小学校のうちに知っておきたい故事成語の第60回は「羊頭狗肉」です。
「羊頭狗肉」の読み方
ようとうくにく
「羊頭狗肉」の意味
見かけが立派で実質がこれに伴わないこと。羊頭を懸(かか)げて狗肉を売る。(広辞苑)
「羊頭狗肉」の使い方
羊頭狗肉を逆に木綿の表に絹の裏をつけ、その絹もなるべく光らないでなるべく悪い物に見せる必要があった。(矢田挿雲『江戸から東京へ』1921年)
「羊頭狗肉」の語源・由来
「羊頭狗肉」の出典は、『無門関(むもんかん)』第六則です。
昔、お釈迦さまが、大勢の人に説法をしていた時、一本の花を摘まんで示したところ、ひとり迦葉(かしょう)だけが微笑んで理解しました。お釈迦さまは迦葉をほめたたえました。
この逸話に対する釈迦の態度を無門慧開(むもんえかん)が批判した言葉の中に「羊頭狗肉」が出てきます。
「迦葉のみをほめたたえるのは、善良な大衆を無視して見下し、立派そうな教義を掲げて、実はたいした説法もしていないと言うことだ。まるで【羊の肉だ、などと偽って狗(犬)の肉を売り付けなさる】ようなものだ。とても並の人間に出来る芸とは言えない。」
無門曰、黄面瞿曇、傍若無人。
壓良爲賤、懸羊頭賣狗肉。
將謂、多少奇特。
只如當時大衆都笑、正法眼藏、作麼生傳。
設使迦葉不笑、正法眼藏又作麼生傳。
若道正法眼藏有傳授、黄面老子、誑謼閭閻。
若道無傳授、爲甚麼獨許迦葉。
【読み下し文】
無門(むもん)曰(いわ)く、黄面(おうめん)の瞿曇(くどん)、傍若(ぼうじゃく)無人(ぶじん)。
良(りょう)を圧(あっ)して賤(せん)と為(な)し、羊頭(ようとう)を懸(か)けて狗肉(くにく)を売(う)る。
将(まさ)に謂(おも)えり、多少(たしょう)の奇特(きどく)と。
只(ただ)当時(そのとき)大衆(だいしゅ)都(すべ)て笑(わら)うがごときんば、正法(しょうぼう)眼蔵(げんぞう)、作麼生(そもさん)か伝(つた)えん。
設(も)し迦葉(かしょう)笑(わら)わずんば、正法(しょうぼう)眼蔵(げんぞう)又(また)作麼生(そもさん)か伝(つた)えん。
若(も)し正法(しょうぼう)眼蔵(げんぞう)に伝授(でんじゅ)有(あ)りと道(い)わば、黄面(おうめん)の老子(ろうし)、閭閻(りょえん)を誑謼(おうこ)す。
若(も)し伝授(でんじゅ)無(な)しと道(い)わば、甚麼(なん)としてか独(ひと)り迦葉(かしょう)を許(ゆる)す。
「羊頭狗肉」の蘊蓄
「羊頭狗肉」の類義語
牛頭馬肉(ぎゅうとうばにく)
見せかけはしっかりしているが、中身が伴っていないこと
牛首を懸けて馬肉を売る/牛首を門に懸けて馬肉を売る
羊頭馬脯(ようとうばほ)
見せかけだけは立派で、実質がそれに伴わないことの喩え
羊頭を掲げて馬脯を売る/羊頭を懸けて馬肉を売る
玉を衒いて石を売る(たまをてらいていしをうる)
値打ちのある物のように見せかけて、実際は粗末な物を売るたとえ。
看板に偽りあり(かんばんにいつわりあり)
外見と中身が一致していないこと。看板に掲げているものと、実際に売っているものが違っているということから。
看板倒れ(かんばんだおれ)
看板だけ立派で、実質が伴わないこと
言行齟齬(げんこうそご)
言ったことと、実際の行動が一致しないこと
有名無実(ゆうめいむじつ)
名ばかりで、実質の伴わないこと
名存実亡(めいそんじつぼう)
名前としては存在しているが、実体が失われていること
「羊頭狗肉」の対義語
看板に偽りなし(かんばんにいつわりなし)
看板に書いてあることに嘘がないこと。事実であること
看板かくれなし(かんばんかくれなし)
看板に書いてあることに嘘がないこと。事実であること
言行一致(げんこういっち)
自分の言葉通りに行動し、矛盾がないこと