国連加盟記念日
1956(昭和31)年12月18日、日本の国際連合加盟案が全会一致で可決され、国連加盟が承認されました。
「Wikipedia」より引用します。
加盟
日本は、サンフランシスコ講和条約が発効して主権が回復した1952年に国際連合に加盟を申請した。しかし、冷戦の最中であり、ソビエト連邦など社会主義諸国の反対によってなかなか実現しなかった(安全保障理事会では常任理事国5か国が拒否権を有しており、そのうちの1か国であるソ連が反対する限り、日本は国際連合に加盟できなかった)。1956年10月の日ソ共同宣言とソ連との国交回復によってこの障害がなくなったため、同年12月12日の安保理決議121での承認勧告の後、12月18日の総会における全会一致の承認でもって80番目の加盟国として国際連合に加盟した。日本が国連に加盟した1956年当時、国連は平和主義の日本にとって、平和な世界秩序への希望を体現するものであると考えられ、大きな熱意と幅広い国民の支持を得た。1951年にアメリカ合衆国との間で締結した日米安全保障条約に加えて、自国の非武装中立政策を保証するものと考えていた多くの日本人にとって、国連加盟は歓迎すべきことであった。また、日本の安全保障をアメリカにほぼ全面的に依存していることを覆い隠したり、薄めたりするために国連への支援が有効だと考える人もいた。日本政府は国連を、リスクを最小限に抑えた全方位的な外交政策のための理想的な舞台と考えていた。
国連加盟以来、日本の外交の中軸は「日米同盟」と「国際連合中心主義」の二本立てであり、国際連合を中心として多国間外交を行ってきている。日本の国際的な安全保障は、国際連合の集団安全保障体制に依存している。日本国憲法第9条に、国際連合憲章の集団安全保障と同じ概念が盛り込まれているのかについては、論議が長く続いている。
国際連合広報センターのHPより引用します。
国連加盟国加盟年順序
1945年
(原加盟国
51カ国)アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、ベラルーシ、カナダ、チリ、中国、コロンビア、コスタリカ、キューバ、チェコスロバキア、デンマーク、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フランス、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、イラン、イラク、レバノン、リベリア、ルクセンブルグ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、ポーランド、ロシア連邦、サウジアラビア、南アフリカ、シリア、トルコ、ウクライナ、英国、米国、ウルグアイ、ベネズエラ、ユーゴスラビア※1 1946年
(55カ国)アフガニスタン、アイスランド、スウェーデン、タイ 1947年
(57カ国)パキスタン、イエメン 1948年
(58カ国)ミャンマー 1949年
(59カ国)イスラエル 1950年
(60カ国)インドネシア 1955年
(76カ国)アルバニア、オーストリア、ブルガリア、カンボジア、フィンランド、ハンガリー、アイルランド、イタリア、ヨルダン、ラオス、リビア、ネパール、ポルトガル、ルーマニア、スペイン、スリランカ 1956年
(80カ国)日本、モロッコ、スーダン、チュニジア 1957年
(82カ国)ガーナ、マレーシア 1958年
(82カ国)※2ギニア 1960年
(99カ国)ベナン、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ(共和国)、チャド(外務省HPではチャード共和国)、コンゴ、コートジボアール、キプロス、ガボン、マダガスカル、マリ、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、ソマリア、トーゴ、コンゴ民主共和国 1961年
(104カ国)モーリタニア、モンゴル、シエラレオネ、タンザニア(連合共和国) 1962年
(110カ国)アルジェリア、ブルンジ、ジャマイカ、ルワンダ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ 1963年
(112カ国)ケニア、クウェート 1964年
(115カ国)マラウイ、マルタ、ザンビア 1965年
(118カ国)ガンビア、モルディブ、シンガポール 1966年
(122カ国)バルバドス、ボツワナ、ガイアナ、レソト 1967年
(123カ国)民主イエメン 1968年
(126カ国)赤道ギニア、モーリシャス、スワジランド 1970年
(127カ国)フィジー 1971年
(132カ国)バーレーン、ブータン、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦 1973年
(135カ国)バハマ、ドイツ民主共和国、ドイツ連邦共和国 1974年
(138カ国)バングラデシュ、グレナダ、ギニアビサウ 1975年
(144カ国)カーボベルデ、コモロ、モザンビーク、パプアニューギニア、サントメ・プリンシペ、スリナム 1976年
(147カ国)アンゴラ、サモア、セイシェル 1977年
(149カ国)ジブチ、ベトナム 1978年
(151カ国)ドミニカ国、ソロモン諸島 1979年
(152カ国)セントルシア 1980年
(154カ国)セントビンセントおよびグレナディーン諸島、ジンバブエ 1981年
(157カ国)アンチグア・バーブーダ、ベリーズ、バヌアツ 1983年
(158カ国)セントクリストファー・ネイビス 1984年
(159カ国)ブルネイ 1990年
(159カ国)リヒテンシュタイン、ナミビア※3 1991年
(166カ国)朝鮮民主主義人民共和国、エストニア、ミクロネシア連邦、ラトビア、リトアニア、マーシャル諸島、韓国 1992年
(179カ国)アルメニア、アゼルバイジャン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア※3、グルジア※2、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、サンマリノ、スロベニア、タジキスタン※3、トルクメニスタン、ウズベキスタン 1993年
(184カ国)アンドラ、チェコ、エリトリア、モナコ、スロバキア、マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国※3 1994年
(185カ国)パラオ 1999年
(188カ国)キリバス、ナウル、トンガ 2000年
(189カ国)ツバル、ユーゴスラビア※1 2002年
(191カ国)スイス、東ティモール 2006年
(192カ国)モンテネグロ 2011年
(193カ国)南スーダン
※1 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1945年6月26日国連憲章に調印し10月19日に批准、原加盟国として国連に加盟した。その後、国家はボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア共和国、スロベニア共和国、マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国とユーゴスラビア連邦共和国とに解体し、それぞれが新たに加盟国として承認された。
- ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国は1992年5月22日総会決議A/RES/46/237によって加盟国として承認された。
- クロアチア共和国は1992年5月22日総会決議A/RES/46/238によって加盟国として承認された。
- スロベニア共和国は1992年5月22日総会決議A/RES/46/236によって加盟国として承認された。
- 1993年4月8日総会決議A/RES/47/225は、加盟を認めるとともに、国名をめぐる論争が解決するまでの期間、国連におけるすべての目的について、「マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国」との暫定名称を使うことを決めた。
- ユーゴスラビア連邦共和国は2000年11月1日総会決議A/RES/55/12によって加盟国として承認された。
※2 加盟国数に変化がないのは、1958年1月21日にシリアとエジプトが合併し、アラブ連合共和国として単一の加盟国となったため。 ※3 ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国は1973年9月18日、国連に加盟。1990年10月3日、ドイツ民主共和国がドイツ連邦共和国に統合され、一つの主権国家となった。