教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

中沢啓治『はだしのゲン』ーー8月の作家①

ヒロシマナガサキを題材にした子ども向けの作品は数多くあります。その中から1冊をと言われたら、躊躇なく『はだしのゲン』を挙げます。

 

はだしのゲン』は、中沢啓治さんの被爆体験をもとにした自伝的作品です。

1973年に『週刊少年ジャンプ』での連載が始まります。1974年、オイルショックの影響などで休載になります。ここまでが「第一部」です。

その後、掲載誌を変えながら1987年に完結するまでが「第二部」です。

週刊少年ジャンプ』 1973年第25号 ~ 1974年第39号
  第一部 『はだしのゲン』(汐文社)第1巻~第4巻
『市民』       1975年9月号 ~ 1976年8月号
『文化評論』     1977年7月号 ~ 1980年3月号
『教育評論』     1982年4月号 ~ 1987年2月号
  第二部 『はだしのゲン』(汐文社)第6巻~第10巻

 

今年2月、広島市の平和学習教材から「はだしのゲン」が削除されるという報道がありました。

東京新聞」より引用します。

はだしのゲン」の何が問題視されたのか 広島市教委の平和学習教材から外された理由
2023年2月18日 12時00分

 広島市教育委員会は、市立小学校3年生向けの平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」を、2023年度から削除し、別の被爆者体験談に差し替えることを決めた。理由は「被爆の実相に迫りにくい」からだという。原爆の恐ろしさを伝える世界的な名作「ゲン」への評価としては首をかしげたくなるが一体、何が問題なのか。(宮畑譲)
◆「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」
 同市の全小中学校、高校では、2013年度から平和教育プログラムが始まり、市教委が学齢に応じて作った教材「ひろしま平和ノート」が使われている。
 「はだしのゲン」は小学校3年生向けの教材に掲載。家計を助けようと浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した母親に食べさせようと池のコイを盗んだりするシーンが引用されている。家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る場面も使われてきた。
 だが、13年度のプログラム開始後、市教委が設置した大学教授や学校長による会議が教材の改定を検討する中で、引用された漫画の場面が「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」「コイ盗みは誤解を与える恐れがある」などの指摘が出ていたという。
 市教委の高田尚志指導第1課長は「ゲンは市民に広く読まれており、市にとって大切な作品という認識は変わらない」としつつも、「漫画の一部を切り取ったものでは、主人公が置かれた状況などを補助的に説明する必要が生じ、時間内に学ばせたい内容が伝わらないという声があった」と説明。23年度版からはゲンの掲載をやめ、被爆者の体験を親族に聞き取って再構成した教材を使うという。
◆総発行部数1000万部、アニメやミュージカルにも
 「はだしのゲン」は、広島に投下された原爆で父や姉、弟を亡くした少年・中岡元が、たくましく生き抜く姿を描く長編漫画。1973(昭和48)年から87年にかけ、「週刊少年ジャンプ」などで連載された。故中沢啓治さんが、自らの被爆体験を基に描いた。
 愛蔵版などを含めた総発行部数は1000万部を超える。エンターテインメントとしても評価され、アニメやミュージカルにもなった。多数の言語に翻訳されていて、2007年には、核拡散防止条約(NPT)の委員会で日本政府が英訳版を配布する一幕もあった。
 それだけに今回、作品が平和教材から消えることのショックは小さくない。
 中沢さんの妻ミサヨさん(80)は「市教委が決めたことだから仕方がない」としつつ、残念さをにじませた。中沢さんは、原爆の悲惨さをどう描けば子どもたちに伝わるか、面白く読んでもらえるか、必死に掘り下げて考えながら一コマ一コマ描いていたといい、教材に採用されることを知った時は喜んでいたという。
 ミサヨさんは「これまで子どもに親しまれていて、理解してくれていると思っていた。物語で描いているから、全部読んでもらえば、戦争の悲惨さやなぜ戦争が起きたかも分かってもらえると思う」と話す。
◆子どもの世界を広げるのが教育なのに…
 「はだしのゲンは多くの人に読まれてきた社会的価値のある作品」と評価する名古屋大の中嶋哲彦名誉教授(教育行政学)は「授業で使うことで作品を読むきっかけになり、学習が広がる。子どもの世界を広げていくのが教育。切り出した場面が分かりにくければ、違う場面を使う方法もあったのでは」と指摘する。
 ゲンを巡っては12年、松江市教委が「描写が過激」として、学校図書館の倉庫に移して閲覧を制限するよう市内の小中学校に要請し、後に撤回する騒動もあった。この件も踏まえ、中嶋氏は「今回のことをきっかけにして、学校からゲンがなくなることにつながってはいけない。これまで以上に学校図書館に置いてあるといったことをアピールしていくべきだ」と話す。

 

Wikipedia」より、松江市教委の閲覧制限の詳細を紹介します。

松江市教育委員会による閉架措置問題
2012年8月、高知県在住の在日特権を許さない市民の会のメンバーより、本作品の10巻に旧日本軍が「中国人の首を面白がって切り落とした」「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出した」「女性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺した」といった記述が証拠資料もなしに羅列してあり、「子供たちに間違った歴史認識を植え付ける」として、学校図書室から本作品を撤去する陳情が出された。この陳情は市議会において不採択とされたが、議員の中には陳情内容に同調する意見もあったことから、松江市教育委員会は教育的見地に基づく再検討を行い、2012年12月、『はだしのゲン愛蔵版』(汐文社発行)全10巻を「描写が過激」として、本棚に置かず倉庫に収める閉架措置にするように口頭で要請。市内全49校(当時)のうち本作品全10巻を保有する39の小中学校がこれに応じた。

汐文社の政門一芳社長や京都精華大学マンガ学部吉村和真教授は、今回の閉架措置による戦争体験の継承の喪失・風化を危惧している。下村博文文部科学大臣松江市閉架措置について、子供の発達段階に応じた教育的配慮は必要として、「学校図書の取り扱いについて学校に指示するのは、教育委員会の通常の権限の範囲内」として問題が無いことを述べている。

2013年8月22日、日本図書館協会は『中沢啓治著「はだしのゲン」の利用制限について(要望)』を発表した。同協会は松江市教育委員会による閉架措置が、「図書館の自由に関する宣言」(1979年、総会決議)に違反していると指摘。同宣言では国民の知る自由を保障することを、図書館の最も基本的な任務と位置づけ、図書館利用の公平な権利を年齢等の条件によって差別してはならないこと。また、ある種の資料を特別扱いしたり、書架から撤去するなどの処置の禁止されていることが、同宣言に明記されていると指摘した。

2013年8月26日に開かれた松江市教育委員による臨時会議の結果、「教育委員会が学校に閲覧制限を一律に求めたことに問題があり、子供に見せるか見せないかは現場の判断に任せるべきだ」との意見から、全会一致で閲覧制限の撤回が決定された。

2013年10月に行われた調査では、松江市内の分校を除く49校のうち、はだしのゲンを所蔵する43校中、41校で生徒が自由に閲覧できるようになり、1校が検討中、1校が原則閉架で、所蔵しない学校のうち2学校が生徒の希望であらたに購入を検討していることが明らかになっている。 

 

広島市教委は、「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」、「被爆の実相に迫りにくい」というのです。

「現代の児童の生活実態に合わない」ことが問題というなら、昔話や古典などはどうなるのでしょう。

被爆の実相」に関しては、松江の問題の折、下崎邦明・広島県教育委員長(当時)は「広島の原爆の実相を伝えていると感じている」と県議会の委員会で答弁していました。広島市松井一実市長も取材に応じ、「被爆の実相についての描写をしっかり見てもらい、二度と繰り返してはならないという気持ちを喚起するほうが大事だ」と話したと中国新聞が報じています。

 

日本軍の加害問題や天皇の戦争責任などに触れたとき、まさに虎の尾を踏んだ事態になることをしばしば目にしてきました。『はだしのゲン』をめぐるたびたびの騒動も、そうした1つであることは間違いありません。

 

中沢啓治さんは、2012年12月19日に73歳で亡くなられました。その翌日、2012年12月20日に『はだしのゲン わたしの遺書』の初版第一刷が発行されました。(「死去」まで掲載されていますから、実際の発行はもう少し後だと思います。私の手もとにあるのは、2013年1月20日の第二刷です。)

はだしのゲン わたしの遺書』は大人向けの活字本です。漫画作品である『はだしのゲン』とあわせて読んでほしい1冊です。

同著のなかで中沢さんはこう書いています。

はだしのゲン』は、被爆のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。けれど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました。

 原爆の悲惨さを見てくれて、本当に感じてくれたら、作者冥利につきると思います。だから描写をゆるめてかくことは本当はしたくなかったのです。

 こんなに甘い表現が真に迫っているだろうか。原爆というのは本当はああいうものじゃない。ものすごいんだと。そういう気持ちが離れないのです。

はだしのゲン』の連載が始まると、漫画家仲間からも、「おまえの漫画は邪道だ。子どもにああいう残酷なものを見せるな。情操によくない」と叱責されたことがありました。

 けれど、ぼくは、「原爆をあびると、こういう姿になる」という本当のことを、子どもたちに見せなくては意味がないと思っていました。原爆の残酷さを目にすることで、「こんなことは決して許してはならない」と思ってほしいのです。

 また、被爆後、人間の悪い本性をさんざん見てきましたから、『はだしのゲン』の中では、優しさや思いやり、家族愛も意識してかきました。やはり、次の世代の子どもたちには、人間の嫌な部分ではなく、よい部分をバトンタッチしてやりたい、そういう思いで『はだしのゲン』をかき続けました。

 

はだしのゲン』全10巻、少なくとも「第一部」にあたる1から4巻は、これからも読み継がれてほしいです。

はだしのゲン』(汐文社)全10巻 各巻880円

私は持っていませんが、別の出版社からも刊行されています。

はだしのゲン』(中央文庫コミック版)全7巻 各巻776円

 

マンガを読み終えたら、ぜひご一読を。

はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社 1430円)

『遺書』は224ページもある厚い本ですが、手頃なブックレットもあります。

はだしのゲンピカドンを忘れない (岩波ブックレット NO. 7)』(岩波書店 572円)

こちらはわずか56ページですが、中身は濃いです。1982年の発行です。

岩波ブックレットには、次の1冊もあるようです。

はだしのゲンヒロシマを忘れない (岩波ブックレット)』(岩波書店 2008年 572円)

 

あれはいつの年だったか、賑やかなセミの声を聞くと中沢さんとお目にかかった夏の日を思い出します。