教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

節分の鬼はどこにいる

節分と言えば、豆まき。

豆まきと言えば、「鬼は外 福は内」 。

とまあ、相場が決まっているのですが…。

 

「鬼」ってなんでしょう?

「鬼」はどこにいるのでしょう?

 

「鬼は外 福は内」というフレーズには、「鬼」=「悪」という前提があります。

 

広い世間の一部には、「鬼は外」ではなく「鬼は内」と言うところもあります。

三浦康子さんの「暮らしの歳時記 ガイド」より引きます。

 暮らしの歳時記 ガイド
                 三浦 康子

【社寺編】鬼を祀っているので「鬼は外」はタブー!
節分
節分の鬼のとらえ方は社寺によって違います

立山真源寺(東京都台東区)→「福は内、悪魔外」
鬼子母神を御祭神としており、「恐れ入谷の鬼子母神」で有名。鬼子母神とは、他人の子供を襲って食べてしまう鬼神でしたが、見かねたお釈迦様が彼女の末子を隠し、子供を失う悲しみを諭します。それ以来仏教に帰依するようになり、子供の守り神となりました。


鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町)→「福は内、鬼は内、悪魔外」
鎌倉時代の勇将・畠山重忠の館の鬼門除けとして建立したので「悪魔外」。また、金棒を持った鬼が奉納されているので「鬼は内」です。


元興寺奈良県奈良市)→「福は内、鬼は内」
寺に元興神(がごぜ)という鬼がいて、悪者を退治するという言い伝えがあります。


稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町)→「福は内、鬼は内」
「鬼王」として「月夜見命」「大物主命」「天手力男命」の三神を祀っています。


天河神社奈良県天川村)→「鬼は内、福は内」
鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため、前日に「鬼の宿」という鬼迎えの神事を行い、鬼を迎い入れてから節分会をします。


金峯山寺蔵王奈良県吉野郡吉野町)→「福は内、鬼も内」
全国から追われた鬼を迎い入れ、仏教の力で改心させます。


千蔵寺(神奈川県川崎市)→「福は外、鬼は内」
厄神鬼王(やくじんきおう)という神様が鬼を堂内に呼び込み、悪い鬼に説教をして改心させ社会復帰させます。


大須観音(愛知県名古屋市)→「福は内」のみ
伊勢神宮の神様から授けられた鬼面を寺宝としているため「鬼は外」は禁句です。


成田山新勝寺(千葉県成田市)→「福は内」のみ
ご本尊の不動明王の前では鬼も改心するとされています。

【地域編】鬼さん、いらっしゃ~い 
群馬県藤岡市鬼石地区→「福は内、鬼は内」
鬼が投げた石でできた町という伝説があり、鬼は町の守り神。全国各地から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節分祭」を開催しています。


宮城県村田町→「鬼は内、福も内」
羅生門で鬼の腕を斬りとった男(渡辺綱)が、この地で乳母にばけた鬼に腕を取り返されてしまったため、鬼が逃げないよう「鬼は内」といいます。


茨城県つくば市鬼ケ窪→「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ヶ窪の年越しだ」
あちこちで追いやられ、逃げ込んできた鬼がかわいそうで追い払うことができないため「あっちはあっち、こっちはこっち」。節分の豆まきは新春(立春)を迎える前日の厄払いであり、昔は新年を迎える前日としてとらえていたので「鬼ヶ窪の年越しだ」と言っていたそうです。

 

よく見ると、「鬼は内」 にも特徴的な2つのグループがあることが分かります。

 

1つは、「立山真源寺」「金峯山寺蔵王」「千蔵寺」「成田山新勝寺」のグループです。

ここでは「鬼」=「悪」が前提になっています。それを改心させているわけです。

 

もう1つは、「鬼鎮神社」「元興寺」「天河神社」のグループです。

ここでは「鬼」=「善」もしくは「鬼」≒「善」が前提になっています。「稲荷鬼王神社」「大須観音」も、少なくとも「鬼」≠「悪」であると思われます。

天河神社」の「鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされている」というのは、特筆すべき世界観だと言えます。

 

 

そもそも、「鬼」とは何なのでしょうか。

 

私は、20代の頃にかなり真剣に考えたことがあります。そして、次のように結論づけました。

その人(あるいは社会)のもっている「ものさし」の「めもり」からはみ出たものや未知のものへの畏怖や嫌悪を「鬼」という虚像にして顕在化させた。そして、異質なもの、特異なものを「鬼」として排除し、ときに攻撃することで心の平衡と平静を保ってきたのではないか。

 

そう考えるならば、「鬼」の所在は私自身の心の内にあることになります。

 

そして、心の内に棲む「鬼」は、その対象を差別的に処することがしばしばあります。ここに人権教育の課題として「鬼」を考える視点があります。

 

 

30代の半ば頃、人権教育教材集の教師用指導書の原稿として書いた文章があります。参考までに紹介します。

 

3年 「島ひきおに」


1.教材設定の意図


 学級のなかにはさまざまな「問題」を持つ子どもがいる。それは、いわゆる「障害」であったり、乱暴な行為であったり、大声で泣き叫ぶ行為であったり、寡黙であったり、家庭状況であったりする。しかし、正確に言うなら、ここに列挙したようなこと自体が「問題」なのではない。「問題」の多くは、まわりの無理解や先入観に起因する。


 絵本『島ひきおに』の「はじめに」で、作者は、「いつのまにか自分が鬼になっていました。私の最初の心のうずきは、孤独だったと思います。だれにも遊んでもらえぬ昼さがり、泣いてかえる白い道そして、今日までこの孤独と愛の問題をひきずりながら、『島ひきおに』のように歩きつづけてきたような気がするのです。」と、述べている。学級のなかで「問題」だと思われている子どもに、この「おに」を出会わせたい。彼・彼女の心の琴線に触れ、閉ざされた扉を開いていける出会いにしたい。


 学級の多くの子どもたちは、作品における「村びと」の立場にある。彼ら・彼女らに望むことは二つある。


 鬼はマイナスの存在として語られることが多い。しかし、恐ろしい鬼がどこかに実在しているというわけではない。人々は自分たちと異質なものを鬼という虚像のなかに描き、排除し、時に攻撃してきたとは言えないか。ところで「島ひきおに」は、「おに」が心優しい存在として描かれているという点で、日本の児童文学の中では稀な作品である。子どもたちは、この「おに」と出会うなかで、恐ろしいという「虚像」ではなく、仲間を求めつづける純粋な「実像」に触れるだろう。「おに」の気持ちへの理解を通して、学級に中で「おに」にされている仲間の気持ちを考えていってほしいと思う。


 二つ目には、「村びと」の問題である。「おに」の思いを知れば知るほど、「おに」を避け、あるいは騙していく「村びと」への憤りが強くなるだろう。この憤りを、同時に内なる「村びと」に向けさせたい。自分(内なる「村びと」)が仲間(内なる「おに」)をどう見てきたのか、どう接してきたのか。まさに、自身の生き方を問い直す営みに向き合わせたい。


 いずれにせよ、集団の質を問われる作品である。教材は文学の読みの学習になるが、子どものつながりの高まりのなかで、劇化や図工の共同制作などに発展させていきたい。


2.教材の焦点


① 仲間と一緒に暮らしたいという願いが分かってもらえず、誰にも受け入れても らえない、「おに」の悲しさ、辛さを読み取る。


② 外見と予断から、「おに」を少しも理解しようとせず追い出した「村びと」に ついて、感想、意見を持つ。


③ 「おに」や「村びと」を通して、自分や自分の周りを見つめ直す。


以上3点を、この教材を学習する目標としたい。


 「おに」と「村びと」の様子や心情を表す言葉を手がかりに、読みをすすめていきたい。まず最初の部分では、広い海の真ん中でひとりぼっちで暮らす「おに」、鳥や船にさえ「おーい、こっちゃきてあそんでいけ!」と呼びかける寂しい「おに」の様子や気持ちを読み取る。それと対比する形で、漁船が島にやってきたのを見た「おに」の喜びを読み取りたい。


 (教材のページは省略)では、「りょうし」と「おに」の心のズレに焦点を当てて読みたい。びっくりして命乞いする「りょうし」と、一緒に暮らせる方法を尋ねる「おに」。とんでもないと口から出まかせを言う「りょうし」と、心からお礼を言う「おに」。と、いった具合に。

 

 (教材のページは省略)は、「おに」が引っ越しの準備をする場面である。人間と一緒に暮らせるという希望や期待を膨らませながら、3日間で準備を済ませ、島を引いて歩いていく「おに」の様子や気持ちを考え合いたい。


 (教材のページは省略)では、ようやく浜辺の村まで島を引っ張って行き、「おーい、……」と呼んだ「おに」の気持ちを、まず考えたい。そして、何とかして「おに」に出ていってもらおうとする「村びと」と、気持ちが分かってもらえず足を踏みならす「おに」の様子や気持ちを読み取る。足を踏みならす「おに」の思いは、特にていねいに読みたい。


 (教材のページは省略)は、「おに」がべつの村へ辿り着いた場面である。「おーい、……」と呼ぶ「おに」、じいさまを迎えた「おに」の様子や気持ちに焦点を当てて読みたい。


 (教材のページは省略)では、自分が食べたのではないことを訴え続ける「おに」の思いに迫る読みをしたい。そして、事実を知りながら「おに」を追い出そうとする「村びと」について意見を出し合いたい。


 (教材のページは省略)では、①島を引っ張りながらあちらこちらをさまよう「おに」と、受け入れようとしない「村びと」、②深い海のなかを島を引いて何年間も歩く「おに」、③綱のように痩せ細ってもなお、雲や月に「おーい、……」と呼ぶ「おに」の様子や気持ちを読み取り、感想や意見を出し合いたい。


 ラストシーンの「なんぼかむかしのはなしじゃそうな。だがいまでもおにはうみのまんなかを、みなみへみなみへながれつづけておるかもしれん。」という文章は、子どもたちに内なる「おに」、内なる「村びと」と向き合わせる。まさに、自分自身の生き方が問われる部分である。深く自分やまわりの仲間を見つめ直させたい。


3.教材の解説・資料


 「島ひきおに」は、山下明生(やました はるお)氏の作品で、1973年に梶山俊夫氏の絵による絵本として、偕成社より刊行された。

 

 山下明生氏は1937年東京に生まれ、幼少年期を広島県能美島で過ごした。海育ちの海好きで、『かいぞくオネション』『いきんぼの海』『ふとんかいすいよく』『うみをあげるよ』『はまべのいす』『海のコウモリ』など、海を舞台にした作品が多い。


 「島ひきおに」の作品については、絵本の「はじめに」で次のように述べられている。「私のいなか、広島県能美島のすぐそばに、敷島という無人島があります。もとは引島とよんでいたそうです。鬼が引っぱってきた島だから、引島といったんだと、私は小さいときからきかされました。いかにも鬼が引っぱってくるにふさわしい、周囲数百メートルの小島です。 私はこのいいつたえが好きで、たびたび小舟をこいでこの島にわたりました。島のてっぺんには、何をまつっているのか、古ぼけた祠がありました。きこえてくるのは、波の音、沖をとおる船の音、松の梢をすぎる風の音。 そこは、孤独がしんしんと身にしみる霊場でした。私は祠の前に腰をおろし、島をとりかこむ海をながめながら、この島を引っぱってきたという鬼のことを想像しました。いいつたえでは、鬼はここで力つきて、死んだというのです。 しかし、私はこの鬼を死なせたくなくて、自分の空想のなかで、どこまでも海をあるかせました。何しにいくのか、どこまでいくのか考えながら、いつのまにか自分が鬼になっていました。(以下、教材設定の意図の引用文に続く)」こうしてみてくると、「おに」はまさに作者自身だと言えるし、作者の思いが作品のなかで見事に形象化されている。


 1986年、続編として『島ひきおにとケンムン』(偕成社)が出された。「はじめに」には、こうある。「人はたいてい心の中に“さびしいおに”をもっています。 わたしの心の“島ひきおに”も、…略…ひとりで海を歩いてきました。なん年もなん年も……。『ケンムンのはじまり』を本で読んだとき、わたしは、島ひきおにを彼にあわせてやりたくなりました。」それから7年後の作者の奄美大島再訪の旅ののちに、この作品は生まれた。同じ“さびしさ”をもつが故に通い合う、島ひきおにとケンムンの心。そして、悲しい別れと、ひとりで海を歩いていくラストシーン。「島ひきおに」とあわせて使いたい作品である。 

 

まずは『島ひきおに』のご一読を。

そして、「鬼」を哲学しませんか。