」が発表されました。

「最終まとめ」の「本体」はA4で37ページあるのですが、同時に「概要」が出されています。一部を紹介します。

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図の中段に赤太字で「誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び」と出てきます。

このフレーズが、「新時代における先端技術を効果的に活用した学びの在り方」のキモになります。

 

言葉を丁寧に吟味します。

 

誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び

誰一人取り残すことのない」は、図の上右、「子供たちの多様化」という背景を受けた言葉です。

具体的には、

・他の子供たちとの学習が困難

・ASD、LDなどの発達障害

・日本語指導が必要

・特異な才能を持つ  など

が想定されています。

 

誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び

公正に個別最適化された学び」は、具体的には赤文字のすぐ下にある「ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」を指します。

 

ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」とはどういうことかと言いますと…

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ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの効果的な活用」には大きく4つの意義があって、その1つが「個別に最適で効果的な学びや支援」です。

上の図の該当部分(右上)を拡大します。

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個別に最適で効果的な学びや支援」には、3つのことがらが書かれています。

○個々の子供の状況を客観的・継続的に把握(センシング技術)

○知識・技能の定着を助ける個別最適化(AI)ドリル

○意見・回答の即時共有を通じた効果的な協働学習

 

つまり、これが「誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び」の最も中心になる部分です。

しかし、ここまでのはなしで「そういうことなのか」と思える人はそう多くはないと思います。次回、そのあたりを深掘りします。

 

デジタル教科書時代・2035年の物語④

デジタル教科書時代の学力

 

2035年の教室。

 

デジタル教科書は、教室風景と授業風景を一変させていました。

 

教室に一歩足を踏み入れると…

黒板がありません。白墨の筆記音もありません。

かつて黒板が設置されていた教室前面は、巨大な「モニター」に変わっていました。(私の時代の言葉としては「モニター」ですが、今はこの巨大な画面を何と呼んでいるのでしょう。)

そこに教科書が大きく映し出され、先生が専用の「ペン」で書き込みをしています。

 

2020年の秋、GIGAスクール構想ですべての子どもたちにデジタル端末が配布されたときのことを思い出します。当時、私は次のように書いていました。

それよりも気になるのは、「中途半端」な整備のありようです。

 

現段階の整備の完成形は、「1人1台の端末」と「高速通信網」までです。

その結果、教室はおよそ次のようになります。

まず、教室の前面には黒板があります。その脇に大型モニターが鎮座します。

教師は、黒板とチョークを使った指導をしつつ、必要に応じて小型端末を操作し大型モニターに映し出します。

子どもの机には、教科書とノートと筆箱と、さらにはドリルや資料集が乗っています。それに加えて、取扱注意、落下注意の端末が乗ります。

 

授業場面において、子どもは黒板に注目し、ときに大型モニターに注目することになります。視線の移動が大きいです。

この状況下で集中力を切らせる子どもがいます。

 

ノート、プリント、端末といった対象物の多さに対応しきれない子、整理できない子がいます。

 

「誰一人取り残すことのない、個別最適化された学びの実現」を標榜しながら、憂いを増大させる結果になりかねません。

 

GIGAスクール構想」を本気ですすめるつもりがあるのなら、検討して欲しいことがあります。

 

紙の教科書の廃止です。「デジタル教科書も認める」ではなく、「デジタル教科書しか認めない」のです。物の煩雑さが解消されます。

 

教科書のデジタル化にあわせて、教室の黒板を撤去します。

前面の真ん中に大型モニターを据え、その左右は電子黒板になっています。少なくとも、モニターとシームレスな平面のホワイトボードであるべきです。教師にとっては、小型端末をのぞき込んだりすることなく授業が進行できる環境が提供されるべきです。こうした環境が整うことで、子どもの視線が落ち着きます。

 

子どもの机の上からアナログツールを原則として取り除きます。

デジタル端末がノートであり、プリントです。手書きペンの文字をファイリングしておけば、従来のノートと同様の使い方ができます。もちろん例外的にアナログツールを使うこともあるでしょうが。

 

現実の「GIGAスクール構想」はどこをめざすのでしょう、どこまで行くのでしょう。

いま、その幕が開きました。

 15年前の「夢想」空間が、いま目の前に広がっているのです。

 

「黒板」が変われば、「ノート」も変わりました。

デジタル端末がノートになっています。

 

 

デジタル教科書が変えたのは、「風景」だけではありません。

学びの「質」をも一変させていたのです。

 

私は、訪れた教室でデジタル教科書時代の「学力」を垣間見ることができました。

 

以前の教育は覚えることを重視してきました。そして、テストで「知識の量」を問い、それを「学力」として評価していました。もちろんそれだけではありませんが、知識偏重の教育と言われながら脱却しきれなかったのです。

 

デジタル端末を常時手にしているこの時代、覚えていることの価値などほとんどありません。知識など検索機能を使えば瞬時に取り出せます。すべての子どもが巨大な図書館を持ち歩いているのです。

 

授業で教えていたのは「知識」ではなく、「知識の取り出し方」、「知識の信頼性の確保」、「知識を活用する際のルール」といったことに関するものでした。

 

6年生の教室では、社会科で江戸時代の学習をしていました。

「江戸時代が265年も続いたのは素晴らしい時代だったからである。この主張に対するあなたの意見を、考えのもとになった根拠を示してまとめましょう」

いくつかのテーマから各自が選択して、調べたことをまとめます。

意見を持ち寄って、グループで討論するのがその日の内容でした。

賛成派の子は、文化の発展、米の生産高の増加などを取り上げていました。

それに対して反対派の子は、身分制度や、百姓一揆などを取り上げていました。

結論などありません。

各自のテーマに沿って資料を見つけ、信頼性を担保した上で必要な上を取り出して、論理的に自分の意見をまとめます。そしてそれを発信します。

その一連の過程が学びであり、デジタル教科書時代の学力なのです。

 

 

訪問した学校を出ると、そこは2021年2月の街でした。

さあ、これから15年。デジタル教科書時代の幕が開け、どんな歩みを残しつつ2035年を迎えるのでしょうか。

 

 

 

 

髪黒染め校則は「合理的」?

2月16日、髪の染色などを禁じた校則の合法性を問う訴訟の判決がありました。

 

まずは、「日本経済新聞」の記事で概要を見ていきます。

 

「髪黒染め」校則は適法、府に一部賠償命令 大阪地裁

 (更新)

茶色っぽい髪を黒く染めるよう教諭らに強要されて不登校になったとして、大阪府羽曳野市の府立懐風館高校の元女子生徒(21)が、府に約220万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が16日、大阪地裁であった。横田典子裁判長は元生徒側の訴えを一部認め、府に33万円の支払いを命じた。髪の染色などを禁じる校則は「学校の裁量権の範囲内」との判断を示す一方で、不登校後の学校側の対応を違法と認定した。

文部科学省によると、校則について定めた法令はない。同省は「児童生徒が健全な学校生活を営み、より良く成長・発達していくため、各学校の責任と判断の下に定められる一定の決まり」と定義しており、裁判では髪の染色などを禁じた校則が合法かどうかが主な争点となった。

判決はまず、こうした校則について、生徒の非行を防ぐ教育目的に沿ったものであり、「社会通念に照らして合理的で、生徒を規律する裁量の範囲を逸脱していない」と判断。校則を巡る学校側の裁量権を幅広く認めてきた過去の司法判断を踏襲する形となった。

その上で、教師らの頭髪指導の妥当性について検討。「教員らは生徒の生来の頭髪の色が黒だと合理的な根拠に基づいて認識し、頭髪指導を行っていた。教育的指導における裁量の範囲を逸脱した違法があったとはいえない」と違法性を否定した。

一方、判決は生徒が不登校になった後、学校が名簿に生徒の名前を載せなかったり、教室に席を置かなかった措置などを批判。「登校回復に向けた教育環境を整える目的でなされたとは認められない。生徒に与える心理的打撃を考慮せず、著しく相当性を欠いている」と結論づけた。

校則を巡る訴訟は過去にも起きている。1985年には熊本地裁が男子生徒に丸刈りを強制する校則は「違憲ではない」とする判決を出したほか、96年には最高裁がパーマを禁じる校則が「社会通念上、不合理とはいえない」と判断。今回の大阪地裁判決を含め学校側の裁量の範囲を幅広く認める司法判断が定着している。

訴状などによると、元女子生徒は生まれつき髪の色素が薄く、2015年4月の入学時に母親が「地毛が茶色なので配慮してほしい」と要請した。だが教諭らは黒染めを強要した。何度も髪を黒く染めたにも関わらず「不十分」と指導を受けた。「学校をやめるか黒染めするか選べ」などと言われ、生徒は2年生だった16年9月から不登校になった。これに対し、府側は「生徒は生まれつき黒髪だったと認識している。校則に反して茶色に染めていたため指導しており違法性はない」などと反論していた。

判決後、元女子生徒の代理人弁護士は「乱暴な事実認定だ。生徒はいまだに人間不信が残っており、被害の大きさを考えると賠償額は安すぎる」と話した。

一方、大阪府の吉村洋文知事は「名簿からの削除は間違っていると思うし、ここに違法性があるなら不服はない。(判決を)しっかりみた上で適切に対応する」とコメントしている。

校則のあり方巡り 国内外で注目 大阪府立高校の頭髪の黒染め指導を巡る今回の大阪地裁訴訟は、海外メディアが「学校の過剰な注文」と報じるなど国内外で注目が集まり、各地で髪形などを厳格に定める「ブラック校則」を巡る議論の発端となった。
「ブラック校則」は生徒の外見や行動などを過度に縛る校則を指す。規律を求める教育現場では校則が重んじられてきた。だが、多様性が尊重される時代になり、校則のあり方が問われるようになってきた。
NPO法人「ストップいじめ!ナビ」(東京)などが2018年に全国の15歳~50代の男女計2千人を対象に実施したアンケートでは、「ブラック校則」が中学時代にあったと答えたのが約66%、高校時代は約50%だった。10代の回答者のうち16%が中学時代に「下着の色が決められていた」と答えた。「男性教員が下着チェックをした」との女性の声もあった。
校則見直しの動きも広がっている。大阪府教育庁は提訴を受け、2017年に府立高に校則の点検を指示。一部の学校では生徒の生まれつきの髪の色を尊重し「茶髪は禁止」の表現を「染色・脱色は禁止」に変えたり「防寒具着用禁止」の文言を削ったりした。岐阜県の県立高では下着の色を制限したり、外泊の届け出を求める校則が廃止された。

 

 

判決は、髪の染色などを禁じる校則は、生徒の非行を防ぐ教育目的に沿ったものであり、「社会通念に照らして合理的で、生徒を規律する裁量の範囲を逸脱していない」としています。

「髪黒染め」校則は、「生徒の非行を防ぐ」という「教育目的」に沿ったものだといいますが、本当にそうでしょうか。

「髪黒染め」校則は、「社会通念に照らして合理的」、つまり社会一般に通用している常識や見解からすると理にかなっているというのですが、そうでしょうか。社会一般の常識は、「髪黒染め」校則が「生徒の非行を防ぐ」と解しているのでしょうか。

私は、一人の元教師として、この校則そのものに異議を申し立てます。

 

 

判決は、教師らの頭髪指導の妥当性について、「教員らは生徒の生来の頭髪の色が黒だと合理的な根拠に基づいて認識し、頭髪指導を行っていた。教育的指導における裁量の範囲を逸脱した違法があったとはいえない」と述べています。

「裁量の範囲を逸脱していない」という表現が、校則と指導の両方に出てきます。「裁量」とは「その人の考えによって判断し、処理すること」です。

「髪黒染め」指導は、教育的指導において学校(教師)の考えで判断し処理してよい範囲内のものだということです。

新聞報道では、

訴状などによると、元女子生徒は生まれつき髪の色素が薄く、2015年4月の入学時に母親が「地毛が茶色なので配慮してほしい」と要請した。だが教諭らは黒染めを強要した。何度も髪を黒く染めたにも関わらず「不十分」と指導を受けた「学校をやめるか黒染めするか選べ」などと言われ、生徒は2年生だった16年9月から不登校になった。

とあります。

「地毛が茶色」か「生まれつき黒髪」かは、原告と被告に見解に違いがあり、ここではそれにはコメントしません。

問題は、訴状にあるような指導が事実なら、それは「教育的指導において学校(教師)の考えで判断し処理してよい範囲内のもの」と言えるのか否かです。

もっと言えば、「髪黒染め」指導は「学校をやめるか黒染めするか選べ」と迫るほど、教育における重大事なのかということです。

私は、一人の元教師として、それは違うと断じます。

 

 

判決は、生徒が不登校になった後の、学校が名簿に生徒の名前を載せなかったり、教室に席を置かなかった措置などについては、「登校回復に向けた教育環境を整える目的でなされたとは認められない。生徒に与える心理的打撃を考慮せず、著しく相当性を欠いている」として府に33万円の損害賠償の支払いを命じました。

大阪府の吉村洋文知事は「名簿からの削除は間違っていると思う」とコメントしたということです。

名簿に生徒の名前を載せなかった」、「教室に席を置かなかった」いった措置は、「著しく相当性を欠いている」「間違っている」といった程度のことでしょうか。

私は、一人の元教師として、これは教育的犯罪行為だと思います。なぜこんな学校が断罪されず、教師としてい続けられるのか不思議でなりません。

 

 

私は、ここ数年、いくつかの高校で話をさせてもらいました。

その中の1校に、いわゆる「底辺校」があります。そこの先生は、服装や髪の毛のことを言い始めると学校が前に進まない、まずは登校させることが最優先といった状況で…と、ばつが悪そうに言われました。事実、茶髪に金髪、ボタンを外した制服など、いろんな生徒がいました。話を聞くときも机に伏したままの生徒もいれば、机に足を乗せている生徒だってありました。

ところが、聞いてるんです。この子たち。

とくに「社会の仕組み」や「お金」のことは我がこととして、損得を「嗅覚」で感じとっているように思われました。それは、エリート校の生徒たちの知識としての理解よりも、ずっと充実した時間でした。

 

現場の教師であった頃のことです。

その学校は、子どもに名札を付けることを義務づけていました。

どこの学校でも容易に守らない子はいるものです。指導に「熱心」なある教師は、1日に何度も、そして毎日、名札のことを言い続けました。

端から見ていて、その子と担任の関係がギクシャクしているのは一目瞭然でした。きまりである以上指導は当然だけれど、もっと大事なことがあるだろうと私は思います。

 

そもそも、髪の毛だの服装だのといった個人の自由権に関することには、学校はもっと慎重であるべきです。少なくとも、当事者である生徒が納得できる「合理的」なきまりであることが必要です。

学校権力を振りかざし、それによって規律を守らせるというのは、出発点において間違っています。個人の自由を制限してまで求める「校則」です。学校(教師)は、そのことの重さと責任を自覚しなければなりません。

私は、そう思います。

 

 

 

 

 

 

デジタル教科書時代・2035年の物語③

デジタル教科書時代の算数力

 

2035年、学校帰りに出会った子どもの家。

 

彼の宿題を見ていて、あれっと思ったのが算数。

 

教科書がデジタルなら、「ドリル」もデジタルコンテンツです。そりゃまあ当然です。

問題は、デジタルコンテンツのなかみです。

 

昔は、算数ドリルの代表格は「繰り返し式計算ドリル」で、ひたすら正しく・速く計算する練習に励んだものです。

 

ところが、画面にはそんな問題がありません。

そのことを子どもに聞いたら、彼は言いました。

「計算はね、電卓機能を使ってするから…」

「エッ、まったくしないの?」

「3年生の時にかけ算の筆算を練習したし、4年生ではわり算の筆算を練習したよ。でも、6年生ではめったにしないよ。」

 

 

気になったので、学校を訪問した折に先生に聞いてみました。

 

デジタル教科書時代というのは、単に紙の教科書がデジタル化されたというものではありません。いわゆる「ドリル学習」を含めた学びそのものがデジタル化されているのです。それは、社会のデジタル化が進んでいることと深く関係しています。

 

いま私たちが子どもに求めているのは、計算力ではありません。

紙の教科書の時代、小学校算数の中心は確かな計算力にありました。でも、スマホタブレットなどの端末をいつでもどこでも使えるわけですから、計算は電卓を使えばいいのです。もちろん、計算の仕方は指導しますよ。

 

いま私たちが子どもに求めているのは、どうすれば解けるのか、なぜそうするのかを説明できる力です。とくに高学年ではそうです。それは、中学校の数学が求めていた力に近いと言っていいと思います。

 

 

それを聞いて、私は「確かにそうだ」と思いました。

私が中学校でボランティアを行うようになって強く感じた算数と数学の違いは、まさにそこだったのです。

小学校が中学校に合わせる必要はありません。しかし、結果的に答えが合ってればいいという計算力では、中学校の数学に太刀打ちできない現実を見てきました。(それでも、小学校のテストはマルになってしまうのですが…)

 

 

先生は、1つの問題を見せてくれました。

 

これは、式を立てる力を育てるためのドリルです。

イチゴが、1パックに12こずつ入っています。25パックでは、イチゴは全部でいくつあるでしょう。

文章問題がありますね。

子どもは文章を読んで、分かっていること(もの)と数を青色でマーキングします。

つぎに、たずねているとその数の単位を赤色でマーキングします。

イチゴが、1パックに12こずつ入っています。25パックでは、イチゴは全部でいくつあるでしょう。

この問題では、数を4マス図に記入します。

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さらに、数の関係を書き加えます。

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そこから12×25=(個)という関係式ができますから、それをもとに立式します。

 

今では文章問題が苦手という子はほとんどいません。

 

 

オッと、待ってくださいな。

これって、30年ほど前に私が作ったyosh-k塾プリントというワークじゃないですか。

4マス図は、当時筑波大学附属小学校におられた田中博史先生に学んで活用していたものです。

私は1枚のプリントに文章問題を1問書いて、立式までの工程ができれば合格点(80点)になるように配点していました。正しく計算できればプラス10点、答えの単位が正しければさらにプラス10点で、計100点になります。

わかる数が3つ、わからない数が1つの問題(1あたり量の大きさが出てくる問題です)は、すべて4マス図で立式します。

わかる数が2つ、わからない数が1つの問題は、たし算・ひき算です。これは、「あわせる線図」「のこりの線図」「ちがいの線図」といった線図を使って立式します。

問題を見える化(可視化)、作業化することで、ぐっと解きやすくなるのです。

 

 

先生の話に戻ります。

 

計算の力を育てる段階では、計算の仕組みを説明するドリルも用意しています。

算数の授業風景は、すっかり変わりましたよ。