教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

きょうは何の日 3月2日

中国残留孤児の日 

 

1981(昭和56)年3月2日、中国残留日本人孤児47名が、肉親探しのために、厚生省の招待で初めて公式に来日しました。このうち29名の身元が判明しました。

 

 中国残留孤児とは、第2次大戦後、諸事情で帰国できず中国に残された日本人孤児のことです。戦後、未帰還の孤児は1万4000人以上と言われていましたが、中国との国交がなかったこともあり、調査が開始されるまで終戦から36年もの歳月を要しました。

 以降、1999年まで合計30回にわたり、2116人が肉親との血縁関係確認のために来日しましたが、肉親が判明したのは665人でした。

 集団調査は1999年をもって終了となりましたが、それ以外で自費帰国した者をいれると2300人以上の残留孤児が帰還できたことになります。

 その後、帰国を果たしても日本文化にも馴染めず孤立するケースが頻出。日本語が話せず仕事に就けないなどの窮状を支援するため、現在はさまざまな支援団体が発足し、支援を続けています。

 

「中国帰国者支援・交流センター」のHPより引用します。

中国残留邦人をご存知ですか

戦前、中国東北地区(旧満州地区)には、開拓団を始めとして多くの邦人が在住していましたが、ソ連軍の対日参戦時(昭和20年8月9日)には、成年男子の多くは日本軍(関東軍)に召集されていたため、残された人々は老人婦女子が主体となっていました。

ソ連参戦以後、これらの人々は、居住地を追われ、避難する途中で、或いは酷寒の難民収容所等で、飢餓や伝染病等により死亡する人が続出するという悲惨な状況にありました。このような状況の中で、生活手段を失い、中国人の妻となるなどして中国に留まった婦人等を「中国残留婦人等」と、両親、兄弟姉妹と生別又は死別し孤児となって中国人に引き取られ、自己の身元を知らないまま今日を迎えた子供を「中国残留日本人孤児」と呼び、これらの人々を「中国残留邦人」と総称しています。

 

略史

中国地域からの邦人の引揚げは、昭和21年5月から開始されましたが、昭和24年に社会主義体制の新中国が成立した後、一時中断しました。その後、昭和28年に再開し、日本赤十字や中国紅十字会などの民間ベースを中心に昭和33年まで集団引揚げが断続的に行われました。

その後、個別引揚げが行われていたものの、昭和47年まで日本と中国の間に国交がなく、人の交流や文通もままならない状態が長く続きました。

昭和47年9月29日の日中国交正常化を契機として、多くの残留邦人が日本に帰国するようになり、中国残留孤児問題がクローズアップされるようになりました。このため、厚生省(当時)は、肉親探しのための手掛かり資料を基に保有資料による調査、報道機関の協力による公開調査により身元の解明の促進を図り、昭和56年3月からは、それまでの調査では身元が確認できない孤児を集団で一定期間日本に招き、報道機関の協力を得て肉親探しを行う訪日調査を実施してきました。

平成12年度からは、中国現地で日中両国政府の共同調査で孤児認定を行い、そのうち、肉親情報のある方のみに訪日して頂き、肉親と思われる方との対面調査を行う方法に改めたところです。