教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月7日

大日本沿海輿地全図」が江戸幕府に献上される

 

1821年8月7日(旧暦では文政4年7月10日)、伊能忠敬が中心となって作製した日本全土の実測地図である大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)が完成して、幕府に提出されました。

 

伊能忠敬蝦夷地の測量に向け江戸を出発したのが、寛政12年閏4月19日(現在の暦に直すと1800年6月11日)。このとき忠敬は55歳でした。

4月19日は「地図の日」となっています。(こちらは旧暦を採用しています)

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測量は1816年の第10次まで続き、大図( 1里=3寸6分 縮尺1/36,000、全214枚)、中図 (1里=6分 縮尺1/216,000、全8枚)、小図 (1里=3分 縮尺1/432,000、全3枚)に仕上げられていきます。

 

忠敬は1818年に亡くなっていますので、地図の完成を見ていません。

忠敬の死は伏せられ、高橋景保(忠敬の師である高橋至時の子)が仕上げ作業を監督して完成させました。

 

1828(文政11)年、長崎のオランダ商館に勤める医師シーボルトへ、禁制の日本地図などを贈ったことが咎められ、幕府の天文方・高橋景保が逮捕されました。シーボルトのほうは、贈られた資料類を没収されて国外追放になり、景保は獄死。世にいう「シーボルト事件」です。
「実物」を取り上げられたものの、シーボルトは日本に関する資料の写しを取っていました。そして、オランダに戻ると、「日本人が作成した日本地図」に修正を加えて出版しました。その地図の精度に、ヨーロッパの識者が驚いたといいます。