教育逍遙 -小学校教育の小径をそぞろ歩き-

小学校教員として歩んできた小径が、若い仲間のみなさんの道標になることを願って…。

尾木ママに学んだ学級崩壊・小1プロブレム①

尾木直樹さんが「尾木ママ」になったのは、10年ほど前のこと。2009年の暮れに明石家さんまさんのテレビ番組に出演されたのがきっかけでした。

 

尾木ママ」誕生のさらに10年ほど前、「尾木先生」の講演を聴く機会がありました。テーマは当時問題が顕在化し始めていた「小1プロブレムを考える」で、学級崩壊や小1プロブレムについて熱く語ってくださいました。

 

尾木直樹さんは、全国の200ヶ所近い学級崩壊現場を訪れ、『「学級崩壊」をどうみるか』(NHKブックス、1999年)という著書にまとめられています。講演会は、この著作のすぐ後だったと思います。

 

そのときは、この1冊が学級崩壊克服のバイブルになろうとは思いもしませんでした。私が再びこの本のページを繰ったのは、2009年のことです。

 

 

尾木さんは『「学級崩壊」をどうみるか』の中で、学級崩壊の現場を見た実態から次のような学級崩壊調査項目を私案としてまとめています。

 

〈授業崩壊の10の指標〉


1 授業中の学習に関する教師の指示が通らない。


2 授業中の立ち歩き、外出がある。


3 授業中の私語が多く、教師の注意でやめない。


4 授業中の口げんか、小暴力が発生したとき、教師の指示で静止できない。


5 チャイム(時間)でほぼ全員が前を向いて着席し、教科書、ノート類を出していない。


6 授業中、誰かを冷笑したり、はやしたり、隠れた「いじめ」が発生しているのを教師はストップできない。


7 明らかな授業妨害、担任「いじめ」に対して周囲の子が同調している。


8 授業中、堂々とマンガを読んだりおもちやで遊ぶのをやめない。


9 配布したプリントをわざと破ったり、丸めて床に捨てるのをやめない。


10 教師の注意を無視したり、反抗したり、時には暴力をふるう。


●「毎日のようにある」「2、3日おきにある」が5項目以上に達したら「学級崩壊」の赤信号
●同じく7項目以上になると緊急に対応策を打つべき

 

ここからは、2009年8月にまとめた「『学級崩壊』をスタートラインとして ~何がこのクラスの課題なのか~」がベースになります。2008年度に学級が崩壊したまま年度末に至り、その後を受けて担任した5年生1学期の記録です。

 

1 昨年度の様相を読み解く

 
 昨年度の1学期後半及び2学期後半、4年生のクラスに入り込みをした際の観察で言うと、尾木私案〈授業崩壊の10の指標〉の10項目のすべてが当てはまっている。3学期には管理職以外の入り込みは行っていないが、状況はほぼ同様であった。つまり、事態が明らかになった昨年度6月以降、9ヶ月間にわたって極めて深刻な学級崩壊が継続していたということである。

 

2 学級崩壊はなぜ起こったか

 

 尾木氏は、同書の中で「『学級崩壊』の基本問題」として学級崩壊を次のように定義している。

 

「学級崩壊」の基本問題


①「学級崩壊」の定義のポイントは、「一人担任制」による「小学校問題」であり「学級全体」の「授業不成立」現象である。


②「キレる子」「荒れるクラス」「指導困難学級」「中学・高校・大学」の授業崩壊とは区別する。


③小学校「低学年」と「高学年」の「学級崩壊」は背景も脱出法も違う部分が多い。


④特別な「引き金」になる子の問題ではなくて、むしろ同調思考の多数の子どもたちの発達上の問題である。高学年は、思春期特性と担任への「いじめ」として発生する。


⑤子どもの発達上の問題であると同時に、学校の画一主義や学びの方法との矛盾でもある。


⑥母親からの「良い子」ストレスが大きい。就学前教育にも注目すべきである。


 その上で、低学年と高学年の特徴を次のように整理している。

 

■低学年の特徴
自己中心的・衝動的パニック現象(セルフコントロール不全)←愛情不足
コミュニケーション不全(小暴力)
基本的生活習慣の欠如
良い子ストレス
⑤“崩壊”よりも集団の未形成状態

■高学年の特徴
教師への不満・怒り(差別・不公平)
学習からの逃避
③思春期ストレス(自立への不安)
ピアプレッシャー(同調圧力)
⑤私立中学校受験勉強による心情不安
⑥担任教師へのいじめ構造
                       (下線は引用者)

 

 尾木氏の学級崩壊の定義や、低学年と高学年の特徴が重なって現れる中学年の特徴を肯定的に受け入れた上で、なおかつ疑問が残る。教師にとって「しんどい子」や大変な状況は、大なり小なりどのクラスにもある。しかし、しんどいクラスが悉く崩壊しているわけではない。では、昨年度の4年生のクラスはなぜ崩壊した?


 学級崩壊のきっかけには、あらゆる種類の無秩序な言動をする、一人または数人の突出した子どもの存在がある(尾木氏はこれを「引き金になる子」と表現している。「しんどい子」と同義の言葉である。)が、他のこどもたちがそれに同調せず、教師の指導に従っていれば、崩壊は起こらない。「最初の〈引き金っ子〉たちに引きずられて、他の子どもたちも同じような心情にかられたり、同一行動に出たりすれば、学級全体の統制は崩壊する。」(『子どもの危機をどう見るか』(尾木直樹著、岩波新書、2000年)引き金っ子からの同調圧力ピア・プレッシャー)を受けて、他の子どもたちが同じような行動に走り、しかも、それが2週間、3週間も続くと、担任個人の力では立て直しが困難な、典型的な学級崩壊となる。したがって、崩壊のプロセスには、①「引き金になる子」の存在、②他の子どもの同調圧力の強さ、③崩壊期間の継続時間帯という3つの要素があるという。


 ここでは、①の「引き金になる子」は問題ではない。そうした子どもは昔から存在したし、どのクラスにも存在するからだ。
 「③の崩壊時間が問題になっているのも、自制心の弱い四〇人が、一斉に沸き立ったとしたら、一〇分も一五分も規律のない状態が続き、とても授業どころではない。…崩壊現象の質が問題なのだ。クラスにいじめがあったり、担任への信頼感が弱い中・高学年のクラスでは、この状況が授業を壊すほど致命的な結果をもたらすのだ。」(『「学級崩壊」をどうみるか』)それが2週間、3週間も続くと典型的な学級崩壊となるという。このクラスは、それが9ヶ月続いた。


 さて、学級が崩壊するか否かの決定的要因は、周りの子たちの同調圧力ピア・プレッシャー)にあるようだ。「引き金」があったとしても、他の子たちが同調しなければ授業は成立し、「引き金」になった子も落ち着いてくる。問題は、その他大勢の引きずられやすい「フラフラッ子」の存在である。逆説的に言うと、なぜこの子どもたちの自立心を鍛えられず、他者認識力やコミュニケーション・スキルを高められなかったのかという、崩壊の遠因となっている背景が浮かんでくる。

 

 

3 学級崩壊からの脱出

 

学校の脱出プログラム


①子どもと大人(教師)との関係性の転換(子ども観の転換)
 教師から見ればたとえ否定的な現象や振舞いではあっても、それは、子どもたちが教師に伝えたい何かギリギリのメッセージや叫びであると受けとめることができるかどうかである。
 「良し悪し」をあせって判断しないで、まずいったんすべてを受け入れること。…「どうしたの?」と教師側から心を開くことだ。そうすれば、子どもも教師の対等な息づかいを感じて心を開いて語り出す。…行為には共感できなくても、気持ちには、そのまま寄り添うことだ。


②授業づくりの転換(授業観の転換)
 「学級崩壊」から脱出するための要は、授業にあるといっていい。授業の内容、方法論としての教授法、授業システムの三つの領域を徹底して見直してみることだ。


③一人担任制をやめる(担任観の転換)


④低学年と高学年を区別する(指導観の転換)


⑤情報公開と父母・他教師との連携と子ども参画の学校づくり(学校運営観の転換)

 

家庭における子育ての基本-10の視点


①学校に頼りすぎない=学校的価値と文化からの脱却をめざす→子どもの居場所としての親と家庭がつくれる→心が安定し、学校でパニックにならない


②家庭の交流を創るシステムを工夫する


③父親を「会社人間」から「家庭人間」へ取り戻す


「良い子」ではなくて「あるがままのわが子」を受けとめる→ホッとして安心して伸びる子


「指示」や「小言」より「聞く愛」を→いつも聞いてもらっている子は先生や友だちの話を目を見つめながら聞けるものである


自己責任能力を身につける→その前提として「自己決定」場面を増やす


遊び体験の重視→自己表現、人間認識、信頼、トラブルのくぐり抜け方


家庭のモラルの確率→叱る基準


⑨子どもとともに生きるパートナーシップ→友だち親子からステップアップ


基本的な生活習慣の確立→集団性、統一性の回復

  … 学級崩壊からの脱出との兼ね合いでは最も重視すべきポイント


                          (下線は引用者)

 

 尾木氏は、前掲書において、学級崩壊からの脱出プログラムとして5つのポイントを提示している。その背景には、社会や子どもの変化に対応しきれなくなったこれまでの価値観や根強い伝統が、学級崩壊という現象を生み出しているという氏の分析が読み取れる。そして、社会の変化との関連で言うと、幼児期の①基本の生活のくずれ(食・遊・寝)②他者との交わりの欠如(遊びの喪失、少子化、おけいこごと通い、早期教育)③親子関係の不全(丸ごと受容の消滅、スキンシップの欠如)という3つの「くずれ」を挙げ、学級崩壊からの脱出の第②のポイントとして、「家庭における子育ての基本-10の視点」を提示している。


 昨年度の4年生教室の“異変”に廊下から気付いて以降、管理職を中心に職員集団は実によく関わった。にもかかわらず、学級崩壊から脱出できないまま修了式を迎えた無念を総括しなければならない。


 まず第1に、子どもたちの「メッセージ」や「叫び」を最後まで聞き取れなかったということだ。担任の回想によれば、「引き金」は学級開きから1月も経たない時期の席替えをめぐるトラブルだという。その際に感じた不公平感が担任への不満として尾を引き、周囲の同調によって学級全体に広がっていったようである。職員集団が「引き金」と考えられる“事件”を知ったのは、随分後日になってからのことではあったが、遂に子どもの心に寄り添うことなく終わってしまった。私たちは、子どもたちを席に着かせ、静かに授業を受けさせる「圧力」としてしか機能しなかった。


 第2に、学級崩壊に対する認識のなさと対応の遅さの問題がある。「引き金」から2、3週間も続くと典型的な学級崩壊になるというが、私たちが廊下から教室の“異変”に気付いた時点では6週間が経過していた。担任の苦悩は察して余りあるが、この時間経過が事態を深刻化かつ長期化させていったと考えられる。さらに、この時点で職員集団に学級崩壊について十分な認識があれば、子どもたちを押さえ込むことに終始することはなかっただろう。また、臨時学級懇談会も2学期後半ではなく、1学期中に開かれていたかも知れないし、懇談内容も「説明」よりも「協力要請」に重きを置いたものになっていただろう。


 第3に、教員関係の甘さということに言及せざるを得ない。年度途中での担任交代ができない以上、担任が踏ん張るしかない。職員集団は全力で担任を支えなければならない。支え方には2通りある。1つはいたわりに根差したものであり、もう1つは厳しさを伴った助言だ。私たちの場合、後者はどれほどあっただろうか。同僚としては気の毒に思うが、客観的に見れば被害者は子どもたちだ。私たちには事態を解決する責任がある。最前線で子どもたちと接する担任の子どもの見方、教室での表情、声のトーン、授業の進め方等々の1つ1つが変わらない限り、子どもとの関係を結び直すことなど叶わない。私たちは、子どもたちには時として威圧的に向き合ってきたが、担任とはどう向き合ってきただろう。管理職は言うに及ばず同じ職場の先輩として、学級崩壊に呻吟する若い担任をどれほど育てられただろう。

 

5年生1学期の具体的なあゆみについては次回に掲載します。