映画「きらきら ~いのちかがやいて~」
「しばてん」4 寄り合い
寄り合いのシーンは、学校の和室を使って撮影しました。切り出し画像はその1カットです。
私の演劇活動の最大の特徴は、寄り合い(話し合い)のシーンにかなり長めの時間を費やすことにあります。
「しばてん」の場合、物語の原作は「そこで村じゅうよりあって、そうだんぶって、『このままじゃと、としより、がきらはしんでしまうぜよ。』『くらをうちこわそう。』とまとまった。」という短い記述で終わっています。
「うちこわし」という行為は、にわかにだれもが賛成できるものではありません。行為自体への価値葛藤があり、リスクに対する葛藤があり…。読みの段階での子どもの書き込みには、その子の価値観や人間性がそのまま出てきます。その揺れを台詞に生かしてシーンを作っていきます。
物語の著者は、最終的に打ちこわしという行為を選択します。子どもたちは、さまざまな葛藤を超えて打ちこわしという結論に至った村人の思いを考えます。
「子どもが苦しんどる姿、おら、もう見てられねえ。おらが今、子どもにしてやれることは、腹いっぱい飯を食わしてやることじゃ思う。」という「村人4」の台詞には、子を持つ親の思いが滲んでいます。
それでも、「ちょっと待ってくれ。打ちこわしは、しょせんどろぼうぜよ。おら、盗んだ米で腹を大きいはできん。」という道徳心も当然あります。それに対して「村人4」が言い切ります。
「いいや、それはちがう。長者の倉につまっている米は、おらたち百しょうが作ったものじゃ。それを、長者が年貢じゃいうて取り上げたんじゃないか。おらたちは、おらたちの作った米を取り返すんじゃ。」
「おらたちは、おらたちの作った米を取り返す」という思考は、長者にとっては危険思想です。しかしそれは、歴史的には江戸期の「百姓一揆」や「打ち毀し」、大正期の「米騒動」に通じるものです。
子どもたちは、物語の世界を深めることで、歴史の真実を垣間見ているのです。