続・「1ヶ月で勝負」したクラスの記録 ~いのちかがやいて~①で紹介した 「しばてん」授業通信⑤(『きらきら』№84)の続編です。
まずは、9月末に行った読みの授業の記録です。
「しばてん」授業通信⑤
秋祭りに村人たちは何思う
【テキスト26ページ】ラストシーンで、秋祭りが来るたびに村人たちは太郎の何を思い出しているのでしょう。村人のつぶやきを書いてもらいました。分類すると、3つのグループになりました。
■なつかしい思い出
略■深い後悔の気持ち
略■役人に引かれて行った時の太郎の気持ち
○なんであの時太郎は何もせず、何も言わなかったんだろう。
○悪いことをしたなあ。自分たちのために、太郎は身を役人にあずけたんだなあ。太郎は命の恩人だなあ。多分、生きてはいないだろう。ありがとう。太郎。おまえは、しばてんなんかじゃあなかったよ。
問題を整理してみましょう。まず、思い出すのは「勝ち抜き相撲」の場面なのか、「役人が来た」場面なのかという問題です。これは、圧倒的に「役人が来た」場面が多数でした。次に、それは「なつかしい思い出」なのか、それとも「後悔の気持ちをともなう思い出」なのかという問題です。分類の1つめと2つめの違いは、そこにあります。作者は、倒置法を使って「自分たちの心に、いつからか住んでいるしばてんのことを思いながら」太郎のことを思い出すと書いています。
倒置法には作者の強い意図が感じられます。下線部分はどういう意味でしょうか。そこに、「後悔」の中身がかくされているように思います。分類の3つめとして、数は少ないし、内容もまだまだ不十分だと思いますが、太郎の気持ちをつぶやきの中身にしている人がいました。これはとても大事な視点だと、ぼくは考えています。
田島さんは、「『しばてん』とぼく」という文章を書かれています。みんなでそれを読んで、その後でもう一度この場面に戻りたいと思います。役人が来た時の村人の気持ちや、あの時どうすればよかったのかを振り返りながら、ラストシーンのつぶやきに再挑戦しましょう。
『きらきら』№84(2005.9.28)
子どもたちの読みが、私が想定しているレベルに届いていません。
読み切れないままに、10月上旬から映画制作に入りました。配役を決め、衣装や小道具を作り、シナリオを覚え、立ち稽古をして…。ただし、この時点での脚本にはラストシーンがありません。空白のままです。
11月16日に、太郎が役人に引き立てられていくシーンを撮影しました。
翌17日、それを受けての再授業です。週明けの通信にその記録があります。
「しばてん」授業通信⑥
秋祭りに村人たちは何思う②
9月28日「きらきら」№84の続編です。ラストシーンのつぶやきに再挑戦しました。映画作りの中でみんなの思いがグンと深まったように思います。
■つぶやきの内容を分類すると、
①「すまなかった」という気持ち…13人○おらたちは、おまえをばけものだからと言って役人に差し出してすまなかった。おまえは、ばけものでもない、しばてんでもない、人間の子の太郎だったよ。
②犠牲になってくれた太郎への感謝の気持ち…14人
○太郎、おまえが役人に連れて行かれるとき抵抗しなかったのは、おまえはやさしいやつだから、ぎせいは少ない方がいいと思ったんだろう。
○役人に連れて行かれるとき、太郎が抵抗しなかったのは、おらたちの命を救ってくれたんじゃないかな。
○役人が来た時、全部しばてんがやったと言ったら、一人役人に連れて行かれた。きっと、村のみんなを助けてくれたのだろう。ありがとう。
○太郎は何も言わずに連れて行かれた。きっと太郎は、ぼくが死んだら村人たちが助かると思ったから、何も言わずに連れて行かれたのだろう。
○きっと太郎は、自分一人が引き立てられていけば村の人は助かる。死ぬのはいやだけと、引き立てられようと思ったにちがいない。太郎は本当にいいやつだったなあ。
③「死にたくなかった」という気持ち…6人
○おらたちは死罪になりたくないあまり、長者の米を食ったのが太郎だと言ってしまった。
○私らはただ死ぬのがいやで太郎に全部罪をおしつけてしもた。
○私は、死ぬのがいやだったんだ。自分のことしか考えていなかった。ゆるしてくれ。
○あの時は自分が助かりたかったばかりに、しばてんですと言うてしもた。本当にすまなかった。助かりたかったばかりに言うてしもて。
○役人に連れて行かれて殺されるのがいやだった。だから、わしは太郎に罪をなすりつけてしまった。
④「仕方なかった」という思い…4人
○太郎、すまなかった。太郎だけのせいにして。でも家族を守りたかったんだ。○実はなあ、おらたちが太郎のせいにしたのは…。お前は捨て子だから、家族をまきこむことはない。おらたちには家族があるから、まきこみたくなかったんだ。
○太郎一人のせいにしてすまなかった。けれど、これしか村人が助かる方法はなかったんだ。
○太郎は捨て子だし、一人ですむと思った。だから、みんな太郎だと言った。ごめんよ、太郎。許してくれ。
⑤太郎の悲しみ、あきらめ…4人
○きっと太郎はしばてんと言われて悲しかったやろに…。
○太郎がおらたちもやったことも言わず、強い力を持っているのに役人をやっつけなかったのは、どうせ自分がまた村から追い出されるからと思い、仕方なく何もしなかったのかもな。
○今から考えると、おらたちがしばてんですなんか言ったから、あきらめたのかなあ。
○あの時、太郎はどんな気持ちだったのだろう。とっても悲しかったんだろうなあ。
№84で「役人に引かれて行った時の太郎に気持ち」が大事な視点だと書きました。②と⑤がそれにあたります。②だと、太郎は死ぬことで村人とつながったことになります。⑤だと、太郎と村人は結局つながれなかった、なかまになれなかったということです。両方あっていいのですが、ぼくは⑤だと考えています。
参考までに、18年前のぼくのクラスの子が書いた「つぶやき」を紹介します。
■太郎にはほんとにすまないことをした。わたしらは、太郎をうら切った。あの時のわたしらは、太郎の気持ちを考えなかったのよ。あの太郎の悲しそうな目が、心にやきついてはなれやしない。太郎は、なにも言わなかったけど、心の中はさけびたいほど悲しかったにちがいないわ。
■わたしら、太郎を自分らの都合のええようにばっかりしとったなあ。でも、太郎は文句一つ言わずに、わたしらを助けてくれた。長者さまの倉を打ちこわしに行った時も、役人が来た時も……。役人が来た時、長者さまがどれほどひどい人だったかをきちんと言っとれば、あるいは……。役人に連れて行かれる時、きっと太郎は、わたしらのことあきらめていたんだわ。だから、「この村の人たち、みんなが米を食べたんだ。」とは、言わなかったのねぇ。
さあ、いよいよラストシーンのシナリオを作ります。『きらきら』№115(2005.11.21)
「映画作りの中でみんなの思いがグンと深まった」とは言うものの、18年前の子どもたちの読みとの差は歴然としています。社会の風潮なのでしょうが、18年の間に子どもの感性が貧しくなったような気がしています。
授業記録をもとにシナリオを作ります。
それに加えて、通信で紹介している18年前の子どものつぶやきを使わせてもらうことにしました。「借り物」ではありますが、演じきることで「自前」のものになることを期待します。