教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 8月17日

プロ野球ナイター記念日

 

1948(昭和23)年8月17日、横浜ゲーリッグ球場で日本初のプロ野球公式戦のナイトゲーム・巨人対中部(現在の中日)戦が行われました。

 

「ナイター」という表現が初めて使われたのは、それから2年後の『週刊ベースボール』誌上です。

「ナイター (nighter)」は和製英語で、正式には「ナイトゲーム (night game)」といいます。(「ナイター=和製英語」には異説もあります)

 

「NHKアーカイブス」に掲載の記事より紹介します。

昭和23年(1948年)8月17日、神奈川県横浜市にあるゲーリッグ球場(現在の横浜スタジアム)で日本初のプロ野球公式戦のナイトゲームが開催された。試合は巨人対中日で、午後8時8分に開始、3対2で中日がナイトゲーム初勝利を飾った。ゲーリッグ球場は日本初の夜間照明塔が設置された球場だったが、現在の設備と比べると10分の1程度の明るさしかなく、選手が怪我をするなどハプニングが続出した。

 

「教えたがりダッシュ!」に、試合の詳細が記載されています。引用します。

【8月17日】プロ野球ナイター記念日|ボールが見えずに顔面直撃!?

8月17日はプロ野球ナイター記念日です。1948年(昭和23年)のこの日、日本プロ野球史上初の夜間の公式試合が、横浜ゲーリック球場(横浜スタジアム)で開催されました。
対戦カードは巨人-中日戦(読売ジャイアンツ中日ドラゴンズ)。当時のポスターにはナイターではなく「ヨルの部」と書かれています。

初ナイターはハプニングの連続!
照明の明るさが現在の10分の1だったとも言われる初ナイターは、ハプニングの連続でした。いきなり初回、中日のピッチャー・星田次郎の投げたボールが見えず、巨人のバッター・青田昇の顔面付近に当たり、青田は担架で運ばれ退場。

試合終盤の8回には、巨人のバッター・川上哲治の打球が暗闇の右中間に飛んでいき、ホームランかエンタイトルツーベースかで大いに揉めました。
巨人のセカンドを守っていた千葉茂によると、外野には試合前の練習で拾い忘れたボールが3つも4つも転がっており、打球を追った外野手が面食らっていたそうです。

初ナイターは中日ドラゴンズの勝利
試合は3-2で中日の勝利。初回に担架で退場した青田昇は、この年全140試合に出場した記録が残っており、大事には至らなかったようです。
青田はこのシーズン、首位打者(.306)と本塁打王(25本。川上哲治と同数)の二冠に輝いています。

ちなみに、当時のプロ野球は1リーグ制で、この年の優勝チームは南海ホークス(今のソフトバンクホークス)。読売ジャイアンツは5ゲーム差の2位で、中日ドラゴンズは首位ホークスと34.5ゲーム差の最下位(8位)に終わっています。

試合開始は20時から
記念すべき初ナイターの試合開始時間は午後8時8分。6時台の開始が多い現在と比べてかなり遅い時間です。
この理由には、アメリカでナイター経験のある、巨人・中島治康からの「夕暮れに照明を点灯すると、かえってボールが見づらい(だから完全に日が暮れてから試合をした方がよい)」という進言があったと言われています。

映画館の入場料40円のこの時代に、ナイターのチケット代は100円とかなり高め。それでも球場は「空前の超満員」で、観客席に入りきれず球場の外で観戦……ではなく、ファウルグランドで観戦(!)していた人もいたという証言が残されているそうです。