教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 4月3日

いんげん豆の日

 

1673(延宝元)年4月3日、いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師(隠元隆琦)が亡くなりました。「いんげん豆の日」は、中国の隠元禅師の命日にちなんで制定されたといわれています。

 

「雑学ネタ帳」より引用します。

隠元禅師(1594~1673)は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日して日本黄檗宗を開祖した人物。来日後、将軍徳川家綱により厚くもてなされ、中国にいた時と同じ萬福寺というお寺を京都・宇治に創建した。また、いんげん豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させた。

 

講談社」のHPより引用します。

地球を4分の3周して伝来したインゲン豆
今日、4月3日は「インゲン豆の日」に制定されています。ゆかりの深いある人物の命日にちなんでいるのですが……おわかりになるでしょうか?

気になるその人物とは、「隠元」さん。そう、インゲン豆の「インゲン」とは、人の名前にちなんでいたのです。隠元和尚は中国・明生まれの僧侶で、、承応3年(1654年)に日本に渡りましたが、その際に中国の書物や物品を持ち込んだといわれています。

たとえば、「煎茶」の文化や、読経をするときに使う「木魚」を日本に紹介し、「西瓜」や「筍」なども隠元和尚とともに日本にやってきたという説があります。インゲン豆も隠元和尚が江戸時代の日本に持ち込んだ野菜のひとつです。

インゲン豆のはもともとアメリカ大陸で栽培されており、中国には大航海時代のヨーロッパを経由して伝わりました。地球を4分の3周して日本まで届いたことになります。

インゲン豆は安価なうえに栄養価も高い作物で、分類上は緑黄色野菜となります。タンパク質が豊富なのはもちろん、ビタミンやミネラル、カルシウムも多く含まれており、リシンなどの必須アミノ酸もバランスよく摂取することができます。豆の中では糖質量が少なくダイエット向きですが、あんこにして食べると砂糖が入ってしまうので注意が必要です。

インゲン豆はいろいろな食べ方で楽しむことができます。若いうちはさやごと食べられますし、成長した種子は煮豆や白あん、甘納豆にすることもできます。イギリスでは、甘辛いソースでインゲン豆を煮た「ベイクドビーンズ」という食べ物が国民食になっているなど、インゲン豆は世界中で食べられています。

 

Wikipedia」の「いんげんまめ」より引用します。

インゲンマメ隠元豆、眉児豆、Phaseolus vulgaris)はマメ亜科の一年草。別名、サイトウ(菜豆)、サンドマメ(三度豆)、ゴガツササゲ(五月豇豆)。

主に西日本でフジマメ(藤豆、別名・センゴクマメ(千石豆)、アジマメ(藊豆)など)のことを「インゲンマメ」と呼ぶ地域があり、両種は混同されやすいが、別種である。

歴史
メキシコなど中央アメリカ、南米アンデスの原産とされる。古代からインゲンマメ南北アメリカ大陸での主要作物となっており、アステカ帝国では乾燥させたインゲンを税の物納品目として徴収していた。コロンブスによるアメリカ大陸発見時に、アメリカ全土に広がったとされる。

ヨーロッパには、コロンブスの二度目の航海の後に持ち込まれたが、当初はアメリカ原産であることは知られず、カズラの新種と思われていた。16世紀には育てやすく食べやすい作物として栽培されるようになった。特にギリシャなど地中海沿岸地域では、ソラマメ中毒にならない健康に良い豆として受け入れられていた。

フランスはこの豆の利用に熱心で、様々な料理を作った。中でも若いインゲンを莢ごと調理する料理、アリコ・ヴェルが好まれ、そのためにフラジョレという専用の品種を作った。他の国も豆料理をフランス料理風の名でよぶ場合が多くなり、今日でも英語圏では莢ごと食べる方法をフレンチスタイル、フレンチビーンとよぶ。

16世紀末にヨーロッパを経由して中国に伝わり、17世紀に日本に伝わったといわれている。1654年の江戸時代、明からの帰化僧・隠元隆琦が日本に持ち込んだとされることからこの名がついた。実際にはフジマメ(藤豆、フジマメ属)を持ち帰ったという説もある。このためかどうか不明だが、上方(関西)では伝統的にフジマメをインゲンマメと呼び、インゲンマメはフジマメ、サヤインゲンは三度豆と呼ぶ。