教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

人権教育教材としての『おくりびと』と『納棺夫日記』

おくりびと』は、2008年に公開された映画です。

滝田洋二郎監督の作品で、第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞しています。

 

Wikipediaから作品の「あらすじ」を引きます。

プロのチェロ奏者として東京の管弦楽団に職を得た小林大悟。しかし、ある日突然楽団が解散し、夢を諦め、妻の美香とともに田舎の山形県酒田市へ帰ることにする。

就職先を探していた大悟は、新聞で「旅のお手伝い」と書かれたNKエージェントの求人広告を見つける。てっきり旅行代理店の求人と思い込み「高給保障」や「実労時間僅か」などの条件にも惹かれた大悟は面接へと向かう。面接した社長は履歴書もろくに見ず「うちでどっぷり働ける?」の質問だけで即「採用」と告げ、名刺まで作らせる。大悟はその業務内容が実は「旅立ちのお手伝い」であり、具体的には納棺(=No-Kan)と知って困惑するが、強引な社長に押し切られる形で就職することになる。しかし妻には「冠婚葬祭関係」としか言えず、結婚式場に就職したものと勘違いされてしまう。

出社早々、納棺の解説DVDの遺体役をさせられ散々な目に遭い、さらに最初の現場では夏、孤独死後二週間経過した高齢女性の腐乱屍体の処理を任され、大悟は仕事の厳しさを知る。

それでも少しずつ納棺師の仕事に充実感を見出し始めていた大悟であったが、噂で彼の仕事を知った幼馴染の銭湯の息子の山下から「もっとましな仕事に就け」と白い目で見られ、美香にも「そんな汚らわしい仕事は辞めて」と懇願される。大悟は態度を決めきれず、それに腹を立てた美香は実家に帰ってしまう。さらに、ある現場で不良学生を更生させようとした列席者が大悟を指差しつつ「この人みたいな仕事して一生償うのか?」と発言したのを聞いたことを機会に、ついに退職の意を社長に伝えようとするが、社長のこの仕事を始めたきっかけや独特の死生観を聞き、思いとどまる。

場数をこなしそろそろ一人前になった頃、突然美香が大悟の元に戻ってくる。妊娠を告げられ、再び納棺師を辞めるよう迫られた大悟に仕事の電話が入る。それは、一人で銭湯を切り盛りしていた山下の母、ツヤ子の納棺の依頼であった。山下とその妻子、そして自らの妻の前でツヤ子を納棺する大悟。その細やかで心のこもった仕事ぶりによって、彼は妻の理解も得、山下とも和解した。

そんなある日、大悟の元に亡き母宛ての電報が届く。それは大悟が子供の時に家庭を捨て出て行った父、淑希の死を伝えるものであった。「今さら父親と言われても…」と当初は遺体の引き取りすら拒否しようとする大悟に、自らも帯広に息子を残して男に走った過去があることを告白した同僚の上村は「最後の姿を見てあげて」と説得する。美香の勧めもあり、社長に車を借りて遺体の安置場所に向かった大悟は、30年ぶりに対面した父親の納棺を自ら手掛ける。 

 

主役の小林大悟を務めたのは本木雅弘さんです。

本木さんは単なる主演俳優ではなく、映画作品の「生みの親」であったようです。同じくWikipediaから「概要」を引きます。

本木雅弘が、1996年に青木新門・著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木新門宅を自ら訪れ、映画化の許可を得た。その後、脚本を青木に見せると、舞台・ロケ地が富山ではなく、山形になっていたことや物語の結末の相違、また本人の宗教観などが反映されていないことなどから当初は映画化を拒否される。

本木はその後、何度も青木宅を訪れたが、映画化は許されなかった。「やるなら、全く別の作品としてやってほしい」との青木の意向を受け、『おくりびと』というタイトルで、『納棺夫日記』とは全く別の作品として映画化。映画公開に先立って、小学館さそうあきらにより漫画化されている。このコミック版では建築物の細部まで多くの描写が映画と共通しているが、主人公の妻の職業などいくつか差異がある。

映画の完成までには本木と、本木の所属事務所元社長の小口健二の働きは大きい。

 

私は、2008年に『おくりびと』を見ました。

たしか2000年だったと思いますが、青木新門さんの講演を聴く機会がありました。そしてその会場で、青木さんのサインと落款のある『納棺夫日記』(文春文庫、1996年) を買い求めました。

映画化の時点ではWikipediaにあるような経緯は知りませんでしたが、公開前のCMで青木さんの著作が元になっていると直感しました。そして、映画を見ました。

 

著者の青木さんのプロフィール(1996年時点)を『納棺夫日記』のカバーから拾ってみます。

1937年、富山県入善町生まれ。

早稲田大学中退後、富山市内で飲食店を経営したが倒産。新聞の求人広告をみて、冠婚葬祭会社に就職。専務取締役をへて、現在は相談役を務めている。

「納棺夫」とは著者の造語であり、その体験が本書に結実した。 

 

「納棺夫」は青木さんの造語で、職業としては一般的に「納棺師」と言います。

 

納棺夫日記 増補鑑定版』(文春文庫、1996年)

 内容(「BOOK」データベースより)
掌に受ければ瞬く間に水になってしまうみぞれ。日本海の鉛色の空から、そのみぞれが降るなか、著者は死者を棺に納める仕事を続けてきた。一見、顔をそむけたくなる風景に対峙しながら、著者は宮沢賢治親鸞に導かれるかのように「光」を見出す。「生」と「死」を考えるために読み継がれてほしい一冊。

「増補改訂版」とあるのは、『納棺夫日記』の初版は1993年に富山の桂書房から刊行されました。文庫化に際し、同書の中の「納棺夫日記」部分のみを用いて一部改定し、新たに「『納棺夫日記』を記して」と著者注釈を書き下ろしています。

 

 

映画も感動しましたが、著作はさらに感動しました。

どちらもお薦めですが、まずは読んでいただきたいです。

 

私が「人権教育」という視点から『おくりびと』と『納棺夫日記』を取り上げているのは、先に映画『大コメ騒動』(「米騒動」か「米よこせの運動」か)を取り上げたのと同じ理由です。

マイナスのイメージを纏わされているものが、それがきっかけで払拭されると期待できるからです。

 

「納棺師」に限らず、葬祭に関わる仕事はしばしば職業差別の対象になってきました。

この差別は、死に対する「穢れ」観念に起因するものと思われます。

最近はあまり見なくなりましたが、葬儀場で渡される「清めの塩」は、「穢れ」を祓うためのものです。ほとんどの人はそんな意識もなく、「慣習」として塩を使っていたと思われます。しかし、無意識下の慣習として「清め(浄め)」が存在する裏側に無意識下の「穢れ」観念があり、それが職業差別につながっていることを意識しなくてはなりません。

 

「穢れ」には、「死」「出産」「血」に関するものがあるとされてきました。

女性を「不浄」としてきたのは「出産」「血(月経)」に因ります。何を言っているかと思いますが、いまも女人禁制の山もあれば土俵もあります。

広島県の宮島は島全体が神域で、出産と葬儀は海を隔てた本土で行ってきたといいます。墓も島にはありません。

 

「穢れ」のなかで最も重大視されていたのが死の穢れ、「死穢(しえ)」です。

古代・中世において死は恐怖の対象と見られ、死は伝染すると信じられていました。『延喜式』に、人の死穢は30日の謹慎と定められていました。

凡そ穢悪(えお)の事に触れて忌むべきは、忌に応るは、人の死は三十日を限り〔葬る日より始めて計えよ〕、産は七日、六畜の死は五日、六畜の産は三日〔鶏は忌む限りに非ず〕、宍を喫(はめ)るは三日云々

「穢れ」に触れることを「触穢(そくえ)」といいます。これも定めがありました。

凡そ甲の処に穢あり、乙その処に入らば〔着座を謂う〕、乙および同処の人は皆穢となせ。丙、乙の処に入らば、ただ丙の一身のみ穢となし、同処の人は穢となさず。乙、丙の処へ入らば、同処の人皆穢となせ。丁、丙の処に入るとも穢となさず。 

このような定めに従って、死穢に触れた者は、役所、衛陣、侍従所などの公の場に行くことができませんでした。その期間は甲30日、乙20日、丙10日、丁3日と定められていました。

ある貴族が、死穢に触れたことに気をもみ、心を病んで亡くなったという、笑い話のような笑えない話も残っています。

 

これらは1000年以上も前の話です。

しかし、いまも「忌中」があり、「喪中」もあります。

たまたま目にした「株式会社 加登」という会社のホームページに掲載されたものです。

忌中と喪中の違いとは何か?

近親者が亡くなった際に使われる言葉「忌中」と「喪中」。一見、どちらも似たような言葉に思えますが、具体的に両者にはどのような違いがあるのでしょうか。
 

忌中とは

忌中は、「死は穢れたものである」という神道の考えから生まれたもので、その穢れが他人にうつらないように外部との接触を断ち「自宅にこもって故人のために祈りを捧げて過ごす期間」を設けたのが由来です。
本来は仏教とは関係のない言葉ではあるようですが、仏教においても四十九日の法要が終わるまでの期間を忌中と呼ぶことが多いです。
 

喪中とは

喪中は、忌中も含む、より長い期間を指します。喪に服す期間、つまり、死を悼んで身を慎む期間です。亡くなった近親者への哀悼の気持ちをあらわすための期間であるため、昔は喪服を着て過ごしていたようです。
奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」、明治時代の「服忌令(ぶっきりょう)」といった法律により、喪中についての規定がなされたことも過去にはありました(現在の法律に規定はありません)。
 

忌中と喪中の期間の違い

忌中の期間には仏教と神道とで違いがあります。仏教の場合、四十九日法要を持って「忌明け」とするのが一般的です。神道では忌中の期間は故人との関係によって長さが異なり、最大で50日とされています。一方、喪中は儒教の考え方となるため、期間には仏教と神道とで違いはありません。故人との関係によって最大で1年間、一周忌法要までという考え方が一般的です。
 
学校や職場が定めた期間に従って休暇を取る「忌引き(きびき)」にも「忌」という言葉が使われていますが、忌引きの期間は忌中の期間とは関係なく、続柄によって1日~10日間と異なっています。忌引きが終わることが忌明けだと勘違いされやすいのですが、忌引きはあくまで「休暇が取れる期間」ですので、忌引きが終わっても忌中は続きます。
 
 

忌中や喪中の期間のマナーについて

忌中や喪中というのは、近親者を亡くした遺族がその死を悲しんで喪に服すことを意味していますので、期間中は過ごし方にも配慮が求められます。原則として、慶事への参加を控えること。例えば、結婚式や地鎮祭などへの参加やお正月の初詣などは避けるべきです。地域によっては、忌明けまでは派手な服装を避けることが習慣となっている場合もあります。
忌中であれば神社への参拝も控えるべきとされていますが、(忌が明けた後の)喪中については、少なくとも神社への参拝は控える必要はないとされています。
 
その一方で、近年は価値観の多様化によって忌中や喪中であっても、それぞれの判断によって過ごし方を決めるという方も増えているようです。
 
 
忌中と喪中はそれぞれに意味や過ごし方が異なりますが、どちらも残された家族が大切な人を失った悲しみと向き合い、これまで通りの生活を取り戻すために必要な時間だと言えるのではないでしょうか。
 

 

無意識下の慣習・風習が、無意識下の差別意識に繋がっているとすれば……。