1931(昭和6)年8月20日、日本初の3色灯の自動交通信号機が設置されました。
当時設置されたのは、東京都の京橋交差点や尾張交差点(現:銀座4丁目交差点)をはじめとする34ヵ所です。
「雑学ネタ帳」より引用します。
1931年(昭和6年)のこの日、東京・銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動交通信号機が設置された。
信号の色が変わるたびにベルが鳴る信号機だった。当時、銀座の交差点にはガス灯が設置され、日本で初めて歩道を備えたハイカラな交差点であり、銀座のシンボルともなる服部時計店や山崎高等洋服店などがあった。
ちなみに、国内で初めて機械式の交通信号機が設置されたのは1930年(昭和5年)である。その後、歩行者用信号機の誕生、電球式からLED式への光源の変更を経て、現在に至る。また、この記念日の名称は「交通信号の日」という表記も見られる。
信号機の「青」色に関して、「くるまのニュース」に掲載されている記事を紹介します。
実際は緑なのになぜ「青信号」? 法令も追認…「青」が根付いた2つの理由
2022.06.05 くるまのニュースライター 田中太郎
日本の信号機や色の歴史を解説
道路の信号機(交通信号機)の色灯は、一般的に「赤・黄・青」と表現しますが、実際に信号機を見ると「青」は緑色に見えます。それにも関わらず、なぜ「青」信号と呼ぶのでしょうか。
信号機に使われる色は、CIE(国際照明委員会)により「赤・緑・黄・白・青」の5色と決まっており、そのうち交通信号機には「赤・緑・黄」の3色が割り当てられています。この「赤・緑・黄」の3色は、世界の多くの国で使われており、もちろん日本も例外ではありません。つまり「青信号」といいつつも、実際は緑色ということです。
英語でも「グリーンライト」や「グリーンシグナル」というように「緑」信号として認識されていますが、ではなぜ日本では緑信号が「青信号」と呼ばれるようになったのでしょうか。
主な理由は「新聞報道」「青色の範囲の広さ」が挙げられます。それぞれの理由について、詳しく見ていきましょう。
●新聞での報道
日本に信号機が導入された当初、法令では緑色と表記されていました。しかし、信号機の導入を報じする新聞記事では、信号機の色が「青・黄・赤」と表現されていたのです。
新聞の写真は白黒であり、信号機の数も少なかったことから、多くの人は実物の信号機を見る前に「青」だと認識して、青信号という言葉が広まったといわれています。
1947年には法律でも「青色」に表記が変わり、現在の道路交通法にも引き継がれています。
●青色の範囲の広さ
日本の文化では、昔から緑色を「あお(あを)」と表現することが多くありました。
色の概念としては、「あお・あか・しろ・くろ」の4色が古くからあり、赤みのない寒色を「あお」と呼んでいました。一方で平安時代初期の『古今和歌集』になると、青色と緑色が区別されていることが分かります。
しかし現代でも、青菜や青果、青りんご、青汁、青虫のように、実際は緑色でも青色で表現することは多々あります。
このため、新聞の「青色」報道も後押しとなって、緑信号を青色と表現していったと考えられます。
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日本で初めて信号機が設置されたのは、東京・上野広小路です。1919年に設置されたこの信号機は自動ではなく、「トマレ」「ススメ」と書かれた看板を人が操作していました。
アメリカ式の自動信号機が輸入されて初めて設置されたのは、1930年の東京・日比谷交差点です。このときに、新聞で「青」信号と書かれました。
翌1931年の8月20日には、東京・銀座の尾張町交差点(現在の銀座四丁目交差点)や京橋交差点など34か所に、日本初の3色灯の自動信号機が設置されました。これに由来して、8月20日は「交通信号設置記念日」となっています。
信号機の灯火色の並びは道路交通法施行令で定められており、横型は左から「青・黄・赤」、縦型は上から「赤・黄・青」と決まっています。これは横型・縦型とも、もっとも重要な赤色を、他の標識や街路樹、積雪などで隠れにくい位置に配置しているためといわれています。