「こども基本法」を考える⑦
「子どもの権利条約」の主旨は、「子どもを権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認める」ことです。
条約が定める子どもの権利のなかで、もっとも象徴的であるのが「意見表明権」です。
「子どもの権利条約」
第12条
締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。
第12条 意見を表す権利
子どもは、自分に関係のあることについて自由に自分の意見を表す権利をもっています。その意見は、子どもの発達に応じて、じゅうぶん考慮されなければなりません。
さて、このたび成立した「こども基本法」です。
(基本理念)
第三条 こども施策は、次に掲げる事項を基本理念として行われなければならない。
一 全てのこどもについて、個人として尊重され、その基本的人権が保障されるとともに、差別的取扱いを受けることがないようにすること。
二 全てのこどもについて、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され保護されること、その健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉に係る権利が等しく保障されるとともに、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)の精神にのっとり教育を受ける機会が等しく与えられること。
三 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、自己に直接関係する全ての事項に関して意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会が確保されること。
四 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮されること。
五 こどもの養育については、家庭を基本として行われ、父母その他の保護者が第一義的責任を有するとの認識の下、これらの者に対してこどもの養育に関し十分な支援を行うとともに、家庭での養育が困難なこどもにはできる限り家庭と同様の養育環境を確保することにより、こどもが心身ともに健やかに育成されるようにすること。
六 家庭や子育てに夢を持ち、子育てに伴う喜びを実感できる社会環境を整備すること。
この部分は、「子どもの権利条約」の「4つの原則」部分に該当します。
・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。
・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考えます。
・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
・差別の禁止(差別のないこと)
すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。
「子どもを権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認める」(子どもの権利条約)ことと、「全てのこどもについて、個人として尊重され、その基本的人権が保障される」(こども基本法)ことは同義でしょうか。
言い換えると、「全てのこどもについて、個人として尊重され、その基本的人権が保障される」というのは、「子どもを権利の主体」と位置づけたことになるのでしょうか。
日本共産党の塩川鉄也議員は、国会審議において「今、必要なのは、子どもを権利の主体として明確に位置付け、憲法の基本的人権と権利条約の4原則を保障する政治への転換です。」と発言しています。「こども基本法」は「子どもを権利の主体として明確に位置付け」ていないという評価です。
塩川議員とは全く逆の評価もできます。が、一方で塩川議員のような評価も可能です。このどちらとも読み取れる曖昧さのなかに、日本政府の本音があるのだと私は感じています。
「意見表明権」です。
「子どもの権利条約」
第12条
締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。
「こども基本法」
三 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、自己に直接関係する全ての事項に関して意見を表明する機会及び多様な社会的活動に参画する機会が確保されること。
四 全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮されること。
問題は、「全てのこどもについて、その年齢及び発達の程度に応じて」という前提条件です。
「子どもを権利の主体」と位置づけると言っても、子どもの意見表明のすべてを実現するというのは現実的ではありません。子どもの知識や判断力などからすれば、一定の制約を受けることは十分あり得ます。
その際、子どもの意見表明に対してブレーキ役となるのは大人です。そこに「大人の都合」というものが入り込む余地は十分あり得ます。
子どもの意見と大人のブレーキが衝突したとき、大人が力で押し切ることは十分あり得ます。
子どもの意見が一定の制約を受けることは、「その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」と「子どもの権利条約」も認めています。
重要なのは、その制約が真に「子どもの最善の利益」かどうかということです。「大人の都合」で子どもが押し黙らされることなど、あってはならないことです。
大人に対して子どもは相対的に弱者です。
弱者の意見が正当に扱われるには、「大人の都合」を排し「子どもの最善の利益」を担保する「公正な第三者」が必要です。
それが「子どもコミッショナー」です。
いま一度、立憲民主党が国会に提出した「子ども総合基本法案」を見てみます。
第一 総則
三 基本理念
③ 全ての子どもについて、子どもの年齢及び発達の程度に応じて、子どもの意見を聴く機会及び子どもが自ら意見を述べることができる機会を保障し、その意見を十分に尊重すること。六 国民の責務等
2 学校、地域その他の場において子どもに関係する者は、その職務と責任に応じて、これらの場における子どもに影響を及ぼす事項について、子どもの年齢及び発達の程度に応じて、子どもの意見を聴く機会及び子どもが自ら意見を述べることができる機会を設け、その意見が当該事項に反映されるよう努めなければならないこと。
第四 子どもの権利擁護委員会及び都道府県等における合議制の機関等
一 子どもの権利擁護委員会(「子どもコミッショナー」)
内閣府の外局として、子どもの権利擁護委員会(以下「委員会」という。)を設置し、その任務、所掌事務、組織等について定めるとともに、委員会による関係行政機関の長等に対する資料提出その他の協力の要求、子どもの権利侵害が疑われる場合の調査等及び関係行政機関の長等に対する勧告について定めること。二 都道府県等における合議制の機関
都道府県(指定都市を含む。)に子どもの権利侵害に関する救済の申立てを受けてその解決を図ること等を所掌事務とする合議制の機関を置くとともに、市町村(指定都市を除く。)にこれと同様の合議制の機関を置くことができることとすること。
立憲民主党のものがベストかどうかは私には分かりません。
しかし、子どもの意見表明と救済機関である「子どもコミッショナー」設置はセットのものでなければなりません。立憲民主党の法案は議論の出発点にはなると思います。
「子どもを権利の主体」と位置づけるためには、そこがスタートラインです。さもなくば「こども基本法」は絵に描いた餅、子どもを取り巻く現実が大きく変わることは期待できそうにありません。