教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「旭川市いじめ問題再調査報告書(公表版)」を手引きに④

【いじめの防止について】についての3回目です。

今回は、「   (7)  いじめ防止の学校づくりの全体像を打ち立てること」を取り上げます。

 

第6章 いじめの再発防止の提言
  1  いじめ防止等対策上の提言
  2  児童生徒から聴取を行う場合の問題と対処法についての提言
  3 精神医学的・心理学的な観点にたった対応についての提言
  4 いじめの防止についての提言
    (1)    はじめに
    (2)  すべての児童生徒に性教育を保障すること
    (3)  児童生徒に寄り添い、実態に即した相談・支援、教育体制の整備を行うこと
    (4)  特別支援、障害特性などへの対応を丁寧にすること
    (5)  クラス内のカースト化を可及的に予防すること
    (6)  教育の原点に立ち帰ること
    (7)  いじめ防止の学校づくりの全体像を打ち立てること
    (8)  自治体がリーダーシップをとっていじめ対策に当たること

 

 「 1  いじめ防止等対策上の提言」の【いじめの防止について】における次の項目に該当します。

 

□    自らの行為で、相手方の尊厳を損なったり、心身の苦痛を与えるような行為について理解を深めるとともに、いじめが、こうした行為またはこうしたことを意識して行った行為でなかったとしても、人間関係の中では心身の苦痛を与えることがあることを児童生徒が認識できるよう実践的なプログラムを実施すること。

 

(7)いじめ防止の学校づくりの全体像を打ち立てること
 「人権尊重のシチズンシップ教育」の実現といった高い理念を掲げた上で、いじめ問題を克服するための学校づくりとして、別紙のような「学校におけるいじめ防止実践プログラム」の提唱もなされている(いじめ問題をどう克服するか』2013年11月、岩波新書)。少し説明すると、「個人への対応」「学級での対応」「学校での対応」の大きく3つの領域と、「直接的アプローチ」と「間接的アプローチ」の2分野からのアプローチに分けて、具体的に実践の展開するイメージを構造的に提示している。
 まず、「直接的アプローチ」において、最も重要な視点は、組織や集団内のいじめの発生を最も敏感に察知し得る「子どもたちが主体」となって、いじめ担当の教師と共に「動く」ことである。重点は次の3点である。
①いじめが発生しにくい学級・学校づくりをいかに進めるのか
② 別紙のいじめ防止実践プログラムの「学級での対応」「学校での対応」にあるように、いじめの学習や討論、学級での文化活動やレクリエーション活動、自主的・自治的な HR 運営、生き生きとした学級父母活動、学びあい協力協同する学習活動、ネットいじめへの対応力育成、部活動の開放性・民主制の確立などたとえ、いじめが発生しても、自分たちの力でいかに解決するのか
→「学級びらき」での担任の決意表明、自主・自治の力で開く朝の会、帰りの会、学級でのいじめない、いじめを見逃さない合意形成など
③ それらの視点・方法・システムなどをどのように総合的に手際よく構築するのか
→別紙のような構造図を提示し、定期的に点検もする
 また、担任教師にとって最も大切な視点は、どの子にもそれぞれの居場所や出番のある学級づくりをめざし実践することである。よくいわれるように、日本における、子どもたちの自己肯定感の低さは、国際的な比較調査でもきわだって低い。自己肯定感 (セルフェスティーム)こそは、子どもが困難や課題に挑戦し乗り越えて成長・発達していくうえで基本的なパワーの源となるからである。いじめられている被害者の子どもは、「自分が悪いからだ」という自己責任感にとらわれがちである。したがっていじめを苦に自殺する子どもが後を絶たない今日の状況においては、家庭でも学校でも、子どもの自己肯定感を強く育んでいくことが重要である。
 「間接的アプローチ」では、心安らぐ学習・生活環境の整備と学級生活における規律を確立することが重要なポイントとなる。 厳しい校則や詰め込み授業など、子どもにとってストレスのたまる環境をいかに緩和・解消できるのかということも学校の取り組みとしては重要である。子どもたちが、一人ひとりこれまでの自分とは異なり一歩前進した「新しい自分づくり」に挑戦できるようにサポートしていくことや、友だちとのトラブルをいかに解決すればいいのか具体的なスキルを身に付けていくこと等は、人権侵害で心を傷つけるいじめ等をしない「自分づくり」という大きな課題にも直接つながっている。
 「いじめ防止実践プログラム」(別紙参照)は、あくまで全体的で総合的なイメージであり、これら全て実践する必要はない。このような大きなビジョンを全校教職員が共有し、日々の「学校づくり」に取り組んでいく構えこそが肝要である。逆にいえば、こうしたスケールの大きなビジョンを掲げることを抜きにして、対症療法的にどんなにいじめ対策を進めても、いじめ克服はおぼつかない。それは、いじめ問題がこれまで本報告書で細かく見てきたように、子どもたちの「生き方」や「人間関係」のあり様に大きく関わる問題だからである。子ども自身が、同一人格は一人もいないという友達の多様性や個性のとらえ方も角度を変えて逆張りにリフレーミングしてみると、実に多彩な人間像が見えてきて、いじめをしない生き方を身に付けていくことこそが、究極的ないじめ克服の原理であり、将来的な展望なのである。

「学校におけるいじめ防止実践プログラム」の「いじめ防止」を「人権教育」と置き換えたら、どうでしょう。「いじめ対策」にかかる部分を除けば、何の違和感もありません。つまり、「いじめ防止」の根幹は、すべての学校・すべての教室で、当たり前の人権教育が当たり前に実践されることなのです。

それが、当たり前になっていない現状が問題なのですが…。