「頑張る」を科学する ②教育的「頑張る」
教育的「頑張る」とは、励ましの場における「頑張る」のことです。
これを、ある出来事(物事)の「前に行う励まし」と、「後に行う励まし」に分けて考察します。
■ある出来事(物事)の前に行う励まし語としての「頑張る」
運動会の前日、子どもがダンスや徒競走への不安を日記に書いてきたとします。それに対して教師は、「がんばりましょう」と赤ペンを入れました。
この場合の「頑張る」は、新明解国語辞典の「②持てる力をフルに出して,努力する。」そのものです。
試験前に「がんばりましょう」と声をかけるのも、「困難に耐えて努力する」ほど重くなく、「持てる力をフルに出して、努力する」といった意味合いが強いでしょう。
凡そここでの「頑張る」は、挨拶語や社交辞令の如く使われる「軽さ」はあるとしても、大きな問題はないと思います。
■ある出来事(物事)の後に行う励まし語としての「頑張る」
ある子どもに30点のテストを返す時、教師は「次はがんばりましょう」と声をかけました。
これは、出来事(物事)の結果に対して行う励ましです。
教師の声かけに対する子どものリアクションを3つ想定しました。
■「よし、次はがんばろう」
唯一、教師の励ましが子どもの心に響くケースです。
「頑張る」には、困難に耐えるか持てる力の発揮かの違いはあれど、「努力」が求められています。
30点のテストの場合、その子には60点をとれるくらいの能力があって、本人が明らかに「努力不足」を自覚できるのであれば、「次はがんばりましょう」という励ましは教育的意味があるということになります。
■「がんばってるのに…」
その子なりに精いっぱいやっている結果が30点だった場合、「次はがんばりましょう」という励ましは子どもの心にどう働くのでしょう。
大きな災害に遭って必死で自分を支えている人に、「頑張ってください」と声をかける。病魔と闘っている患者さんに、「頑張りましょう」と励ます。ーーそれ以上に何を努力しろと求めているのでしょう。
30点のテストの場合、努力すべきは教師の授業にあったのかもしれません。「がんばってるのに、応えられなくてごめんね。次はもっと分かってもらえるように頑張るよ」と、声に出して言うかどうかは別にして…。
諏訪中央病院の院長であった鎌田實さんに、『がんばらない』(集英社 2000年)という著書があります。この本は、『あきらめない』(集英社 2003年)という本と対になっています。
鎌田さんは、さだまさしさんの名曲「風に立つライオン」の続編のような「八ヶ岳に立つ野ウサギ」という曲のモデルになった2人の医師の1人です。
上記2冊に書かれているのは患者さんの話です。要約してしまうと感動は伝わりませんが、「あなたはあなたのままでいてください」、でも「あきらめないで生きてください」というメッセージ。そして、あきらめない生き方に寄り添うのが医療だと著者は言いたかったのだと、私は受け取っています。
30点のテストに引き寄せてみます。
30点のあなたに特別な頑張りを求めたりはしません。あなたはあなたのがんばりのままでいい。でも、60点をあきらめないで学び続けてほしい。その学びに教師である私が寄り添い、提供しますから。
■「がんばるってどうすればいいの」
やはり30点のテスト。「次はがんばりましょう」
次の日、日記にこうありました。「せんせい、わたしはどうしたらいいのでしょう」
どうやら教師の励ましは、この子には困惑や混乱しかもたらさなかったようです。
「頑張る」は動詞です。
「書く」は動詞で、鉛筆を持った手を動かす動作を連想できます。
「歩く」は動詞で、足を交互に動かす動作を連想できます。
では、「頑張る」からはどんな動作を連想できるでしょう。手も足も出ない。そう、「頑張る」では体が動かないのです。
30点の子の場合、わかる・できるまでの学びの過程を習得していないことが多いでしょう。その子に「努力」を求めるには、具体的なスモールステップを提示してやることが必要です。新出漢字を5回書く、計算問題を5問解く…といった具体的な日課を継続することで、結果を出してやることです。そして、その成功体験への道のりが「頑張る」ことなんだと体感させてやることです。
「頑張る」ことの処方箋を症状にあった体の動かし方として示す。教育的励ましとはそういうものだと思います。