教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

歴史の「当たり前」を疑う-普通選挙法100年-

今年は、1925年に「普通選挙法」が公布されてから100年という節目の年にあたる。

 

そもそも「普通選挙法」とは何か。

普通選挙法」の正式名は「改正衆議院議員選挙法」。何が「改正」されて「普通」になったかというと、納税額によって制限されていた選挙権を、納税額の制限をなくして一定の年齢に達した国民に選挙権を認めるとした。

 

ただし、この法律の「国民」には女性は含まれていない。

 

私は、人権教育の視点から教科書が為政者の歴史になってしまっていることに注意を払ってきた。この法律についても、「ただし、法律のいう『普通』には女性は含まれていませんでした。女性の選挙権が認められるのはさらに20年後のことです」などと付け加えて説明してきた。

 

6月29日の「朝日新聞」に、ジェンダー史を研究する姫岡とし子・東京大名誉教授の「女性含まぬ『普通選挙法』100年 現在地は」と題するインタビュー記事が載った。

記事を参考にしながら、改めて考えてみたい。

 

最近の高校教科書には、「男子普通選挙を実現させた」「男子普通選挙制を導入した」と記述するものもあるらしい。

多様性の一つとして、ジェンダーの視点に配慮した記述ということらしい。

 

話はそこから展開する。

 

例えば1789年のフランス「人権宣言」。

人権宣言の「人権」は男性だけで、女性は含んでいない。オランプ・ド・グージュは当時からそれを看破し、91年に「女性および女性市民の権利宣言」を出している。そのことを取り上げた教科書が複数あるという。

人権宣言が、人権の出発点であると同時に、女性排除の出発点もあったことは、近代という時代を理解する上で重要な視点である。(姫岡氏)

 

話は、男性と女性の関係性や、「男性らしさ」「女性らしさ」を生み出す社会構造とその変遷に焦点をあてた「ジェンダー史」の視点に至る。

 

例えば、フランスのルイ14世(1638~1715)は白いストッキングにハイヒール、髪は長く、華美な服装である。それが、19世紀になると、プロイセンの首相を務めたビスマルクなど王や皇帝はヒゲをたくわえ、軍服を着るようになる。

17世紀と19世紀でなぜこうも違うのか。何が姿を変えさせているのか。そこから、男性性が強まっていく近代という時代について考える。ーー考えたこともなかった視点だ。

 

そもそも教科書を執筆する研究者も、男性中心的である歴史叙述を内面化している面がある。だからこそ、「人」「市民」「民衆」「人権」と当たり前のようにある表現を疑ってほしいと、姫岡さんは言う。「いったい誰を指し、誰を排除しているのか。女性が含まれてないのに、中立的な表現をするのはなぜなのかーー。」

 

普通選挙法は、まさにこの文脈で考えるべき歴史用語である。

市川房枝は1925年に男子普通選挙法が成立した日に「私はこの日を、女性から参政権が奪われた日として永久に記憶しておこう」との趣旨の日記を書いている。ーーこれは、原文を確認する必要はあるが、教科書の記述を補足する資料になると思う。

 

歴史の教科書は為政者中心の叙述が「正史」であるかのように思われるが、多様な歴史叙述の一つに過ぎない。身分や階級、民族、人種と同じようにジェンダーの要素を加えて歴史を読み解いていくべきだと、姫岡さんは結んでいる。