「生類憐れみの令」第1部②
イノシシ、シカ、オオカミなどの野獣は憐れむべき対象だったのでしょうか。
イノシシやシカは田畑を荒らしたり人や家畜を襲う困り者です。
オオカミは今ではいませんが、クマが出没しています。
奈良公園や宮島のシカは別として、「害獣」を憐れむというのはないでしょう。
と思いきや、これがまた憐れむべき対象だったのです。
『盛岡藩雑書』第五巻
覚
一兼て被 仰出候通、生類あハれミ(憐)の志弥専要に可仕候、今度
被仰出候意趣ハ猪・鹿あれ、田畑を損さし狼ハ人馬犬等をも損さし
候故、あれ候時計鉄炮にてうたせ候様に被仰出候、然所に万一取た
かひ(違)生類あはれミ(憐)の志をわすれ、むさと打候もの有之
候ハゝ、急度曲事に可申付候事
一御領・私領にて猪・鹿あれ、田畑を損さし、或狼あれ人馬犬等損さ
し候節は、前々之通随分追ちらし、それにても止不申候ハゝ、御領
ニては御代宮・手代・役人、私領にてハ地頭より役人等申付、小給
所にてハ其頭々へ相断、役人を申付、右之もの共に急度誓詞為致、
猪・鹿あれ候時計、日切を定、鉄炮ニて為討、其わけ帳面ニ注置之
其支配々々へ急度可申達候、猪・鹿・狼あれ不申候節、まきらハし
く殺生不仕様ニ堅可申付候、若相背もの有之ハ早速申出候様ニ、其
所之百姓等ニ申付、みたり(猥)かましき儀候ハゝ、訴人に罷出候
様ニ兼々可申付置候、自然隠置脇より相知候ハゝ、当人ハ不及申、
其所之御代官・地頭可致(為)越度事、
右之通堅相守可申者也、
巳六月日
元禄2(1689)年6月の記録によると、猪・鹿・狼も憐れむべきものであるが、作物等にあたり、荒れた時のみ鉄砲を使用することが許可されたことが分かります。
私は「授業書」に出会うまで知らなかったのですが、「生類憐れみの令」という法律はありません。「生類憐れみ」関連法が次から次へと発令されていて、それらの総称を「生類憐れみの令」と呼んでいるのです。
カラスやトンビなどのトリはどうだったのでしょう。
野獣で「ええーっ」という反応を見せていた子どもたちは、カラスと聞いてまさかそれはないだろうと考えました。ほとんどの子は…。中に意固地なヤツがいて、ここまでくれば憐れむで通すというのもいました。
で実際はと言うと、これもまた保護の対象だったようです。
貞享4(1687)年4月、持筒頭下役人が鳩に投石したために遠流処分を受けました。
元禄元(1688)年10月には、鳥が巣を作った木を切ったという科で、武蔵国新羽村の村民が処罰されています。
また、元禄8(1695)年10月には、鉄砲で鳥を殺し、その鳥で商売をしたとして大坂与力はじめ10人が切腹させられ、1人が死罪になっています。
では、サカナは生類憐みの令の対象とされたでしょうか。
子どもたちも意固地が功を奏することを学習します。
当然、保護されました。
ならば、ウナギやドジョウも生きたまま売るのは禁止されたのでしょうか。
これは生きているのを売るのが商売なんだから、例外措置でしょ。
と、フツーの人は思いますよね。
ところがどうだ。
禁止。
『徳川実紀』「常憲院殿御実紀」
(貞享四年二月二十七日条)
食料とて、魚、鳥を蓄養してうりひさぐ(売販)こと、今より後かたく停禁すべし、鶏、亀もこれに同じ、……、鶏、亀、貝類に至る迄、食料とては一切飼置べからずとなり
商売はどうなったのでしょう。
次回はペットとしてのサカナです。