教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 1月19日

のど自慢の日

 

1946(昭和21)年1月19日、NHKラジオの「のど自慢素人音楽会」が始まりました。この初回放送を記念して日本放送協会(NHK)が「のど自慢の日」に制定しました。

 

初めての聴取者が参加できる娯楽番組であった。第一回の予選では、モンペや復員兵スタイルの人が朝早くから900人も集まった。予選通過者は30人で競争率は30倍。人気のあった曲は「りんごの唄」「旅の夜風」「誰か故郷を思わざる」などだった。当初は鐘もなく、司会者が口頭で合格者に「合格です」、不合格者には「けっこうです」と告げていた。                 (雑学ネタ帳)

 

「NHKアーカイブス」より引用します。

NHKのど自慢

戦後まもなく、ラジオ番組としてスタート
『のど自慢』が始まったのは、1946(昭和21)年1月19日。ラジオ第1放送の番組で、最初は『のど自慢素人音楽会』という番組名だった。

敗戦からわずか5か月後。戦後の荒廃と混乱の中で、ラジオが数少ない娯楽の中心だった時代だった。戦時中は軍国歌謡や行進曲ばかりが流れていたが、新しい歌謡曲が誕生し、ラジオの音楽は著しい変化を迎えていた。

番組を企画したのは企画魔として知られた三枝健剛プロデューサー(当時)。音楽家三枝成彰氏の父である。こんな時代だからこそ、「国民に気持ちよく歌を歌ってもらおう」という考えからで、“マイクの大衆への解放”、“大衆化の象徴”という役割を担っていた。

『のど自慢素人音楽会』スタジオの様子(1946年2月撮影)

第1回の出場者は、ラジオのニュースで募集した。すると900人を超す応募者が東京・千代田区内幸町にあった放送会館に殺到した。担当者は、1日に300人ずつテストをして、番組に出演する合格者を選んだという。のちにこの予選会の様子も面白いということで随時「テスト風景」として放送するようになっていく。

番組はまもなく、ラジオ第1放送で毎週日曜の午後4時から30分間の定時番組となった。

第1回の放送は、高橋圭三アナウンサーが担当。その後は、高橋のほか、太田一郎、大野臻太郎、田辺正晴、大野拓、島野俊男、宮田輝らのアナウンサーが交替で担当した。

『のど自慢素人音楽会』


シンボルの「鐘」が生まれるまで
『のど自慢』といえば、合格・不合格を伝える「鐘」の演出で知られているが、番組のスタート当初、鐘はまだ使われておらず、合格の場合は司会者が「おめでとうございます。合格です」、不合格の場合は「もう結構です」と言葉で伝えていた。ところが、不合格の人が「歌の出来が“結構”」と取り違えて、ぬか喜びするケースが続出。そんな時、スタッフが楽器倉庫の隅にあった鐘を見つけて「これを鳴らせば…」ということになったとか。

その結果、合格・不合格もわかりやすく、番組のメリハリも付き、番組のシンボルにもなったのである。


歌だけでなく、演芸も加えた番組に
番組は1947(昭和22)年の7月、歌のほかに演芸を加えて、番組名も『のど自慢素人演芸会』に変わった。

当初、5~6人のアナウンサーが交替で担当していた『のど自慢素人演芸会』だが、1949(昭和24)年10月ごろから、宮田輝アナウンサーが毎週司会を務めた。
(以下略)