米騒動の日
1918(大正7)年7月23日の朝、富山県魚津町(現在の魚津市)の女性荷役労働者ら数十名が、船による米の他地域への積み出しが米価高騰の原因だから積み出しをやめさせようと、海岸に集まりました。(というのが定説ですが、場所については魚津町を含む富山湾沿岸部のいくつかの町、日付については7月23日もしくはその数日前としておきます)
富山に端を発した米の安売り(適正価格での販売)を求める運動は、またたく間に全国に広がりました。
それを「米騒動」と呼びます。
「史料にみる日本の近代」より紹介します。
米騒動
シベリア出兵を見越した地主、米穀商の思惑買いから米価が騰貴し、人々の生活を圧迫した。そうした中、大正7(1918)年7月に米騒動が富山県で勃発し、瞬く間に富山湾沿岸一帯に広まった。さらに、8月に入り、こうした事態が新聞で全国的に報道されると、騒動は急速に全国に波及した。当時、寺内内閣の逓信大臣だった田健治郎の日記には8月12日に神戸市で「米暴動」が起き、鈴木商店、神戸新聞社などが焼き打ちされたこと、そうした事態の急迫を受け、寺内首相と田が対策を協議したことなどが記されている。
神戸の鈴木商店焼払わる 大正7年8月12日 『画報近代百年史』4所収
※引用に際し、写真は加工しています。
米騒動で内閣の受けた衝撃は大きく、すでに春頃から病気のため辞意を漏らしていた寺内首相は、騒動の終息後間もない9月21日に退陣した。
「米騒動」については、以前、「『米騒動』か『米よこせの運動』か」(2021年1月14日)で触れています。あわせてご覧ください。