教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 7月1日

東海道本線全通記念日

 

1889(明治22)年の7月1日、新橋から神戸までの東海道本線が全線開通したことを記念して、「東海道本線全通記念日」と呼ばれています。

 

新橋~神戸の直通列車は1日1往復の運行で、所要時間は20時間5分、運賃は下等で3円76銭でした。

その後、1914(大正3)年2月20日に東京駅が開業して、東海道本線の起点は東京駅に変更されました。

 

「川上幸義の東海道線創業史」HPに、明治22年頃の品川駅や明治30年の列車の写真などが紹介されています。 

明治22年頃の品川駅 左下に八ツ山橋の影が映っている。
海が下りホーム際に迫っており、東京湾の海岸線が遥か遠くまで見える。

大磯駅の上り列車 機関車はスケネクタデー製 明30
右側の山は吉田茂邸のあった山

 

以下は、「Wikipedia」の記事より引用です。

東海道本線は、東京から横浜・静岡・浜松・名古屋・京都・大阪などの、太平洋ベルトといわれる本州の太平洋側の各都市を経て神戸までを結ぶ全長589.5 km(支線を除く)の路線である。支線を除いた全長は山陰本線に次ぐ日本全国第2位である。

当路線のうち、新橋駅(後の汐留貨物駅、現・廃止) - 横浜駅(現・桜木町駅)間は日本最初の鉄道として1872年(明治5年)に開業した。その後関西では1874年(明治7年)に大阪駅 - 神戸駅間が開業し、数回にわたる路線延伸を経て1889年(明治22年)7月に新橋駅 - 神戸駅間の全線が開業して首都圏と京阪神とが鉄道で結ばれた。その後、東京駅の開業や山間部でのルート変更などを経て、現在の東海道本線が出来上がっている。長らく日本国有鉄道国鉄)が運営する一本の路線であったが、1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化によってJR東日本JR東海JR西日本の3社に管轄が分かれ、この旅客3社が第一種鉄道事業者として線路の保有と旅客列車の運行を行い、JR貨物第二種鉄道事業者として旅客3社の線路を使用して貨物列車を運行するという体制となった。

全線開業以降は日本を代表する動脈となり、東京や京阪神(関西)と中国地方・九州を結ぶ長距離旅客列車が多数運行されていたが、1964年(昭和39年)10月に輸送力増強を目的とした東海道新幹線が開通すると、長距離旅客輸送の役割は同新幹線に譲り、並行する東海道本線の旅客輸送は地域輸送中心の体制に移行した。2022年時点では全線を走行する定期旅客列車は寝台特急サンライズ瀬戸・出雲」しか運行されておらず、三島駅 - 富士駅間、静岡駅 - 名古屋駅間(いずれもJR東海区間)には寝台特急を除いて特急列車は運行されていない。一方で、貨物輸送に関しては現在まで大動脈としての位置づけを保っており、多数の貨物列車がJR貨物によって運行されており、ほとんどの貨物列車が山陽本線東北本線と直通運転している。気候は関ヶ原付近を除くと年間を通じて温暖で、改良により勾配も抑えられている。

路線の名称は、かつて江戸と京都を結んでいた東海道に沿う経路で建設されたことに因んでいる。ただし、熱田駅 - 草津駅間は、当初中山道経由で路線が計画された経緯から、中山道および美濃路に沿っている。これは中世の東海道の経路である。現代では東海道本線と並行する主要道路として、東名・新東名・名神新名神などの高速道路および国道1号がいずれも東京圏・名古屋圏・大阪圏の三大都市圏を結んでいるものの、一部区間では経路が大幅に異なる。

国鉄時代の『日本国有鉄道線路名称』では、本路線を指す名称として「東海道本線」が使われており、「東海道線」の名称は東海道本線およびその支線だけでなく、山手線・横須賀線御殿場線身延線飯田線武豊線福知山線などを支線として含む総称として使われていた。しかし、国鉄が分割民営化された際に策定された「日本国有鉄道の事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継等に関する基本計画」 においては、本路線の(御殿場線などを含まない)名称が「東海道線」と定められている。以降、両方の名称が並立して使用されている。例えば国土交通省発行の文書や、同省監修『鉄道要覧』では「東海道線」の名称が使われ、JRの線路名称公告では「東海道本線」の名称が使われている。ただし、国土交通省やJR各社のウェブサイトにおいても両方の名称が混用されている。