教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

日本語探訪(その117) 故事成語「自暴自棄」

小学校のうちに知っておきたい故事成語の第39回は「自暴自棄」です。

 

自暴自棄

 

「自暴自棄」の読み方

じぼうじき

 

「自暴自棄」の意味

失望・放縦などのために自分の境遇・前途を破壊して顧みないこと。やけになること。(広辞苑

 

「自暴自棄」の使い方

自暴自棄を起こすお前でない事は信じているが、随分まいる事と思う。(志賀直哉『暗夜行路』1921~37年)
 

「自暴自棄」の語源・由来

「自暴自棄」の出典は、孟子の『離婁(りろう)』上篇です。

 

孟子曰、「自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有為也。言非禮義、謂之自暴吾身不能居仁由義、謂之自棄。仁、人之安宅也。義、人之正路也。曠安宅而弗居、舍正路而不由、哀哉。」

【読み下し文】

孟子曰く、自ら暴(そこ)なう者は、与(とも)に言うあるべからざるなり。自ら棄つる者は、与に為すあるべからざるなり。言、礼義を非(そし)る、これを自暴と謂う吾が身、仁に居り義に由る能わざる、これを自棄と謂う。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠(むな)しくして居らず。正路を舎てて由らず。哀しきかな。

【現代語訳】

孟子はこう言いました。

「自分自身をだめにする人間とは共に語ることはできない。自分自身を捨てるような人間とは共に何かをすることはできない。

その言葉で礼儀をそしる者、これを自暴と言う。自分自身を仁の中に置いたり、義に基づくことができない者、これを自棄と言う。

仁とは安心して住める家のようなものである。義とは人が正しく歩める道のようなものである。その家を空き家にして住まず、その道を捨てて歩まないとはなんと哀れなことだろうか」

 

「自暴自棄」の蘊蓄

「自暴自棄」の類義語

捨て鉢(すてばち)
どうともなれという気持ち。また、そうした気持ちであるさま。自暴自棄。(大辞泉
捨て鉢の「鉢(はち)」は、お坊さんが持っている「托鉢(たくはつ)」のこと。昔からある修行の一種で、一定の行儀に従って、布施をする食などを鉢で受けてまわることを指します。
もちろん修行は辛いものです。そのため、なかには修行を断念する人もいます。これを「鉢を捨てる」と表現していました。
ここから転じて、やけになる気持ちを「捨て鉢」と言うようになったのです。

 

投げやり
漢字で「投げ遣り」と書きます。
物事を中途で投げすてておくこと。また、どうでもよいというような無責任な態度をとること。(明鏡国語辞典

 

やけくそ
漢字で「自棄糞」と書きます。
「やけ(自棄)」を強めていう語。
やけ…物事が自分の思いどおりに運ばなくて、どうにでもなれという気持ちになり、思慮のない乱暴な振る舞いをすること。また、そのさま。
くそ…形容動詞の語幹に付いて、卑しめののしる意を表す。(大辞泉