教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

卯年・ウサギの本…『兎の眼』(灰谷健次郎)②

兎の眼』のなかに、「みなこ当番」という見出しの章があります。

重い障害のある「みな子」をめぐるクラスの話し合いは、前章の「くもりのち晴れ」に出てきます。「当番」云々の提案は、一緒にずっといることでみな子ちゃんのことを理解できるし好きにもなるという子どもの思いから出てきます。

 

兎の眼』の「みなこ当番」が、教師になって10年目の私のクラスで再現します。

 

1987年の人権教育レポートの一部です。

(3)「なっちゃん当番」のこと

  クラスの動きに合わせて、ぼくはなおみちゃんの問題を通して“ともに生きる”ということを子どもに投げかけていった。非日常の部分では光って見える集団も、日常の部分では決してうまくいっているわけではなかった。


   みんなに考えてほしいこと
  少なくとも5月に入ってから、ゆきみさんが帰りあまり元気ないと思います。だって雨の日もいつでもなっちゃんと2人で帰っています。なっちゃんもしーんとしていて2人ともさみしそうです。わたしも時たまなっちゃんと帰ります。そして、教室出て門のとこらへんから元気がありません。……みんなや先生も、今のゆきみさんとなっちゃんの気持ちがわからないと思います。わたしもです。ふたりは、みんなに気持ちが言えないと思います。みんなや先生、自分、なっちゃんとゆきみさんをどう思っていますか。-以下略-(かずこ)


時々一緒に帰っているという自分を含めて厳しくあり様を問うかずこさんの姿が、激しくぼくを打った。一方、ゆきみさんはというと、ぼくの心配をはるかに超えたところで生きていた。


   このごろのなっちゃんのこと
  ……。天気のいい日になっちゃんわらっていた時はてをつないだりできたけど、雨の日だったら手をつなげないし、水たまりがたくさんあるので、なっちゃんもぴしゃぴしゃとしてくつがぬれているのでかわいそうだし、わたしだってぬれたらいやだし、わたしがとてもいやだというときは、なっちゃんあまりできないからわたしよりももっといやだなあと思っているんだなあ、やれるものだけやらしてあげようと、きのうはたくさん思いました。-以下略-(ゆきみ)


 ぼくは、2人の文章を前にして、彼女らの足元にも及ばない自らの姿を語るしかなかった。話の後、のぶかず君はこう書いた。

 
 さっきから■■先生の話を聞いていたら、『兎の眼』とダックス先生の本(註:灰谷健次郎著『きみはダックス先生がきらいか』)のことが頭にくらいついてはなれへんね。……ゆきみさんはどうしてか兎の眼のじゅん一みたいでした。-以下略-(のぶかず)


さらに何日か後の日記に彼は、うちの学級でも「みな子当番」をしようと書いてきた。なおみちゃんを特別扱いするのはおかしいと思うけど、今のままだったらなおみちゃんにはわずかな友だちしかできないと思うので、それなら“当番”を決めてした方がいいと思うということが書かれていた。


 子どもたちの意識がなかまに向かっていっているのを確かめつつ、ぼくは『兎の眼』を読み聞かせ、「みなこ当番」の問題を出していった。そうするとクラスの大部分の子が「なっちゃん当番」をつくることに賛成し、わずか4人だけが反対した。


 わたしは、なっちゃん当番があったら自分がほかのこと遊びたかってもなっちゃんをほっとけないから、わたしは反対しました。わたしはぜったい反対です。-以下略-(ゆきこ)


 わたしはやっぱり反対です。なぜかというと、自分が遊びたいばかり、なっちゃんのことわすれると思うから。だって今はやるといってだんだんやらなくなってくると思うし、なっちゃんをあまやかす感じするから。(かずこ)


 わたしはなっちゃん当番反対です。なぜかというと、なっちゃんに本を読んであげようと思っても、なっちゃん当番の人がやってしまう。そうなったら決まった人しかできない。そしたらなっちゃんは毎日2人しか遊んでくれないし、みんなも毎日本を読んであげようとしたら、「あんた、なっちゃん当番か。」と言われたらどんな気持ちかなあと思います。なっちゃんも2人しかかまってもらわなかったらいらん気持ちになると思います。-以下略-(りょうこ)


 わたしはなっちゃん当番を作るのは反対です。その理由は休み時間に遊びたいなあと思ったときにあそべなくていやな思いになって、今度当番になった時いやでもういらんなあと思ったりします。だから反対です。みんな当番を作ったらいいというけどそんなんやったらなっちゃんだけをむししといて、当番の人だけむししていないので作っても同じと思います。なっちゃんでもたくさんの人と遊びたいと思うので……-以下略-(ゆきみ)


 ところが、反対意見を読んだ途端に今度は「当番」反対が22人に増え、賛成は7人になってしまった。もとより数の問題ではなく、自分のあり様を問うていくことが目的である。6月11日、自主公開授業での討論会となった。その時間はいつも以上に迫力のある話し合いになった。双方が譲らす激論になっている時、ゆきみさんが静かに言った。「なぜなっちゃんと遊ぼうという気持ちにならないのですか」と。結局、みんなの思いは「当番」の是非ではなく、どうすればあたり前のつき合いができるようになるかを考え合っているのだということを確認して、授業は終わった。その後も話し合いを続け、最終的には、「当番」は作らないことになった。「当番」の提案者のぶかず君は、「ゆきみさんに勝てないのなら、ゆきみさんに近づこう」と書いた。そして、自分にできるところから1歩を踏み出そうということを確かめ合った。


 しかし、口で言うほどたやすく身体は動かない。のぶかず君の6月23日の日記…「ぜんぜん変わってへんし、やろうと言ったぼくも変わってへん」。29日の日記…「なっちゃんとのつき合い、どうかえよ。口でええことばっかしいってるけど、ほんまはそう思ってへんで。……もう1度なっちゃん当番の話し合いをして。」。

(中略)

 

 1学期未にのぶかず君が書き残した文章。


 ぼくがてい案したなっちゃん当番どうなったん。みんなさいしょだけで終わってしもた。なんやったんやろ。……じゅぎょう中なっちゃんのために水入れに行ったるゆきみさんがうらやましかって、ぼくもそのやさしさを分けてほしいなと思ってたけど、それは自分で作るものやと分かってん。ぼくは、ほかにやさしいゆみさんとかのやさしさはなんかほんとのやさしさじゃないような気がしてきた。ぼくが前のやさしさはゆみさんとかのにせのやさしさをめざしてたかもしれへん。ある人にやさしく、ちがう人にきびしくというやさしさをもとめていたのが分かった。だからこんどは本当のやさしさをもとめてんね。さいわい近くのせきにいるから、少ない1学期で本当のやさしさをとろうと思ってんね。いいことばっかり言ってました。でも、はじめのもう一度なっちゃん当番の話をしてほしいのは本心です。どうせ話し合ってもそうよくならないかもしれへんけど、少しずつちがっていくと思います。(のぶかず)


 のぶかず君の姿は、ある意味ではクラスを映す鏡である。苦悩しながら、それでも確実になおみちゃんの方に目が向いていっている。しかし、思いほどに体が動かないのも事実だ。意識の高まりの中で「やさしさ」の質が問われ出してきた。それはぼくも気になっていた部分だ。だが、どんな正論よりも、差しのべられてくる手を必要としているなおみちゃんにすれば、例え“にせもの”だと言われても、その「やさしさ」の方が大事だという現実がある。きれいごとではすまされない。

 

同じ文章の別の箇所に次のくだりがあります。

 

 痛快な話を1つ。「なっちゃん当番」をめぐる“真剣な”話し合いが続いていた時のできごと。話に行き詰まってくるとなおみちゃんに判断を仰ぎに行く子がいる。「なっちゃん、当番するのとしないのとどっちがいい?」「しないの。」「当番しないのとするのとどっちがいい?」「するの。」何のことはない。大抵の場合、後で言った方を答えるのだ。時には、「どっちがいい。」などという返事が返ってきたりする。すかさず声が飛ぶ。「大体なっちゃんに当番という言葉の意味がわかるの。」そう言われて、それもそうやなあ、本人に聞いてもしゃあないなあということになって、また話し合いが続いていく。ところが、なおみちゃんはちゃんと話し合いに参加していて意見も言ってるんだよね。ぼくのクラスでは、男の子と女の子が机を並べて座っている。なおみちゃんの隣りは、当然のことながらいつも男の子。隣りに座っている子が気に入りだとわりとじっと座っているのだけど、そうでない時にはしばしば椅子を持って好きな女の子の所へ引っ越しをしていく。あいつまたふられよったなどと思いながらぼくなんかは見ているんだけど、これが「当番」に対する彼女の意思表示なんですね。彼女、みんなのようにしゃべれたら、こう言うんでしょうね。「自分が付き合う人ぐらい自分で決めるから、そんなことまで構わんといて。」周りが真剣にやってるだけに痛快ですね。でも、ぼくは笑ってられないんです。なおみちゃんの声を聞き取れなかった1人だから。

 

この年のある研究会で、私はレポート発表をしました。

「ともに生きる」ということの内実を問う内容だったのですが、他県のある人たちから立ち上がれないほどの集中口撃を受けてしまいました。そのときは何が何だかよく分からなかったのですが、どうやら『兎の眼』が良くなかったようなのです。

灰谷健次郎さんは、作家になる前の17年間、教職に就いていました。ある人たちというのはその時代を知る人たちで、なんだか人権教育(あるいは障害児教育)をめぐるセクト的なものがあるようです。

私を知る同県の人たちは「あいつはこれで終わった(潰された)」と思ったと、話していたそうです。もっとも実際の私は、2年後の別の研究会で人権教育の実践レポートを報告しました。

 

そんなこともありましたが、私の中の『兎の眼』の位置が変わるものではありません。『兎の眼』も『太陽の子』も、何度か読み聞かせに使わせてもらいました。