文化財防火デー
1949(昭和24)年1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、国宝の十二面壁画の大半が焼損しました。
文化財防火デーは、文化財を火災・震災その他の災害から守るとともに、日本国民の文化財愛護思想の高揚を図る目的で、1955(昭和30)年に当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が制定しました。
東京消防庁のHPより引用します。
文化財防火デーの契機となった法隆寺金堂火災
昭和24(1949)年1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、国宝の十二面壁画の大半が焼損しました。当時ロンドン・タイムスの東京支局長であったフランク・ホーレー氏は
「法隆寺は外国人にとっても非常に興味を持たれ、こんどの戦争中もフランスではパリ大学のオーボァイエという若い婦人が“金堂の研究”を発表、アメリカでも最近ワシントン博物館のアッカー氏が、日本での金堂研究を翻訳して出版したところ、大変売れ行きが良かったというほどで、こうした人たちが法隆寺が焼けてしまったと聞いたらどんなに悲しむことか。
・・・日本人はこうした“貴重なもの”の取扱いが全く下手でデタラメだ」と語っています。(1月27日の朝日新聞より)法隆寺金堂の火災があって間もなく、国家消防庁長官(現総務省消防庁長官)は文部次官にあてて「国宝建造物等の防火態勢強化について」という通達を送り、その前文で「先般の法隆寺金堂の出火については、当庁においても早速係員を派遣し、現地調査すると共に、現存するこの種国宝の一部について検討せしめた所、その防火態勢はいずれも憂慮すべき状態にあり、今後大いに改善を図る必要が痛感された次第である」と述べています。
このような背景から、文化財防火デーが、昭和30(1955)年1月26日に定められ、これに関する文書が、国家消防本部(現総務省消防庁)と文化財保護委員会の連名で出されました。
それによると、趣旨は「1月26日は、昭和24年に法隆寺金堂が罹災した日にあたり、また火災の多い時節でもあるので、毎年この日を文化財防火デーとし、全国的に文化財防火運動を展開して、文化財を火災から護ろうとするにある」として、この運動の趣旨の普及徹底を図りながら、防火施設の点検と整備を行うよう指導するとともに、防火演習などを実施するように求めています。