教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

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日本語探訪(その130) 故事成語「天高く馬肥ゆる秋」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第52回は「天高く馬肥ゆる秋」です。

 

天高く馬肥ゆる秋

 

「天高く馬肥ゆる秋」の読み方

てんたかくうまこゆるあき

 

「天高く馬肥ゆる秋」の意味

秋は空が澄み渡って高く晴れ、馬は肥えてたくましくなるという意で、秋の好時節をいう。(広辞苑

 

「天高く馬肥ゆる秋」の使い方

秋は天高く馬肥ゆるだから、空腹の季節である。(深沢七郎『百姓志願」1968年)

 

「天高く馬肥ゆる秋」の語源・由来

「天高く馬肥ゆる秋」の出典は、杜審言(としんげん)の詩「贈蘇味道(そみどうにおくる)」です。杜審言(645~708年)は、杜甫の祖父です。

贈蘇味道
  杜審言

北地寒應苦
南城戍不歸
邊聲亂羌笛
朔氣捲戎衣
雨雪關山暗
風霜草木稀
胡兵戰欲盡
漢卒尚重圍
雲淨妖星落
秋高塞馬肥
據鞍雄劍動
搖筆羽書飛
輿駕還京邑
朋遊滿帝畿
方期來獻凱
歌舞共春輝

 

【読み下し文】

贈蘇味道(そみどうにおくる)

  杜審言(としんげん)

北地(ほくち) 寒(かん) 応(まさ)に苦(くる)しかるべし
南城(なんじょう) 戍(まも)りて帰(かえ)らず
辺声(へんせい) 羌笛(きょうてき)を乱(みだ)し
朔気(さっき) 戎衣(じゅうい)を捲(ま)く
雨雪(うせつ) 関山(かんざん)暗(くら)く
風霜(ふうそう) 草木(そうもく)稀(まれ)なり
胡兵(こへい) 戦(たたか)いて尽(つ)きんと欲(ほっ)し
漢卒(かんそつ) 尚(な)お囲(かこ)みを重(かさ)ぬ
雲(くも)浄(きよ)くして妖星(ようせい)落(お)ち
秋(あき)高(たか)くして塞馬(さいば)肥(こ)ゆ
鞍(くら)に拠(よ)れば雄剣(ゆうけん)動(うご)き
筆(ふで)を揺(ゆる)がせば羽書(うしょ)飛(と)ぶ
輿駕(よが) 京邑(けいゆう)に還(かえ)り
朋遊(ほうゆう) 帝畿(ていき)に満(み)つ
方(まさ)に期(き)す 来(きた)りて凱(がい)を献(けん)じ
歌舞(かぶ) 春輝(しゅんき)を共(とも)にせんことを

 

秋高塞馬肥

秋(あき)高(たか)くして塞馬(さいば)肥(こ)ゆ

秋高 … 秋の空気が澄みわたって、空が高く見えること。
塞馬 … 辺地の馬。国境地帯の馬。北辺の馬。胡馬。

 

日本では「天高く馬肥ゆ」が一般的ですが、本来は「秋高く馬肥ゆ」です。

「秋高く馬肥ゆ」も「秋は空も高く澄み渡り馬も肥える。秋の時節のすばらしさをいう。」(広辞苑)語ですが、もともとは「辺境の異民族が攻めてくる時期になったから、防戦の準備をおこたってはならぬ、といういましめの言葉」です。

昔、中国では、北方の騎馬民族匈奴が収穫の秋になると大挙して略奪にやってきたので、前漢の趙充国はそれを見抜き、「馬が肥ゆる秋には必ず事変が起きる、今年もその季節がやってきた」と、警戒の言葉として言ったようです。しかし匈奴が滅びた後は、現在の意味で使われるようになったということです。

 

「天高く馬肥ゆる秋」の蘊蓄

「天高く馬肥ゆる秋」の四字熟語

天高馬肥(てんこうばひ、てんたかくうまこゆ)

 

秋高馬肥(しゅうこうひば、あきたかくうまこゆ)

 

天高気清(てんこうきせい、てんたかくききよし)

秋の空が高く、すっきりと晴れ渡っていて、空気がさっぱりとしていること。

 

秋高気爽(しゅうこうきそう)

秋空が高く空気がすがすがしい。