小学校3・4年生の教科書に登場することわざの第13回は「三人寄れば文殊の知恵」です。教科書の表記は、「三人寄れば文殊のちえ」となっています。
三人寄れば文殊の知恵
「三人寄れば文殊の知恵」の読み方
さんにんよればもんじゅのちえ
「三人寄れば文殊の知恵」の意味
愚かな者、平凡な者も三人集まって相談すれば文殊菩薩のようなよい知恵が出るものだ。(広辞苑)
「三人寄れば文殊の知恵」の使い方
推理小説ぐらい、合作に適したものはないのである。なぜなら、根がパズルであるから、三人よれば文殊の智恵という奴で、一人だと視角が限定されるのを、合作では、それが防げる(坂口安吾『探偵小説とは』1948)
「三人寄れば文殊の知恵」の語源・由来
「三人寄れば文殊の知恵」の由来について、「TRANS.Biz」の記事を紹介します。
「三人寄れば文殊の知恵」の由来は仏教の文殊菩薩
「文殊」は知恵に優れた菩薩(ぼさつ)です。菩薩とは悟りを得て仏になるために修行をしている人を意味する仏教用語ですが、文殊は学力向上・合格祈願で有名な仏と紹介されることもあります。本来は智慧(ちえ)という「物事の真理を見極める力」「真理を知り、迷いをなくす力」をつかさどる菩薩です。そこから一般的な知恵の象徴としても信仰されるようになり「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがが生まれたようです。
なぜ三人なのかの由来は不明
「三人寄れば文殊の知恵」が「三人」である由来については、詳細は不明です。ただし、3という数字は、奇数の1と偶数の2を合わせた数であり、中国ではすべての数字の包括的な存在だと考えられています。そのため「単純に数が多いことを示す例え」として使われることがあるようです。ことわざの「三人」も、「単に人数が多い」ことを示しているのかもしれません。
「三人寄れば文殊の知恵」の蘊蓄
「三人寄れば文殊の知恵」の類語
「衆力功をなす」(しゅうりきこうをなす)
単独の力では困難でも多数の力を合わせれば物事に成功することのたとえ。(精選版 日本国語大辞典)
「三人寄れば文殊の知恵」の対義語
「船頭多くして船山に登る」(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)
指図する人間が多いために統一がとれず、見当違いの方向に物事が進んでしまうたとえ。(デジタル大辞泉)
文殊は文殊師利(もんじゅしり)の略称で、梵(サンスクリット)の मञ्जुश्री(mañjuśrī〈マンジュシュリー〉)がもとになっています。
菩薩(ぼさつ)は、梵のबोधिसत्त्(bodhisattva〈ボーディ・サットヴァ〉) の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略で、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味します。
智慧を司る仏としての文殊菩薩については、「Wikipedia」の解説を紹介します。
『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。また一説に釈迦十大弟子とも親しく仏典結集にも関わったとされる。『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。
文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いている。『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれることなどからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。
なお、合格祈願の対象でもある文殊菩薩ですが、日本三文殊は次の3寺です。
安倍文殊(安倍文殊院) 奈良県桜井市阿部645
切戸文殊(智恩寺) 京都府宮津市文珠466
亀岡文殊(大聖寺) 山形県東置賜郡高畠町亀岡41