教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑫

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪で紹介した講演の続きです。

 

 

私の被爆体験~広島からのメッセージ~


                       森本範雄さん

1.被爆前の日常生活や当時の模様、当時の直前の様子

 

「戦後80年」に紡ぎ継ぐ その3・被爆体験を記録する⑪

   

2.爆発の状況、周囲の状況、負傷者の状態等


 8月6日はとってもいいお天気でした。ものすごい強烈な光が真っ正面から私の目に飛び込んできた。すぐに、訓練されていたポーズをとったんです。


 飛行機から爆弾を落とされる、焼夷弾をばらまかれる、機関銃でねらい撃ちにされる、そういう攻撃から身を守る方法として、まず最初に目と耳を守るんです。手の指で目を隠して、親指で耳のふたをする。そして地面にペタッと伏せるんです。そうすることによって、そういう攻撃から少しでも被害を軽くして自分の身を守ることができたんです。学徒動員時代、呉海軍工廠で空襲の最中に私、工場の敷地の中にいたんです。うかつであった。後ろから戦闘機に狙われていたんです。気がついたときには、もうどこにも逃げ込むような物陰がない。とっさにその場所に、今言ったポーズをとってサッと伏せた。同時に、戦闘機の機関銃の弾が私の斜め後ろからバシッ、バシッ、バシッ、バシッ、地面から土煙立てながら迫ってくる。小さくなって伏せてる私を、上手い具合にポッと一またぎしてまた向こうへバシッ、バシッ、バシッ、バシッ、土煙立てながら機関銃の弾が走っていった。二度目の時、やはり後ろから狙われた。同じようにパッと伏せた。同時に、今度は右横2、30センチぐらいのところを、今度は並行に後ろから機関銃の弾が土煙立てながら走っていった。伏せて低くなって助かったんです。


 ですから、今度も一体何の攻撃か分からないけど、これだけ強烈な光、太陽よりもまだ明るい光、何かの攻撃を受けたには違いない。その強烈な光を見た後なんですけど、それでも訓練されてたクセです、目を隠した。耳ふたしようとした。が、ふたする前に、大きな爆発音が飛び込んできたんです。ただの大きな音ではない。その音を聞いただけで寿命の縮む思いのする、恐ろしい音なんです。気色の悪い、えげつない音です。


 「怖い、早いとこ伏せんといかん。」そう思って前傾姿勢になったところへやってきたのが爆風なんです。私の体を持ち上げる、どっかへ持って行く。地面に落とされた。それっきり私の記憶はなくなってしまったんです。失神してしまってたんです。


 どれぐらい時間たったか分かりません。気がついた。周りを見回す。さっきまで明るかった周り、光が何にもなくなっているんです。ほとんど真っ暗なんです。爆発のときにできたキノコ雲、あのキノコ雲の一番底に私入り込んでいる。キノコ雲、密度の濃い分厚いものなんです。太陽の光が中まで届いてこない。そして、音がない。静かなんです。しいーんとして、何にも見えない。聞こえない。音、ないことはない。いろんなものが倒れたり、くずれたりしているので、何かあったはずです。けど、私の耳、さっきの大きな爆発音聞いたとき変になって、一時的に聞こえなくなってしまってた。


 一体何ごとが起きたのか、さっぱり理解に苦しんでたんです。けど、時間の経過とともに、私の目が暗闇になれてきたのか、キノコ雲の切れ間から太陽の光が差しこみ始めたのか、すこーしずつ周りの様子が見え始めてきた。私の周りにたくさん人々がいたんです。けど、そのたくさんの人々、男も女もほとんど着ているものがない。丸裸に近い格好です。丸裸のくせに何やらぶら下げてる。ぶら下がってるのは、体中の皮膚なんです。顔と言わず、胸と言わず、腕と言わず、背中と言わず、あらわる部分の皮膚がちぎれてぶら下がって、そして全員申し合わせたように手を前に突き出して、手首から先をだらーんと下げて、うろうろうろうろやってるんです。これは、ちぎれた皮膚がのれんのように垂れ下がって、動くとぶらぶら揺さぶられて下がっていた。


 私もそういう格好になってしまったんだろうか。初めて気がついて、自分のありさまをながめたんです。不思議なことに、私にはちゃんと服があるんです。爆心地から1000mの地点です。あの熱線にさらされて、服の表面が焼けこげてはいましたが、服の形は一応ある。ズボンもはいている。何気なく手を見たんです。私の手、血の気が何にもなくなって真っ白けになっていた。そして、手の甲で身と皮とはがされて、親指と人差し指の間へ柔らかい粘土か何かつもんできたように固まっている。顔にさわってみた。今度は右の耳の下にこぶみたいなものが小さくぶら下がっている。顔もやはり身と皮とはがされて、固まっている。


 その時はただ怖い目にあったというだけで、なんでそんな格好になったのか分かりませんでした。後にあることに気がついて分かったんです。爆発の瞬間、私と原子爆弾の間にさっきまで立ち話をしていた友だちがいたんです。私と友だちと原子爆弾が偶然に一直線になってたんです。ですから、爆発の時の閃光でできた友だちの影が、上手い具合にぴったり私の上をカバーしていたんです。ですから、周りの人々みたいに、あのものすごい熱線で着衣を焼きとかされて丸裸にもならずにすんだ。目の前に立ってカベみたいになっててくれたものですから、あのものすごい爆風の一端は私の体から身と皮とはがせ、一定の方向に吹き寄せてしまったけど、さらにそれを吹きちぎるだけの力が私に加わらなかった。周りの人々みたいに吹きちぎられてボロボロになる前の状態で止まってたんです。その代わり、その友だちはその場所で死んでころがってた。もし、立ち止まって話するとき、彼と私が反対の場所に立ち止まっていたら、彼は生き延びて逃げることができて、逆に私はそこで後ろからあのものすごい直撃をまともに浴びて、代わりに死んで転がってたにちがいない。仲の良かった友だちの影とカベのおかげで、まず最初の命拾いをすることができました。

                           (つづく)