SMAPの「世界に一つだけの花」が流行ったのは2002年のことでした。
翌2003年8月、某所にて人権教育の講演を行ったのですが、その折に「世界に一つだけの花」を聴いてもらいました。
音楽を通して「人権教育とは何か」を考える企画です。
つぎに示しているのは、講演レジュメの一部です。
1.「同和教育」から「人権教育」へ
(1)「同和教育」ってどんな教育
○部落問題の解決をめざす「専門店」として出発。(当然、集団作りを含む)
○複数の人権問題を扱う「専門店街」として発展。
(2)「人権教育」って何
○気分は人権教育だが…
○体系としての人権教育をめざして(イメージとしては「デパート」)
■人権の基礎 □セルフエスティーム □風船型
□いがぐり型
※すべての土台として位置づける
□コミュニケーション能力
人間関係づくり
□アサーティブネスの力
※スキルとして身につけさせる
■人権学習■普遍的な視点から□基本的人権□権利と責任□偏見etc.
■個別的な視点から□部落問題□女性□子ども□高齢者
□「障害者」□外国人□HIV感染者等
□アイヌの人々□平和□環境
「世界に一つだけの花」は2002年、講演は2003年ですから、まもなく20年になろうとしています。しかしながら、人権教育はそのときと同じ流れにあります。
人権教育にとって2002年は大きな節目の年でした。
同和対策特別措置法(1969年)以来の法に基づく特別措置が2001年度末をもって終了しました。その数年前から、「同和教育」を「人権教育」として再編・移行していく準備が進められていました。
2002年は、法効後の人権教育スタートの年だったのです。
音楽家の槇原敬之さんがそんなことを意識していたとは思えませんが、あまりにもいいタイミングで「世界に一つだけの花」の詞を書かれたものです。
SMAPの歌のヒットも「法」とは何の関係もないでしょう。しかし、絶妙のタイミングで流行ったと、私には思えました。
「世界に一つだけの花」(作詞・作曲:槇原敬之 歌:SMAP 2002年)
そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one
なんとも素敵なフレーズです。
この時代を生きていた槇原さんの肌感覚だと思います。
そして、それは同時に、その頃さかんに協調された人権教育の世界観でもありました。
そこではセルフエスティーム(自己肯定感、自尊感情)を育てることの重要性が説かれ、「いいところさがし」などのアクティビティーが盛んにおこなわれていました。
人権教育が社会の空気を反映したととらえればそれまでのことです。
しかし、「同和教育」が「人権教育」に再編・移行していく過程を立ち会った私は複雑な思いを持っていました。
上のレジュメで、「同和教育」は部落問題の解決をめざす「専門店」として出発し、「部落問題」「在日朝鮮人問題」「障害者問題」「平和」など複数の人権問題を扱う「専門店街」として発展してきたと書きました。そして、「人権教育」に再構築していくイメージを「デパート」になぞらえました。
「デパート」には、「人権の基礎」を扱うフロアと、「普遍的な視点からの人権学習」を扱うフロア、「個別的な視点からの人権学習」を扱うフロアがあります。たとえば「個別的な視点からの人権学習」フロアには、「部落問題」「外国人問題」「障害者問題」「平和」などの「専門店」が入ります。
ところが、目の前に現れた「デパート」は、「人権の基礎」フロアが過半を占めていました。セルフエスティームなどはここに位置します。
「人権の基礎」フロアの上には「普遍的」フロアがあり、「個別的」フロアがありました。「個別的」フロアの専有面積は極めて小さく、なかでも「老舗」の「部落問題」についてはかろうじて店舗を構えているといった体でした。少なくとも私の目にはそう映りました。
ここでは詳細は省きます。「人権教育のカリキュラムを創る①」および同②~⑦までのシリーズをご覧ください。
「世界に一つだけの花」には何の落ち度もありません。
「世界に一つだけの花」が拓く人権教育の地平は、「人権の基礎」や「普遍的な視点からの人権学習」を扱うフロアに展開されるものです。
それはとても大事なものなのですが、個別の人権問題はそれだけでは解決しないのです。こんにちの人権教育は、その部分があまりにも手薄に思えてなりません。