「こども基本法」を考える⑥
「子どもの権利条約」は、1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効しました。
日本では、1994年に子どもの権利条約に批准しました。158番目の批准国です。
この事実は、日本政府が「子どもの権利条約」に積極的でなかったことを示しています。それでも国際的な体面もありますから、遅ればせながらも1994年に批准しています。
条約を批准すると、法の上下関係からすると条約に合うように国内法を整備しなければなりません。
ここでもやはり日本政府は積極的ではありませんでした。
それに対して、国連子どもの権利委員会は度重なる勧告を行っています。
そして、やっとやっと28年後にできたのが「こども基本法」というわけです。
問題は、日本政府はなぜ一貫して「子どもの権利条約」に積極的でなかったのかということです。
そもそも、「子どもの権利条約」とは何だったのでしょう。
「子どもの権利条約」は、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約です。
18歳未満の児童(子ども)を権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。
「子どもの権利条約」4つの原則
・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。
・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考えます。
・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
・差別の禁止(差別のないこと)
すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。
日本政府の消極性の主因は、「子どもを権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認める」という「子どもの権利条約」の主旨そのものにあります。
日本の「伝統的」な子ども観、子育て観、教育観に照らして、子どもを権利の主体と認めることは容認できないというわけです。
1990年当時、この問題の第一人者として喜多明人さん(早稲田大)がおられました。『新時代の子どもの権利 子どもの権利条約と日本の教育』(1990年)などに多くを学びました。頭髪や制服などの校則や校門指導が問われるようになった頃のことです。
さて、28年という長すぎる時間を要して、「子どもの権利条約」に対応する国内法としての「こども基本法」が成立しました。
日本政府は、「子どもを権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認める」ことへのアレルギーを払拭したのでしょうか。
次回、「意見表明権」を切り口に検証します。