教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

軍隊と学校

「軍隊と学校」といっても戦前の話ではありません。

こんにち現在、学校現場に遺る「軍隊の名残」について考えます。

 

 

立哨指導

子どもたちの登下校を見守る交通安全指導のうち、あるポイントに立って行うものを「立哨」指導と呼んでいるところはないでしょうか。

 

立哨とは、「歩哨などが、その位置を動かずに監視・警戒にあたること」(大辞林)です。もともとは軍隊用語で、監視・警戒の任務に当たる歩哨が、敵や軍用品などを見張るために武装して一定の場所に立つことが語源になっています。

 

交通安全指導、登下校支援、通学補助……。ことは子どもの見守りです。「軍事」の言葉でなくてもやれますよね。

 

 

通学分団・部団

ところで、子どもたちが集団で登下校するときのグループをなんと呼んでいますか。

「分団」ですか? 「部団」ですか? それとも「通学班」ですか?

 

そもそも「分団」「部団」って何でしょう。

これらは、今日的には消防団組織で使われる言葉です。

消防団の組織                出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

地域差はあるが、概ね以下のような構成で運営される。

  1.  (市町村に基本的に一つだが複数ある自治体もある。(複数の場合は、消防署毎又は合併前の区域毎に団があることが多い。)団長が指揮する。)
  2. 分団 (市町村のうち、小学校区に一つか幾つかの大きな町、集落単位で一つ。分団長が指揮する。)
  3.  (分団を構成する集落をさらに細分化し、1~数個の町、集落単位としたもの。部長が指揮する。)
  4.  (部内に設置され、消火班、機械班などの担当を持つ。班長が指揮する。)

市町村によって異なり、基本の活動単位が分団の市町村、部の市町村、班の市町村がある。また、いくつかの分団の集まりをブロックや方面隊・地区隊としている市町村もある。 なお近年では市町村合併が促進された結果、合併前の旧市・郡等に含まれる旧市町村をそれぞれ「支団」や「方面隊」として構成し、分団以下の組織を採る場合もある。その場合は、

  1.  
  2. 方面隊 ・ 支団・方面団
  3. 分団

となる。また旧市町村を一つの消防団とみなし、その連合体として「連合消防団」としている場合もある。 

 

現在の「消防団」のもとは、明治時代に始まる「消防組」にあります。

「消防組」は、第二次世界大戦勃発直前の1939年に空襲 や 災害 から市民を守る「警防団」に改編されます。

 

「消防組」においては、消防組員の階級は「組頭」「小頭」「消防手」の三階級制でした。

それが「警防団」になると、警防団令によって警防団員の階級が定められ、上位から順に団長、副団長、分団長、部長、班長、警防員となります。

警防団の下に「分団」があり、さらにその下に「部団」があるという組織が形成されたことがわかります。

 

敗戦後の1947年(昭和22年)に「警防団」は廃止され、消防団に改組移行されました。それがこんにちの「消防団」です。

 

「分団」「部団」は、戦時色の強い言葉だったのです。

 

子どもたちの登下校グループを敢えて「分団」「部団」と言い続ける必要があるでしょうか。

 

 

 

氏名点呼

入学式の会場に式次第の墨書が掲示されていて、そこに「一、 新入生氏名点呼」とありました。これって1年生の子に分かるの?ーー40年以上前の勤めはじめの記憶です。

 

名前を呼ばれて「はい」と返事することを「点呼」と言います。

「点」というのは、一人ひとりという意味です。「呼」とは、息や声を外に出すことです。

 

国語的にはそれだけのことですが、「点呼」が背負ってきた歴史性はもうちょっと複雑です。

 

① ひとりひとり名を呼んで、人員がそろっているかどうかを調べること。特に、旧日本軍で朝夕に人員の異常の有無を調べるため行なったもの。〔五国対照兵語字書(1881)〕
② 旧日本軍で、簡閲点呼のことをいう。
※陸軍召集令(大正二年)(1913)六九条「令状又は点呼の伝達を受けたる者は指定に従ひ」
                 出典 精選版 日本国語大辞典

 

これもまた、軍事的な色の濃い言葉だったのです。

 

普段、集合時などに行われている「点呼」は、「確認」などの言葉に置き換えられるでしょう。

入学式では、司会は「一人ひとりお名前を呼びますから、大きな声で『はい』と返事をしてください」と言えばこと足ります。この「儀式」は、その後の学校長の「みなさんの入学を許可します」という言葉と一連のものですから、掲示は「入学許可」とでもしますか。「点呼」も「許可」も新入生には意味不明の語ですが、こだわりの発案を。

 

 

机間巡視

授業の場で、教師が子どもたちの座席の間を回って指導することを「机間巡視」と言います。

 

「巡視」とは… 

警戒、監督などのため、あちこち回って見ること(日本国語大辞典
授業のなかで教師が児童・生徒の座席を順次巡回し、学習状況の観察、学習指導・助言などを行うこと。(大辞林

 

「巡視」そのものは軍隊用語ではありませんが、軍事・警察の場で広く使われてきた言葉です。

子どもたちの机の間を回るのが「警戒」や「監督」目的でないのなら、「机間指導」で十分でしょう。

 

 

プール水泳

夏と言えばプール水泳。2020年は、そんな当たり前が中止になった特別な年として記憶されることになりそうです。

日本で最初の学校プールは、旧会津藩の藩校であった「日新館」に作られた「水練水馬池」です。

当時の水泳は軍事教練の一環で、向井流という古式泳法を教えていました。鎧兜を身につけて水に入るという、今の「着衣水泳」の走りのようなものでした。

 

だから、プール水泳をやめましょうなどという話ではありません。ただ、夏は何を差し置いてもプールの時間確保といった学校もあるようなので、ちょっと水を差したまで。

 

 

運動会

運動会の歴史もまた興味深いものがあります。


明治7年、東京築地の海軍兵学校で開催されたのが最初の運動会と言われています。

当時は、競闘遊戯(きそいあそび)と呼ばれていました。競闘遊戯はアスレチックスポーツの訳語です。

 

徒競走も行われていて、スタート合図の銃声音も今と同じ形でした。

 

運動会には「あそび」という名はついていますが、基礎訓練の一つとして導入されたもので、優秀な兵士を育てることが目的で行われていました。

 

運動会でグラウンドに万国旗を飾るところもあると思いますが、これにも「歴史」があります。

明治時代は、日本に来る船は友好の証として入港する際に自国の国旗と日本の国旗を掲げて入港していました。

兵学校で最初の運動会が行われた際も日本国旗を掲げて行われ、それが運動会では欠かせないものとして全国の学校に広まったようです。

 

これもまあ蘊蓄程度に。

 

 

いずれにしたって、ほんの些細なことです。いまは、平和な時代ですから。

しかし、些細なことへのこだわりを捨てた瞬間から、大事を見抜く目は曇り始めるのです。