教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 6月28日

貿易記念日

 

貿易記念日は、通商産業省(現:経済産業省)が1963(昭和38)年に制定しました。

安政6年5月28日(新暦では1859年6月28日)、江戸幕府が横浜・長崎・函館(箱館)の3港において、アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダの5ヶ国との自由貿易を開始する布告を出したことに由来します。

 

開港の根拠となっているのは、安政5年(1859年)に締結された修好通商条約です。

国立公文書館HPより、「激動の幕末 -開国の衝撃-」の「Ⅲ 黒船と開国」の一部を引用します。

20.    五ヶ国条約并税則
ごかこくじょうやくならびにぜいそく
再来したペリーは、条約の草案を渡し回答を求めました。幕府は回答を引き延ばそうとしましたが、合衆国艦隊を背景に交渉するペリーの前に、ついに開国を決断し、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)、横浜の応接所(現在の横浜開港資料館のあたり)で、日米和親条約(神奈川条約)が締結されました。条約は全12条。日米両国の永久の和親と下田・箱館の開港、米国船遭難者の保護などが定められましたが、両国の通商についてはまだ条項が設けられていません。

通商条約は、初代駐日総領事ハリス(1804-78)のとき実現されます。安政3年8月(1856年9月)に下田に着任したハリスは、通商に後ろ向きな幕府側に、国際情勢の変化や貿易による日本の利益を説いて交渉を続け、その結果、安政5年6月19日(1858年7月29日)、江戸湾小柴沖に浮かぶ合衆国軍艦ポーハタン号上で、日米修好通商条約と貿易章程が締結され、その後、年内にオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約が結ばれました(アメリカとあわせて五ヶ国条約と総称)。日米修好通商条約は全14条。下田と箱館のほか、期限付きで神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し、江戸・大坂を開市すること。関税や領事裁判権等が定められています。 

資料の『五ヶ国条約并税則』は、安政6年(1859)に刊行された五ヶ国条約の日本語の条文。幕府の各機関で条約の正確な内容を知る必要があり、その条文が印刷頒布されたものと思われます。全5冊。

 

 

日米修好通商条約」の第3条に開港に関する定めがあります。

第三條

下田箱館の港の外次にいふ所の場所を左の期限より開くへし

 神奈川 午三月より凡十五箇月の後より 西洋紀元千八百五十九年七月四日

 長崎 午三月より凡十五箇月の後より 西洋紀元千八百五十九年七月四日

 新潟 午三月より凡二十箇月の後より 西洋紀元千八百六十年一月一日

 兵庫 午三月より凡五十六箇月後より 西洋紀元千八百六十三年一月一日

  若し新潟港を開き難き事あらは其代りとして同所前後に於て一港を別に撰ふへし

神奈川港を開く後六箇月にして下田港は鎖すへし此箇條の內に載たる各地は亞米利加人に居留を許すへし居留の者は一箇の地を價を出して借り又其所に建物あれは之を買ふ事妨なく且住宅倉庫を建る事をも許すへしと雖之を建るに托して要害の場所を取建る事は決して成ささるへし此掟を堅くせん爲に其建物を新築改造修補なと爲る事あらん時には日本役人是を見分する事當然たるへし

亞米利加人建物の爲に借り得る一箇の場所並に港々の定則は各港の役人と亞米利加コンシュルと議定すへし若し議定し難き時は其事件を日本政府と亞米利加ヂプロマチーキ、アゲントに示して處置せしむへし

其居留場の周圍に門墻を設けす出入自在にすヘし

 江戶 午三月より凡四十四箇月の後より

     千八百六十二年一月一日

 大阪 同斷凡五十六箇月の後より

     千八百六十三年一月一日

右二箇所は亞米利加人只商賣を爲す間にのみ逗留する事を得へし此兩所の町に於て亞米利加人建家を價を以て借るへき相當なる一區の場所並に散步すへき規程は追て日本役人と亞米利加のヂプロマチーキ、アゲントと談判すへし

雙方の國人品物を賣買する事總て障りなく其拂方等に付ては日本役人是に立會はす諸日本人亞米利加人より得たる品を賣買し或は所持する倶に妨なし○軍用の諸物は日本役所の外へ賣るへからす尤外國人互の取引は差構ある事なし此箇條は條約本書爲取替濟の上は日本國內へ觸渡すへし

米並に麥は日本逗留の亞米利加人並に船に乘組たる者及ひ船中旅客食料の爲の用意は與ふとも積荷として輸出する事を許さす○日本產する所の銅餘分あれは日本役所にて其時々公けの入札を以て拂渡すへし○在留の亞米利加人日本の賤民を雇ひ且諸用事に充る事を許すへし

神奈川(横浜)、長崎については1859年7月4日より開港することになっています。

その後に結ばれたオランダ・ロシア・イギリス・フランスとの条約も、同じ内容です。

 

この条文を受けて出されたのが、自由貿易を開始する布告です。

 

実際の開港は安政6年6月2日(1859年新暦7月1日)でした。

横浜と長崎は6月2日を開港記念日としています。一方、函館は新暦に換算した7月1日が開港記念日です。