教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「不登校特例校」が示すもの③

岐阜市立草潤中学校は、「不登校特例校」の「成功例」の一つだと言えます。

そして、そこにはいくつもの「ヒント」があります。

 

教育ジャーナリストの中曽根陽子さんの記事です。(詳しくは前回の記事を参照)

バーバパパのがっこう」生徒が自分で選べる公立中
アドバイザーのひとり、京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授は、「理想はバーバパパのがっこう」と言い、子供が学校に合わせるのではなく、子供主体の学校にしていく学校らしくない学校というコンセプトでした。

 

例えば、担任も生徒が選ぶ、個別担任制を採用。生徒の希望を聞きながら、担当の先生を決めていき、2カ月に1回見直しもできます。

環境も、生徒の居心地の良さを重視

 

遅刻や欠席という言葉がない学校
この学校のもうひとつの特徴が、遅刻や欠席という言葉がないということ。代わりにあるのが、「ゆっくり登校」「自宅」という表現。授業は全て生配信され、学校に来て学ぶか、自宅で学ぶかを生徒が選ぶことができます。自宅から参加する生徒は、授業中にやりとりができるか、放課後に個別担任とオンラインで面談などができれば、出席扱いとなります。

 

大人の関わり方が変わることで、生徒が短期間に変化

初年度の卒業生は全員が高校に進学。登校率は、1年目が出席および出席扱い合わせて85.4%になりました。こう書くと登校を目指しているようですが、決してそうではなく、結果こうなったということです。

「ダメ出しをするのではなく、いいところを見つけて励ましてあげるうちに、子供たちは短期間で成長していきました」

 

 

前回の記事と重複しますが、やっぱりお金です。

施設設備にも教員配置にも、現状の公立校では考えられないほどのお金を掛けることが、不登校対策の前提です。

 

それでは現状で12校しかない公立「不登校特例校」を、1000校とか2000校に増やせば解決するのでしょうか。

たとえば「草潤中学校」が2000校あれば、在籍・通級支援・オンライン支援をあわせて18万人に学びの場を提供できる計算になります。が、それは机上の空論。財政的に不可能でしょう。

そもそも、そんな問題ではないと私は感じています。

 

 

文部科学省が1月31日に明らかにしたなかに、「不登校の対策として、国の「GIGAスクール構想」で子どもに1人1台配布されたデジタル端末を活用し、不登校の兆候をつかむ方針」というのがありました。「データに基づき、課題が顕在化する前に予防できるようにしたい」というのです。

さて、ここでいう「予防」とは、具体的にどんな手立てを言うのでしょう。そして、その「予防」は対症療法ではなく、不登校の抜本的問題に実効性のあるものなのでしょうか。

私は懐疑的です。

 

 

ハインリッヒの法則」(一般には「ヒヤリハットの法則」とも呼ばれています)というのがあります。

ハインリッヒの法則」とは、労働災害の分野でよく知られている、事故の発生についての経験則です。1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れているというものです。

この法則にしたがえば、1人の「不登校」の背後には29人の「不登校傾向」があり、さらにその背後には300人の「不登校兆候」が隠れていることになります。

24万人の「不登校」には7200万人の「不登校兆候」があるとすると、全国の小中学校の児童・生徒数が900万人あまりですから、すべての子どもが完璧な「不登校兆候」にあることになってしまいます。

実際のところ、900万人のうち24万人が不登校というのは37.5人に1人の割合で、クラスの1人いるという感覚です。

 

不登校が学校教育への異議申し立てや拒否を意味しているとすれば、……。

不登校の要因はさまざまですが、仮に24万人のうちの3万人が「学校教育への異議申し立てや拒否」だとすると、それによる「不登校兆候」は全児童・生徒数と同数の900万人です。いまの学校は総スカンを食っているということになります。

 

 

つまり、学校のあり方が根本的に変わらなければ今の子どもたちには受け入れられないし、不登校問題はなくならないということです。

学校をどう変えるのか。

ヒントは、草潤中学校の教育にあります。

 

草潤中で行われている教育の相当部分は、お金を掛ければ一般化できるものです。当然、教員の意識改革と教育技術が伴わなければなりませんが…。

しかし、枝葉の一つ一つではなく、コンセプトは真似られるでしょうか。

 

「理想はバーバパパのがっこう」……子供が学校に合わせるのではなく、子供主体の学校にしていく学校らしくない学校

 

バーバパパ」は、フランス語で「おじさんのひげ」という意味で、フランスの絵本作家アネット・チゾンとアメリカの絵本作家タラス・テイラー夫妻による絵本、およびそれらに登場するキャラクターです。

絵本『バーバパパのがっこう』(山下明生訳)は、勉強嫌いで学校も好きじゃない子どもたちに、バーバファミリーが子ども一人ひとりの好きなことや得意なことに合わせていろいろな学びを実現した理想的な学校をつくるお話です。

バーバパパのがっこう」は「子供が学校に合わせるのではなく、子供主体の学校にしていく学校らしくない学校」を象徴するものです。

 

バーバパパのがっこう」という象徴を具現化しようとすると、

・統一カリキュラムをなくす

・一斉授業をやめる

といったことがまず必要になります。

 

これは、現在の(というより明治以降の)学校教育の根幹に関わる問題です。

不登校が示している学校教育への異議申し立てや拒否の中身は、学校制度そのものなのです。

 

 

さて、「外野席」から俯瞰すれば以上のようなことになるのですが、文科省不登校対策がこんな方向に向かうはずはありません。

願わくば、せめて諸施策の中に草潤中で取り組まれている「枝葉」が一つでも多く取り入れられますように。

そしてこい願わくば、新たな施策には必ず十分な人的配置を伴い、決して今いる先生たちに新たな任務として被せることのありませんように。

 

文部科学省は、「実効性ある対策」(永岡桂子文科相)を年度内にもとりまとめるそうです。

注目を。

 

「不登校特例校」が示すもの②

一市民が「不登校特例校」の内実を知ることは、ほとんど不可能です。

ここに、教育ジャーナリストの中曽根陽子さんが「不登校特例校」を現地取材されたレポートがあります。一部を抜粋して引用させていただきます。

 

不登校の生徒が登校率85%の奇跡」岐阜の"バーバパパのがっこう"に殺到する全国の教育委員会が驚愕の光景

中曽根 陽子 教育ジャーナリスト
2022/10/30 11:00

 

開校1年半で100件の視察が殺到する岐阜の小さな学校
2021年4月に東海地方初の公立の不登校特例校として、岐阜市立草潤(そうじゅん)中学校(全校生徒40人程度、教職員27人)が開校しました。これまでの学校という枠の中で自分の才能を生かせなくて学校に行けなかった生徒、不登校を経験した生徒のための学校です。

 

 

バーバパパのがっこう」生徒が自分で選べる公立中
アドバイザーのひとり、京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授は、「理想はバーバパパのがっこう」と言い、子供が学校に合わせるのではなく、子供主体の学校にしていく学校らしくない学校というコンセプトでした。

 

例えば、担任も生徒が選ぶ、個別担任制を採用。生徒の希望を聞きながら、担当の先生を決めていき、2カ月に1回見直しもできます。

環境も、生徒の居心地の良さを重視。塗装や備品は“学校らしくない”デザインや明るくカラフルなものを選びました。常時解放されているマネジメントオフィスという名前の校長室には、ビビッドなオレンジのソファが置かれ、くつろぎにくる生徒の姿もあるそうです。

カーペット敷きの図書室には、キャンプに使うテントやハンモック、横になれるソファなど、学校らしからぬ備品がいろいろ置かれています。一人でも、友達と一緒でも、思い思いにくつろぎながら過ごすことができる場所が校内にいくつもあるのが印象的でした

海外の学校を視察に行くと、いつもそのカラフルさが印象に残り、日本の学校の建物の無機質な環境をなんとかできないのかと思っていたのですが、既存の学校でも、やろうと思えば、ここまで工夫ができるのだと感心しました。

開校当初の計画ではトイレ改修はありませんでしたが、開校前の不登校経験者のヒアリングでも最も要望が高く、「古く汚いトイレでは生徒が学校に来ない」と全体予算の3分の1強に当たる1100万円かけてきれいにしました。1階と3階のトイレは未改修のままなので、多くの生徒は2階のトイレを使うそうです。

 

 

遅刻や欠席という言葉がない学校
この学校のもうひとつの特徴が、遅刻や欠席という言葉がないということ。代わりにあるのが、「ゆっくり登校」「自宅」という表現。授業は全て生配信され、学校に来て学ぶか、自宅で学ぶかを生徒が選ぶことができます。自宅から参加する生徒は、授業中にやりとりができるか、放課後に個別担任とオンラインで面談などができれば、出席扱いとなります。

 

 

大人の関わり方が変わることで、生徒が短期間に変化

草潤中では、初年度は3学年生徒40人でスタート。その他に、在籍校に籍を置いたまま週1回50分個別学習支援を行う通級支援25人と、オンラインで指導を週2回1回20分学習支援するオンライン支援25人を受け入れました。1年半経って、生徒たちはどんな様子なのでしょうか。

初年度の卒業生は全員が高校に進学。登校率は、1年目が出席および出席扱い合わせて85.4%になりました。こう書くと登校を目指しているようですが、決してそうではなく、結果こうなったということです。

通級指導を担当する教員は、生徒の変化について次のように話してくれました。

「これまで人と関わる経験が少なかった子供たちが、この学校に来て、ひとつずつ経験を重ねる中で、変わっていく様子を目の当たりにしてきました。学校に行けなかった子供も、本音のところで人とつながりたいと思っています。ダメ出しをするのではなく、いいところを見つけて励ましてあげるうちに、子供たちは短期間で成長していきました」

実際、生徒たちの発案で全校行事を企画し、自分たちで旅行社と交渉して実施したり、新入生歓迎音楽会を開催したり、それ以前は、学校に来ることが困難だった生徒たちの変化に教員も驚かされたそうです。

 

中曽根陽子さんのレポートの全文は下のリンクから閲覧できます。

president.jp

 

記事を読む限り、草潤中学校はいわゆる「成功例」の一つだと思います。

そして、そこにはいくつもの「ヒント」があります。

 

2022年4月現在、公立の不登校特例校は12校しかありません。

なぜでしょう。解は明白、お金が掛かるからです。

逆説的に言えば、お金を掛ければ不登校の子どもたちの学びが保障される可能性が高いということです。

ここ1、2年の間にある程度の校数は増えそうです。しかし、対象となるのは24万人のうちのほんの一握りの子たちです。

 

草潤中学校の学校規模を見ます。

2021年4月に東海地方初の公立の不登校特例校として、岐阜市立草潤(そうじゅん)中学校(全校生徒40人程度、教職員27人)が開校しました。

初年度は3学年生徒40人でスタート。その他に、在籍校に籍を置いたまま週1回50分個別学習支援を行う通級支援25人と、オンラインで指導を週2回1回20分学習支援するオンライン支援25人を受け入れました。

草潤中学校の在籍生徒40人に対して教職員27人です。

私が知っている同規模の中学校の場合、管理職2人と養護教員を含めて9人です。小学校では、6人です。

草潤中の在籍生徒40人に通級支援25人とオンライン支援25人を加えると、90人になります。私が知っている同規模の中学校の教員は11人です。

つまり、草潤中の場合は「特例」によって教員定数の枠が外され、通常の公立校とは比較にならない数の教員が配置されています。

教育内容や教育方法を抜きに語るのは乱暴ですが、あえて言います。

草潤中の「成功」は、この規模の教員配置によって支えられています。換言すれば、不登校の子どもたちの学びの保障は、圧倒的な数の教員配置が前提でなければならないということです。

 

 

ある小規模校の話です。

コロナ禍で登校できない子どもにオンラインで授業を配信するようになりました。

教室での授業を進めつつ、画面の向こうにいる子にも目配りをします。「教える」という過程の後に「練習問題を解く」という個別学習の時間があります。

教室で問題プリントを配る場合は、オンラインでファイルを送付します。

プリントの答え合わせは、オンラインの子の場合はファイルを送り返してもらって行います。

GIGAスクール構想で一人1台のタブレットが配布されてから、日本中の学校で同じようなことが行われているのだと思います。

いまここで紹介しているのは、小規模校の1クラス10人にも満たないような教室の話です。そのクラスの教員が、オンライン対応をするようになって、教室にいる気になる子に関われる時間がとれなくなったというのです。

ましてや30人を超える教室では……。

 

不登校対策として、普通学校の教員にもカウンセリングの能力を付けて云々といった議論もあるようです。

何をか言わんや。

 

 

次回は、教育の中身に触れます。

 

「不登校特例校」が示すもの①

2023年1月31日、文部科学省は過去最多となった不登校の対策方針を示しました。「有識者会議の意見を踏まえ、年度内にもとりまとめる」としています。

 

 

GIGA端末で不登校の兆候把握へ 相談希望や「アラート」導入
毎日新聞 1/31(火) 19:27配信


 文部科学省は31日、小中学生で過去最多となった不登校の対策として、国の「GIGAスクール構想」で子どもに1人1台配布されたデジタル端末を活用し、不登校の兆候をつかむ方針を明らかにした。日常的に心身の状況を入力してもらい、学校がデータを踏まえて不登校リスクの高い子どもを把握・支援する。有識者会議の意見を踏まえ、年度内にもとりまとめる新たな不登校対策に、端末の活用を盛り込むとしている。

 これまでの対策は、子どもの事情に応じ特別カリキュラムを組める「不登校特例校」の設置を進めるなど、不登校になった子どもへの支援が中心だった。ただ、文科省の調査では、2021年度の小中学生の不登校は前年度比24・9%増の24万4940人と過去最多を更新。同省はこうした状況を受け、不登校の予防にも力を入れることにした。

 文科省は22年度、委託事業として、大阪府吹田市内の小中学校5校で子どもが学校配布の端末を利用し、心身の健康状態を担任の教員やスクールカウンセラーに伝える取り組みを進めている。「頭が痛い」などの体調の異変や睡眠状況、教員への相談希望の有無などを毎日入力し、教員に「アラート」も送れる。

 文科省は、同様の仕組みを全国的に広げることを想定しており、「リスクがある子どもの把握は教員の経験に頼ってきたが、データに基づき、課題が顕在化する前に予防できるようにしたい」と説明している。

 不登校の要因は、生活リズムの乱れや人間関係の悩みなど多岐にわたり、学業面のストレスもその一つとされる。新たな不登校対策では、読み書きが困難などの課題がある子どもにも分かりやすいよう授業を改善することも検討。10都道府県の計21校にとどまる不登校特例校の拡大についても引き続き進める方針だ。 

 永岡桂子文科相は31日の閣議後記者会見で「多くの子どもが学校の学びから置き去りにされていることは教育の根幹を揺るがす憂慮すべき課題だ。実効性ある対策をとりまとめたい」と述べた。【深津誠】

 

そもそも、「不登校」とは…

次の法律に「不登校」の定義があります。

義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律平成28年法律第105号)

第一章  総則

(目的)
第一条  この法律は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)及び児童の権利に関する条約等の教育に関する条約の趣旨にのっとり、教育機会の確保等に関する施策に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、基本指針の策定その他の必要な事項を定めることにより、教育機会の確保等に関する施策を総合的に推進することを目的とする。

(定義)
第二条  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
一  学校  学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する小学校、中学校、義務教育学校中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部若しくは中学部をいう。
二  児童生徒  学校教育法第十八条に規定する学齢児童又は学齢生徒をいう。
三  不登校児童生徒  相当の期間学校を欠席する児童生徒であって、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学が困難である状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められるものをいう。
四  教育機会の確保等  不登校児童生徒に対する教育の機会の確保、夜間その他特別な時間において授業を行う学校における就学の機会の提供その他の義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保及び当該教育を十分に受けていない者に対する支援をいう。

 

相当の期間学校を欠席する児童生徒」とは、具体域には「年間30日以上欠席した者」を指します。

不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義しています。

     (文部科学省不登校の現状に関する認識」)

 

先の「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(略称「教育機会確保法」)には、「不登校児童生徒等に対する教育機会の確保等」として次のように定めています。

第三章  不登校児童生徒等に対する教育機会の確保等

(学校における取組への支援)
第八条  国及び地方公共団体は、全ての児童生徒が豊かな学校生活を送り、安心して教育を受けられるよう、児童生徒と学校の教職員との信頼関係及び児童生徒相互の良好な関係の構築を図るための取組、児童生徒の置かれている環境その他の事情及びその意思を把握するための取組、学校生活上の困難を有する個々の児童生徒の状況に応じた支援その他の学校における取組を支援するために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

(支援の状況等に係る情報の共有の促進等)
第九条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒に対する適切な支援が組織的かつ継続的に行われることとなるよう、不登校児童生徒の状況及び不登校児童生徒に対する支援の状況に係る情報を学校の教職員、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者その他の関係者間で共有することを促進するために必要な措置その他の措置を講ずるものとする。

(特別の教育課程に基づく教育を行う学校の整備等)
第十条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒に対しその実態に配慮して特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校の整備及び当該教育を行う学校における教育の充実のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

(学習支援を行う教育施設の整備等)
第十一条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒の学習活動に対する支援を行う公立の教育施設の整備及び当該支援を行う公立の教育施設における教育の充実のために必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

(学校以外の場における学習活動の状況等の継続的な把握)
第十二条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う学習活動の状況、不登校児童生徒の心身の状況その他の不登校児童生徒の状況を継続的に把握するために必要な措置を講ずるものとする。

(学校以外の場における学習活動等を行う不登校児童生徒に対する支援)
十三条  国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。

 

特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校」は正式には「不登校児童生徒を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校」といい、その通称が「不登校特例校」です。

 

不登校特例校」は、構造改革特区での規制緩和の一環として2004(平成16)年に東京都八王子市の高尾山(たかおさん)学園に初めて導入され、2005年に学校教育法施行規則改正で制度化されました。

そして、2016年の「教育機会確保法」によって国および地方自治体の努力義務となりました。

とはいえ、「不登校特例校」の設置は2022年4月時点で21校(公立学校12校、私立学校9校)にとどまっています。このたびの報道によれば、「10都道府県の計21校にとどまる不登校特例校の拡大についても引き続き進める方針」だということです。

 

 

不登校特例校」には20年近い歴史があるとは言え、一般に広く認知されている存在ではありません。

次回、「不登校特例校」の内実とそれが示す課題について掘り下げたいと思います。

 

きょうは何の日 2月4日

立春

 

立春(りっしゅん)は、二十四節気において春の始まりとされる日。節分の翌日です。
現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のときで、2月4日ごろになります。

 

じゃらん」HPに掲載の図が分かりやすいので引用します。

 

太陽黄経
読み方:たいようこうけい

太陽が天球上を通る経路(黄道)を等角に分割した座標。特に春分点を座標ゼロとして360度に当分したものを言う。

                                                                        (実用日本語表現辞典)

 

 

2023年の「立春の瞬間(太陽黄経が315度のとき)」は、2月4日午前2時42分です。したがって立春は2月4日です。

2021年の場合、太陽黄経が315度のときは2月3日午後2時59分でした。調整の結果、立春は2月3日でした。

近年では1984年が2月5日で、その後2020年まで2月4日でした。今後は2025年が2月3日で、しばらくは4年に1度2月3日というパターンが続きます。

1984年 2月5
1985年 2月4日
……       2月4日
2011年    2月4日
2012年    2月4日
2013年    2月4日
2014年    2月4日
2015年    2月4日
2016年    2月4日
2017年    2月4日
2018年    2月4日
2019年    2月4日
2020年    2月4日
2021年    2月3
2022年    2月4日
2023年    2月4日
2024年    2月4日
2025年    2月3日
2026年    2月4日
2027年    2月4日
2028年    2月4日
2029年    2月3日
2030年    2月4日
2031年    2月4日
2032年    2月4日
2033年    2月3日
2034年    2月4日
2035年    2月4日
2036年    2月4日
2037年    2月3日
2038年    2月4日
2039年    2月4日
2040年    2月4日
2041年    2月3日
2042年    2月4日
2043年    2月4日
2044年    2月4日
2045年    2月3日
2046年    2月4日
2047年    2月4日
2048年    2月4日
2049年    2月3日
2050年    2月4日

 

二十四節気」についても「じゃらん」の記事が分かりやすいので紹介します。

立春とは?
立春とは、二十四節気(にじゅうしせっき)において、春の始まりであり、1年の始まりとされる日です。

二十四節気は紀元前の中国で生まれた、太陽の動きに基づいたこよみです。1年を4つの季節に分け、さらにそれぞれの季節を6つに分割しています。
4×6=24なので、二十四節気…ということですね。

四季の最初が、立春立夏立秋立冬。この4つは「四立(しりゅう)」と呼ばれています。

古代中国では冬至日を1年の区切りにしていましたが、だんだんと「春から1年が始まる」という考えになりました。国民に季節の運行を知らせることは、王の大事な役目であり、冬よりも春の方が重要な季節だったのです。

四立の前日が「節分」。節分って、本来は1年に4回あるんですね。
その中で、1年の終わりであり、大みそかともいえる立春の前日が、今も豆まきなど節分の行事を行う大事な日として残っています。

 

二十四節気はさらに「初候」「次候」「末候」の3つに分かれます。

立春」の場合、

初候  東風解凍 (はるかぜこおりをとく)
次候  水泉動 (うぐいすなく)
末候  雉始雊 (うおこおりをいずる)

となります。

これが「七十二候」です。(24×3=72)

ある年、「気候撮」と称して「七十二候」を写真に収める挑戦をしました。地域の問題、気候変動の問題、生活の変化などあって、時期をずらして撮影できたものも含めて自宅周辺で撮れたのは53枚でした。

二十四節気」「七十二候」は、いにしえ人の豊かな感性に触れる日でもあります。

きょうは何の日 2月1日

テレビ放送記念日

 

1953(昭和28)年2月1日、NHK東京放送局が日本初のテレビ本放送を行いました。

 

「雑学ネタ帳」より紹介します。

1953年(昭和28年)2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館のスタジオから「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送された。また、都内7ヵ所で一般公開され、開局祝賀会の模様や舞台中継、ニュース、映画などが放送された。

ちなみに「JOAK」とは、東京放送局コールサイン(呼び出し符号)である。

当時の東京放送会館
当時の東京放送会館

当時の受信契約数は866件。大卒の初任給が約8000円の時代に受信料は月200円だった。また、国産の14インチ型の白黒テレビは17万5000円もした。

同年の8月には日本テレビ、翌1954年(昭和29年)3月にNHK大阪と名古屋、1955年(昭和30年)4月にラジオ東京(現:東京放送(TBS))でもテレビ放送が開始された。

2011年(平成23年)3月末の受信契約数は4027万件(地上2378万件、衛星1650万件)となっている。

また、関連する記念日として、9月1日は「民放ラジオ放送開始記念日」、8月28日は「民放テレビスタートの日」、9月10日は「カラーテレビ放送記念日」となっている。

 

「NHK」HPの「NHK放送史」より一部を抜粋引用します。

テレビ放送の歴史
NHKがテレビの本放送を開始したのは1953(昭和28)年2月1日。それからめざましい進化を遂げたテレビは、いまや生活に欠かせないメディアとなった。生放送から現在のデジタル時代まで、テレビ放送が歩んだ道筋を振り返る。

1953(昭和28)年
テレビ放送スタート!
1939(昭和14)年5月、NHKが日本初のテレビ公開実験を実施した。戦争による中断を経て1948(昭和23)年に戦後初の公開実験を行い、1953年2月1日、いよいよ本放送を開始した。同年、8月には民放の日本テレビ放送網も本放送を開始した。盛り場や駅、公園などには街頭テレビを設置、群衆がプロレスやボクシングなどに熱狂した。


『テレビジョン実験放送開始』

※テレビ放送開始3週間目で始まったのが人形劇『玉藻前』。同じ月に『ジェスチャー』もスタートして一躍人気番組となった。1958(昭和33)年4月からは連続ドラマ『事件記者』も始まり大ヒットする。

ジェスチャー』司会の水の江滝子と柳家金語楼

 

“テレビは文化のバロメーター” テレビ放送開始
日本のテレビ放送は、講和条約が発効した翌年、1953(昭和28)年2月1日にNHKが本放送をはじめた。テレビの父高柳健次郎がブラウン管に「イ」の字をはじめて映したのが1926(昭和元年)。使用した機器はイメージオルシコンカメラ(撮像管)を除きすべてNHK技術研究所が設計した国産品だった。民放初の日本テレビ放送網の開局は8月28日。米国の技術を導入し、広告放送としてスタートした。

テレビ放送初日に使用された歴史的カメラ(NHK放送博物館所蔵)

 

NHKテレビジョン放送開始

放送年:1953年
詳細
1953(昭和28)年2月1日、東京・内幸町にあったNHK放送会館で日本初のテレビ本放送が始まった。古垣会長は「テレビは国民生活全体の上に革命的ともいえる大きな働きを持つ」とあいさつした。当時、NHKにあったのはスタジオ系カメラが3台、中継用カメラが2台。テレビはフィルム撮影の一部のニュース、映画などの他はすべて生放送だった。

 

 

 

きょうは何の日 1月31日

生命保険の日

 

「生命保険の日」は、「日本で生命保険の保険金が最初に支払われたことが新聞に報じられた日(1882(明治15)年1月31日)」に由来します。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

1881年明治14年)に日本初の生命保険会社である明治生命が設立され、翌年の1882年(明治15年)のこの日、日本初の保険金受取人が現れたことが報じられた。

これは保険の加入者が1000名に達した頃の出来事だった。1月20日、神奈川県警部長が心臓発作で急死した。彼の遺族が受け取った金額は1000円で、彼が支払った保険料はたった30円であった。保険会社は大損をしたが、新聞がこれを大きく報じたことで、生命保険が広く知られることとなった。

記念日は東京都千代田区内神田に事務局を置き、各生命保険のトップセールスマンが集まる一般社団法人MDRT日本会が制定。お客様のために初心を忘れないようにとこの日を記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 

ニッセイ基礎研究所」のHPに掲載されている「1月31日は『生命保険の日』-日本と米国における生命保険に関する記念日について-」(保険研究部 研究理事   中村 亮一)より一部を抜粋します。

この時のプレス・リリース資料によれば、「この日本最初の保険金は、1881年明治14年)7月9日に日本で最初に設立された有限明治生命保険会社(現明治安田生命保険相互会社)によって、1882年(明治15年)1月27日に支払われている。さらに、この最初の保険金支払の対象になったのは警察関係の方で、支払った保険料が30円、遺族が受け取った保険金は1000円とのことで、当時の物価から推測すると、現在なら保険料10万円、保険金300万円程度の金額になる。」とのことである。当時は、生命保険を全く知らない人も多かったため、この記事が大きな衝撃をもって受けとめられたと言われている。

 

きょうは何の日 1月28日

コピーライターの日

 

1月28日は「コピーライターの日」です。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

1956年(昭和31年)のこの日、「万国著作権条約」が公布された。

この条約で、著作物にCopyright(著作権)の頭文字「C」を丸で囲んだ記号「©」を付記することが定められたことから、「コピーライト」を「コピーライター」にひっかけて記念日とした。万国著作権条約は日本ではこの年の4月28日に発効した。

コピーライター(copywriter)とは、商品や企業を宣伝するため、新聞・雑誌・ポスターなどのグラフィック広告、テレビCM、ラジオCM、ウェブサイトやバナー広告などに使用する文言(コピー)を書くことを職業とする人のことである。

 

万国著作権条約」は著作権の保護を定めたものです。「コピーライター」の「コピーライト」もそこに含まれますが、「コピーライター」のために制定されたものではありません。

 

コピーライターの日」は、別に宣伝会議が制定したものもあります。こちらは11月11日です。

11月11日は、コピーライターの日

 

ひとびとにヒットする一行。

11月11日は、

コピーライターの日になりました。

 

いつの時代でも、広告コピーは浸透していきます。

「牛乳に相談だ!」「予想外」「ガス・パッ・チョ」など知ったフレーズ、「亭主元気で留守がいい」「私はこれで会社を辞めました」などの流行語、「婚約指輪は給料3カ月分」など人の意識に深く根付いている言葉など、広告のコピーは、社会を風刺したり、生活者のココロの本音に迫ったりと様々なアプローチで時代に切り込んでいきます。
そういったコピーは社会に認知され、流行になり、世の中を変えていきます。でも、そのコピーを生み出したコピーライターのことは誰も知りませんし、コピーの仕事はそういうものでもあります。最近では、弊社で運営している宣伝会議賞のほか、コピーに関する公募賞が増えはじめ、広告クリエイターが広告以外の分野でも活躍しはじめました。
そんなコピーライターを50年以上もの間、養成し続けたコピーライター養成講座。もっともっと、コピーライターの仕事に光を当てたい、という思いからコピーライターの日、設立に至りました。