教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

尾木ママに学んだ学級崩壊②

尾木ママに学んだ学級崩壊・小1プロブレム①》の続編です。

2009年8月にまとめた「『学級崩壊』をスタートラインとして ~何がこのクラスの課題なのか~」がベースになっています。

本稿では、学級崩壊を超えるために行った「規律回復」と「自立支援」の取り組みから、「規律回復」部分を紹介します。

 

 

4 学級崩壊を超える1 ~規律回復~

 

 (1) 「学級崩壊を超える」ということ


 学級崩壊は小学校における一人担任制のもとで起こる現象であるから、担任が替わることで事態は大きく変わる。しかしそれは、前担任との間の「ギクシャクとした関係」が取り除かれるからであって、個々の子どもや子ども集団が一変するわけではない。「学級崩壊を超える」というのは、一義的には学級の規律を回復することであり、本質的には「フラフラッ子」たちの自立を支援することだと考える。

 

 (2) 学級の規律回復


 5年生の始業式、喧噪の中で学級開きを迎えた。

 翌朝、教室の窓から目にしたのは、一人の子の登校を校門付近で待ち受け、揃って教室に向かう異様な光景だった。3日目の朝、登校してきた子どもにベランダから声を掛け、その都度教室に入らせた。力関係で言うと、担任の強制力は通用する。最初の1週間で学級は劇的に変化した。表面上は…。

学校が始まってから1週間がたちました。この1週間でよくなったところは、あばれたりしないことです。もう1つは、けんかをしなくなったところです。5年生になるまでは、けんかばっかりしていたけど、5年生になってからけんかをしなくなったことがよくなったなあと思いました。前までは、授業中に先生の話を聞かないであばれていたけど、5年生になってから、あばれなくなったことがよくなったなあと思いました。これからも続けてほしいです。 (SiA女子)

 
 驚いたことに、アンケートをとってみると学級集団に対する自己評価が非常に高い。女子を除くと、男子にとっては「みんな一緒に遊ぶ」「団結力のある」「元気のいい」誇りうる学級だったのだ。転入してきたばかりの女の子は、その騒々しさにただただ閉口していた。担任である私の思いと、子どもたちのそれは、この時点では大きくズレていた。


 4年生の時、女子も含めすべての子が、毎休み時間に野球ゲームに打ち込む姿が気になっていた。子どもたちの言う「団結力」の正体はピア・プレッシャーなのだが、これについては後で述べる。クラスには、登校を待たれていた子を頂点にして幾重にも層ができていた。その中でケンカが遊び化し、「アホ、ボケ、死ね」といった言葉が飛び交い、いじめや暴力が恒常化していた。


 学級開きで学級通信を配布した。そこにはこう書いておいた。

 ……。AAAは、メジャーリーガー(野球のナンバーワン)をめざすアメリカの野球リーグのことです。夢が実現するかどうかは、努力次第です。ぼくたちもまた、ナンバーワンのクラスをめざすAAAチームです。ナンバーワンになれるかどうかは、努力次第です。
 ナンバーワンのクラスになるにはどうすればいいのでしょう。実は「AAA」の文字にそのヒントがかくされているのですが、今はまだ内緒です。改めて話すことにしましょう。あれこれと想像をめぐらせてください。
 めざせ、ナンバーワン!!


 1週間後の4月13日、学級通信でいよいよ担任の思いを語った。

「AAA」の「A・・」あたりまえをきっちりやり切ろう
 始業式の日にしたアンケートで、男子の多くは「みんなで遊ぶ、とてもいいクラス」だと答えました。一方、女子は「授業に集中できない、あまりよくないクラス」だと答えました。これは、「ものさし」のちがいによるものです。先生方や他の学年の人たちは、女子と同じように感じていました。
 まず、クラスの「ものさし」を1つにそろえます。学校は勉強をするところです。授業に集中し、みんなでかしこくなっていくクラスが目標です。そのためには、学校の「あたりまえ」が一人ひとりの「あたりまえ」になり、それをきっちりやり切ることが大事です。
 そこで、毎日の生活の「ふりかえりカード」を作りました。学校の3つの約束でもある「大きな声であいさつする」「人の話をしっかり聞く」「トイレのスリッパをそろえる」と、「宿題をきちんとする」「学習の用意をする(忘れ物をしない)」を、1学期のめあてにします。他にもきみたちの課題は山ほどありますが、まずはこの5つをパーフェクトにやり切りましょう。そうすれば、他のことの多くもきっとできるようになると思います。がんばりましょう。


「AAA」の「・A・」あたたかいハートで生きよう
 仲のいいクラスというのは、一緒に遊んでいるクラスのことではありません。仲のいいクラスとは、だれもが安心して過ごせるクラスです。私たちのクラスは、安心できる場所でしょうか。
 ちょっとしたことでたたいたり、けったりする人はいませんか。からかったり、バカにしたりする人はいませんか。答えをまちがえた時に、笑う人はいませんか。走りがおそかったり、ゲームにうまく参加できなかったりした時、責める人はいませんか。…もしもそんな人がいたら、安心できません。心配なことがあると、思いっきり自分の力を出すことができません。
 あたたかいハートで生きるというのは、分からないことやできないことを、教え合ったり助け合ったりすることです。あたたかいハートの人は、やさしい人です。やさしい人が多くなると、教室の空気がやわらかくなり、やさしいクラスになります。そんなクラスを作りましょう。


「AAA」の「・・A」あしたのために今日をがんばろう
 学校は勉強をするところです。そして、5年生は小学校の勉強のヤマ場です。今年は、勝負の年です。「あしたのために今日をがんばろう」というのは、その日その時の授業(課題)に集中して取り組もうということです。
 1学期は、5年生の勉強と同時に、4年生までの復習をてっていします。月~金曜日の宿題である「音読」は、5年生の国語教科書を使います。火~金曜日の「朝モジュール」では、教科書を使わない「音読」、「百マス計算」、「漢字テスト」をします。1学期の「漢字テスト」は、3・4年生の復習です。さらに、総合の時間を使って、4年生までの計算の力をのばします。やることがいっぱいで大変なのは分かっています。でも、今がんばらなければ取り返しがつかなくなるのも事実です。ぼくを信じて付いてきてください。しんどかったけど、やってよかったと言える日が必ず来ますから。一緒に、せいいっぱいの努力をしましょう。

 


 学級が崩壊していた期間、子どもたちは自分たちの「ものさし」を作り上げ、その枠の中で生きてきた。学校生活の中心は遊び(野球ゲーム)であり、もめ事に勝つことだった。授業時間は、さながらゲームの休憩時間で、したがって唐突にゲームのメンバーや作戦が話題になっていく。--この「ものさし」を学校の「ものさし」に戻さなければならない。学級の規律回復というのは、ダブルスタンダードのベクトルを1つに揃えることだ。文章にすればそれだけのことだが、これには相当なエネルギーと時間を費やした。

 

 (3) ピア・プレッシャーとのたたかい


 ピア・プレッシャーによる同一行動が長期化する中で、集団のルールが出来上がっていく。そのほとんどはピラミッド化した学級の層を支える不文律であったが、時には学級会という「民主的手続き」によるものもあった。そして、集団のルールが学校のルールを超えてしまうところに、事態の深刻さがある。


 4年生の初めまで鉄棒で遊んでいた女子が、ある時期から男子に混じって野球ゲームに参加するようになった。「学級会でみんなでやる。」と決まったかららしい。女の子たちはどう思って、毎日毎日運動場へ出ていたのだろう。5年生になって数日後、そのことを聞いてみた。彼女たちは、フフと微笑んで、何も答えなかった。


 クラスの中ではまじめな方の男の子が、昼休みの委員会活動をサボった時の話だ。「なぜ来なかったの?」と担当の先生に聞かれて、彼はこう言ったそうだ。「野球ゲームがあるので委員会には行けません。」教師は、「委員会と遊びとどっちが大事なの?」と当然聞き返す。彼は真顔で言う。「ぼくはクラスで12番目なので、11人の人の許可がなかったらゲームを抜けて委員会に行くことはできません。」集団のルールが学校のルールを超えることの1例だ。(私の集団分析は、彼の認識と少し違う。ピラミッドを構成しているのは11人で、「引き金」となった子はピラミッド構造と複雑に絡みながら不即不離の位置にいた。この子に一人が帯同していたが、集団での位置は厳しかった。別の一人はそれらとは一定の距離を保ちつつ付き合っていた。3学期に転入してきた子の立ち位置は、相当厳しかった。--と、私は見ている。)


 ピラミッドの「頂点」に位置する子は、決してボス的君臨者ではなく、みんなを仕切っているようにも見えなかった。しかし、彼に言われて、あるいは彼の顔色をうかがって、ゲームでミスをした子に制裁を加えていた事実は、彼の影響力の大きさを物語っている。

 私はまず、自分がこのピラミッドの「頂点」に立つことにした。そして、彼のプライドを大切にしながらも、集団における役割を軽くしてやろうと考えた。その上で、ピラミッド構造を崩し、もう一度仲間として繋ぎ直していくというのが、私の設計図だ。それは、長期に及んだピア・プレッシャーとのたたかいであった。