教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

アルプスの山たちを訪ねて 1-5

7月2日(その4)

 

クライネ・シャイデック駅舎脇の線路を渡った丘の上に、新田次郎のモニュメントがあります。

新田次郎は、『槍ヶ岳開山』や『劔岳〈点の記〉』などの山岳小説の第一人者ですが、アイガーをはじめスイスを題材にした小説も書いています。そんなこともあって、1980年に亡くなった後、夫人によってアイガーが見えるこの場所に碑が設置されました。

私たちは二人とも新田作品のファンゆえ、外すわけにはいきません。

 

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碑には「新田次郎 ここに眠る」の文字が

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モニュメントの周りにはたくさんの花が咲いていた


 

1864年のベルビューホテル完成から30年を経た1893年ラウターブルンネン~クライネ・シャイデック(7月2日乗車)、グリンデルワルト~クライネ・シャイデック(7月3日乗車)に登山鉄道が開通しました。日本では、日清戦争の前年のことです。

さらに、1912年には、ここからユングフラウヨッホまでの登山鉄道(7月3日乗車)が開通します。この鉄道については明日くわしく触れますが、100年も前に、アイガーの岩峰にトンネルを掘って標高3454mまで電車を走らせたのです。ホント、スイス人はスゴイ。

20時33分、ユングフラウから業務用列車が下りてきました。

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20時33分、業務用車輌がユングフラウから下りてきた

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薄暮の中、明日の運転を待つユングフラウ鉄道

 

21時、日の入り時刻が近くなり、ユングフラウ三山は赤みを帯びてきました。

登山用語ではアーベントロートといいます。アーベントロートやモルゲンロート(朝焼け)が見られることが、山岳ホテル宿泊の“プチマニ”ツアーを選んだ理由です。まず、その最初の目的が果たせました。天気の善し悪しは時の運、感動的です。

 

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アーベントロートに染まるアイガー

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メンヒ


ホテルの部屋に戻って、もう一度アイガー北壁を眺めます。雲を纏ったアイガーが幻想的です。

 

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21時18分、7月2日最後のアイガー

ここクライネ・シャイデックは、北緯46.6度くらいの位置にあります。これは北海道よりも北、サハリンのユジノサハリンスクとほぼ同じ緯度です。

夏至から10日あまりですので、日本でも日暮れは遅いです。でも、午後9時を過ぎて、この明るさはあり得ません。

 

私たちは理屈として、緯度が高いとはどういうことかは知っています。知識としては北欧の白夜だって知っています。そして、その知識で地理を教えてきました。

しかし、実際に北緯46度を体感してみると、知識とは違う実感があります。

現職教員にはまとまった休みを取りにくい状況が強まっていますが、いろんな所へ出かけて様々なモノを吸収して、その一部をさりげなく子どもたちに届けたいですね。語る言葉の厚みが増します。

 

 

おやすみ前のバスタイムです。

古き時代のイギリスと言えばロマンチックに感じますが、浴室には足つきのバスタブがポツンと置かれ、お湯と水の蛇口はあるのですがシャワーがありません。もちろん、洗い場などあるはずもありません。当時の人たちはどうやってシャンプーしていたんだろうと、遠い昔に思いを馳せてはみましたが妙案は浮かびませんでした。