教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 12月8日

太平洋戦争開戦の日 

 

1941 (昭和 16)年12 月8 日午前 3 時 19 分、日本軍がハワイ・オアフ島真珠湾アメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争がはじまりました。

 

12月8日の午前7時にラジオが伝えた臨時ニュースです。

臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

多く日本人は、午前7時のラジオ放送で、突如「開戦」の事実を知らされました。

 

Wikipedia」より、開戦に関する資料を紹介します。

「対米英宣戦の詔勅米國英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」

原文
詔書
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝󠄁國天皇ハ昭ニ忠誠勇󠄁武ナル汝有衆ニ示ス
朕󠄂茲ニ米國及󠄁英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕󠄂カ陸海將兵ハ全󠄁力ヲ奮テ交󠄁戰ニ從事シ朕󠄂カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕󠄂カ衆庶ハ各〻其ノ本分󠄁ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的󠄁ヲ逹成スルニ遺󠄁算ナカラムコトヲ期セヨ
抑〻東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平󠄁和ニ寄與スルハ丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述󠄁セル遠󠄁猷ニシテ朕󠄂カ拳󠄁〻措カサル所󠄁而シテ列國トノ交󠄁誼ヲ篤クシ萬邦󠄁共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝󠄁國カ常ニ國交󠄁ノ要󠄁義ト爲ス所󠄁ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕󠄂カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝󠄁國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構󠄁ヘテ東亞ノ平󠄁和ヲ攪亂シ遂󠄂ニ帝󠄁國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更󠄁新スルアリ帝󠄁國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尙未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援󠄁シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平󠄁和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇󠄁ノ非望󠄁ヲ逞ウセムトス剩ヘ與國ヲ誘ヒ帝󠄁國ノ周邊ニ於󠄁テ武備ヲ增强シテ我ニ挑戰シ更󠄁ニ帝󠄁國ノ平󠄁和的󠄁通󠄁商ニ有ラユル妨害󠄂ヲ與ヘ遂󠄂ニ經濟斷交󠄁ヲ敢テシ帝󠄁國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕󠄂ハ政府ヲシテ事態ヲ平󠄁和ノ裏ニ囘復セシメムトシ隱忍󠄁久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交󠄁讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷󠄁延󠄁セシメテ此ノ間却ツテ益〻經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝󠄁國積年ノ努力ハ悉ク水泡󠄁ニ歸シ帝󠄁國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事旣ニ此ニ至ル帝󠄁國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起󠄁ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕󠄂ハ汝有衆ノ忠誠勇󠄁武ニ信倚シ祖宗ノ遺󠄁業ヲ恢弘シ速󠄁ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠󠄁ノ平󠄁和ヲ確立シ以テ帝󠄁國ノ光榮ヲ保全󠄁セムコトヲ期ス

御 名  御 璽

     昭和十六年十二月八日


現代仮名遣い・常用漢字・ひらがな
詔書
天佑を保有万世一系の皇祚を践める大日本帝国天皇は昭に忠誠勇武なる汝有衆に示す
朕茲に米国及英国に対して戦を宣す朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し朕が百僚有司は励精職務を奉行し朕が衆庶は各々其の本分を尽し億兆一心国家の総力を挙げて征戦の目的を達成するに遺算なからんことを期せよ
抑々東亜の安定を確保し以て世界の平和に寄与するは丕顕なる皇祖考丕承なる皇考の作述せる遠猷にして朕が拳々措カさる所 而して列国との交誼を篤くし万邦共栄の楽を偕にするは之亦帝国が常に国交の要義と為す所なり今や不幸にして米英両国と釁端を開くに至る 洵に已むを得ざるものあり豈朕が志ならんや 中華民国政府曩に帝国の真意を解せず濫に事を構えて東亜の平和を撹乱し遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ茲ニ四年有余を経たり 幸に国民政府更新するあり 帝国は之と善隣の誼を結び相提携するに至れるも重慶に残存する政権は米英の庇蔭を恃みて兄弟尚未だ牆に相鬩くを悛めす 米英両国は残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせんとす 剰へ与国を誘い帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与え遂に経済断交を敢てし帝国の生存に重大なる脅威を加う 朕は政府をして事態を平和の裏に回復せしめんとし隠忍久しきに弥りたるも彼は毫も交譲の精神なく徒に時局の解決を遷延せしめて此の間却って益々経済上軍事上の脅威を増大し以て我を屈従せしめんとす 斯の如くにして推移せんが東亜安定に関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し帝国の存立亦正に危殆に瀕せり 事既に此に至る帝国は今や自存自衛の為蹶然起すて一切の障礙を破砕するの外なきなり
皇祖皇宗の神霊上に在り 朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し祖宗の遺業を恢󠄀弘し速に禍根を芟除して東亜永遠の平和を確立し以て帝国の光栄を保全せんことを期す

御名御璽
昭和十六年十二月八日


現代語訳
詔書
神々の助けを得て万世一系皇位を引き継ぐ大日本帝国天皇が、忠誠心に厚く勇敢な国民に明確に示す。私はここに米国と英国に対して戦争を行うことを宣言する。陸海軍将兵は全力を奮って交戦に従事し、全ての公務員は務めに励んで職務に身を捧げ、臣民は各々がその本分を尽くし、1億人の臣民が心を一つにして国家の総力を挙げて、この戦争の目的を達成するにあたって手違いがないように期待する。

そもそも、東アジアの安定を確保することで世界の平和に寄与することは、大変ご立派な明治天皇やその偉大な考えを引き継がれた大正天皇がお立てになった遠大なる構想であり、私もそれをとても大切に思っているところである。そのような構想があるからこそ、世界各国と親善関係を維持し全ての国が共に繁栄していく喜びを共にすることは、これまた日本が常に外国と関係を築く中で最も大切にしている方針である。ところが今は不幸にして米英両国と武力衝突を生ずる状況に至った。これは誠に止むを得なかったことである。決して私の希望することではない。

中華民国政府(蒋介石政府)は、日本の外交政策の基本的な方針を理解しないまま分別なく抵抗を続け、東アジアの平和をかく乱させて日本に武力行使をさせるように至ってから4年余りが経過した。幸いにも、国民政府(汪兆銘政府)に変わった。日本は汪兆銘政府と善良な隣国として相互に援助し合うようになったが、重慶に残存する蒋介石政府は米国及び英国からひそかに援助を受けてこれに頼り、同じ中国人である汪兆銘政府とまだ相互にせめぎ合う姿勢を改善しない状況である。米英両国は、蒋介石政府を支援して東アジアの混乱を助長し、「平和のため」という美名に隠れて、実はひそかにアジアの覇権を握ろうという道理に反する構想を抱いている。

それだけに飽き足らず、米英両国は同盟国を誘発して日本の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦的姿勢を示し、さらに日本の平和的な通商に対してあらゆる妨害を加え、ついに経済断交を行い、日本の存立に重大なる脅威を加えた。私は政府に対してこの事態を平和のうちに解決させようとし、耐久してきたが、米英両国は相互に友好関係を維持しようという精神は微塵もなく、この状態の解決を先延ばしにして、この間にかえって我が国にとっての経済上や軍事上の脅威がますます増大し、我が国に圧力をかけて隷従させようとしている。

このように事態が推移すると、東アジアの安定に関する大日本帝国の積年の努力は水の泡となり、日本の存立もまた危機に瀕している。事態がここまで悪化している日本は、今や自存自衛のため、決意を持って一切の障害を粉砕するほかはない。私たちには天照大神から続く皇室の祖先や歴代天皇がおられる。私は国民の忠誠心や武勇を信頼し、歴代天皇の遺業を世に広め、速やかに災難の根源を除去して、東アジアの永遠の平和を確立し、それによって我が国の栄光を保護していきたい。

御名御璽
昭和十六年十二月八日

 

大詔を拝し奉りて

「大詔を拝し奉りて」(たいしょうをはいしたてまつりて)とは、1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦に際し、昭和天皇の名により「対米英宣戦の詔勅米國英國ニ對スル宣戰ノ詔書)」が渙発されたことを受けて同日午後7時過ぎ、内閣総理大臣東條英機がラジオ放送を通じて日本国民に向けて実施した戦争決意表明演説である。

 

只今宣戦の御詔勅渙発せられました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘(かかわ)らず、遂に決裂の已(や)むなきに至ったのであります。
過般来政府は、あらゆる手段を尽し対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英、蘭、支と連合して支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。これに対し帝国は飽(あ)く迄(まで)平和的妥結の努力を続けましたが、米国は何ら反省の色を示さず今日に至りました。若(も)し帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。

事茲(ここ)に至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うする為(ため)、断乎として立ち上がるの已むなきに至ったのであります。今宣戦の大詔を拝しまして恐懼(きょうく)感激に堪(た)えません。私は不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々(ただただ)宸襟(しんきん)を安んじ奉らんとの念願のみであります。国民諸君も、亦(また)己が身を顧みず、醜(しこ)の御楯(みたて)たるの光栄を同じうせらるるものと信ずるものであります。

およそ勝利の要訣(ようけつ)は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗(か)つて戦いに敗れたことを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓うものであります。顧みれば、我等は今日まで隠忍、自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧(おそ)れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、蹶然(けつぜん)起(た)たざるを得ないのであります。

当面の敵は物資の豊富を誇り、これに依て世界の制覇を目指して居るのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、当然長期戦たることを予想せねばなりません。これと同時に絶大の建設的努力を要すること言を要しません。かくて、我等は飽くまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、如何(いか)なる困難も障碍も克服して進まなければなりません。是(これ)こそ、昭和の御民(みたみ)我等に課せられたる天与の試錬であり、この試錬を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担うことができるのであります。

この秋(とき)に当り満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々(いよいよ)敦(あつ)く、独伊両国との盟約益々堅きを加えつつあるを、快欣とするものであります。帝国の隆替(りゅうたい)、東亜の興廃、正に此(こ)の一戦に在り、一億国民が一切を挙げて、国に報い国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇と為す皇謨(こうぼ)の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、英米と雖も何等惧るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威(みいつ)の下にありと確信致すものであります。

私は茲に、謹んで微衷を披瀝し、国民と共に、大業翼賛の丹心を誓う次第であります。