教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

卯年・ウサギの本…『兎の眼』(灰谷健次郎)

兎の眼』(灰谷健次郎

 

兎の眼灰谷健次郎著(理論社 1974年初版)

 

Amazon 内容(「BOOK」データベースより)

大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。そして小谷先生は次第に、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気付いていくのだった…。学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。

 

Wikipedia兎の眼」より

ゴミ焼却場のある町の小学校を舞台に、大学を卒業したばかりの若い女性教師が直面する出来事や出逢いを通して、児童たちと共に成長する姿を描いた作品。

22歳の新任教師である小谷(こたに)先生が受け持った1年生のクラスには、石のように押し黙ってしゃべらない「処理所の子」鉄三がいた。「教員ヤクザ」のあだ名を持つ同僚の足立先生は、小谷先生が鉄三のタカラモノを見落としているかもしれないと示唆するのだが…。

ハエの生態に詳しい鉄三を始めとする個性的な小学生たち、壮絶な過去を持つバクじいさんなど、様々な子供や大人達の姿が、教師経験を持つ灰谷の筆によって鮮やかに描かれている。

 

じつは、『兎の眼』にはウサギが登場しません。

にもかかわらず、なぜタイトルが『兎』なのかというと…

(『兎の眼』1979年4月版 86ページ~89ページより抜粋引用)

 つぎの日は日曜日だった。夫は日曜出勤だった。 送り出してから、小谷先生は出かけるしたくをした。奈良へいくつもりだった。
(中略)
 鶴橋から私鉄にのりかえて、西大寺駅でおりた。駅前に大きなビルが建っている。
(中略)
 西大寺は竹がいいと小谷先生は思う。 お寺の中に竹におおわれた細い道がある。そこにはまだ白壁が残っていて竹の青によくにあうのだった。その場所で深呼吸をすると爪の先まで青くそまった。
 本堂の中は夏でもひんやりしている。 ここは素足にかぎる。 小谷先生はソックスをぬいで、その冷気にふれた。そして、まっすぐに堂の左手の方に歩いていった。 そこに善財童子という彫像がある。
「こんにちは」-- と小谷先生は呼びかけた。
「ちゃんとまっていてくれましたね」
 小谷先生はほほえんだ。
 あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。
 小谷先生は小さなため息をついた。
 長い時間、善財童子を見つめていた小谷先生は、ほっとつぶやいた。
「きてよかったわ」
 本堂の廊下は涼しくて広い。 ときどき、ここでぼんやり考えごとをしている人がある。 小谷先生もそこにすわりこんだ。きょうはだれもいない。五重塔あとや正門が緑にかこまれて涼しそうだ。
「どうしてあんなに美しいのでしょう」
 小谷先生の眼のおくに、まだ善財童子の姿がやきついてはなれない。
「美しすぎるわ、どうしてあんなに……」
 どうしてだろうと小谷先生は思った。
(中略)
 善財童子になぜあなたはそんなに美しいのと問いかけた、それと同じ問いができるのだ。わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの、と。
 処理所の子どもたちのやさしさを思った。ハエを飼っている鉄三の意志のつよさを思った。パンをってかえる諭のしんけんさを思った。
 わたしは……
 小谷先生は青ざめて立ちあがった。その背にセミのなき声がむざんにつきささった。

 

兎の眼」の正体は、直接的には西大寺善財童子の眼です。そしてその眼は、主人公・小谷先生の教師としてのあり方・生き方を象徴するものです。

 

 

私は、1978年3月に大学を卒業して、4月に教職に就きました。

翌79年の春先だったと思いますが、友人に教えられて『兎の眼』と出会います。手もとにある本が1979年4月刷であるのはそのためです。

担任教師になって1年。人権教育を学び始めたばかりの私にとって、「小谷先生」は映し鏡のようでした。一気に読み切り、小谷先生のように生きたいと強く思ったものです。そして、いつかは「足立先生」のような教師になりたいとも思いました。

兎の眼」は、駆け出し教師の私にとって、めざす生き方の象徴であったのです。

兎の眼』は、その後の長い教員生活にとって、特別に意味のある1冊となりました。