教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

続・「1ヶ月で勝負」したクラスの記録 ~いのちかがやいて~⑭

「しばてん」の収録が終わって、子どもたちに問いました。

「 あなたは、『しばてん』と出合って何を学びましたか」

この問いに対する答えが、学級通信にあります。

 

「しばてん」が残してくれたもの


 「きらきら ~いのち、かがやいて~」のメインである「しばてん」の映画は、きみたちに何を残してくれたのだろう。


■あなたは、「しばてん」と出合って何を学びましたか■


○命の大切さと人のせいにしないことを学んだ。なぜなら、村人たちが「しばてんがやりました。」と言って、太郎が死んでしまったからだ。

○私は「しばてん」と出合って、信じるという気持ちを学んだような気がする。しばてんが村人を助けたのは、村の人たちを信じていたからだと思う。

○「しばてん」と出合って、1人1人の大切さを改めて感じた。

○相手のことをよく考えること。相手のことをちゃんと分かってあげることはとても大切なことだと学んだ。

○しばてんに出合って学んだこと、それは仲間を信じること。

○「しばてん」と出合って、私は本当に信頼し合うのは難しいと思った。

○苦しい生活や楽しくない生活の中で、みんなで一生懸命に生きてきていたので、そういうときこそ、みんなで助け合うことが必要だなあということを学んだ。

○しばてんの時代はすごく差別がきつかったんだなと思った。でも、その時代の人は差別に負けず、生きようとする気持ちを忘れないのはすごいと思った。生きるということをあきらめないということを学んだ。

○1人1人の命の大切さ、村から追い出されても村の人を助けるという心の強さ、やさしさ、たくましさ。

○私は「しばてん」と出合って人間の命の大切さ、言葉の重さ、人の持つ優しさ、人の心の温かさなどたくさんのことを学んだ。太郎は、いつも村人のことを大切にしていた。自分より人のことを大切にし、心の広い人だった。私はそんな太郎を見習いたいと思った。私は、「しばてん」に出合って仲間の大切さ、人の命の尊さ、人の心の温かさを知った。何より1番温かいのは人の心だと知った。そして、1番冷たいのも人の心だと知った。人に向ける心は、温かい心がいいと思う。冷たい心を向けられた人は、とてもつらいと知ったから。

○仲間の大切さを学んだ。仲間がいなければ、つらいことから立ち直れないこともあるだろうし、1人で明るく生きていくのは難しいと思う。つらい時にお互い分かり合えて、時に優しくし合えることは、すごく大事なことだと思った。「しばてん」では、最後の場面で太郎が村人をかばって役人に連れて行かれる場面があったが、太郎はすごく苦しかったと思う。でも、そのおかげで村人たちはその後何年も生きている。最初から村にいなかった太郎が村人を助けたことは、村人を守ろうとした太郎の気持ちが正直に出ていて、すごく悲しい場面だけど、仲間の大切さを教えてくれる場面でもあると私は思う。

○太郎がしばてんじゃないのに村人たちにしばてんだと言われ、役人に連れて行かれた時、太郎は無抵抗で役人に連れて行かれた。その時、人を助けるのもアリだと思った。

○しばてんと出合って、ぼくは命の大切さと人のせいにしてはいけないということを学んだと思う。なぜなら、村人が「しばてんがやりました。」と言って人のせいにしたために、太郎が死んでしまった。だから、人のせいにしてはいけないと思う。

○私は友だちにきらわれていたら助けなかった。太郎はきらわれていても助けた。何があっても助けるということを学んだ。

○ぼくは「しばてん」と出合って、昔の人はとてもすごかったんだなあと思った。なぜなら、長者に米を取られて食べ物がない時、村人は倉を打ちこわすことに決めた。でも打ちこわしは犯罪。ぼくならこんなことをする勇気がない。でも村人たちは打ちこわしをした。結果は成功。すごいと思った。ぼくは、しばてんからやる気があったら何でもできるということを学んだ。

 

 映画の撮影がすべて終わりました。ぼくは今、思っています。きみたちにしばてんを出合わせて良かった、この映画を作って良かったと。あえて言わせてもらうけど、バラ色の友情やバラ色のクラスなんてどこにもありません。石ころがゴロゴロしているのが現実なのです。ある瞬間に心が通い合った、心が一つになったと感じることができたら、それが仲間である証(あかし)なのだと思います。きみたちはいい仲間になったと思います。
               『きらきら』№128(2005.12.16)